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416話 そして乙女?の戦い

挿絵(By みてみん)

清き朝に

超絶美女


非日常に胸弾ませ

白い鎧で元気よく


ドラゴンクレーターを

お散歩した

感想は?

 新たな1日のはじまりに吐息に似た柔らかな風が吹く。そよぎを受けた花草がくすぐったそうに葉を揺らす。

 底を空かし紺碧色をした湖のせせらぎ、ときおり魚がぱしゃりと跳ねたりと風情がある。

 あちら側では樹皮の香りが深く翡翠を蓄えた若木たちが虫と鳥の歌声に枝をぶつけ合って拍手なんぞを送っている。

 自然が自然のあるがままの姿で保存された手つかずの姿。数多くの命が生きているのにすべてが絵の中のできごとのように美しい。時が止まっているかのような錯覚すら覚える。

 どこからともなく匂い立つ花の甘い香りに、まばらに映る木々の影。気温も暑すぎず寒すぎずな絶好のハイキング日よりだった。

 そんな無為自然のなかを自称純情可憐なひとりの美女が征く。


「なんにもなーい! 予想はしてたけどまったくなんにもなーい!」


 森林浴を終えたフィナセスはでてきた森にむかって叫んだ。

 織りなす風景をどうとらえるかはそのもののさじ加減ひとつだ。色も、味も、音も、感じる者の感想こそが本物なのだから。

 だからちょっとした刺激を求めた彼女にこの地は退屈極まりないのだ。


「文明が発達してないどころか龍族にすら出会わないじゃない! ちょっとしたボーイミーツガール的な展開とかを期待してたのにー!」


 両手をぶんぶんと振り回しながらぷりぷり抗議する。

 その都度、技巧的な鎧の音ががちゃりがちゃりとやかましい。

 しかし自然はあるがままにあるだけ。どれほど彼女が理不尽を押しつけようとも興味すら示してはくれない。

 そんな誰も相手してくれないという孤独がフィナセスをヒートアップさせていく。


「魔物もいないし掘っ立て小屋すらないし! たまに見かけたと思ったら魔物の骨くらいじゃないのよぉ!」


 むきゃー! 乙女にあるまじきふてくされよう。

 期待していたロマンスもなければ血湧き肉躍る冒険もない。

 それも少し冷静になればかわったはず。文明未発達な龍の住処は、龍でさえもて余すほどに広大である。彼女如き小さき者が徒歩で散歩をしたところで蟻の1歩となんら変わらない。

 しかもここら一帯は海龍の仕切る土地だ。別の龍がくるとしたら彼を目当てにやってくる。間違ってもフィナセスを目的とするわけがない。


「龍族と出会っちゃって私のあまりの可愛さに心を奪われたりしちゃったりして! それでも龍の運命に逆らえないから泣く泣く涙のお別れをしちゃったりなんかして! そういうドラマチックな展開が欲しいのー!」


 吐きだされた欲望まみれのロマンを聞くものはいない。

 どたばた。ひと通り下生えを踏み固めてすっきりしたフィナセスは、いったん怒りの矛をおさめる。

 三つ編みの先っぽに唇を宛てがい、ふむんと唸った。


「でも魔物がきちんと駆除されてるのは評価できるわね。冥界との境界がある南東側できっちり狩りをしてる証拠だわ」


 警戒せずとも夜を越せることの異端さたるや。西側で絶え間なく湧きでる魔物の処理に困っているのがまるで嘘のような接敵エンカウント率。

 彼女とて騎士である。魔物のもたらす被害や惨状を幾度も垣間見てきた。だからこそ呑気に散歩なんてできてしまう現状に好感触を覚えている。


「というか龍って魔物を食べるのよね? なら南東側にコミュニティとかを作って、魔物がでてくる端からばくばく食べてるのかしらん?」


 軽い考察をしながらフィナセスは、ちょいと小首をかしげた。

 彼女の脳裏にいるのは、もはや尊敬は愚か崇拝している剣聖だ。彼女もまた忌み食ゲテモノと蔑まれる魔物を喰らう習性がある。

 魔物とは現世にて罪を犯した者が冥界で浄化されるさいに漏れでた悪意の塊である。

 であるからこそ種族的には忌むべき物。食えなくもないが進んで口にするのはただの物好きだ。


「ま、いいわ。朝のお散歩はこれくらいにしてテントに戻りましょうかね。せっかく剣聖様のことを思いだしたんだし剣のお稽古でもしましょ~っと」


 思考モードを解除するようフィナセスは三つ編みを手放した。

 回収ずみの荷馬車を放置するのも心配だ。それにムルルをひとりのままにしておくことこそ忍びない。

 早々に探索を切り上げて足が帰路のほうへむく。


「――ッ!?」


 その刹那の間に腰に帯びた剣が柄が握られる。

 鞘引き、即座に抜剣のできる姿勢は――たとえムチムチの美少女になったとしても――体に染みついていた。いついかなる状況下であれ彼女は騎士なのだ。

 覚えたのは背後からの良くない気配だ、それも息を呑むほど強烈な類の。


――しかも意識的に? まさか私を試してる?


 フィナセスは、体の中央の辺りから寒気がどろりと全身に広がっていくのがわかった。

 そのむけられたものが殺気や好気かすら未だ不明。理解できるのは非常に強いなんらかの感情、あるいは思惑や思念。


――右に湖、左に森林。湖は水上を歩く魔法を使うから1手遅れる。だけど森はさっきの探索でおおよそ把握ずみ。


 駆けだしアマチュアであればこうはいくまい。

 たとえ気配に気づけたとしても浮足立つし、抜剣に及んだとして剣の切っ先が定まらぬだろう。つまり冷静に状況を読めるのは彼女が達者プロだから。

 そしてフィナセスは瞬く間もなく最良の手を導きだす。


「視界も遮れる点から考えても森へ飛び込むのが最適手ね」


 さらに達者であるからこそ気配を発する者の力量すらすでに解析ずみ。

 銀の瞳は気が遠くなるほど遠方の巌山いわやまを睨みつけたまま。そのいただきに立つ極小の影を見逃さぬ。

 万年削られたような岩の先。針のように鋭利な尖端に、形こそ定かではないがなんらかがいる。じっ、とこちらを観察しているのがわかる。

 それからなんとなく笑っている。あくまで予想だがそんな気がしてならない。


「間違いなくアレって龍よねぇ? しかも伝わってくるのが限りなく殺気に近いものだし……逃げ切れるかなぁ?」


 フィナセスは腹筋に力を入れながら姿勢を沈めて緊張した声を絞りだす。

 逃げるも攻めるも体は低く下げすぎないことが重要だ。駆けだしに体をもちあげるという濁りムダが生ずる。

 騎士として組み上げた経験則という論理演算。導きだされた最良の選択肢は、隙を見て森林へ飛び込むという逃げの1手。

 ヒュームの少女が眠る野営地がある。そのためほぼ無意識に後退は選択肢から除外されている。

 上位である彼女とて常識を越えた存在者なんぞを相手にしていられない。だからこその最適解。


「ふぅぅ……こんなブラックな展開を望んでたわけじゃないんだけど」


 嘆いたところでもう遅い。浮かれ気分は心の消耗とともに摩滅している。

 フィナセスは剣に手を添えたまま時に備えた。

 微かに口角が上がてしまうのは龍の力量が洒落になっていないから。痙攣する頬を冷たい汗が伝っていく。


「……りーよなぁ……んのクソ……チビ……」


 直後。左方から聞こえてきた枝を踏む音。

 それから途切れ途切れの低い呟き。


「冗談でしょッ!?」


 これにはたまらずフィナセスの意識が巌山からそちらへ逸らされる。

 鼓動が早鐘のように早まる。血流が早まるが血が冷え切って凍えそうだ。

 あの化け物じみたLクラスたちの英傑でさえ、1匹の龍を相手に3日3晩を要した。しかも後に聖女を犠牲とした辛い勝利。

 対して今の彼女は単身で、相手は複数。

 さらにあらかじめ決めていた逃げ道を奪われたことに気づいたフィナセスは呼吸を止める。思考を麻痺させる。


「くっ――ど、どうすればっ!」


 目に映した視界が絶望によって暗く淀んでいく。

 慌てふためくフィナセスをよそに接近する音はゆっくりと、そして確実に森の奥からこちらへ真っ直ぐ近づいてきている。


「あーもうたりぃなぁ。あのクソ短足チビ助の野郎……謹慎とかフザケたこと言いやがってよぉ」


 落ちた木々の影から線の細く高い輪郭が少しづつ視認できるようになっていく。

 それと一緒になにやら不満そうなぶつぶつとした呟きも聞こえてきた。


「しかも種の姿のまま固定とかわけわかんねーんだけどぉ……おっ?」


 フィナセスと目の合った飄々とした龍の青年ははたと立ち止まる。

 なぜ彼が龍だとわかったのかといえば背には翼を腰の辺りからは寸胴のような尾っぽを生やしているからだ。そうでなくともここにいるのは大半が龍。

 彫像のように固まった彼女を見る青年もまた後頭部を掻いていた手を止めた。

 むかい合うふたり。色味の似た銀とグレーの瞳が見つめ合ったまま。互いに瞬きすらせず。


「コ……コンニチハ~」


「お、おう? こ、こんちわ」


 勇気を振り絞ってフィナセスが挨拶すると、あちらも慣れぬ感じで挨拶を返した。

 虚を突かれるかのようにたじろぎつつも青年は被り物を被った頭をペコリと軽く会釈を返す。

 もみあげの辺りを沿ってぶらりと垂れる丸い綿飾りが振り子のように揺れた。


「あーね、オメーが海龍の言ってた客のひとりか。オレっちはタグマフ・ウェマイ・ハルクレートってんだ」


 よろしくなっ。青年は気さくに手を立てきかん坊そうな目を猫のように細めた。

 しかしまだフィナセスは握るか握らぬかといった最中で剣を抜く手を固定しつづける。


「ヘンッ、どーせオメーらに岩龍って自己紹介してもそう呼ばねぇもんな。……つーか、なんでアイツじゃなくて女がこんな場所にいんだ?」


 青年を印象で例えるのならば、軟派。そして気さく。

 初対面にも関わらずやけに壁のない接しかたは龍であるからか。

 逆にエーテル族であるフィナセスは身を硬く強張らせている。上位存在への不信感。

 そして油断ならないと決めかかっていた彼女の勘は当たっていた。


「へぇ……これが、ねぇ?」


「ひっ……!」


 タグマフの目つき変わりようにフィナセスは短く悲鳴をこぼした。

 まるで相手の尊厳を今まさに踏みにじろうとするような。その卑猥な感情をぶつける画策をするような。

 とにかく自称究極美女の覚えた感情は碌でもないものだ。


――こ、このままだとかなりまずいわね!


 右往左往の体でもったいぶるような足どりでタグマフが接近してくる。

 1歩1歩を踏むたびフィナセスの体は拒否反応を示し、ぷるぷると震えた。

 青ざめる女性を前にして青年はさながら足先から頭頂部までを値踏みするよう。欲望を剥きだしに舌舐めずりを繰り返す。

 こんなに可愛くも食べごろな自分を見て興奮するのは仕方がない、仕方がないのだ。


「だからって初対面の相手に味見させるほど私は安くないわ!!」


「……はぁ? なに言ってんだ?」


 半狂乱になってフィナセスが主張すると、タグマフは露骨に眉をしかめた。

 相手が大陸最強種族の龍だからといって彼女にも譲れなものがある。

 剣を抜き放ったフィナセスは銀の切っ先を相手の喉にむかって構えた。


「おいおいおい!? 別にオレっちが龍だからつってもとって食おうってわけじゃ――」


 これには龍族であるタグマフも動じずにはいられないらしい。

 必死ぶって否定しているようだが、彼女の曇りなき眼はそれをすんなりと受け止めない。


「嘘ねっ! このラブリーな私の体を滅茶苦茶に堪能し尽くしてやろうってハラでしょ! そのイヤラシイ目を見ればなんとなくわかるわ!」


「誤解も甚だしいぜッ!? オレっちはエーテル族をはじめてみたから感心してただけだっての!? それに生まれつきこういう目つきだチクショウ!」


 切っ先から逃げるようタグマフは両手を振りながら後退していく。

 だが火のついたフィナセスは誰にだって止められやしない。


「男ってほんとイヤね下半身でしか物事を捉えられないなんて! まあこんな素敵でキュートな美女が目の前にいたらそうなっちゃうのもしょうがないのだけれどもっ!」


「おい話聞けよ!? あとどんだけ自分に自信があんだよ海龍みてーなやつだな!?」


「あーいけないんだー、そうやって下げてから上げるつもりでしょ! 私のことを内側から籠絡して最終的にシッポリしようって魂胆ね! そんなのお見通しなんだから!」


「オメーなにも見通せてねぇんだよォォォ!!」


 いよいよもって剣を投げ捨てたフィナセスは、抜群の肢体を抱くようにして清い体を守りに入った。

 そしてタグマフがどれだけ声を荒げて否定しても一切聞き入れる余地はない。

 大自然の真ん中で自称究極美女と龍が喧々諤々、喚き散らす。その鼓膜が破れんばかりの猛烈な具合に、平和を歌う鳥たちが慌てて大空へ逃げていく。

 しかし相手は龍だ。いずれは覚悟を決めねばならない。


「力で組み伏せようとも私の心までは自由にできないんだから! いいっ、私は最後まで抵抗に次ぐ抵抗をつづけるわよ! 物凄いいっぱい噛みついてやるんだから!」


 体を大の字に開きながらキッ、と。フィナセスは涙目になっても負けん気を見せつけた。

 身を守る鎧を剥かれ、泣こうが叫ぼうが滾る情欲に弄ばれる。そんな冒険者たちが運悪く迎えるオシマイ。彼女もまた騎士であるがゆえに覚悟を決めた。

 そしてタグマフはがっくり頭と尾をたらす。


「……アイツと会えるって海龍から聞いて期待してたのになんなんだよぉ。邪龍の相手までさせられてへとへとだってのに……今日は厄日かなんかか?」


 腰から折れるように前屈し、こころなしか大翼までもが萎え気味だった。


「それにオメー、見た目はともかく男だろ。オレっちは海龍みてーな雑食趣味してねーっての」


「――うぐっ、誰が男よ!? どうみても日も照れて雲に隠れ、月すらも嫉妬する美少女でしょ!?」


「ばっちし染みついた臭いが男くせーんだよ。オレっちそういうのに結構敏感なんだぜ?」


 フィナセスのけんと鳴く声も、ほろろに空かし、やれやれ。タグマフはうんざり顔で鼠色をした前髪を左右に揺らす。

 ここまで手引した海龍の知り合いであればコトもなし、彼は安全。つまり――いちおうの――危機は去った。


「んむむぅぅぅ!」


 だがフィナセスは男臭いと言われたことがべらぼうに気に食わない。

 怒張で頬をパンパンに膨らし、下から射抜かんばかりに相手を睨み上げる。

 彼女はたびたび龍族と並んださいに男であると指摘されていた。

 しかしこうも真正面から真実を告げられると腹が立つ。なにせこんなにもチャーミングで美しすぎる究極理想形の美女なのだから。


「つーことはオメーはアイツの連れってわけか。わりと賑やかになりそうだし考えようによっちゃおもしれーかのもな」


 下から殴りつけるような怒りの形相も露知らず。

 タグマフは両手を衣嚢ポケットに突っ込んでカラカラ喉を鳴らす。

 それが目の前にいる彼女の感情をより逆なでしているということに彼が気づくわけない。


「なっ――!?」


 余裕綽々のタグマフの手が捻り上げられんばかりに引っ張られる。

 引っ張られてむかう先は、聖騎士鎧からこんもりとあふれるほど晒された奥が見えぬほど深い稜線の谷間。


「だったら触って確かめてよ! 私のおっきなおムネを心ゆくまで触っても目の前にいる美女が男だって言えるの!?」


「ば、バカじゃねーのか!? 男がオレっちの体にベタベタと触るんじゃねえ!」


 フィナセスは暴走気味に己のふくよかな部分へ彼の骨ばった手を無理矢理導く。

 さぁ、と。青ざめたタグマフも嫌悪感にまみれた表情で引かれる腕を引いて堪えた。


「ぬぎぎぎぃ……なんで抵抗すんのよぉ!? 男なら誰しもが1度は憧れるおっきいおムネを好き放題できる絶好のシチュエーションでしょ!?」


「だ、誰がナンチャッテ男のムネなんぞに――うおっ!?


 一進一退の攻防。一見してボーイミーツガール、その実ボーイミーツボーイ。

 乙女の誇りと龍の力が競り合って均衡する。


「ぐっ、はじめて出会ったけどエーテル族ヤベェ!? 肉体的にはオレっちのが優秀なのに執念だけでこんな力がだせんのかよ!?」


「四の五の言わずに触れー! 私が美女だって認めるまで諦めてあげないんだからー!」


「あーわかったわかった女だ、女! スゲー美女で超いい香り! まるで楽園で目覚めた天使!」


 綱引きの如き攻防はしばらくつづき、タグマフが渋々折れたことによって決着がつく。

 ふと思いだしてフィナセスがそちらを見れば、巌山の影はとうに姿をくらましていた。


「へぇ、へぇ……それってさっきまでオレっちと朝の儀式をしてた邪龍じゃね? おかげで朝っぱらからへとへとだぜぇ……オメーの相手も含めてだけどな」


 玉の汗をびっしりと浮かべながら岩龍は喉で呼吸を刻み刻み、そう語った。



……………

挿絵(By みてみん)

「なんにもなーい!」

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