370話 【第3防衛線VS.】奇跡を待つ価値 人間の舟生明人
開閉スイッチを押し、明人とディアナは揃って上部ハッチからひょっこり、顔をだす。
傾斜の途中で水平を保っていられるのもやはり4脚の偉大なポイント。
草原は、日の暁と血脂に濡れている。丘に落とした重機の影が横にまっすぐ伸びていた。
そんな明朝――おおよその種が目覚める時間帯に、高い位置から玉のような声で唱える。
「《冥・フレイム》っ!」
細やかな肌。微かに骨を浮かす開いた手より、轟くような獄炎が顕現した。
火とはまた異なる禍々しい現象。漆黒の炎に巻かれた龍骨共は悶え苦しむ。
「HYEEE――……!!?」
おぞましい悲鳴だけを残し、灰燼と化す。
風に乗ってさらさらと供養を終えた骨がどこぞへ吹かれ、消えていく。
だが数の優位は未だに健在のはず。なのだがカオスヘッドたちはワーカーからあからさまに距離をとっていた。
「rrrr……!」
「ggg……uuu……」
目の前には馳走がある。が、その上で守護する者は計り知れない。まさに思いあぐねるかのよう足を止める。
そんな弱気な敵を意気揚々と煽り立てる者こそ、突如として現れたナコだ。
「なになにー☆ もう終わりだとしたらマジありえんてぃなんですけど? ウチったら、尾っぽ1本ぶんすらマナを使ってないんですけどぉ♪」
機嫌さげに敵へ7尾を突きだし、ゆっさゆっさ。頭の三角耳は天を衝く勢い。
黒々とした毛色の女性は、冥よりあふれでた悪意の大群をたったの1匹で食い止めている。
ワーカーの蒼い頭の上で、くるりと回ると7つの黒い尾が袂のよう。しなやかでどこか淫らな身のこなし。
「そうら、いい声で鳴いてちょーだいな? 《狐火》」
深く前にかがみ唱えると両手に黒い炎が顕現した。
片側の唇を反り返す。闇を睨めつけるかのような卑しい薄笑い。
「送れ送れ底まで送れ。眠れ眠れ底で眠れ。眠りの底はすーぐソコよ★」
尾が長く、やけに冷たい子守唄。
指の長い手の上から飛び立った炎は、しばし別れを告げるようにナコの周囲を漂う。
そして黒き煤に似た炎が敵の大群目がけて飛んでいった。
「GAAAA!?」
「GOEEEE!!」
それに触れた端からカオスヘッドは次々に炎上していく。
真紅ではない真なる黒の炎。触れるモノすべての命を燃やし尽くす。
「ほれほれダンナはボヤッとしないしない! チャッチャか下がって避難のじゅーんびっ☆」
思考回路を停止させていた明人は、尻を叩かれるようワーカーを操作する。
「や、了解!」
ズン、ズン。重い巨体で踵を返すと重量感のある足音が鳴り響く。
カメラにとらえた敵の軍勢はナコの生みだした魔法の対処に大わらわ。
危機感を抱く習性が働いているのか、鼻面に炎が通り過ぎるたび微かに後退する。
「こ、これなら……勝てる?」
振動に揺られながらディアナがぽつり、こぼす。
すると丸く開いた空から返答が戻ってくる。
「ムーリムリ↓ この数相手にウチ1匹はちょっくらきちぃって。せいぜい時間稼ぎがいいとこじゃん?」
「うっ……。そ、そうなんだ……」
ディアナは肩をすぼめてしゅんと、うな垂れた。
以降。ナコはナコで会話をつづけようという意思がないらしく、とくにこれといったやりとりはない。
ズズズン、ズズズン。敵との距離が開いていく。
膠着状態。先ほどまで怒涛の戦闘が行われていたとは思えぬほど静寂を極めていた。
後方からの支援もぷっつりと途絶え、みな一様に現れた仙狐を見つめてたたずんでいる。まさに狐につままれるかのような。
「ねぇ、これってどういう状況なの? ぐったりしてたヤンスさんがいなくなって……どうして仙狐様が?」
駆け寄ってきたユエラは、ワーカーの足元でキョトンと小首を傾げた。
エトリの尻上で足を横に流したクロトも、節足でいそいそと合流する。
「《トランス》の魔法で仙狐様がヤンスさんに化けてたということでしょうか? そうだとするといつの間に……」
ふたりして、うんうん。唸りながら首をひねった。
するとナコは、ワーカーの上で自慢げに尾束を揺する。
それでも構えは解かれず。大砲の口をむけられたようなカオスヘッドたちは憎々しそうに歯をギリリ。鳴らしつつ眺めるだけ。
「……たぶん最初っからでござるね」
エトリのなにげなさそうなひとことに、ユエラとクロトは、ぎょっと目を見開く。
それから跳ねるような勢いで花魁蜘蛛を見た。
「自由奔放、神出鬼没、奇々怪々。拙者ら複合種の間で、仙狐さまといえば蜘蛛糸でも繋いでおけぬともっぱらの噂でござる」
赤いスカーフの下でエトリは、深い吐息を漏らす。
当然。聴力の良い明人もエンジン音のなかに紛れる声を聞く。耳を澄ます。
この状況に至り。まず明人がやるべきことは、そっとディアナの眼を塞ぐことだった。
「えっ! な、なにも見えないんだけど!?」
「見ちゃダメだ。あれは歩く猥褻物だから」
「わ、猥褻物……? でもたぶんボクはキミより年上だよ?」
気の抜けたやりとりのなかでも明人は目を光らせる。
未だアルティーは燐光を浴びて歌を歌う。妖精たちも子供たちも祈りを捧げつづけている。
その背後では羽を軋ませ風車が回る。朝を背負ってゆっくりと。
「聖歌もまだ終わらない、か……。こりゃ手詰まりだな」
明人は幕の引きどころを見つけなければならなかった。
ぐるりとワーカーの上半身を回し、ひとりひとりの様子を入念に確かめる。
『おい。大丈夫か? 汗まみれじゃねーか』
いかつい顔の男が、杖を地面につき肩で息をしているローブ娘の身を案じていた。
あの状況で上級魔法を打ちつづけていたとなれば、さしものエーテル族とて堪らない。いくら上位種と呼ばれる彼らでも無限ではない。
『はぁ……はぁ……。流石にぃ……疲れたよー……』
彼女の額にはべったりと銀糸の如き髪が汗で貼りついている。
白いローブも濡れ、肌に貼りつき微かに透けている。
『ふむ、マナもからっけつか。だとすると、ここらが引き上げどころかもしれんな』
対して男勝りな女性は涼しげ。
格好自体が寒々しいからか汗はかいていない。しかし足どりには若干の疲労がうかがえた。
さらには、ちらりとワーカーのカメラに視線を配る。
戦闘続行不能の合図だろう。
わかった。明人はただひとことだけを残し、上部ハッチから身を乗りだしてもう1度探る。
狐族たちも仙狐の登場にほっと尾を撫で下ろしているが、もはやでがらしの風体。毛艶も、和装も、乱れている。
「……ん? なぁに?」
ユエラもチョコレートクッキーを食んでいるが、長耳には元気がない。
「おろろ。エトリさんどうかしました?」
クロトの座っている白いふかふかが、よたよたとバランスを崩す。
「糸をだしすぎたでござる……。ちょっと目眩が……」
エトリの下半分ほど隠れた顔色は蒼白だった。
蜘蛛の半身も危なっかしく、節足の足どりも覚束ない。
慌ててエトリから降りたクロトは、彼女の尻を優しく撫でる。
「もうっ、無茶しちゃダメですよぉ……。せっかくお友だちになれたのにこんな場所でお別れなんて悲しいですからね……」
「……む、無念でござるぅ」
――仙狐がきたとはいえ、もう無理だな。
操縦席に座り直した明人の判断は、いつものように早い。
こうして生きてきたから、今もこうして生きている。これが最適解だと自分に強く言い聞かせる。
「……?」
目隠しをハズされたディアナは、ぱちくりと目を瞬かせた。
画面やら、蒼になぞられた圧迫する4方の壁やらを、きょどきょど。まるでなにかの異変を探るかのような動作。
そして恐る恐るの様子で見上げる。
「キミも……なの?」
幼く薄い唇が疑問を紡ぐ。
その下では、震える膝、握られた拳。
「キミも……ボクのように誰かのために闘っていたの? だからこんなに……悔しさが伝わってくるの?」
あどけない瞳のむこう側にいるのは、自分を殺し押さえることが得意な人間。
表情は、すすけ乾いた白い笑み。
だが、あふれる感情は器を許容量を越え滲みでる。蒼となってあふれだす。
「完璧だったんだけどなぁ……。手札は余すことなく使い切ったはずなのに……」
眠気にも勝る、忸怩たる思い。
笑いながら奥歯を噛みしめる。その歯を縫うように喉奥からの低い声が絞りだされる。
「まーだもちっと耐えれるけどちゃちゃちゃーっと決断しちゃ、って……ん? どしたしダンナぁ?」
ナコがひょっこりと上部ハッチから顔を覗かせた。
そして操縦室を眺め、眉を曇らす。
「ありゃりゃ、やっぱ噂なんて信じるもんじゃねっすなぁ……。一緒にした旅の途中で見てきたけど……どーしてあんな心ない噂が飛び交ってんだか」
ディアナも彼女の顔を見て一瞬だけ身を揺るがす。だが、また彼は青年の顔を心配そうに見上げる。
なおも明人の拳は硬く握られたまま。
「……悔しいな。なんでこんなに悔しんだろ……」
悔しい、だた悔しい。胸を引き裂かんばかりの悔しさ。
剣を失った鞘は、剣失くして鞘ならず。ただのちっぽけで無力な人間のままでオシマイ。
「こんなんじゃオレはあのころからなにも変われてないじゃないか……」
今生の別れで失った声、割れる空、崩落する世界。
闇に爆ぜて消える背中。
蒼い瞳は画面むこうの虚空に見る。
網膜に焼きついた映像。
虚空に浮かぶ紅の瞳。
「ははっ、バカみたいだ。また対応しきれなかった。みんなも巻き込んでおいて恥さらしもいいところだ」
そう。明人は今度も諦めて拳を解く。
力んだ手は白く、関節は石のように固い。まるで冷えた鉄のよう。
歌は終わらない。だから賭けはここでオシマイ。
「……ハァ。対等になろうとしたのが間違いだったんだ……きっとそうだ」
浅いため息。自分に嘘をつくような嘘寒い笑み。
壁にかかっているマイクへ、僅かな抵抗感を覚えながらも手を伸ばす。
神への祈り届かず。奇跡は起こらない。
現実的に考えれば、そうなって当たり前なのだから。
――奇跡は、もう起こらないから。
明人はマイクを握り、震えながら孤を描く口元に近づけた。
「――ッ!!」
身が凍りつくというより、歓喜に湧く。
聴力の良い耳が歌と歌の狭間に、声を聞く。
『……音?』
『いや、歌のなかに……歌……鳴き声が聞こえる?』
画面のなかで狐たちも耳をヒクヒクとそちらにむけた。
透き通った波が近づいてくる。
『………ooo』
朝焼けに彩られた白い景色のなかに浮かぶ影。
ひとつふたつではない。もっと多く、人形ではない歪な影たち。
明人は弾かれるような勢いで立ち上がり、ハッチから頭をだして肉眼でとらえる。
視力の良い目は、聴力の良い耳は、操縦士の特徴。そのどちらもで存在を確認した。
「Woooo!」
雄々しくも美しい遠吠え。
4足で地面を滑るよう勇猛な狼たちが群れをなす。
だけではない。
羽音に居丈高なさえずり。跳ねながら糸を飛ばす節足。大きな頭に雷色の虎までいる。
群れなす獣たちが地を駆り、戦場に地響きをもたらす。
その群れを率いるのは鎧をまとった1匹の巨大な狼。
「WANYAAAAAAA!!」
風車は回る。もう軋むことはない。
清らかな風を正面から受けて、回りだす。
「いよっし!! わんにゃん王国の連中が間に合ったあああ!!」
天高く突き立てられた拳を撫でる、追い風。
仲間を信じて必死に手繰り寄せた、彼らの足跡がやってくる。
☆ ☆ † ♪ ★




