360話 それでははじまる極限絶対防衛戦
明朝。暖まった自然がまだ眠いとばかりそこらかしこで白い吐息をこぼす。
それを地平線からひょっこり顔をだしはじめた日が、母のように暖かな光で起こそうとしている。
風車も丘上から見慣れた風景をいつもとかわらぬまま回り、眺めている。
するとしだいにもうもうと立ち込めた濃厚な朝もやが眩い朝焼けによって晴れていく。日の出。
夜という緞帳の閉じられた1日は、途端に朝を迎える。
どこまでも広がる草原は、さながら千秋楽のカーテンコールの如く華やいだ。
「敵の規模はかなりのものと予想されている! 装備と毛並みを整えておけよ!」
「敵は冥界の魔物! 間違えても戦争のときみたいに大陸種を攻撃しちゃだめだかんね!」
丘を不浄側に下った平野に行き交う和装の者たちが、各々に装備の点検や作戦の確認などで忙しない。
三角耳の御旗のもとに群れなす総勢は、きっかり200匹。ダメ元で監視役の男に頼み招集してもらった精鋭の狐たち。
手には刺股や曲刀やら槍やら物々しい武器をもつだけではない。獣の形態を姿勢低く尾を揺らす者までいる。
武器も去ることながらやはり狐族。服装からなにからが和の様相を醸しだす、洋式よりも動きやすい和の鎧。
三角耳に長い焦げ色の尾っぽをした狐族たちが草原に群れをなしていた。
「へぇぇ、意外と集まりましたねっ! おふたりの会話を聞いてましたが、僕はてっきりとりあってもらえないのかと思ってました」
そう言ってクロトは足元にすり寄ってきた狐の頭を気さくに撫でた。
すると狐は尾っぽをぶんぶんと機嫌よく振りながらクロトの頬に濡れた黒い鼻を押しつける。
「あははっ、くすぐったい! それにしてもまさかこんな集まるなんてヤンスさん様様ですね!」
そんな無邪気なクロトへ、頭に長い立鳥帽子を乗せた男が頬をほんのりほころばせ――やはりというか――目を細めた。
「緊急で募ったら集まった連中でやんす。あっしらの目的は言わずもがな。仙狐様が安心して9尾になれるよう環境を整えることですんで」
勢いよく開いた扇子ではたはた。釣られるかのよう尾っぽもふらふら。
「それにしたってすごいですよ! こんな危険な戦場にこれだけの援軍が送れるなんて。……まさかヤンスさんって結構偉かったりするんです?」
「いえいえ、そんなそんな。滅相もねぇでやんす」
決起して僅かひと晩ほど。きたるべき時にむけた準備は今なお着々と形になっていく。
作戦の骨部分の基礎は明人が考えた。そこに他の者たちが色をつけた。
そうしてやって寝ずに準備したのは絶対不可侵を願う防衛線。
「はてさて。最大戦力であるにゃにゃう……にゃ、さ、まを使いっ走りにするとは。裏目にでるのかはたまた……」
ぴしゃりと閉じた扇を立て、男は作業中のそちらのほうを見つめた。
撫でていた狐が「ワンッ!」と鳴いて男前に去り、見送ったクロトも笑顔で黒地の上下一体となったドレスワンピースのスカートをおさえつつ立ち上がる。
同時に腰側のひらひらの辺りでカチャリと冷たい音がなった。一対の双剣。
両手ではなく片手片手で扱えるよう打たれた2本の剣は、この戦闘に参戦するという宣誓でもあった。
「今、ヤンスさんナチュラルに噛みましたよね? 噛んだ上で押し通そうとしてますよね?」
愛らしい笑顔に若干の不敵さ、鋭い指摘が光る。
「……カ、カンデナイデヤンスヨー? 我ら複合種の称えるべき御方のお名前。それをあっしが噛むはずありやせん……」
「いや、ヤンスさんの声裏返ってるじゃないですか、尾っぽめっちゃ垂れてるじゃないですか。しかも――すっごい目を逸らすじゃないですかぁ!?」
ひょいひょい、と。軽業師のよう追いかけるクロトから、男は凄まじい早さで顔を明後日の方角へ逃がす。
直にここが戦場になる。が、まだ平和な朝。
こうして面々がおフザケを興じていられるのも作戦が滞りなく構築されている証明のはずだ。
襲来する敵の数は低く見積もっても5000という膨大な数。さらには冥界より誘われた魔物たちとあれば決死は覚悟するべき事態だ。
準備を整えて待ち受けたとして、この500幾数名の抵抗なんぞ津波に呑まれるが如し。一瞬で瓦解し、待つのは輪廻。
――準備はより入念に、っとな。準備不足で不都合があったら目も当てられないぞ。
発案者である明人は筋張った大きな背を丸くし、足元の草原をぽんぽんと軽く叩く。
「こんなもんだな。斥候が慌ただしく飛んでくる前に最低限の防備が完成して本当に良かった」
そしてもう1度だけ周囲に聞かれぬよう「……よかった」と、口の中で安堵の気持ちを転がす。
寝不足という状態異常が満期を迎えた目には、すべてが輝いて見えている。もはや日光は琥珀色、黄金色の草原。
眠気を蓄えたかのように彼の目の下にはみっちりと厚いクマができていた。
「ふぁぁ~……」なんて情けない欠伸のすぐ先には、枯れた紅の大地。ここが不浄の地との境界線であって最前線でもある。
そしてここは敵の雪崩込みを防ぐための要塞の第一陣。――そのひとつ。
緩やかに撤退しつつ迎撃する攻撃的撤退法。守りという利点を生かした陣地構築もまた戦の基本。
とはいえ前後数キロメートルに渡って強固な壁やら土嚢の足止めがあるというわけではない。これでは敵どころか風すら防げぬ。ただ延々と平野が広がっているのみ。
策とは見えていてはならない、バレてしまえば策とは言わず。
なお狐族の部隊指示やら隊形などは専門にぶん投げ済み。
なにせこちらは少数精鋭専門と言う名目の、つけ焼き刃。
大部隊の指揮なんぞ一介の操縦士にできるものか。
それになによりも懸念するべき案件が存在している。
「本当に大丈夫なのか……? 発案者の蒼様というのはかなり非道な男と聞いているが……」
遠間で、薙刀をもった狐の男が不安げに漏らした。
細身であるがたたずまいは背筋に芯の通った武士の如し。薙刀も自身背丈より遥かに長尺だが手足のように軽々と振り回す。
狐たちは各々に身体が冷えてなまらぬよう仲間と稽古をしているようだ。
「噂で聞いた話では、とにかく粗暴で凶悪らしい。しかもかなり頭もキレるとも聞いたことがある」
「そりゃあそうだろ。あのエーテル族を正々堂々ヒュームが打ち破るなんてありえるもんかよ」
「しかも噂通りに目つきも悪……いや、ありゃ噂以上だ。しかもお宿でひと暴れしたという噂も聞くぞ」
別の場所からもちらほら。武器を片手にひそひそ。
これだけならばまだ支障はない。だが、実のところ彼の考案した作戦に意を唱えるものまで存在する。
「火のない所に煙は立たぬ。仙狐様のご命令とはいえ……些か信頼を注ぐ相手とは思えないが……」
「まあ作戦自体は優秀だと思う。戦がはじまってから裏切らぬことを祈るばかりだ」
最前線に立つ白い羽織を着た大きな背中に、疑いの眼差しが雨の如く降り注ぐ。
満を持して明人が振り返ると、いっせいに狐たちは目を背けた。
するとまるでなにごともなかったかのよう武器を振り回し始める。
――辛みッ! 変に耳が良いから陰口が全部聞こえてくるッ! 地獄耳って地獄を味わうって意味だったのかい!?
寝不足で乾いた瞳の奥と心の深い辺りがじんわりと沁みた。
なぜか明人は複合種たちからの評判が酷く低い。実際ワーウルフ国に入国したときもずっとそうだった。
元より関係のあるワーウルフ族はともかくとしても、やはり評判は地の底。
アラクネ族を始めとし、狐族にまであることないことが出回っている。この調子だと複合種全体が変な噂に踊らされている可能性まである。
そうやって明人が潤み目で朝焼けの空を見上げていると。
「フニーキさーん! 第3第4防衛ラインも完成したと報告がありましたー!」
手には札を、胸部には豊満な大玉を2つほど。
豊かな胸部を揺らがし短尺のスカートの裾を蹴るようにしながらクロトが駆けてくる。
「あれ? 目が真っ赤っかですけどどうかしたんですか?」
そう言ってクロトはきょとんと前髪を横に流す。
「ずずっ……。いや、眠気覚ましに嫌な思いしてただけ……」
「……はえ?」とクロトが頭にクエスチョンマークを浮かべても、すべては語らない。
男にだって泣きたい時くらい幾らでもある。だが涙を弟弟子に見せぬよう堪える朝もあった。
その斜め後方辺りからも監視役の男が風情ある袴を交互に繰りだしてゆるりとこちらへむかってきている。
「あいやー! ダンナに頼まれた品を用意するのに手間でやんしたなぁ!」
後頭部を撫でさすりながらのわざとらしい演技。
とはいえども、彼の働き亡くして今回の作戦は成り立たなかったのも事実だ。
「おう。ヤンスも寝ずの作業ありがとう」
「いやいやいや、些か酷使されヘトヘトでやんす。さすがはあの噂に違わぬ……は? い、今なんとおっしゃいました?」
礼を言われたのがそんなに以外だったか。監視役の男はぎょっ、と糸目を丸くした。
つづけてまたも「ありがとう」と。明人は腰に手を当て簡易ながらも感謝の意を示し一礼に籠める。
「え、あ……? そ、その、確かに札の準備は大変だったのは本当でやすが……別に礼を言われるほどとは……」
途端に男は怖気づくよう尾を下に丸め2歩3歩と交代し始めるも、明人が態度を変えることはない。
「それに起因となったのは剣聖様を閉じ込めたあっしらでしょうに……。ダンナらは面倒事に巻き込まれた立場でやすよ?」
「それでもだ。もしヤンスがオレたちについてきてくれなかったら昨日の時点でお手上げだった」
そして明人は背を丸めて頭を垂らす。
この行動に他意はない。ただの感謝。
巻き込まれたのは変えようのない真実だとしても、現状では同じ場に立つ仲間。
実際に今作戦でもっとも負担を強いられたのは、監視役の男以外のなにものでもない。
作戦の要となる物品の作成と輸送、保険となる部隊の確保、そして退路の構築。ほぼすべて彼が関わっている。
「オマエがいなければ作戦じたいが成り立っていなかった。オマエのお陰であの風車もガキどもも守ることができるんだ。礼を言うのは筋だろう?」
なおも明人は誠実。
すると男は困った感じで頬を掻く。
「う、う~ん? こ、こんな……もっとこう、恨まれるかもと思ってたんだけどさぁ……?」
そうして噂だのなんだのとブツブツ、うわ言のように繰り返し、自分の世界に入ってしまう。
様子のオカシイ糸目の男を他所に、早朝でもクロトは元気いっぱいだ。
小躍りするよう下生えの上でステップを踏み、手にした札を明人にむかって差しだす。
「絶対うまくいきます! なにせみんなで考えて考えて考え抜いた必殺の作戦ですもん!」
その札こそがすべての元凶であって、支柱ともなる防衛兼強攻撃の物資。
狐族が作成を得意とする魔具。魔法を描いた札――魔符。
龍族でいて剣聖でもあるリリティアを閉じ込めた魔符。
鳥居にベタベタと無尽蔵に貼ってあった札こそ、妖狐が直々に用意した物らしい。
それを今度は仙狐のための戦に使う。二重の意味で狐族の切り札といえよう。
「それにしても狐さんたちってすごいですよね……。筆の墨にマナを籠めて魔法を温存しておくなんて。僕には到底思いつきません」
ヒュームというハンディーを背負っているのに恐れは感じないのか。
腕組みしたクロトは、むむむぅ、と作り手の顔で思案げに踵を鳴らす。
それに対して「そうだな」と、明人は控えめに賛同する。
だが、今の彼にとってはクロトの信頼がほんの少し眩しすぎた。
不安がないと言えば――嘘だ。不安ばかりだからこれほどまでにクマが厚い。
だからこそ整った。否、必死になって整えた。
剣が抜け落ちた鞘にできることは、身を粉にすることだけ。
人という脆弱な種は弱い。そのうえ愚かだ。
弱いからこそ滅びの道を歩んだ。愚かだからこそ逃げた。
あの時にこうすればよかったという後悔が彼にあるはずがない。おそらく全人類がのべつ幕なしに是と答えるだろう。
同じ過ちは繰り返してはならない。失っては意味がない。
「さて……やれることは全部やった。あとは……」
ちらりと明人は眠たげな目をそちらにむける。
誰かの胸部のような質素然とした平野。そのど真ん中にたたずむのは共にひた走った戦友。
丸く膨れた白玉を4つ脚に乗せたような見た目の重機。どこか愛嬌のある大きな鋼鉄の戦友がそこにいる。
たとえ立つ世界が変わっても、威風堂々とした姿は変わることがない。
5つのつぶらな瞳は、操縦士の不安なんぞ知るものかとばかりに、不浄を見つめたまま。
いつからだろう。ふと明人の脳裏にそんな疑問がよぎった。
はじめは棺桶とすら呼称していた。そんな咎と悪意の塊を、いつから友と呼ぶようになったのか。思い至らない。
そしてそんな重機の見つめる先。小粒の動く影がこちらにむかって猛烈な速度で迫ってきている。
「――きたかっ!?」
視界の端の異変に気づいた明人はハッ、と我に返った。
なおも影は節足でぴょんと大きく空へ飛び、ゴマ模様の尻から糸を吐く。あまりの早さに結った髪と赤いスカーフがバタバタと激しく波を打つ。
柔軟かつ強靭な蜘蛛糸を器用に使って、斥候役のエトリが颯爽と帰ってくる。
「けいほうけいほーう!! ついに小型の群れが動きだしたでござるよぉぉ!!」
この場に集った者たちの纏う空気がひりついて引き締まるのがわかった。
剣呑とした号令の声があちらこちらで発される。それと同時にあらかじめ決めておいた隊形へと迅速にシフトする。
「敵襲だァ!! 小型ということは、まずスケルトンの群れが押し寄せてくるぞォ!!」
極限絶対防衛戦。散った仲間たちは、それぞれが担当する別のラインでタイミングを待っている。
勝利条件は――生き残ること。
敗北条件は――魔物の呼び水となる重機の破壊と、風車まで後退。
ここは第1防衛ライン。真っ向勝負の最前線。
地平線のむこう側から地響き轟く。
遂に冥界との決戦の大顎が開かれようとしていた。
☆☆☆☆☆




