34話 ともあれ彼女の盾(イージス)となる
○●●●●
「おとうさーん! 明人とユエラなのかなー!」
シルルはショートパンツから伸びた白くほっそりとした足で、扉の開け放たれた家のなかへと駆けていく。
村長の家というだけあってなかなかに大きい建物だった。そしてさも当然のように屋根を突き抜けるように木が生えている。
果たしてこれがエルフにとっての自然との調和なのだろうか。
「ねえ、ユエラ。シルルっていくつなのかな?」
「あの子、私と同い年。それと口癖感染ってるわよ……」
「……」
明人は隣にいる起伏がはっきりとした少女の体を下から上へ、足先から胸元までを舐めるようにじっくりと観察した。
果たしてシルルが幼いのかユエラが大人びているのか。混血の影響という線も加味しなければならない案件。
当然、男のねめつけるような視線がむけられて気がつかないわけもなく、ユエラは即座に開いていた外套をさっと閉じてしまう。当人も自身とシルルの成長度合いが異なっていることくらい承知しているのだろう。居心地が悪そうにあさっての方角を見つめている。
「な、なにかいいたいことでもあるわけ?」
頬を染めながらじろりと半目になる少女がどうにもかわいらしく思えてしまい、明人は鼻の奥でくすりと笑う。
「――んなっ! 笑うことないでしょ!」
「くっ……くくっ……ごめんごめん。ふぅ、ユエラって意外とまつ毛長いんだね」
「いま胸みてたくせにっ! それと、アンタからみて私ってどんだけまつ毛長いのよっ!」
涙を溜めて笑いをこらえる異世界人と小鳥のように囀るハーフエルフが、穏やかな昼下がりの小さな村を賑わせる。
と、そのときだった。
「グッ! グゥゥゥ!!」
騒がしくも愉快なひとときを満喫していた明人の耳を叩いたのは誰かの悲鳴か。
喉から漏れ出る声を噛みしめるが如くくぐもった、男のものと思われる叫び声。
「――ッ! なんだッ!」
「家のなかからよ!」
声の出処は先ほどシルルの入っていた村長の家だった。
明人は、即座に下げている散弾銃のストックを伸ばして構える。
彼同様に危険を察知したのだろう。すでにユエラも扉の奥に見える廊下へ手をかざし魔法をいつでも放てるよう狙いをつけている。
「……ユエラはここにいてくれ。オレが見てくる」
答えを待たずに姿勢を低くとって足を踏み出すも、伸びてきた細い腕に遮られ静止する。
「ちょっと待ちなさい! アンタこそここで待ってなさいよ! 魔法が使える私が行くわ!」
ユエラの言う通り、明人は魔法を使えない。
リリティアの話によればこの世界の人々が持ち得るはずの体内マナが異世界人である彼にはないのだという。
となれば、必然的に魔法を扱う才能が皆無ということ。
しかし、散弾銃を握りしめる彼はその程度の逆境でめげるはずもない。なぜならここでユエラをひとりにしたくないからだ。
―――――
あれは少なくとも例の誘拐事件で事なきを得て間もなくの出来事である。
いつものようにユエラ護衛のもとで明人は午前の雑事を終え、昼食をとり朝帰りの彼女の就寝を確認した。そして時々ではあるが午後からリリティアに引っついて食料の調達に出掛け、起床したユエラとリリティアの作る極上の晩飯にありつき、一日を終える。あくびがでるほど平和な、のびのびとした心安らぐ日常。
しかしその日は違った。違っていたことを認識したと言ったほうが正しいのかも知れない。
魔物の狩りと野草採取のサバイバルを終え、ほうほうの体で家路についた明人とほくほく顔のリリティア。そんなふたりを待っていたのは、就寝しているはずのユエラだった。家のテラスで足踏みをしながら、目の下に薄っすらとくまをこしらえ、肩で息をして、どこか急いてるような。そんな貧血の患者よろしく色を失うユエラを目撃して、ふたりはすべてを理解し、胸が潰れるかの如く後悔した。
少しでも頭が回れば至極当然のこと。拉致され、魔法を封じられて死ぬことも許されない環境に晒され、一生涯を費やしヒュームによる娼婦同然の扱いに身をやつす人生。そんな地獄の寸前まで追い込まれたのだから、10代なかばの外見である彼女が恐怖に苛まれないはずがなかった。
つまり、あの目を覆いたくなるような拉致事件でユエラの心に外傷が植え付けられてしまったのだ。
ふたりが彼女の異変を察せなかったのは、ユエラがそれを隠そうとしていたから。それでもやはり注意を払って彼女を観察すれば色々と見えてくるものがある。
最初にその片鱗に気づいたのは明人だ。ユエラは必ず誰かと一緒にいたがっている。とくにリリティアのいない休日前の夜ともなれば、彼女は明人の眠るリビングからでていこうとしない。昨晩、リリティアと就寝をともにしたのもそれが理由。夜、ひとりで眠ることができなくなってしまっていた。そして日が高くとも家で孤独になることも苦しいようだ。
これらすべては事件のなぞらえ。昼の奇襲に夜の拘束監禁。夜駆けをする魔草の配達が心的外傷に含まれないのは、かろうじての救いではあるが。
それから明人とリリティアは、できうる限り彼女の近くにいつづけると誓った。
今も彼女の外套ポケットには、位置情報の送受信を常におこなうリモコンが入っている。未だに気丈という演技で誤魔化せていると、本人は思っているだろう。しかしそれでもリモコンを返そうとしない理由。口にこそださないがやはり孤独が恐ろしいからだろう。
芽吹に余念のない少女の行く末を見守るために。ときに、支えるために。友との約束に準じて、明人はこの世界でユエラを守る盾となると、臍を固めた。