337話 そこで明かされる優しい嘘
山岳に咲く桜乱のなかに白き衣を纏いし女性がひとり。
純白のドレスは肌を晒すことを良しとしない。代わりにしゃんと伸びた背筋がたたずまいを美しく彩る。
清潔な鱗に負けぬほど透明な肌は、穢れを知らぬ乙女をそのまま表現するかのよう。
剣聖と崇められる最強の剣士は、剣鞘から剣を抜き放つ。
武器よりも花のほうが似合うであろう手で、彼女は鈍く光る剣身の表面を根本からついと撫でた。
「《炎刃効果》」
唱えに応じて墓剣の芯が紅の閃光を放つ。
熱に強いリリティアですら目や肌を焼かれかねないほどの温度向上。触れれば鉄や岩、無論対峙した敵の防具であれ刹那のうちに液状化するほど。《効果魔法》。
さらにそれだけでは終わらない。
「《風刃効果》」
詠唱とは空想の具現化を確定させるもの。それはさながら白いパレットに絵を描くかの如く。
体内マナによって呼び起こされた風が剣の周囲を踊り狂う。嵐の目となる刃を中心に鋭利な暴風が吹き乱れる。
そしてリリティアは一拍置いて、ためらいがちに唱えた。
「……。《氷結効果》」
極めつけは、ひと味違う。
なにせ主に食肉をその場で冷却保存する際に重宝する氷の属性付与だ。いちおうな感じの措置。
剣をむける相手をいちいち凍らせるなんて特異な能力がなんの役に立つのか。
最後に「《雷迅効果》」と身体バフを使用し、雷の俊足も発動させる。
効果魔法とは、物質に効果を付与する魔法。剣聖によるオリジナル魔法――《レガシーマジック》。
これは武器であれ、肉体であれ、もっとかいつまめば靴や服にも各々の効果を与えることもできるもの。
打ちひしがれてなお枯れることのなかった心がある。
きたるべく運命の呼び声に負けぬよう研ぎ澄ませた技がある。
龍の血脈という誇り高き驕りがその身に刻まれている。
そしてその心技体の極意を制した者を大陸は、剣聖と呼び称える。
「いざ――」
肉の詰まった鱗の尾が質素ながらも品のある布地のなかからにょっきり、あふれだす。華奢で薄い背から、ドレスを引き裂き大翼がこぼれ落ちる。
リリティアの選択は上段――天の構え。攻撃の威力のみを特化させた剛の構え。
「参りますッ!」
覇気とともに全身のしなりを利用し、1撃が繰りだされる。
彼女の望みは切断ではない。ましてや破壊などという野蛮なものは欠片ほどもありはしない。
もっと巨大に、もっと大胆に。籠めるのは世界すらも両断せしめんという傲慢な意思。
「フゥッ――!」
を、すかす。
ぴっ、と風が斬れ、結界である水のような膜が僅かにさざなみ立つ。
リリティアは鎖の如くさらにもう1周を、ワガママに繋げる。
ズォッ、と轟く剣の音に反して動作は流麗。一切の無駄をはぶいた最短で最高の構造構築。
丈長のスカートがめくれ、花弁のように広がる。あまり拝むことの少ない膝の辺りを交差させ、ダンスするようくるりと回る。
円形の流れに籠めた力をさらに加える。
剣とは別の軌跡が紅の残像を辿る。龍族の証明たる灼熱の瞳の筋。
そしてこれはすごいいっぱいマナを籠めてがんばるのだが、本気ではない1撃。
「ハアアアア!!!」
閃光が結界の位置にある透明な水の膜を刹那になぞる。
炎刃に一瞬だけ遅れ、暴風の刃も10ほど空間を斬りつける。
「ふぅぅ……」
意識的に効果魔法を解除したリリティアは、さもありなんと剣を鞘に納めた。
残されたのは熱によって赤赤として波紋を打つ膜のみ。楼閣を包む膜は未だ健在。
それもリリティアが残心をとっている間に元の形に戻っていってしまう。
「ふう……やはりこのていどではダメですか」
つまり不発。結界を破ろうという試みは失敗に終わった。
「まー、予想通りですけどねー」
むー、っと片頬を膨らます。悔しいものは悔しい。
リリティアはぱんぱんと両手をほろった。それから広い腰の辺りに手を宛てがい、薄い胸を自慢するよう、ふんす。いちおうな感じの胸部を反らす。
「さてっ! いちおうですがやることもやりましたしっ、あとは外のみなさんにがんばってもらっちゃいましょうねっ!」
なにせこちらにはまだ手札が残っている。
1枚は切ってはいけない手札、もう1枚はすでに切られているであろう手札。
敗北したはずのリリティアだがしかし気分はるんるんだ。
今にも小躍りしてしまいそうな軽やかなステップ。もういっそスカートを蹴るようにスキップだってしてしまう。
そうすると一緒になって三つ編みも楽しそうに揺れるというもの。
「閉じ込められたお姫様っ! 助けるために尽力する王子様っ! これぞまさにラブロマンスというやつですっ!」
楼閣の前に居座る重機の元へ舞い戻っていく。
明るく振る舞わなければ、強がらなければならない。
でないと……聖都のときのようにまた間違えてしまうかもしれないから。
家族を残してしまった、己の油断が生んでしまった失態。恋という高ぶり押さえきれぬ感情にうつつを抜かした末路。
だから心が潰れるほど、心配で、心配で、心配で……。
「……ごめんなさい……」
そのこらえきれず紡がれた謝罪を聞いたものは、おそらくいない。
この亜現実にいるのはたったのふたりと1台。それもその1台の方角からは、話し声がひっきりなしに聞こえてきている。
「ついに卵を産めるようになったッすよ! これでもう私はいわば成魚ってやつッすね!」
片手の爪にピチチを乗せたワーカーは、5つ目を器用にぴかぴかと点滅させていた。
「おー! 祝ってくれるッすか! ふれくさーさんにも私の無精卵を食べさせてあげたいっすねぇ」
表情がないのにすごいですね。物珍しい光景にとことこ歩み寄りながら、リリティアも思わず目を子供のように丸くする。
無機質な表情でもきちんと反応をするあたり、コミュニケーションを楽しんでいるのかもしれない。
こうして小魚が巨大な球体に嬉々として語りかけているとまるで物語にでてくる白馬とお姫様――……にはちょっと見えない。
いちおうピチチはマーメイド族のお姫様だが、もういっぽうのワーカーがあまりにも無骨すぎた。
「あっ、剣聖さまおかえりなさいッす! ……それで、結界のほうはどうだったッすか?」
「あはは……やはりダメでした。助けがくるまではしばらくここで待機ということになりそうです」
リリティアからへの字の笑みむけられた、ピチチは「そう、ッすか……」と尾を垂らしてしょぼくれてしまう。
そしてそんな小魚を片手に、きょろきょろ。5つの目が、リリティアとピチチを交互に見比べる。
4脚を曲げ右へ左へ傾いて、しばし琥珀色の空を眺め、ふしゅーと関節あたりから熱い湯気を漏らす。
なんというコミカルかつ珍妙な動きをする物体なのだろう。見るなというほうが無理な話だった。
「……あっ! そ、そういえばピチチちゃんはワーカーさんとお知り合いなんですか!? ずいぶんと仲良しさんですねっ!」
リリティアは、ぽんと頬の横で手を打つ。
話題転換が下手であれ、落ち込んでいてもしょうがない。
するとすかさずピチチは「理想郷への神槍門ッす!」と元気よく挙手した。他愛もない。
「そうッすよね!?」とすかさず問い、星のきらめきのような瞳をむけられたワーカーはこくりこくりと体ごと縦に揺れる。
「実は、あのとき私も選定の試練を受けたッす。そのときにふれくさーさんに助けてもらって、友だちになったんすよ」
「ねーっ!」。ピチチとワーカーは同時に体を傾けた。
なんだか置いてきぼりを食らった気分で眉根を寄せつつも、リリティアは笑みを絶やさない。この謎の物体を知るにはいい機会です、と。
「ところでピチチちゃんは、なぜワーカーさんをふれくさーさん? と、お呼びになるんです?」
「それは教えてもらったからッす!」
リリティアは、すかさず見上げた。
するとワーカーも、すかさずこちらを見下ろした。
口がない、耳もない。足は2本多くて目も5つあるが、なにかを伝えるということができるとは思えない。
「ど、どうやって教わったんですか?」
リリティアがピチチのほうを見ると、またもワーカーは同時にピチチを見つめる。
重機は頭に腕がついており、手に小魚を乗せているが、腕と頭を別々に動かす。まるでその体が己そのものであるかのように。
「お外が見える四角い部分にずららーっと角張った文字が浮きだしてきたッすよ。それで自己紹介して貰ったッす」
「へ、へぇ……」
嘘か真か判断に困ったリリティアは、仰ぎ見た。
対してワーカーは語らない。目を細めるよう5つのうちの上下の目を暗くして、ピチチをじーっと眺めている。
「あ!? これ内緒だったッすね!」とひと声。それからわたわたと両手を遊ばせつつ「もとい!」と場の空気を下手に切り替えた。
そうしてピチチは、理想郷への神槍をくぐる際に見た夢をしずしずと語りだす。
「私……試練でとっても怖い夢を見たッす……。お父様とお母様がいなくなっちゃった……悲しい夢だったッす……」
あの神より賜りし宝物が見せる世界は2つ。幸福と絶望。
1つは、甘美世界。誰もが身を委ねてしまうほど甘く、幸福な、偽りの世界。
心がとらわれれば現実には2度と戻ることはできない。試練の終わりであり、ある意味での幸福な結末。
「暗い部屋に閉じ込められた私はずっとひとりだったッす……。檻のむこうから声は聞こえるんす……。でもどんどん声が小さくなって……遠くなって……。回りのみんなはどんどん連れていかれちゃって……帰ってこなくて……」
もう1つは、今こうしてピチチが伏し目がちに語る目を背けたくてたまらない残酷な世界。
――試練の内容がどちらも残酷という場合があるんですけどね……。
乾いた笑みを貼りつけ、リリティアは思いを巡らす。
彼女の見たのは、故聖女を囲う友たちとともにいつまでも笑っていられる夢のような……夢。出会った者と失った者たちで彩られた輝かしく、虚しくも幸福な幻想。
もう1つの残酷な試練は、故聖女との悲痛な別れの場面。
思考が狂気に侵食される直前。それは過去にあった現実。
「……剣聖さまどうかしたッすか? ここからが最高に盛り上がりどころっすよ?」
幼い声で現実に引き戻されたリリティアは、ふるふると頭を振った。
「ふふ、ちゃんと聞いてますよ。だからどうぞつづけてください」
ピチチとワーカーは不思議そうに見つめ合い、同時に傾く。
「まあ……? それでッすよ! 私が悲しくて尾を抱えながら泣いていたとき、急に暗い世界がぶわーって眩しい蒼に染まったッす!」
わっ、と両手を上げ、魚類の半身で座した鉄の爪をぴちちと叩いた。
「気づいたらワーカーさんのなかにいて、ふれくさーさんが勇気づけてくれたッすよ!」
すぐ横では巨体の球体が目を無作為に点灯させながら、後頭部のあたりを爪で掻くような仕草をしている。
そしてそれこそが曖昧だったリリティアの妄想を確定させるものだった。
――なるほど……。創造神の作りだした道理ですらも、ということですか。
ここにいる重機は、どれほどコミカルに動作したとしても兵器だ。
冥界から漏れだした魂の穢れたる魔物を引きつける存在。つまり、悪意の塊。
――……滅ぶのであれば手段は選ばない。……あちらも、こちらも、まったくもってままならない。
リリティアは、じっとこちらをとらえたままの5点の足にそっと触れる。
曇りなく、よく手入れがいき届いた剣のように光沢のある脚部。
彼はこの物体を自我があるとは知らず、ここまで丁寧に扱っている。
固定観念に縛られながら。
「アナタも、私たちと同じように彼の幸福を祈ってくれているんですね」
リリティアは手荒れひとつない滑らかな手で、血の通わぬ鉄の面を撫でてやった。
そしてもう片方の手で腰に留めていた剣鞘を抜き、問う。
「アナタはなぜ、私の剣を 意 識 的 に 遠 方 へ 展 開 さ せ た 蒼の力で守ってくれたのです?」
つぶらな瞳に映るよう突きだしたのは彼が彼女に与えてくれた、ひと振りの剣。
ワーカーは、箸で豆を掴むように剣を爪で優しく挟んで、もちあげる。
しぱしぱと目が点灯を繰り返す。まるで操縦士の作った作品をまじまじと見つめているかのよう。
「生贄の赤の槌、《ライトオブライフ》をF.L.E.Xで守ったのもアナタの意思なんですよね?」
リリティアの問いに、ワーカーは黙り込んだまま。
代わりに摘んだ剣をそっ、と返してくる。
「アナタはいったいどちらに備えているんですか?」
最北の冷たい風が桃色の花びらを運ぶ。
「この大陸の辿る運命に逆らうのか」
攫われたスカートの裾がはたはたと音を立てた。
そんな彼女を見つめる5つの眼は、とても純粋だ。
まるでこちらの心すべて見透かしているかのよう。
生まれたての赤子のように純粋でいて、今にも割れてしまいそうなガラス玉みたいな。
「それともアナタ――が、その器に入らなければなかなかったそちら側の運命に逆らうのか」
じっと見つめたまま紅の瞳と青の瞳が見つめ合ったまま。
魔物は悪意に群がる、とくにこの重機へ。
それはなぜかを、リリティアは知っている。地球という異世界が、このルスラウス世界とまるで似た運命を辿っているから。
すると不意にワーカーの5つ目が消灯する。
突如として黙り込む巨体。糸が切れたように両手をだらりと下げてしまう。
「……あら?」
リリティアは小首をひねるも、すぐさま思い当たる。
ぴょんと羽が飛ぶように軽く跳躍し、その角張った肩に座るピチチを手早く抱えあげた。
「あろろ? どうしたッすか? ふれくさーさんも急に黙り込んじゃったッすね」
「どうやらご出発のようです。まさかこんな夕暮れどきに動くとは……お話を聞きそびれてしまいましたね」
日はとうに地平線の彼方へ。群青色の空は日と月が巡る晩の辺り。
火の入れられた窯のようにワーカーはけたたましい鼓動を開始した。
目が再度点灯し、さきほどまでのなめらかな動き方とは違う機械的動作をはじめる。
「おおっ!? これはいったいどういうことッすか!?」
「表の世界できっと待ち人が帰ってきたんでしょうね。ずいぶんとお早いご出発で」
ピチチを小脇に抱えながらにリリティアは、着地とともに肩をすくませる。
足をくすぐられたような気分で「うふふ、なんだか嬉しくなっちゃいますっ!」と頬にほんのり桃色をのせる。
ズズズン、ズズズン。
風情のない鉄の球体が寒中に散る桜吹雪の景色に溶けていく。
「そろそろお腹が空きましたね。先ほど調理場があったので、晩ごはんをごちそうしますよ」
「ほんとッすか!? じゃあ私もがんばって産みたて卵をごちそうするッす!」
「え、あー……がんばらなくてもいいですよ?」
ズズズン、ズズズン。遠のく姿に思いを馳せ、リリティアとピチチは山を下っていくワーカーの背を見送る。
きっと必ず戻ってきてくれる。そんな黄昏に「いってらっしゃい」の言葉が微かに響いていた。
○○○○○
尾っぽがピチっと、尾っぽはムチッとなSSのコーナー
……………
「ところで剣聖さまはいつごろふれくさーさんが動くって知ったんすか?」
「……? 結構頻繁に動きますよ、アレ」
「そうなんすか?」
「雪が頭に積もったときはダルそうに払ったり、雨が降ってるときはぼんやりお空を眺めたりしてますね」
「い、意外と自由にやってるんすねぇ……。なんでふにゅうは気づかないんすか……」
「物として見てるからじゃないです? 信じ込みが長いほど盲目になるものですし」
「うーん……教えてあげたいような、教えてあげたくないような……」
「きっとワーカーさんにも隠す理由があるんだと思いますし、やめて置いたほうが良いと思います」
「むむっ……。まあ、それもそうッすね! ここだけの秘密にするッす!」




