36話 【VS.】純然たる悪意に誘われし大災害 キングローパー
以前、ユエラ誘拐事件の際にやむを得ず切り開かれた通り道がある。乱雑と薙ぎ倒れている木々が森という景観を損ない痛々しい爪痕のように残されていた。
そして、その道に沿ってネバネバとした粘液が緑の森を白く染め上げるすえた栗の花のような臭い。
それが鼻につき明人とエルフたちは思わずしかめっ面をした。
キングローパーは、巨木のように野太い体から生えた無数の触手で、異世界の重機をいやらしく嬲っている。
村長曰く、巨体どうしが惹かれたのかも知れないとのこと。真意こそ見定められないが、明人にとってもワーカーの救出、つまりキングローパーの討伐が最優先事項だった。でなければ、まだ半人前の魔法使いであるユエラの護衛だけで誘いの森にある家に帰るのはあまりにも危険すぎる。
「前列散開して後列で休憩してください! 後列の方は1歩進んで《フレイム》どうぞ!」
作戦開始の合図が明人の口から放たれた。
ウッドアイランド村のエルフ総出で長蛇の列を作り、背後からキングローパーにむかって《フレイム》を放つ。
表面を覆う粘液が炎に照らされ、炙られてじゅくじゅくと酷い臭いを撒き散らしながら蒸発していく。
しかしここはとても広いとは言えない森と森の狭間だ。それを作戦の立案者である明人が現場監督役として音頭をとることになった。
絶え間なく溢れる粘液が木々に纏わりつくことで火災という二次災害を防いでくれているのが救いか。
「……まさか調理法で弱点が分かるとは」
著リリティアによる物の本を開いて、再度見落としがないか目を通す。
ローパーは体のほどんどが水分でできており、大きめに切らないと乾燥したときに縮んでしまうらしい。
「乾燥で縮むねぇ……クラゲかな?」
魔物の項目すべてにちょい足しの調理法が書いてある。マメというか、魔物を食材として見ている辺り著者の恐ろしさが滲み出ていた。
基本的に魔物は本能で行動しており、それを熟知してさえいれば狩ることは容易とも書かれている。
「いったいどこが容易なんだ……――おわっ!」
「なにみてるのかなっ!」
下をむいて丸まった明人の背に突如飛びかかってきたのは、シルルだった。
ずしりとくる重みに足をとられつつも反射的に踏ん張って耐える。
「……お嬢さん。自分の持ち場はどうしたのかね」
彼女には、疲弊したエルフにマナポーションを調合して配るという役割を与えていたはず。
明人は、背にやんわりとした感触を覚えつつ、大判の本を小物入れに戻した。
「ハーフの教え方が下手なのかな!」
「まあ、ユエラは結構大雑把だから教えるのは下手そうだね」
現在、薬師であるユエラは戦闘に参加できないエルフたちとともに調合チームとして活躍している。
「薬草の調合に大事なのは勘とフィーリングだっていってるのかな」
「それ、どっちも勘……おっと」
明人の背中から飛び降りると、話を最後まで聞かずにシルルはいずこへ去っていく。
「なにしにきたんだろ……ユエラー! そっちはどう?」
「大丈夫よー!」
列を作るエルフたちに隠れて表情は見えないが、共同作業が楽しいのだろう。声の調子が非常に生き生きとしている。
「むっ――交代してください! 後列は1歩進んでからやっちゃってどうぞ!」
今さっきまで《フレイム》を放っていた若い女性エルフが新緑の髪を振り乱してこちらへ近づいてくる。
「ハァハァ……私、まだいけます!」
血色良し。しかし汗の量が最前列のなかで最も多い女性。マナなんてよくわからないものを扱うのだから慎重すぎるということはない。
「いえ、あまりがんばりすぎては次がつづきません。今は、ゆっくりと休憩して次に備えて下さい」
「……そ、そうですよね……ごめんなさい。努力はしているのですが……」
チームプレイのなかで自身の力不足を嘆いているのだろう。彼女は、しゅんとしょげて長耳を垂らしてしまう。
「がんばった。努力した。というのは他人から評価されて初めて意味を成す言葉だとオレは考えています」
「え? そ、その……」
「それを踏まえて頂いた上で……アナタはとてもがんばっていると断言できます」
明人が努力を称え優しく微笑みかけると彼女は少し戸惑ってから、くすりと喉を鳴らす。
「はい……! ありがとうございます!」
花の咲くような満面の笑顔と感謝を告げて、彼女は列の尾へと歩いていく。
8列で肩を並べて《フレイム》を放ち、マナがなくなる前に中央から左右にずれて後列に並び直す。そして、最後尾で作業しているユエラ含む補給チームからマナポーションを受けとり、しばしの休息をとらせて再度ローパーに攻撃を加える。
この作戦の肝となるのは攻撃列内にどれほど余裕があるものがいたとしても後列に下げること。こうすることによって、体内マナの所有量が低いものを見極め観察すれば良いので管理が楽になる。決してひとりを酷使せず、作業量を均一化することで精神面もカバーもできる画期的なシステム。名付けてチェーンフレイム作戦。
「ふぅ……まさか異世界で中間管理職の苦労を知ることになるとは……」
明人はぼやきながら袖で額の汗を拭う。
肉体労働ではないぶん楽かと言われれば、そうでもない。エルフひとりひとりの体調に気を使いつつ、安全面にも気を回さねばならない。
これはいわば、心労との闘いだった。いつキングローパーがワーカーに飽きてしまうかもわからぬ現状では、現場監督として休息をとる暇もない。
「明人さん。おつかれさまです」
マナポーション用の薬草採取組である村長が、ねぎらいの言葉を掛けてくれる。
「魔法が使えないオレにはこれくらいしかできませんから」
「ご謙遜なさらないで下さい。あのおとりの鉄巨大に作戦の立案、そして責任者としての見事な手腕。貴方たちがいなければいったいどうなっていたことか」
「みなさんがオレを信じて快く引き受けてくれたことが一番の功績ですよ」
作戦立案の際、明人は恨まれる覚悟で自分たちの責任であるかもしれないことを包み隠さずに伝えた。しかし、驚いたことにエルフたちは、拍子抜けするほどあっさりと明人たちを許した。それどころか責任の所在は自分たちにもあるとも言う。
「明人さんの作ったこの道とあの鉄巨大は、拉致の被害にあったエルフにとって救いの証なのです。ならば、ここを守るのも彼女たちと同種である私たちエルフの努めということでしょう」
そう口にした村長の横顔はとてもやわらかく、そして誇らしげだった。
すでに日は木々に隠れ、夜の訪れを感じさせる赤い空模様となっている。うねリ狂う巨木のようなローパーの体は、体内の水分を減らしてじょじょに乾燥して小さくなってきていた。立ち込める悪臭に目を瞑れさえすれば、やはりというか効果的な作戦である。
後はこのまま何事もなく作戦の完遂を祈るのみだった。
「前列散開! 一度、周囲の安全の確認をします!」
明人の指示に従いエルフたちは静かに列を保つ。
数度目かの安全確認作業。明人は粘液で汚れた地面や周囲の木々、ひとつひとつを注意深く観察していく。
団体で作業をする上で大切なのは効率だけではなく作業者の安心と安全であることを、終わりを迎えるであろう地球に住んでいた彼は理解している。
そしてキングローパーは、未だワーカーを触手によって嬲ることに余念がない。
「ローパーに好物って、あるんですか?」
ふと、思い立って村長に問いかけてみる。すると、彼は腕を組んでしばし悩む素振りを見せた。
「水と……あと、これはあくまで言い伝えのような……その、魔物全般に言えることなのですが……」
歯切れの悪い言葉を切って、村長は押し黙ってしまう。
にちゃにちゃと。水音を立ててワーカーを愛でる不快な音が森に響き渡る。明人は首を傾げながら次の言葉をまった。
「……悪意といわれています。冥界で浄化しきれない魂の咎、つまり汚れカスが魔物の成り立ちですので」
「ほぉ」
「どうか気を悪くしないでください。これはあくまで言い伝え、なので」
聞いたのはこちらだというのに、彼は丁寧に腰を曲げて謝罪してくる。
「顔をあげて下さい。ともかく安全確認は済んだので討伐を再開します」
「はい。それでは健闘を祈ります」
そう言って、薬草の採取にむかうのだろう。彼の背中は夕日で赤く染まった森の中へと吸い込まれるようにして消えてゆく。
キングローパーの動きはかなり鈍くなってきている。見るに、あと少しエルフたちにがんばってもらえば夜更けまでには討伐をし終えるだろう。
明人はハンドサインでエルフたちに作業再開のむねを伝え、森の奥に広がった影の重なった闇を見つめて、小さく呟く。
「そりゃあ好かれるわけだ」
そして、縮んでもなお巨大であるローパーのいるであろう方角へ振り返る、寸前のこと。
すでに王手をかけたと高をくくっている明人の耳に入ってきた、ほとんど悲鳴に近い誰かの叫び声が響き渡る。
「にげろおおおッ!!」
事態は瞬く間に悪化の一途を辿った。
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