406話 そしてカラミ家といっしょ
熱く黒い怒ったような形をした雲のむこう側で、とっぷりと日が暮れるころ。予測していた雨が降りだしてしまう。
雨脚は強く、日中からの曇天で気温も下がるいっぽう。そんななかフィナセスが視界不良と判断を下す。
そして道程の許容範囲に至った辺りの崖際で野営を張ることとなった。
「この辺なら誘いの森からも離れてるし大丈夫そーう。あと念の為周囲にフィナ子特性の感知魔法陣を設置してきたわー」
周囲警戒にでていたフィナセスが雨のなかを小走り気味に駆けてくる。
護衛を欠いていた状況で気を張らざるを得ない。彼女がいないだけでこの一党は闇のなかで夜を明かすことすら困難だ。
そんな頼りになる護衛の帰還を視認したムルルは眠たげな目尻を緩ませる。
「ふぃなーおかえりー」
ほっ、と安心の面もち。
テントに入ってくるフィナセスに駆け寄り「んっ」と。言葉少なで手にした布をそそくさ渡す。
「ムルちゃんお出迎えしてくれてありがとー! まあ上に防御魔法をかけてたからそんなに濡れてないけどねっ」
彼女も微笑とともにそれを受けとった。
清潔な布で耽美な顔を覆う。次いで帯びた鎧と同じくらい白いうなじにも滑らせる。髪やら肩やらを軽くとんとん叩いて水気を拭きとっていく。
見てくれは花も恥じらう優秀な女性。水も滴るいい女。
「ふぅぅ、いっぱい汗かいちゃったナー。鎧の留め具とか緩めちゃおうカナー……ちらっ、ちらっ」
手甲を外した指を鎧の留め具にかけながら、ちらっ、ちらっ、と声にだす。
彼女は鍋の番をしている青年へ、いちいち小癪な視線を送った。
「……」
なお明人も気づいているが無視をしている。
その謎アピールに反応すると調子に乗ることを知っているからだ。人間は学習する生き物である。
するとフィナセスは、ふむん、なんて。筋の通った鼻から高声を漏らす。
「むぅ、これもダメか……。せっかくダープリの弱みを握ってまた剣聖様とお近づきになろうと思っていたのになー」
それから鎧の留め具を3割ほど緩めてから落ち着く。
焚き火の前で座って長い足をすらり横に流した。
「このメンバーで狭いところにいると防衛戦争を思いだしちゃうわねー。ついこの間なのになんだか懐かしい気さえしてくるわぁ……」
悪臭に満ちた下水に引き篭もっていたことを思いだしているようだ。
懐かしむやら憂うやら。なんだか感情の読めない表情で、フィナセスは鍋に潰されぱちぱちと弾ける炎に胡乱げな目を細める。
「あんなに種族同士がいがみ合っていたのに嘘みたい。グラーグン王の覇道の力がどれほど強力だったのか身をもって実感するわね」
そんなフィナセスは性別が変わってからというもの、メキメキと頭角を表している。
噂は聖都を越え、陸の孤島――誘いの森に住まうドゥ家の耳にも入ってくるほど。
容姿端麗、質実剛健。エーテル族であれば前者は当然と言える。しかし舞う姿は見る者の喉を唸らせ同族の女性男性を虜にするのだとか。
しかしてそんな彼女に集う者たちも癖がある。
黄龍ムルガルもまた聖都に欠かせぬ存在らしい。南北を隔てる奴隷街の壁は黄色の豪腕によって破壊しつくされたのだとか。
残すはひとり。超がつくほど有名なカラミ家のジョーカー的存在がいる。
『ほんとダなァ! 屍肉ダらけの地下から這いデたと思えば、ベッピんさんバッカリときたもんダ! 先ッポガ乾く暇ガないゼェ!』
げひゃひゃひゃ。錆びた鉄をこするような下卑た笑いが狭い空間に木霊した。
チャムチャム2号店はエーテルの住まう聖都でも通常営業らしく、悪名高さでいえば大陸随一とさえ語られている。
奥方のスカートは捲るし、幼子のスカートも捲る。捲れぬのであればツバを伸ばして下ろす。それはもうやんちゃな小学男児の如く。
「チャムちゃんはもうちょっと控えてくれると嬉しいんだけどねー……。アナタが外にいると聖都に悲鳴が上がるからどこにいるかわかっちゃうのよ……」
『おッと黄色い悲鳴ッてやつダなァ! まッたくダンディズムを極めちまッたせいデ女ドもガ群れてしャあねェ! ゲヒヒヒヒッ!』
フィナセスが困惑気味に注意したところで下卑た笑いは止められない。
なにせダンディズムを極めたらしいただの帽子は、奥方たちに可愛がられているのだとか。
「もうっ。みんな笑って許してくれるからって好き放題してると将来的に痛い目を見ることになっちゃうからね?」
『そんときャそんときよォ! 楽しめるうちに楽しむのガ男の潔い生きかたッてやつダ! デッかくなッたら女湯に入れなくなッちまうからな!』
エーテル族は大陸のなかでもとくに奥ゆかしい、ほんわか一族。
恵まれた容姿に恵まれた才覚。そのうえ懐っこく、くる者拒まずな特徴が見られることが多い。
聖都のトップに立つ女王からしてもだろう。聖女もまた民を家族として愛するくらいほんわかしている。
『つッても最近デは反応ガ食傷気味ダからな。次は隣国の長耳セクスィーなエルフちャんたちにロックオーン』
「あーんもうやめなさいってばあ……。エルフはプライド高めの子が多いから消し炭にされちゃうかもしれないわよ?」
そんな実のない会話を耳に、明人はふと思う。
――大人になると女湯に入れなくなるのは悔しいけど……一理ある。
今のところ彼女らに悪い噂はない。なんだかんだでフィナセスもムルガルもムルルも上手くやっている、という感じ。
奴隷街出身のヒュームたちもドワーフの国で労働に勤しみながら生計を立てて定住している。
災い転じて福となすとは言ったもの。あの苛烈な戦争は決して無駄ではなかったし色々なモノを生みだしていた。
「にしてもこの季節は雨が多くてイヤね。水の精霊が祝福するのは火の精霊が元気になる前兆だけど」
フィナセスの何気ない呟きに、ムルルの眉がへの字を強くする。
「火の精霊が元気になると……火が振ってくるの?」
すると濡れた布を荷物の上に投げながらフィナセスはカラカラと喉を鳴らす。
「あはは、そういえばムルちゃんは外にあんまりでなかったのよね。これからいーっぱい雨が降ったあとにカラッと暖かくなるのよ」
「から、と? みんなじゅうじゅう揚がっちゃう?」
「あー……言いかたが悪かったわね。なんというかそのー……」
幼子から純粋な疑問をぶつけられたフィナセスは、どこともない虚空へ思考を巡らす。
それから間もなく手をぽんと打つ音が焚き火の揺らぎと同調した。
「みんな開放的になるわね! 薄着になって水遊びとかをしたり楽しい季節よ! それに肌の露出が増えていつもより大胆になるわ!」
わっ、と。両手を広げて嬉々とするフィナセスへ、たまらず明人は反応してしまう。
「ベストアンサーみたいに言ってるけどよく考えれば全部同じ意味だろ! なんで脱ぐことだけをピックアップしてるんだよ!」
「ありゃ? ダープリは暑い時期が嫌いなのねー」
「そういうこと言ってるんじゃないだよ!」
そんなふたりを交互に見ながらムルルは「ぁぅ……なんかこわい」と。小さな尻をもじもじと揺り動かした。
5角形状の骨組みのなかにいると談話と雨音の大合唱が耳心地良い。さらに焚き火と控えめな光球で視界も良い。じっとしていても震えることのない室温を保てている。
これは冒険ではなく旅行だ。前もっての準備が初日から役立つのは幸か不幸か。いちがいに決めづらいところ。
フィナセスは、煮だしたてのお茶をすする。表情もうっとり緩める。
「ふはぁん……。ハーブティーなんて小洒落たものをよく用意してたわね。なんか体もポカポカしてくるわぁ……」
「そんな小洒落てないよ。だってそれ干して煮だしたヨモギ茶だもん」
どっかり広めに陣どった明人は木のお玉で鍋をかき混ぜた。
採れたてのゴブリンを正しく毒抜きした肝入りの特性汁。その名もゴブ汁。
彼の膝の中では丸くなった幼子がすっぽりとおさまって食事をしている。
手にしているのは串に刺さった川魚。雷魔法で浮いてきたところを掬いとるだけ。この世界ほど魚にとっての悪条件な環境はないだろう。
「毎日お腹いっぱい食べられる幸せ。食事の偉大さ。身に染みる」
そしてムルルは、不幸な魚たちの代わりに幸福を歌いながらかぶりつく。
『野郎の股グらにおさまって食べる飯はさゾかしうまかろう! 次はワタシちャんさんガ食べてもらう番ダッたりィ!? ゲーヘヘヘヘ!』
「チャムチャムご飯の邪魔。ふにーはそんなことしないもん」
雑音が気にくわないのかムルルはぷいっとそっぽむく。
しかし被った帽子の星が揺れるだけ。叱られたからとて簡単に黙るようなヤツではない。
『お~ッとドうダろうなァ? ミニマムフラット好みなヤツは逆に多いくらいダゼ。口にデきないブん変態ッてのは水面下デ活動するのガ世界の常識ッてやつよ』
「ムルは成長期だもん! これから大きくなるんだもん!」
主の不機嫌に反比例するかの如く、てっぺんの星がぶらぶら揺れる。
あん肝の入ったどぶ汁ならぬゴブ汁が完成してからも、食卓を囲って会話は延々と弾みっぱなし。話題は尽きず、止まるどころか加速するいっぽう。
他種族入り混じったカラミ家では、きっと毎日こんな光景が繰り広げられているのだろう。
「このお汁すっごいおいしい! ダープリおかわりー! 次も大盛りでおねがーい!」
「ムルも! ムルもいっぱいちょうだい!」
『おほほほッ! この恥知らズな欲しガり屋さんの雌豚ドモめ! 明日の体重に絶望するんダなァ!』
これなら無口な黄色い龍も、塞ぎ込んでいる暇なんてないはず。
鍋が空になってもカラミ家の愉快な日常はしばらくつづいた。
……………
腹が満たされて場は満足ムード。うとうとしつつぼんやり天井を仰いだりしている。
溜めた雨水で食器を洗い終えた明人が定位置に戻る。すると重そうな瞼をこすりながら小さな影が近寄ってくる。
「ふにー……お膝……」
「了解チョット手を拭うから待ってて。――ほら、おいで」
「……ぁぃ」
2割ほど目を開いたムルルがふらふらと覚束ない足どりであぐらのなかへすっぽり小ぶりな尻をおさめた。
胃も満たされた旅初日の夜ともすれば眠くなるのもしょうがない。丸い膝を抱えながらうつらうつらと船を漕いでいる。
「ずいぶんムルちゃんに懐かれてるのね。この子、お家でもそんなに甘えてこないわよ」
そう言ってフィセスは陽気な丸みのある顎をすくませた肩に寄せた。
嫉妬するでもなければ唇で優雅な弧を描く。聖騎士より保母のほうが似合いそうなたおやかさ。
手の届く位置には当然のように鞘におさめられた剣が置かれている。
「境遇もあって甘えたい盛りなんでしょ。妹も似たような時期があったからなんとなくわかるよ」
明人は遠くを見るような細めで膝の上のつむじ頭を見下ろす。
そうやっていると温もりやら感触が伝わってきて妹の影が網膜の奥のほうに映しだされた。すっかり兄の顔つき。
フィナセスは「へ~」と少し意地悪そうな声を漏らした。それから剣を掴んでずりずりと明人のほうへ近づいていく。
「ね、ね。ダープリの妹ちゃんってどんな子だったの!? 私より可愛いわけないと思うけどさ!」
そして媚びを売るような上目遣いで詰められようが、兄は微塵も揺るがない。
演技ではない明人による渾身の悪鬼羅刹な顔つき。語るのは無論妹への賛辞と無常の愛だ。
「うちの妹と他の女を比較するなんておこがましいぞ……! 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は舟生夕というオレの格言を脳に刻んでおけ……!」
ここにいる兄にとって妹こそが至宝であり至極。
舟生夕のためならば舟生明人は仏すらも斬り伏せることができたのかもしれない。
「……い、妹ちゃんの名前はゆうちゃんって言うのね。それだけは覚えたわ、あと顔が怖い……」
つらつらと語られる妹自慢に、地雷を踏み抜いたフィナセスも困惑気味だ。
「夕は、滅亡する世界に天が見かねて遣わした天女だ。その他の有象無象の女如き、夕の美貌にかかれば口癖のおいこらのひとことで塵屑になってだな吹き飛ぶほどの美しさが……」
「ご、ごめん。その話まだつづきそう?」
気分良く語る口が遮られ眼光が鈍く光る。
「……オレが妹へ注ぎきれなかった愛情をひと晩寝ずに語り明かしてやろうかぁ? 俗に言う今夜は寝かさないってやつだぞぉ?」
「い、いえ……いいです。……も、もう2重の意味でお腹いっぱいなんで」
そしてフィナセスは「ひゃ~」と言いながらおめおめ撤退していった。
「まあ夕はもっとお姉さんだったから、ムルルみたいに膝の上にきてくれなくなっちゃったんだけどさ」
うんうん過去に思い馳せ、明人は柔らかな琥珀色の頭を手で包むようにして梳いていく。
色は違えど似た感触が厚い皮膚を通して伝わってくる。撫でるたびに髪のなかに閉じ込められていた甘い女の子の香りがふわりと香る。
そうやって髪を乱さぬよう優しく一定のリズムで数回繰り返していると。下のほうから「……ぁぅ」なんて寝言のような愛らしい声が聞こえてきた。
雨の叩く音のなかでゆったりと流れる時間。この狭いテントの空間だけ世界から切りとられているかのよう。
寝入った幼子を起こさぬよう慎重に焚き木に薪を焚べる。そんな明人へ、フィナセスがちら、と目をむける。
「ところでダープリはなんで突然ドラゴンクレーターにいきたいなんて思ったの? この大陸に住んでるんだから軽々しく足を踏み入れていいような場所じゃないってわかってるはずよね?」
純な色合いをした銀の瞳がぱちくりと瞬く。
その色もエーテル族の醸しだす温和さにひと役買っているのだろう。変に崇高でもなければ高飛車でもない。どことなく親しみやすい色合い。
「ん、ああー……。暇だから龍族の生態調査がしたかったんだよ」
「いったいなんの沈黙なのよ……。旅は道連れって言うくらいだし嘘つくの禁止っ!」
びっ、と。デリケートそうな指先が嘘つきの眉間あたりを指し示す。
しばし明人は眉頭にシワを刻み、重々しく頷いた。
「オレの夢のためかな。止まった秒針をなんとかするために、オレはオレの夢を叶えなくちゃならないんだ」
すべてを正直に語らないが嘘もつかない。嘘も重ねれば信頼関係に亀裂を生みかねない。
だからムルルの頬をこねくる。ながらで、伝える。
「ん~、止まった秒針って剣聖様のことかしら? やっぱりダープリったら剣聖様のこと――」
遮って今度はこちらの番。むにゃむにゃ解釈をはじめる彼女へ問いかける。
「そういうフィナ子はどうなんだ? 恩返しにしてはずいぶんとあっさり危険な橋を渡るじゃないか」
その刹那。なぜかフィナセスはさっ、と顔を明人から反らした。
これ以上ない怪しさ。こちら側からでも見える耳が髪を結う赤いリボンと同じくらいに赤い。
しかし嘘を禁止したのもフィナセスだ。息切れの合間に「わた、私は……」なんて蚊の鳴くような声がとぎれとぎれ聞こえてくる。
「そ、そそ、それに別に龍族が危険ってわけではないわよ!? ただ逆鱗に触れさえしなければだけどぉ!!」
がばりと上げた顔はもう高揚もいいところ。両手もあわあわと踊らせてきりきり舞いだ。
高確率でなにかを隠している。逆にこの反応でなにも隠し事がないとすれば名女優である。
「なにがそんなにオマエを焦らせてるんだよ……」
「べ、別に焦ってなんか――な、ないわよっ! や、約束のちょめ、ちょめ、を……とか、そんなはしたない妄想なんて……し、してないもんっ!」
そのまま頭から湯気をだすように黙り込んでしまった。
代わりにほぼ真上の辺りから聞くに耐えぬ声がする。
テントの骨組みに星をひっかけながらぶら下がっていたチャムチャムの目覚めだ。もしくはずっと黙っていただけ。
『ちなみにオレちャんは――』
「オマエのは別に聞いてない。どうせ繁殖に力を入れる龍とかその辺のゲスいことに興味もっただけだろ」
『バレてるッてことはつまりオマエちャんさんも同類か!? ゲヒヒヒッ、やッパ冷静にしてるように見えて猛獣とはスミにおけねェなァ!』
「フザケルなオマエと同じ枠に勝手にオレを入れるんじゃない。その先っぽの星を毟りとって薪の代わりにしてやろうか」
ぶらりぶらり。亀甲縛りで吊るされた帽子は、まだ反省が足りないらしい。
なので明人は放置することにする。
「さて、寝るか」
『あはァん! お慈悲をおくんなましィー!』
明朝の出発に備えムルルを彼女の羽織った黒いマントで包み、抱えこみながらごろりと横になる。即席の湯たんぽ。
敷かれた布は薄くて硬いが座っているより幾らかマシだった。
いっぽうフィナセスも一心不乱といった感じで右と左の人差し指をくっつけるのに忙しい。
『お願ァい! ワタシちャんさんにそろそろ降ろしてくれるよう説得してェん! オレちャん実はエム寄りのエスダからこういうの慣れてないのよォん!』
耳障りな抗議を子守唄代わりに、彼はしばし瞼を閉じておくことする。
それぞれの思惑は胸の奥に秘めたまま。どうやら雨は上がったらしく夜は静かに深まっていく。
先ほどフィナセスは語っていた。龍族は危険ではないという。
それもそのはず。これからを捨てた龍は身を滅ぼすほどに、この大陸と種を愛して愛してやまないのだから。
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