383話 それではゆっくりぐっすり眠るには
ユエラの作成した薬は3つ。
うちの1つ自然魔法使いブレンドの香が立ち上る。
そこへ雄獅子はスンスンと黒い鼻を鳴らす。毛を揺らがす風に乗った煙を吸う。
「これが自然女王様が王から依頼されお作りになられた発明品か!? ふん、ふんふんふん! なんだこの不思議な香りはァ!?」
次いで鷹の男もくちばしの根のあたりからすんすん。匂いのついた空気を胸の羽いっぱいに嗅ぐ。
「ホォ、些か香りが強いな? 甘く芳しいのだがどこか情熱を感じさせる深みもある」
上品な感想を漏らしつつ、ほぅっ、と深く吐息をこぼした。
他にもテーブルに置かれた小さな青磁の香炉に、毛玉たちがわらわらと群がっていく。
それぞれ形の異なる鼻で桃色の煙を楽しむ。雄も雌も関係なく誰もがその発明品に興味津々な様子。
獣の嗅覚。こと香りという面に置いては男性よりも女性側のほうに人気があるようだ。
「わあ……とってもいい香りぃ。はじめて嗅ぐ匂いかもぉ」
「体がじんわり暖かくなってくるわぁ。リラックス効果なんかもあるのかしら」
狐族の女性と、半身馬のタウロス女性がうっとりと目を細めた。
その陶磁器からあふるる香りはとても甘く、そして淫美。
鼻の奥をくすぐるようなスパイシーさと喉の奥に溶けていくような甘いハーブの如き両面を併せもつ。
すると突然。煙のでどころで香りを楽しんでいた2匹の雌に異変が起こった。
「あ、あら……?」
「な、なんだか体の様子がぁ……」
まるで酒に酔ったかのようにふらふらと足元がおぼつかない。
瞼がとろりと半分ほど閉じられ、なおかつ目は赤く潤みだす。肌はぽってりと血色が良く、尾もたらりと下をむく。
そして中央の濃い場所から順繰りに獣たちの様子がオカシクなっていく。
「こ、これはァ!? 戦闘で疲弊したはずの肉体に高鳴りがみなぎっていくぞォ!?」
雄獅子が猛り吠える。
2メートルほどもあろうかという屈強な肉体を覆う体毛がぶわっ、と迸った。
横にいる鷹の目もまた両翼を広げて空を抱く。
「鼓動が脈動する血が巡る! こ、この感覚は……よもや!?」
「発情だとォ!? これは――発情をうながす魔法道具だとでも言うのかァ!!」
複合種たちは突然の発情に困惑しはじめる。
息を荒げてへたり込む者もいれば、居ても立っても居られない者、瞑想する者、ムダにポージングを決める者までいる。
異様な光景。香の薬効によってこの場の複合種たち全員の動きが活発化していく。
「はぁっ、はぁっ……だ、だめぇ! こ、このままじゃ……はぁぁんっ!」
「グヌヌッ!? 鎮まれェェ! オレはいったい真っ昼間からなにを考えているんだァ!!」
雄雌どころか種族までごちゃごちゃになっての発情。
これでは一種のテロだ。無作為に性的感情を刺激するという迷惑極まりない鬼畜の所業。
「はいっ、おしまい」
あわや大惨事。
そこへ新たなる清涼な香りが漂いはじめる。
場は途端に静まり返り、桃色の香に蓋をしたユエラはぱっぱと手を払う。
「これが私の開発した発情をうながすお香。それと発情を追いだすお香。効果のほどは見ての通りです!」
ぴん、と。よく反る指を立てながらもう片方の手でカラムへ陶磁器を手渡した。
「素晴らしい。媚薬ならまだしも、発情をうながしさらに抑圧する品という新しさ。これは大陸の歴史のなかでは類を見ない特別な発明ですな」
「そしてもう1つはこの疲れたときに飲む丸薬! エルフ族、というかシルル家に代々伝わる元気の素です!」
さらにユエラの手の上に黒い玉薬が複数個ほど置かれている。
ウッドアイランド村村長のシルル家。そうでなくとも増えづらい大陸で3子を生みだした偉大なる父母。なお、シルル家の家主である村長は慢性的な腰痛に悩まされている。
カラムは丸薬を鋭利な爪の先で器用につまみ、しげしげと眺め、目を瞬かす。
「ちなみに素材をお聞きしても構いませんかな?」
「えーっと……鹿の角とぉ」
「聞かないでおきましょう」
王ゆえにか、懸命で冷静な素早い判断だった。
そんななか薬効に当てられた獣たちは目を白黒させながら己の体を改めている。
強制的な発情と抑制。きっと覚えのない不思議な体験だったに違いない。
発情の条件は安息。営み育み、安心して子を育てられる状況がととのっていること。
鎧と武器は必要なく、先刻まで危機が及んでいたという状態とはほど遠い環境。
「ふぅ……びっくりしたぁ。でも発情を抑えられたのってワタシはじめてかも?」
ぺたん座りした狐娘が尾をピンと立て歌うようにそう告げた途端だった。
周囲の者たちもワイワイと先ほどの体験を口々に語りはじめる。
苦く頭を横に振る者もいれば、とっくに笑い話へと転化できている者、瞑想から目覚める者、ムダにポージングを決める者までいる。
「素晴らしい発明だァ! これを群れにとり入れれば絶滅寸前の種族も精力的に活動することだろう!」
「なるほど、使うも自由使わぬも自由。個の権利を尊重しつつといったところか」
「でもぉ……これを使うと無理やり発情させられるってことに抵抗を覚えるやつもいそうじゃん?↓↓」
「用法用量を正しく使えば問題はあるまい。あくまで手段、手札と考えるべきだろうさ」
困惑するどころか暖かさすら感じるような団らん。そして垣根を越えた長たちの話し合い。
そこには種と種で繋がる輪――和ができていた。
そんな真剣に語り合う民をぐるりと太い首を回して眺めたカラムは、目を閉じ、腕を組む。
そしてお澄まし顔のユエラにむかって、大きくこっくりと頷いた。
「つまりアナタ様は、我々に選択する自由を与えながらも壁をとり払いもっともっと、より綿密に語らえというのですな。それがアナタ様の――自然女王としての答えということでよろしいか?」
紳士な声色にどこか微笑みを乗せ、尋ねる。
気高き体毛が風に吹かれ、上をむいた尾が優雅に揺れる。
「はい。これが私がカラムさんからお願いされた依頼への答えです」
王という立場の者が前であっても長耳は真っ直ぐ張ったまま。
「だって好きになった相手と結ばれないなんて悲しいですもん!」
ユエラは堂々と胸を張ってカラムに対し言い切った。
つまり彼女は始めから同種同衾という法に賛成していなかったということ。
依頼を請け負って賛成派と見せかけてからの、下剋上。
あまりある暴挙。これには父に寄り添っていたジャハルも1歩踏みだす。
「依頼の根底にあるものは先の戦争で滅びかけている種族の支援なのだ。わかっているだろう?」
「うん、わかってるわ。だからこそ私はみんなの背中を少しだけ押してあげたいと思ったの」
そう言ってユエラは丸めた羊皮紙を差しだす。
受けとったジャハルは垂れ耳をはたを揺らがし、なかを改める。
書かれているのはミミズののたくるような文字。エルフ文字で書かれた3つの新薬のレシピ。
「私というか部外者ができるのはこれだけ。あとはどうあっても民と国のみんなで仲良く決めることよ」
パチリ。ヒュームの側をした琥珀色のほうを閉じ、ユエラはジャハルへウィンクを飛ばす。
「しかしこれでは根本的な解決とは……」
なにも変わらない。
するとカラムは、尾を垂らす娘の頭に大きく毛深い手を乗せた。
それからもう片側の手で腹を叩き、空にむかって吠えるよう大きな笑いを飛ばす。
「ハァ-ハッハッハ! これには我も1本とられましたなあ! よもや相対する思想のもち主に尾を振ってしまうとは!」
ユエラのだした答えとは、選択する自由。恋という感情に逆らわずそのままでありつづけるという自由。
同族と婚姻を結ぶも良し、他種と愛を歌うも良し。
絶滅を危惧して増えたければ発情して勝手に増えろ、それが嫌ならはなから恋なんて感情を捨ててしまえ。
「カラムさんのお力になれなくてごめんなさい。でも……私は愛がないのに生まれちゃった混血だから。だから……他の子は混血純血関わらず、いーっぱい親の愛を受けながら生まれ育ってほしいんです」
しっとりとした表情のユエラは、両手を使って大きな丸を作った。
混血。ヒュームを除き、数年を賭けねば増えぬ大陸種族の希少種族。
忌み子と呼ばれた過去をもつユエラだからこそ、他者の幸福な未来を願う。若い彼女が己の生で学んだこと。
それは歴史を覆す革命に似た、無類の愛。神のイタズラによって生みだされたからこそ自身をもってみなに振る舞える回答だった。
彩色異なる瞳の見る先には、色のまったく新しい未来を描いている。
「それにきっと絶滅危惧種のかたたちも納得してくれると思います。種の異なる愛が実る、今の大陸に生きるなら」
気の強い目端をやわらげ、「きっと」と繰り返す。
眉で切り揃えられた前髪流す。それと一緒に前髪端の小さな三つ編みも揺れる。
先に見るのは、妖精の子たちに囲まれ笑顔のなかでアルティーの歌ってる姿だった。
他の小さい影もまた他種族。雑種のニーヤも、子どもたちと見た目がほぼ同等のアクセナも、魚族と蜘蛛族の姫も。一緒くたになって輝かしい笑顔で遊びまわっている。
きたるべき世界。
呪いなき世におとずれる新世界。
鈴を振るような子どもたちの声が聞こえるなか、カラムも尾を下げ笑いをおさめる。
「種々諸々が雑多となり勝利を願って駆けた此度の戦場。フッ……回答はとうにでていたということか」
キリリと長い鼻の面をユエラにむけ、微かに口角を引き上げた。
チラリ覗く牙は勇猛かつ鋭利。しかし顔色は子を見つめる親の顔。
「我は少々視野が狭くなっていたのかもしれませぬ。複合種を統べていた過去の栄光を繰り返すことのみに固執していたことに気づかされました」
「でも私、弱い立場の民のために悩む王様って素敵だと思うんです。だって本当に弱い子たちはがんばることでしか願いを叶えられないんですもん」
くるりと回り後ろ手に屈むユエラを眺め、くっくと喉を奏でる。
「……これからも王として精進いたしとうございます。この時代の分岐点でアナタという存在に出会えたことに、ルスラウス神に感謝を」
カラムは儀礼とは思えぬほど体をくの字に曲げ、礼を告げた。ジャハルもその動きにつづく。
王という身でありながらひとりの少女に心からの言葉を投げる。強く賢き者にこそ許された寛大な柔軟さ。誰をも見下げず、誰からも学ぶという勤勉な王の姿勢だった。
そしてユエラの残した結果は、この者が望んだ結果でもある。
他種族間の争いごとに、他種族が割り込むことを良しとしないと唱える者。
「さすがは私の国の民だなッ! 良くやったものだデュアルソウル! あとで頭をナデナデしてやらねばなァ!」
少し離れた場所でエルフ国女王は、さも自分の手柄とばかりにふんぞり返った。
傲慢に膨らむ胸部がたわわと上下し、揺らぐ。あれだけの戦いがあったというのにもう調子が良さそうだ。
もっち、もっち。
「あいかわらずメリーは元気ですねぇ。まあ元気じゃないと気持ち悪いですけども~」
もっち、もっち。
語らずのヘルメリルの横で剣聖リリティアも、ちょこんと椅子に腰掛けている。
世界最強の横並び。そうなると視線の集まりかたも普段の倍以上。ちらちらと、ともに戦場を駆けた者たちの目が忙しい。
しかしリリティアはそんな彼らを気にした感じもなく、横のヘルメリルをちろりと見る。
もっち、もっち。目を動かすことしか今のところ彼女には許されていない。
「私は法とかの問題は別にどうでもいいんです。ただそのことが原因でユエラと明人さんが危険な目にあったことが許せないんですよねぇ」
もっち、もっち。
それとは別に、こちらはこちらでいつもの10倍ほど。
「フッ、だろうな。こちらはこちらで依頼をした手前だ。気難しいコレが面倒事にここまで深入りするとは意外だったぞ。……ところでなにがあった?」
ヘルメリルの問いに、リリティアは指をくるくると彷徨わせ、ちょいと尖らせた薄い唇に当てる。
それから「そうですねぇ……」と、空にむかって高級感のある金眼を泳がせる。
「ふたりが楽しそうだったんで眺めていたらあれよあれよといった感じでしたね。まあ、油断してた私も悪いのでちょっと反省気分です」
「そうか。ふむ……てっきり私が責を感じさせすぎたのではないかと思慮したが、杞憂でなによりだ」
「いちおう責任は感じてたんですね。どおりで戦いが終わってからというものなかなかふたりに近づかないなと思ってたんですよ」
ジットリ横目で見るリリティアを知ったことかと彼女はいつも通りに顎を上げる。
「クククッ! 楽しかったのであればなおのことそれで良しだなッ! 世界も救えて万々歳だ!」
「自分のせいじゃないとわかった途端にそれですか。まあメリーらしいですけど」
幅広の腰に手を添えつつ重量級の胸を大きく反らす。笹場の如き長耳も元気よくぴこぴこ、上下した。
平積みにされたままの複合種問題は、ユエラの機転により無事解決となった。
それに意外と繊細なヘルメリルのお悩みが解決したことで目の上のたんこぶは消失。
大団円。これ以上ないほどの整った終わりかた。
なれど。もっち、もっち。
ここに普段とは少し様子がオカシイ者が、1人いる。
「ところでリリーよ、もう1度聞く。……その異常物体になにがあった?」
もっち、もっち。
「私にもわかんないんですよね~。再会してからずーっとこんな感じで動くことすら許してくれないんですぅ……」
リリティアが立ち上がろうと前にかがむ。
するとすかさず白い布に覆われた小さな両肩を、ぐわし。強引に引いて定位置に戻す。
さらにもっち、もっち。
洗浄済みの鉄と油臭くない手が、職人の働きをこなす。
10指の関節のすべてを活かすようにしながら白く柔らかな箇所の表面で、うねうね踊る。
そしてもっち、もっち。
「……………………」
明人は真剣な表情のまま、無言でリリティアの頬を存分にこね回す。
「おいNPC。いちおう友として言うが、悩みがあるなら聞くぞ?」
その異常さ加減に、あのヘルメリルが心配をかけるほど。
「…………………」
しかし明人は応えない。ただ一心不乱にリリティアの頬をこねくりつづける。
焼きたてのパンケーキ食感がしそうな頬。唇でついばんだ記憶を辿れば少なくとも香りはシュガーミルクのように甘い。
表面はしっとりとして潤い肌。まるで炊きたての米のように指に吸いついてくる。
さらにこの物体は柔らかくよく伸びる。しかしそれだけでなく指を押し返すほどの若々しい弾力性を秘めている。
とにかく求める者を飽きさせることがない極上の1品だった。
「…………………」
ゆえに真顔で明人は無言で、こねる。
極限状態での緊張と興奮を味わわされた上に寝不足ももはや限界の域にまで至った。
そんな複雑なコトが重なった結果、今の彼はリリティアをこねる機械と化している。
「う、うーん……やめてほしいわけではないんですよ? でもなんだか鬼気迫る感じが怖いですぅ……」
リリティアが困ったように眉寄せ苦笑いをしていることは知っていてなお、こねる。
行き場のない渦巻く感情を発散させる。無心となった明人は彼女の柔らかな頬をこねつづける。
「あの、今けっこう楽し……幸せだったりします?」
尋ねられながらも欲望のままに、もっち、もっち。
「ほどほど」
短く答えつつ親の仇のように、もっち、もっち。
「やけに幸せ感が強く伝わってきたので思わずビックリしちゃいましたね。というか離れてる間にまたちょっと力が強くなっちゃったんですねぇ……」
再会したという喜び共有する暇もなく、もっち、もっち。
それからユエラが戻ってきて怖いからと剥がされるまで明人の奇行はつづきにつづいた。
執拗にフェイスマッサージを施されたリリティアの頬は、より究極の美しさを放つようになっていた。
「…………」
割れぬ空に届くのは、平和を祝う大勢の織りなす異国――異界の旋律。
「……」
いつだったか願った世界が、ここにはあるのだから。
しばし空色に大切にしていた人物を思い描く。今生の別れを済ませた違う世界に生きる妹――舟生夕の姿を。
ぐらりと視界が斜めになり、いつしか嗅ぎ慣れた甘く優しい香りが鼻孔に広がる。
「きゃ――せ、背中に明人さんが!? ああっしっかりしてください!?」
「あ~遂に限界ね。リリティアと別れてからというものコイツかなーり無茶してたから」
「なんで毎回倒れるまで無茶しちゃうんですかぁ!?」
だが今は、聞こえてくるのは、今ココにある宝物。
それも1つだけじゃない。倍でも足りない。その倍でももっとずっと足りない。数えるのが嫌になるくらい大量に。
そんな変な世界にある、変な大陸に住まう、例外なくオカシな連中。
「……お米……食べたいなぁ……」
割と本気の不満を漏らした明人は、今の宝物に囲まれながら安堵する。
あとはやけに寝心地の良い膝の上で、ひさかたぶりの眠りについた。
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