378話 それでは長き運命の朝に終末を 前編
5面モニターのむこう側で、質素なれど清楚な純白のスカートがふわりと翻る。
スラリと伸びた細いおみ足を交差させ、くるりくるり。踊るかのように舞う。
『今です!』
鶴の一声に伴って、音速の銀閃が疾走る。
『――Gッ!?』
遅れて腰まで長い金色の三編みと、むちむちの肉よかな白い鱗尾がつづく。
瞬く間に脳天から股までを割られたカオスヘッドは、思う暇なく躯となる。
霧散するような血しぶきですら彼女の美しさを汚すことはできない。
大陸最強の剣士、剣聖の到着。
その名誉に恥じぬ完全な立ち回りは、まるで優雅な舞踏。戦場ですら舞台にすぎないのか。
煌めく刃に赤よりも鋭い火が灯る。
『《炎刃効果》』
戦場に響くよく通る声、清らかな旋律。
そのままバチバチと稲光をまぶした滑走で、彗星の如く魔物の渦を、ごと、斬り伏せた。
まさに閃光を見るかのよう目にも留まらぬ早業。それと一緒に屍の山が築かれていく。
大陸最強種族、龍族。檻より解き放たれた白龍を止められるものはいない。
そのくせ箸より重いものをもったことのないとでも言わんばかりの華奢さ。
リリティアが戦っているのは冥界の魔物。そうなれば多くの言葉はいらない。
「リリティア、道を切り開いて欲しい。このままアイツのところへオレを連れて行ってくれ」
そう判断した明人は、謎の緊張を覚えながらもマイクにむかって語りかけた。
チラ、と。先行するリリティアの真紅の瞳がこちらに振りむく。画面越しに目があっただけというのに、鼓動が早鐘を打つ。
『はい。明人さんの仰せのままに』
こみ上げてくる感情に絶えきれず。明人はパイロットスーツ越しに胸元へ拳を当てる。
ニコリとした彼女の笑顔を見つめるだけで、なにがなんだかわからなくなった。
「……? あー、戦場で頭がオカシクなったかな……」
今まで感じたことのない戸惑いの正体は、不思議な多幸感だった。嫌ではないもの。
ナコにとってリリティアは単なる交渉材料。ならば目的が明人の膝上にいる時点で達成されたと同義。
そのリリティアが到着しての安堵からか、胸板を通して拳に伝わってくるトクリトクリという激しい脈拍が静まらない。それと微小に頬も熱くなる。
声を聞いただけで幸せになってしまうような、視界に留めておくだけで目が離せなくなってしまうような。
ような、できごと。それをなにくそと黒いよれた髪ごと振りほどく。
「しっかりしろまだ勝ってないんだ……! 援軍がきただけでなにも終わってない……!」
眠気のせい。ついでに頬を張り気つけも打ち込む。
剣聖の登場に兵たちの士気もふつふつと湧き始めていた。
『空を通ったのは剣聖様なのか!? 早すぎて影しか見えなかったぞ!』
『トンデモナイ量の敵を斬り結ぶんでいく……! あれが龍の力だとでもいうのか……!?』
『魔法と剣の大陸最強が揃った! きっとやれる! やれるはずだ!』
芽吹いたのは希望の花。生を渇望する欲求がぐんぐん高まっていくのがわかる。
呆れるほど真っ赤なレーダーを見ればわかるが、あれだけいたはずの仲間は既にワーカーの周辺のみ。
それ以外の者たちは繭になり平和を待つか、あるいは……輪廻か。
操縦レバーを握る明人の手に、震えるほどの力が籠もる。
ニーヤが地上の敵を踏み台にしつつ、空中の頭蓋骨を次々に手爪や兎足で砕き落としていく。
ユエラも相当疲労が溜まっているだろうに、まだ自然を生みだしつづけている。
大陸から認められたL称号をもつものたちが一丸となって、神に挑む。
それだけなのにこれほどまで安定する、心が安らぐ。あれだけ敗色の濃かった戦いに余裕と勇気が満ちていく。
ズズズンズズズン。明人は、もはや振動で感覚の失せた尻をもじりと動かす。
「いい加減怯えるのをやめたらどうだい?」
静かに語りかけたのは、白光に輝く操縦室で怯え震えるディアナだ。
現実から目を背くようモニターを見ず、背を丸くし、頭を抱えている。
紅の波動を見てからというものずっとこの調子。ときおり思いだすよう「死にたくない」と繰り返すだけ。
「だって――だってこんなにいっぱいの魂がッ! それなのに怖くないわけがないじゃないか!」
極寒を浴びるが如くプルプルと震えつづけていた。
するとなにを思ったかディアナは操縦室の天井辺りを仰ぎ、くりくりと目を瞬かせる。
「そうだ。もう……ッ!」
「あっ! おいこら!」
唐突にディアナは天井に飛びつかんばかりの勢いで立ち上がった。
明人の制止する手が彼の裾を掴むが、子供とは思えぬ物凄い力によって引っ張られる。
「これだっ! コレを押せば、コレを押せば外にでられる! 外にでて逃げるんだ! もうこんな怖い場所にはいたくない!」
「うわバカやめろ! いま外にでたら魔物連中にすり潰されるぞ!?」
レーダーの見方ですら即座に学習した彼を放置していた明人の落ち度だ。
慌てて止めに入ろうとするも、ディアナは聞く耳を持たない。
鬼気迫るような顔で、上部ハッチを開くためのスイッチへと手を伸ばす。
「あ、あれ? ど、どうして?」
カチ、カチ。カチカチカチカチカチカチ。
どれほど開く側のボタンを――正確に――押したところで上部ハッチは開かない。
「開かない!? だってさっきはここを押したら簡単に開いていたじゃないか!?」
それからもディアナは幾度も開閉スイッチを押すがいっこうに上部ハッチは開かない。
そして件の操縦士ですら顔を強張らせている始末。
「ワーカーが壊れたア!? あんなに大事にしてたのにイ!?」
「えええ!? この鉄巨人なんなのさ!? ボクの作ったドリルをワケワカンナイ回しかたするし、見た目の割に中はすごく狭いしッ!?」
「たまに操縦士界隈ではハッチが開かなくなるって聞いてたけどお! なにもこんな時に限って壊れなくてもいいでしょうが!?」
操縦士である明人でさえ、この超過兵器は理解の外にある。
知っているのは、造船用に作られた重機を改造し対アンレジデント用の爆弾にしたということだけ。
その無限に稼働できるエネルギーのでどころも不明ならば、操縦席下にある本来であれば無駄な空間もそう。
「壊れたって……そんなぁ。狭苦しい鉄の檻……こんなの棺桶と同じじゃないか……」
糸の切れた人形のようにディアナはへなへなと明人の膝上に尻を下ろす。
1度錯乱したことで冷静さをとり戻したのか、それともすべてを諦めたのか。白の法衣に包まれている細い肩をがっくりと落とした。
とはいえ最悪の事態は避けられた。
「くう……後で修理しないとなぁ……」
そんななかで明人は準備を終える。戦場は待ってくれない。
リリティアの猛撃によって両顎を砕れた神獣は、まだ動かない。
が、そのバッカリと醜く開かれた口からは魔物たちがあふれだしていた。
まるで壊れた蛇口のよう。横にぐったりと倒れた神獣のコントロール下を離れたか、無限に湧きだしてきている。
それをリリティアを始めとした仲間たちが斬り伏せ、叩き潰し、なぎ倒し、撃ち落とす。まだ誰も諦めていない。
そして間もなくこの悲劇だらけの戦場で、最終工程へと移る。
右手には鉄の意思を、左手には己の意思を。
操縦士は右手でしっかとアームリンカーを握り、左手指は指紋認証センサーに押しつける。
敵との距離はどれほどか。画面上に表示されている神獣との距離はおよそ1km。
興奮と怯えの最中で「なあディアナ」と、語りかける口調は子供をあやすような感じ。
「…………」
返事はない。
それでも構えたまま明人はつづける。
「オマエの兄ちゃんを輪廻に送ったのは他の誰でもない、オレだ」
「――ッ!?」
爆弾発言。さしものディアナも軋むように首を回し反応を見せる。
恐怖に染まる幼き瞳。先ほどと同じようで意味合いの異なる震え。
しかし徐々に強張った体から力が抜けていくのがわかる。
「そう、か。そうだったんだね。いまさら誰に殺されたのかなんてどうでもいいことだけどさ……」
子供の見た目に似合わない諦めがかった笑み。
すべてを悟ったかのような白と黒の乾いた表情。
「ねえ、それがもし本当なら兄さんの最後を教えて。ボクの兄さんは……いったいどんな顔をして輪廻に旅立ったの?」
「無邪気に笑ってた。そう笑って逝けるようにした。きっと……いや、なんでもない」
苦しまなかったはず。そう無責任に言いかけて明人は口を結ぶ。
散弾で頭部を吹き飛ばしたことまで伝える必要はなかったからだ。
するとディアナの口角が、ふっ、と上がる。
「ははは、兄さんらしいや。兄さんはどんなときでも自信満々に笑ってたから」
ボクとは違うんだ。諦め癖の染みついた少年は顔を伏せながら肩で笑う。
彼にとって優秀な兄とはいったいどんな存在だったのか。
王として選ばれし兄。龍との死闘を越えて世界を救った兄。
「んん?」
うつむくディアナの横顔を見ながら、明人はふと考える。
あの聖女に恋して狂乱した王の兄と、膝の上にいる弟の違いとはなにか。
「な、なに……? その……視線がすごく熱いんだけど……」
もじもじ。ディアナは居心地悪そうに明人から距離を離す。
それからスカートのような法衣の下で太ももをこすり合わせる。
「本質的には一緒か。だったら後は必要なものを与えてやるのが大人の役目だ」
「な、なんのはなしをしてるの!? 与えるってなに――ちょ、ちょっとっ!?」
明人は無理やりディアナの小さな手をひっつかむと、右腕のアームリンカーを握らせた。
それとほぼ同時。スピーカーからヘルメリルの声が操縦室内に鳴り響く。
『明人ッ!! 間もなく仕上げに入るがこれで私のマナを使い切る!! 貴様に最後の切り札とこの世の運命を託すぞ!!』
そのための無謀な戦。
そのための犠牲。
そのためのインパクトワーカー。
そして最後で最大火力を生みだすための極めつけが現れる。
朝を終えた青い空に召喚されし大扉の闇なかから、顕現する。
舌足らずの雄叫びともに飛びだしていくる。
『とおおおうっ!!』
幼き身なりに褐色の肌は、ドワーフ族の雌として生まれてしまった宿命。
手には身の丈にそぐわぬ大斧をもち、片側の目には眼帯を。
ニタリとサメの如き獰猛な笑み。凶暴そうなギザ歯を遺憾なく見せつける。
そんな彼女こそが最後まで温存していたLクラス最凶の刺客。
いわゆる切り札。この終末の戦場を翻す最後の希望だった。
『いっしゃーあ!! よーやくあちしの出番だなあっ!!』




