38話 【VS.】純然たる悪意に誘われし大災害 キングローパー 3
シルルの声を耳に、反省すべき点を上げればキリがないだろう。
エルフたちですら対処にしきれぬ手合い。明人如き異世界人が無い知恵を絞ったところで、はなから勝ち目などなかったということ。そして、王の名を冠したローパーはことごとく彼の夢想していた台本を破り捨てていった。
日は沈み、大地は厚い闇に閉ざされた。そして夜が月の代わりに連れてきた暗雲。
ぽつりぽつり。葉を叩き、森を洗い流す雨音はエルフたちの膝をつかせるには十分過ぎるものだった。
明人を救うために奔走した彼らのマナは枯渇し、敵を炙ることももはや叶わない。一方で、天より降り注ぐ水はキングローパーにとっては恵み。触手を従えた巨躯はメキメキと木を薙ぎ払うように育ち、もはやワーカーで手のつけられる大きさではない。
勝負は決した。あとは、この天災がエルフ領を破壊する様を、ただ指をくわえて傍観するのみ。
「こんなはずじゃ……なかったんだけどな……」
逆さに吊るされた青年は意気消沈し、ただ宙を彷徨うだけ。
そんな彼を未だ逃がそうとしないキングローパーは、森に生えるように静止して歓喜の雨に身を捧げていた。
いつ動き出すか、いつ捨てられるかもわからない状況。打つ手なし。自身で招き入れ、自身の浅知恵が生んだ怪物。もはや彼の目的は露と消え、逆に彼女の未来は閉ざされた。
遠くなった森に灯される淡い光。足元から流れてくる触手の粘液を拭って、目を凝らせば鬱蒼と茂った木々の隙間からエルフたちがこちらを見上げているのがわかった。
彼らの途方に暮れるかのような表情。そのなかには当然、村長やユエラの友だちもいる。
いずれ彼らの住むウッドアイランド村もこの粘液の壁に荒らされるのだろうか。彼女の拠り所もなくなってしまうのだろうか。明人は暗然とした心持ちで彼らを眺め、そして視界の端で捉えたある人物に視線が吸い込まれる。
「――ッ!」
明人は昇り鯉の如く跳ね上がった。
「まだだッ! まだ――」
上体を起こし、腰に帯びた合成皮革製のポーチに手を突っ込んで、引っ掻き回す。
顔を濡らしながら胸に手を当ててこちらを見上げる少女がいた。
それが明人には、あのときと重なって見えてしまった。
男に跨がられて眼を泣き腫らし彩色異なる瞳で自身にすがるように見上げるひとりの少女の顔に。
明人は必死にポーチのなかを引っ掻く。
邪魔になったネジと食べかけの赤い果実を投げ捨て、大判の本を引き抜く。
「なにかッ! なにか他に手はないのかッ!」
著リリティアの分厚い本を開くも、達筆の文字は闇に溶け込むよう。
「守るって決めたんだろッ!」
目を血走らせて本に食らいつくも、見落としを拾うにのはあまりにも夜が濃い。
そんな闇のなかに、キラリと舞い落ちた光の雫。明人は反射的にそれをすばやく受け止める。
「……?」
手のなかに1本の小瓶が収まっていた。
「これは……? たしかユエラがくれたポーション?」
毒物だった。
自然魔法使いである彼女が、明人をヒュームの男だと勘違いしてこの世に生み出してしまった劇薬である。
そう、これは性別変化のマジックポーション。
明人はぼんやりとした目で動かぬ巨躯と紫色のポーションを交互に見つめた。
「やれるか……? いや――やるしかない!」
そして、小瓶を強く握ると明人は腹を決めた。
キングローパーにローパークイーン。つがいが存在するのであれば賭ける価値は十二分にあった。
迅速に、かつ慎重に。明人は焦るのではなく急いで小物入れに本をしまう。
それから手に付着した粘液でぬめる小瓶を口に咥え、肩からだらりと垂れ下がった散弾銃のバンドを手繰り寄せた。
そして小瓶を手にとり1度だけ深呼吸をして、大地で震えているであろう彼女にむかって叫ぶ。
「ユエラッ!! 灯りをくれ!!」
声が届いたのだろう。下をむいていた長耳が僅かに揺れた。
ユエラは2色の彩色異なる瞳を瞬かせてこちらを見据える。
「一瞬でいい! オレに当てるつもりで、でっかい《フレイム》を頼む!」
エルフたちはすでにマナを消費し尽くした。
しかし、彼女はまだ余力が残っているはず。なぜなら、薬師として最後列で待機していたのだから。
「無理よッ! 遠すぎるし、もし届いても明人が!」
地面までワーカー5機分ほどはあるだろうか。つまり、かなりの高さがある。
《フレイム》の射程では、よくて5メートル弱。しかも雨まで降っていては言うも愚か、光は届かない。
しかし彼とて、この世界の住人たろうと努力はしている。著リリティアによる物の本を読めばすべて事足りる話だった。
「詠唱と環境マナだ!」
ざわりと。地上のエルフたちが小虫の群れのようにざわめき立った。
そして、彼女を見つめる。
当然、ユエラも目を丸くしていささか呆気にとられている。
断るだろうな。そんなことを思いながら明人は返答を待った。もし、断るのであればそれもやむなし。
「頼む、オレを信じてくれ! あのときのように!」
空を仰ぐユエラの顔には期待と迷いが入り混じっていた。そぞろに体をゆすり、結われた小さな三つ編みから水したたる。
視線が交差して数秒。彼女は唇を噛み締め、意を決したかの如く力いっぱい首を縦に振った。
「ありがとう」
彼女の決断に感謝して、ショットガンのストックを伸ばして構える。
狙うは天を衝くが如く鎮座しているてらてらぬめる壁、ではない。
「森羅万……まう精……告げる、紅蓮……の体現……」
雨音を縫って細切れに響く。
ユエラの声は雑音すら退けるほどに凛としていた。
精霊への呼びかけと環境マナの収集を同時にこなす行為、それは《エピックマジック》と呼ばれる。
自身のもつ体内マナの上限を超えた魔法を放つ手段だった。これは卓越した知識と、より密な精霊との対話が必要とされる。
しかし、ユエラにはそれが使えるはずと明人は信じている。あの誘拐事件以来、彼女は薬師ではなく魔法使いとしても毎日鍛錬を欠かさなくなった。彼女は自身の努力を称えない。ただひたむきに前を向いて歩く、がんばり屋の彼女になら成せぬことはあってはならない。
「……」
歌うような。安らぐ、どこか心地の良いメロディーを耳にしながら時に身を委ねた。
思えば、明人がこの世界にやってきて2ヶ月。すべては彼女のために存在したようなものだった。
「高位た……純血、不屈……混血の標――いでよッ!」
目覚めて最初に出会ったのもユエラだった。
家を出ると決心したのも彼女のため。ワーカーで森をなぎ倒したのも彼女のため。村にでむくと決めたのも彼女のため。今こうしてここにいるのも彼女のため。
多少お互いに空回りはしたが、彼の横には必ずユエラがいた。
「いまッ!」
だから明人は親指を弾く。
小瓶は、雨を弾いて分厚い雲の絨毯めがけてくるくると空高く舞い上がった。
「精霊たちっ!! お願いッ!! 《エピック・ハイフレイム》!!」
襲撃に怯えることもなく。飢餓に苦しむこともない。
リリティアとユエラのいる、そんな不安も安寧もない。ゆるく流れていく日常。
彼女はよく笑ようになった。初めてであった時のスレた印象は今はもう微塵もない。
ならばこれからもと願うのはなぜだろうか。背後からゆっくりと迫りくる目がくらむような金光が作った自身の影に照準を合わせ、明人は思う。
「そういうこと……か」
螺旋を描いて身を焼かんとする炎の大蛇に迫られて、笑う。
肺を焦がすような熱風。晒された後ろ首に刺すような痛みが走った。
ぴったりと。照準の先に舞い落ちてきた小瓶。トリガーに掛けた人差し指に彼は力を込めた。
惨劇を喜劇として幕を閉じる締めの言葉を、操縦士として口にする。
「点火!!!」