354話 それでは交渉という名の従属を
赤き地
不浄の地
愚かなる残滓
迫る刻限
避けられぬ命運
眠れる獅子は
未だ語らず
いなせな男は席を引いて腰を据える。
服装は絢爛とまではいかずとも礼服のような一面を漂わす。
袴の内側で足首をくくった動きやすい服装だ。日常的に着ていても、狩りの際に着ていても機敏に動ける作りをしている。狩衣。
「とのような、なかなかに耳を疑いたくなるような情報を手に入れましてな。ダンナがたにご一考賜わいたく場を設けさしていただきましたでやす」
おもむろに手にした扇を面の前で開き、目立ちだけを卓についた面々へ覗かせた。
そんな曖昧な態度が気に食わないのか、ユエラはキッ、と男を睨む。
「言いたいことがあるのならさっさとしてくれない? こっちはどんだけアンタらに時間を割いてると思ってるのよ」
肥えた実りを腕の上乗せるよう組み、挑発するよう足組み換え。一挙手一投足に色香と怒りが孕んで混同する。
それでも男はなんのその。糸目でやんわり孤を描き、毛の尾をゆるく揺らす。
場馴れしているのか、小娘ていどとるに足らないのか。敵を作らなさそうに見えてどこまでも底の読みにくい笑み。
「おやおやお連れない。あっしは強制しても構わないのに、いちおう是非を問う場を用意したんですがね」
「なにが是非を問う、よ。そっちがリリティアを捕まえてる時点でこっちには選択の予知がなんてないじゃない」
ユエラは、うんざりしつつしっしとおざなりに手を払う。
やれやれと広い肩をすくめ男はおどけるばかり。
「覚悟と準備するくらいの時間はありましょう。とくに準備するならばオオゴトでやんす。なんせ手合いは冥界より集いし冥の魔物。その大群となりゃあねぇ」
ユエラはギリリと歯を噛み鳴らし、より鋭角な目つきで男を睨んだ。
沈痛な空気が場に満ちている。その理由は監視役を任された男による提案だった。
椅子の上で華奢な体を縮こませていたクロトが「あの……」と控えめに挙手をする。
「気になってたんですけど……ここから南方にあるという不浄の地とはなんです? 名称からして良いものとは思えないんですよね……」
「おや? これは意なことをおっしゃられる。あの地は過去にヒュームが支配していた地域でやんすよ?」
「あっ……ごめんなさい。僕、その……聖都で、に? 住んでいたもので。外の情報が一切入ってこなかったんです」
困り眉で頬を掻きながら発されたクロトの発言で、さらに空気がどんよりと沈み込むのがわかった。
エーテル族の首都である聖都でヒュームがどのような扱いを受けていたかは、もはや周知となっている。
彼が彼だと知らぬ者は、こう思っただろう。
こんな可憐で愛らしくか弱き少女が奴隷として買われてしまっているなんて、と。
ピシャリ。扇を迅速に閉じた狐の男は途端に慌ただしくなる。
「こ、こちらこそ申し訳ないでやんす! そ、そんな洒落にならない事態がお隠れになっているとは思いもしませんで!」
「え、なにをそんなに慌てているんです? 確かに奴隷街の生活は大変ではありましたけど……」
対してクロトはノーダメージだ。
にこやかに唇で孤を作り、体ごとちょこんと斜めに傾く。
だが彼が許しても他が許してはくれそうにない。女性陣たちの狐を見る目が増す増す白くなるばかり。
「思いだしたくない過去をほじくり返すとか最低ね。鬼畜の所業だわ」
「うむむ……これには拙者も昼食代わりに食べた腹の虫がおさまらぬ。是非もなしに最低の悪漢でござる」
「こんな純粋可憐な子にセクハラとか最低だわ。男の風上置けないどころか生物としてどうかと思うレベルよ」
ユエラ、エトリ、フィーフィは、類まれなる団結をして見せた。
侮蔑の如き目をして口々に吐き捨てる。
男の評価は地の底を滑るほどにまで落ちぶれた瞬間だった。踏み抜いた地雷は巨大過ぎた。
「――も、もとーい! 不浄の地のせ、説明を開始するでやんすよぉ!?」
そして男は泡を食うよう両手を尾っぽを振り乱しながらも早口になって語りだす。
「おほんっ! 不浄の地とは、過去に拡散する覇道率いるヒュームたちの作り上げた大国が研究場所として利用した土地の通称。あるいは蔑称でやんすね」
露骨な話題転換。
食いついたのはクロトだった。
「研究ですか? それに蔑称とは……?」
興味津々といった様子だ。
微かに前のめり気味に。すると黒い生地に覆われた胸が木の卓の上にふにゃりと乗った。
知らぬ事柄をとり入れるのもさることながら、彼自身もヒュームである。興味が湧くのは当然。
「まあ、そうお急ぎなさらず。順を追ってわかりやすくご説明させていただきやす」
すると突如、男は手の扇を両手でパンッと叩いて潰す。
手を開くと深緑の葉が1枚きり乗っている。フッ、と息を吹きかけると葉は宙を舞い。男の背後で大きな厚紙のように変化した。
さらにどこからとりだしたか手にした細い枝で、古茶けた紙に描かれた大陸の西端を指す。
「栄光の廃墟、霊魂の廃都ファリーズ。そこを仕切っていた当時の王――ミゼル・ファナマウ・ディールがヒュームにさせていた研究とは、主に魔法と技術を合成する魔導と呼ばれる凶悪な破壊魔法でやんす」
くるくると国境の描かれた場所とは異なる場所を何度もなぞった。
男のやった魔法の如き一芸に目をしぱたたかせていたユエラは、長耳をピコリと上にむける。
「凶悪な破壊魔法ですって? そうでなくてもあの時代のヒュームだったら大陸統一間近って聞いてたけど……いったいなんのためによ?」
なお横のクロトは、「……すっごーい」なんて小声を漏らす。花咲くような笑顔で小さく拍手している。
「これはあくまで噂ですがね。龍を滅ぼそうとしてたという説が有力でしょうな」
「はぁ!? ドラゴンクレーターにまでにまで攻め込むつもりだったってこと!?」
ドンッ、と。卓が叩かれ、面々に配られた茶が大きな波紋を作った。
「あくまでも噂なので落ち着いてくださいまし。ただまあ……あっしとしては否定する材料がないですがねぇ……?」
男が先ほど枝で指し示した線が旧ヒュームの統治下だったらしい。
東に位置するドラゴンクレーターを除いて大陸の面積を3分の1ほど支配下においたようだ。
「龍以外の種族を駆逐した後に、地盤を整え龍へ攻め入る手はずだったのか……もはや知る者はおりやせんな」
結果として、その龍族と用意する間もなく戦うことになって敗れた。
重苦しい沈黙を破って男は不浄の地の説明に戻る。
「さて説明に戻るでやすがね。当時のヒュームはどれだけ恐ろしい魔法をひらめいたのでしょうな。実験場の現在は、美しい緑が失われた大陸の傷跡――紅の大地と呼ばれているでやんす」
そう言って手にした枝をぽんと両手で潰し、戻った扇ではたはた扇ぐ。
「ま……とはいえ完成することはなかったようですがね。ひらめいたヒュームも実験の失敗とともに輪廻に旅立ったようでやんす。でなくばこの大陸は全域が紅に染まってるでしょうしね」
最後は扇で口元を隠し、片目を開眼させながら話をまとめた。
ゴマダラの尻から蜘蛛糸でぶら下がった小蜘蛛は、軽いため息を吐く。
「ふぅむ。あまりの衝撃の巨大さから一部が冥府に繋がってしまったんでござるよね」
それを受け、背に生えた美しい透明な羽をはたたと揺する。
羽からはまるで鱗粉のようなきらきらとした光の粒がこぼれた。
「末恐ろしい話だわ。冥府の巫女が冥界の入り口の番をしてなければ、この辺も誘いの森と同じ状態だったってことだものね」
フィーフィとエトリは当たり前のように不浄の地を語る。
ルスラウス大陸的には常識かもしれない。だが、なにゆえこちらの1人とふたりはまともではない。
知らぬ者――クロトとユエラは悩ましげに首をこくこくと上下させている。
「…………」
なおも明人はイスに腰掛け下をむき、頭をもたげ肩を深く上下させたまま。
ゆるりと尾を振り、男は優雅な所作で部屋のなかをぐるりと見渡した。
表情は仮面を被ったかのように変貌することはない。しかし見つめる先は1点のみ。
「と、いうことでしてね。冥界より冥府の魔物がココになだれ込んでくるのですよ」
ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ。床板を期しませ秒針の動くほどの早さで、男は部屋の隅へむかう。
先にたたずむ者は凝然として会議の様子を見つめているだけ。
まるでそんな同種であって灰の少女に語るよう。ではなく男は確実に彼女を求めている。
「ねぇ? ニーヤ様。アナタ様のお力でこの地をお守りいただけませんか?」
そこでニーヤは、はじめて一党から目を反らした。
「……」
尾てい骨のあたりから生やした2本の尾を伏せた。
つまり遠回しにだが、男はこの終の棲家を守れとニーヤに命じていた。
龍と死闘を繰り広げ解放戦争を終わらせた彼女の力のみを欲している。
「ちょっと待ちなさいよ! さっきからニーヤニーヤって! しつこいけど敵の数くらい把握してるんでしょうね!?」
嫌悪感を滲ませた顔でユエラは男を怒鳴りつけた。
だが男の目的は仙狐とディアナを合わせること。ここまで一貫してソレのみに尽きている。
「とーぜん把握してるでやす。数はぁ……まあ、グラーグン王が敗れてから慌てて集めたんでしょうなぁ。ざっと――」
そこに感情や精神論などの関与する隙間はあるのか、その薄ら笑いの底はよめぬ。
扇を手にしていないほうで指折り数え、ちょうど1順するよう開ききる頃。男は開眼し、片側の口角を卑しくもちあげる。
「先ほど野を駆け斥候してきた感じですとね。カオスヘッドやら冥の魔物が――ざっと1000ほどといったところでしたかな」
告げられた事実は酷という表現すら甘いものだった。
口惜しげにユエラは握った拳を振るわせる。顔色は決して良くはない。
「あの骨の化け物が1000匹も……? そんなの……リリティアがいたって勝てっこないじゃない……」
カオスヘッド。混淆の祠にて選定の天使の力を借りてようやく討伐できた龍骨の魔物。
その化け物が群れなし、この地にむかって攻めてこようとしている。
想像できるのは凄惨な未来。あの巨体がなだれ込めば、その地は草の根すら踏み散らされるだろう。無論、生者が生者でなくなることは必至――必死。
室内は再び沈黙をぶり返す。誰しもが目を皿のように開き、だが残酷な事実から目を背くような態勢で固まった。
すると静まり返ったことで、とある変化が起こる。
真剣な会議中に、雑音の如くしきりに聞こえている喘ぎのような声。
ソレが、より目立つ。各々の鼓膜に響くように大きくなっていった。
「むぅ! むぅぅぅ!」
当事者も今がチャンスとばかりに海老反り弓なりを繰り返しジタバタ。
おそらく主張しているのだろう。声はくぐもっているが、見れば「ほどけよ!」と言っているのがすぐにわかる。
「むうううう!? むぐ、むむううううう!!」
声の主は半袖短パンの活気ある少年のような格好をした、まさに少年。
体は白く幾重にも束ねられた蜘蛛糸によって縛られて。そんなディアナは、ずっと床に転がされている。
これではどれほど抵抗しようとも、逃げようとも、逃げられない。蜘蛛は巣にかかった獲物を逃さない。
「あの……エトリさん。そろそろ解いてあげたらどうですか? なんかすっごく暴れてますし……」
見かねたか、クロトがへの字の眉で苦笑いしつつ、犯行に及んだ子蜘蛛を見上げる。
するとエトリは成長の良い胸のあたりではたと手を打った。
「むっ? ああ。あまりにもちょろちょろ逃げようとするから蜘蛛的な本能で捕まえてたのをすっかり忘れてたでござる」
そして「そろそろオイシくいただくでござる」と、ぶら下がりから反転し大地に立つ。
ゴキゲンに白に黒斑点の尻をぷりぷり振って、ディアナへと節足をわしゃわしゃ。
指で口元の赤いスカーフをちょいとずらす。
「じゅるり。これは活きよしな新鮮そのものの男児。と、なればまさに食べごろでござるねぇ……?」
その顔はまるで捕食者だった。
肩がざっくりとさらされた花魁着物。口の端から垂れたヨダレがたわむ胸毬の上に糸を引いて落ち、稜線をなぞるよう落ちていく。
1歩1歩を楽しむが如く。散歩するような早さでゆっくりと確実に幼き身の少年へ子蜘蛛が歩み寄る。
「拙者は熟練した蜘蛛イチでござる。ゆえに痛くしないでござるよ。では、早速その若々しくもみずみずしい柔らかな体をありがたく――頂戴いたす」
「むぐっ!? むうううぐううう!!」
カナリヤの如き悲鳴が、暮れなずむ夜の雰囲気に木霊した。
そして冗談ということで開放されたディアナは、もう逃げようなどいう愚行を犯そうとはしなくなっていた。
どころかやけにはきはきと。なお積極的に話し合いに参加する意思をしめす。
きっと彼はアラクネの巣に捕らわれて食われたのだろう。己の自尊心を。
植えつけられたのだろう。心の傷を。
…………




