『※イラスト有り』341話 それでは月の微笑むうるさい夜に
「はーっ、楽しかったー! もうくったくたで足が棒のようです!」
興奮気味なクロトは、すとんと腰を据えた。
レトロ感の濃い渋みのある木椅子が軋む。
腰に帯びた中途半端な刃渡りの心もとない双剣がかちゃりと音を鳴らす。膝あたりが見え隠れするていどのスカートが彼の足の動きに合わせてひらひらとまくれ上がる。
「レグルノームってすごいですね! こう、おっきな建物がずらーってしてて! しかも建物がどれもきゅーってするくらい可愛いデザインですし!」
わっ、と両手で空間に円を描きつつ、荒い呼吸にたわわな実りが追随するよう揺れた。
まる2日も無休だったのに疲れた顔ひとつせず。どころか白くぷっくりした頬は、僅かに紅潮している。
「ワーウルフ国も自然の織りなす素敵さはありましたけど。こっちはなんというか物語のなかに自分が立っているかのような摩訶不思議な気分になれて楽しいです!」
周囲の賑わいに負けないくらい小鈴を振るような声が屋内に響き渡った。
昼の仕事を終えて仲間たちと金勘定やらをおこなっていた冒険者たちの目もちらほらとこちらへむく。
それでもクロトをうるさいと注意する者がいいない。なにせここはギルドだ。
酒場と併設されたギルドで飲もうが騒ごうが楽しければそれでいい者たちの集いの場。
もしこの雑多な一党たちのなかに今日の不幸を嘆くものがいるかもしれない。金を失った、装備を失った、仲間を失ったなど。冒険者を生業とするものにとっては幸福よりも不幸はどうやっても避けられない。
だからどうした。不運を嘆き、メソメソと共有するアホウがどこにいる。
明日泣くことなぞ考えたところで予測できるはずもない。だから飲むし歌うし、今日に笑う。
宝を求めて火に突っ込めば水のなかでもなんのその。武功を誇るために魔物の巣穴にだって喜んで飛び込む。
冒険者とは、そういう生き物だ。夢を追う愚か者であり、欲望の開拓者なのだ。
降りかかる大事だろうが、噂だろうが、知ったことか。
割り切る、つまり細かいことはどうでもいい。
そしてここはそんな自由連中のとまり木、いわば掃き溜め。どこにでもあってなお、街によって彩りが異なる仕事の斡旋所。
稼いだ日銭で腹を満たすにはもってこいの理想郷だ。
世にも珍しい混血のエルフ、可愛いヒューム、いなせで優男風なワーフォックス、そして農夫の格好をしたなにか。
一党もまた――場にそぐわないが――当然ギルドの世話になる資格がある。
はたから見れば、きっと変な組み合わせの一党だ。
「おねーさーん! 甘いお酒と、あまじょっぱいお肉くださいなー!」
それでもユエラはさして気にした様子もない。
テーブルの下でむっちりと肥えたももを交差させ、慣れた感じで店員を呼びつけた。
すると胴長4つ足の女性店員は盆を片手にかっぽかっぽとこちらに寄ってくる。
上半身は給仕服、下半身は馬のソレ。木床を歩む度に鳴る蹄の乾いた音が妙に良く響く。
各々がそれぞれに注文をつけ、半馬の店員はにこやかに去っていく。
王亡き今、ピクシー領はワーウルフ族によって統治されている。
感覚として支配というより複合種がお世話係を務めている。
詮無い仕事のはずだが獣たちは意外と満足しているらしい。なにやら、ピクシー族の見た目に癒やされる者が多いのだとか。
料理の完成を待つしばしの余暇。だが、走りだしたクロトの興奮はおさまらない。
「これが都というものなんですねっ! それにピクシー族の子たちもちっちゃくて可愛かったですよねぇ!」
まるで夢見る乙女のようおめかし顔の横で手を結び、うっとりと目尻を下げる。
半日ほど気楽な旅行をしてようやく思いだすことになろうとは。これはただの旅行なのだ、と。
その隣には、旅行を台無しにしてくれた元凶が――ひとり。
「楽しそうでやんすねぇ。こっちまで嬉しくなってしまいますなぁ」
狐だろうがなかろうが変わらず、目は糸のように細い。
ゆるんだ口元を隠すよう、手にした扇をちょいと立て広げた。
「狐のお宿もとっても幻想的でした! それにワーウルフの村も物に頼らないぞ、って感じでワイルドでしたし!」
「あとそれにそれにぃ……」と、喋る口が止まらぬ様子に、狐男は愉快とばかり肩を揺らす。
「ほっほ、これはこれは。クロ子殿にかかってしまえばどの場所も観光名所になってしまうでやんすなぁ」
なんとも雅やかな立鳥帽子、陰陽師風の格好。
線は細いが背も高い。色白なれど気風の良い身なりをしたキレイめの男。
そのぶんひと癖もふた癖もありそうな……。
――悪いやつ、じゃないんだろうけど……。
ユエラの背後に立っている明人は、長耳で遊ぶ。
優しく引っ張ったり、回してみたり、ぴこぴこと上下させてみたり。
いっぽうされるがままのユエラは、といえば。
「いっただっきまーす!」
840と掘られたマイ箸を構え、運ばれてきた料理と闘う準備をはじめていた。
それと同時に明人がイジっている長耳がぶんぶんと揺れる。
――いまさらだけど……この耳どうなってるんだ?
硬いかと思えばそうでもない。およそ人間の耳ほどの柔らかさ。
尾てい骨の辺りに毛束を生やした種族がいるため霞んでいるが、エルフ耳もなかなかどうして不思議なもの。
明人の素朴な疑問をよそに、狐の男はパチンと指を鳴らす。
「あっ、そうでやんす。聞くところによるとクロ子殿は魔法鍛冶を嗜んでおられるとか?」
「はいっ! 嗜むというよりライフワークですね! 目指せ師匠超えです!」
ナイフとフォークを両手にもったクロトは、至極真面目な顔で答えた。
「ほうほう。それならピクシー国でのみ掘れるというヒカリイワをご存知でやんす? アレもなかなかに重宝される素材らしいですなぁ」
「ひかりいわ、ですか? ちょっと聞いたことのない素材ですね」
狐目の男は、――元より――したり顔で葡萄酒をちびりと舐める。
「ソレならば丁度良い! 精霊石ヒカリイワは、この都の南方でとれる希少石でやんすよ! それで作った道具は精霊を宿すらしですな!」
声たかだかに男は閉じた扇子で額をピシャリと叩いた。
背後では、袴からこぼれた尾っぽがわっさわっさと豪快に揺れている。
精霊。環境マナとは異なって世界を漂う未知の物体。
霊的現象とでも言おうか。魔法を使うには精霊との親和性が重要と言われる。
「精霊かぁ……」
しかしこちらの青年にとっては魔法よりも別の使いみちのほうが大切だ。
もっも、と。たいらげるユエラの耳を執拗に弄びつつ、明人は聖都の地下での記憶を辿る。
暗闇を自由自在に飛び回る7色の光の粒。超常的であって超自然的現象。
意識して耳を澄ましてみれば、ギルド内の喧騒からもヒカリイワの名がちらほら話にでていた。
おそらくピクシー国に入国するだけの価値ある理由のひとつなのだろう。
そのなかでもひときわ大きなガナリ声が喧騒を縫って聞こえてくる。
「いよぉっし! 明日は南方の不浄の地にむかって進行だなァ!」
美しき銀髪の男が前髪をかきあげつつ、手にした酒をも抱え上げる。
無頼漢のように男臭い顔立ちだがエーテル族であるがゆえ男前な美丈夫だ。
へらへらと頬が緩んでいるのは酒の力か。ほろ酔い気味に同席する異性のふたりと明日の予定をたてているらしい。
このギルドないでエーテル族は彼らしかいないため、よく目立つ。
ピクシー国が聖都から遠いということもあるが、この辺の魔物はエーテル族にはやや物足りないはず。
上位種は上位種なりに分相応という縛りがある。種族的に優れているからこそ、名を売るのは桁違いに難しいということ。
「だねーっ! せっかくここまできたんだし、いっそ全国を回っていっちゃおーう!」
「ふふんっ。当初より平和になった世界を楽しむ予定だったが、まさかここまでの長旅になるとは思わなかったな」
白ローブの少女も、見えてはいけない部分だけを隠した超軽装な女性も、無頼の男の提案に乗り気のようだ。
「んで、ヒカリイワを回収してドワーフ領を経由しつつ聖都に帰りゃあ無駄もなしッ! 完璧なプランニングだぜッ!」
ガッツポーズする男をよそに、白ローブの少女は微笑むもやや目を伏せる。
活発そうな雰囲気の顔立ちに影が落ち、女性的なショートヘアーがはらりと頬を流れた。
「なんだか……これで旅が終わっちゃうと思うと寂しいよねー……」
小さく呟き、樽を模したジョッキを小さな両手で包み込む。
どれほど長い旅をしてきたのだろう。そう考えさせるほど、少女の微笑みは切ない。
実際には、それほど長い旅というわけではない。なにせこちらはなんの偶然か、ずっとその旅路を共にしているのだから。
「どんな旅にも終わりはくるものだ。だからこそ今このときを楽しむんだ」
しなやかな手つきで姉御肌の女性は、少女の頭を何度も撫でた。
火の消えたように無頼の男も席につき、女性ふたりを優しげに目を細めて見守る。
そんな心温まる光景に明人が目の奥をじんわり湿らせていると。
「フニーキさん!」
元気な声でアダ名を呼ばれた。
見れば、口の端を食べかすで汚したクロトが目を爛々とばかりに輝かせている。
目を見ればわかる。クロトは、ヒカリイワという素材で双剣の1本を打って欲しいのだろう。
ユエラの耳を交互に上下させ、明人は「ふぅん……」なんて呟きながら構想を練る。
屈強な肉体をもつドワーフならば両手に長剣を装備することもできよう。
しかしクロトは大陸最弱種のヒュームだ。人間との肉体的差は、ほぼ互角。
そんな彼が細腕で振るう剣は、どうあっても重さという攻撃性を欠かねばならない。だからこそ切れ味が重要だと、明人は狙いを定めている。
西洋の剣のように叩き斬るのではなく、包丁のように滑らせて斬る。力ではなく、技術で操る武器。
「精霊石……精霊のブレード? ……精霊刀」
「――精霊刀っ!? それっ! それすごくいいですっ!」
ガタッとテーブルを叩かんばかりの勢いでクロトは立ち上がった。
それから独楽鼠のようにててて、とテーブルを迂回しながら明人の腕にすがりつく。
「お願いします! 霊峰でとれる鉱石と精霊石のヒカリイワで僕の剣を作ってくださいっ!」
嬉々として左右にゆすられるも、明人は一切の抵抗をしない。
その腕に押しつけられる甘美なたわわの柔らかさときたら、つきたてで湯気のだつ餅のよう。
薄い黒地のドレスワンピース越しにふやふやの大毬が容易に形を変幻自在と変えている。
「お願いしますよぉ! おーねーがーいーでーすーよー!」
意識してクロトがやっているのであれば、かなりのやり手だ。
その幾度も押しつけられる魅力的かつ豊満な胸に男ならば――だからこそ抗える代物ではない。
良いと返事をすることは簡単だった。それに明人も提案に乗り気だった。
しかし返事をしたらこの幸せな時間が去っていってしまう気がした。
微かに潤んだクロトの瞳は、オニキスのように美しい。芳しい甘い香りもまたとても少年から生みだされるものとは思えない。
明人が舞い降りた幸福に身を委ねていると、突如信じられないほどの威圧が下方から彼を襲った。
「……ねぇ? アンタって、リリティアにまだ告白の返事をしてなかったのよねぇ?」
それは長耳を摘まれたまま食事をしていたユエラの殺気だった睨み。
「クロ子ちゃんにくっつかれて……ずいぶんと楽しそうな感じがするのは私の気のせいかしら?」
もはやソレは睨みというよりも凄みに近い。そうでなくとも冷然としたユエラの目がいつも以上に吊り上がって恐ろしい。さながら鬼の形相だった。
―― す っ ご い 殺 ら れ る ッ ! ?
身の危険を察した明人は身震いする。
あくまでも冷静な顔を崩さず、クロトの華奢な両肩を押して紳士的に引き剥がす。
「そ、その提案は熟考してから……答えるよ。その場の勢いだけで首を縦にふるような無責任なマネは……し、したくないんだ」
「あ、はい? 別に今すぐ無理に決めて欲しいというわけではないですけど?」
そして腰の合成皮革素材のポーチから財布袋をとりだし、テーブルに全員分の勘定を乗せる。
踵を返し、門前で留守番中のワーカーと同じような足どりで、明人はテーブルから離れていく。
「ダンナー? どこにいくでやんすかー? っていうかナチュラルにあっしのぶんも払ってくれるんでやんすね!?」
背にかかる目つけ役の声を耳に、「お風呂入って寝るっ!」と答えるのが精一杯だった。
だから気づけなかった。小さな三つ編みがふわりと揺れ、彩色異なる瞳が妖しく煌めいたことに。
……………




