333話 すると責任と回廊の行方
霊峰の麓から険しい山道を歩き、突如山岳地帯に現れた楼閣。
中央は吹き抜けとなっているため日の光が中天から差し込んでいる。
そこから覗けば空は遠く、屋根もまたずっと先。
一党が美しい桜の木を囲う無限回廊を歩かされて如何ほどであろう。
回廊をひと回りすれば、階段もなく上の階へと足を踏み入れている。不思議で幻想的な空間。
吹き抜けより真っ直ぐ注いでくる天然の明かりに照らされた中庭は、とうに底。帰ろうと思う気すら削ぐほどに高い場所。
それでもまだ前方を行くお喋り狐は、足を止めないし喋るのもやめる様子はない。
「先ほど見ていただいた街の様相は幻影、ほんでここがお宿というわけでやんす。この建物自体があっしらの家であり街。一族郎党が1つ同じ屋根の下で暮らしているのがあっしらワーフォックス族独特の文化ってわけでやんすねぇ」
細目の男は、袴から飛でた焦げ色の尾っぽを、ぶらり、ぶらり。
粛々とつづく一党と反比例するかのよう。
さらに一党の背後には、刺股やバルディッシュや柄先に三日月上の刃を乗せた槍。とにかくリーチの長い武器をもつ狐族が複数。
変なことをすれば今にも、と言わんばかりにこちらへ目を光らしている。
「あいや。しかし、あっしらも申し訳ねぇことしちまったでやんすよ。狼族に忍ばせていた密偵が青い顔をしてLクラスの襲来を報告してくるもんでしてね。思わず尻を叩かれたように慌ててあんな罠をこさえてしまいやした」
言う割に、声に申し訳ないという音が感じられない。明人の耳がこの男の声を耳障りだと判断しているからかもしれないが。
人を喰ったことがありそうな男がいうには、こちらと交戦する意志はないらしい。
信じるか信じないかは別として、今のところはまだ信じないと決めつける段階ではなかった。
「そ、その……お顔、大丈夫ですか?」
花より儚く少女より愛らしいクロトは、おずおずと男へ尋ねる。
すると男は足を止めず、大丈夫なほうでこちらに振り返った。
「おお、このような可憐な美女にご心配をいただけるとは、かいもあるというもの。アナタのお仲間にやられた傷なら平気でやんすよ」
さらにくるりと大丈夫ではないほうをクロトに見せる。
男は痛ましいほど腫れ上がったもう片側の頬をほんの僅かにヒクつかせた。
「そう……ですか。必要ならば回復魔法かなにかで早期治療をオススメします……。僕は回復魔法を使えませんけど……」
「お気遣い感謝至極でやんす。まったくですなぁ、おっほっほっ! いでででっ……」
意外なことにクロトはこの状況に物怖じしていない。
ヒュームという弱き身でありながらどこか余裕すら感じられ、敵との対話をしてしまうくらい。
そんな彼よりも、屈強な肩で気を押して歩むこちらのほうが明らかに平常ではなかった。
相手が人質というアドバンテージを条件にする前に、明人とユエラが結託して1撃はくれてやった。だが、その怒りは未だ収束する気配なし。
仄めく蒼。
「ふぅぅ……。すぅぅ……、ふぅぅ……」
に、踊る細蔦。
「はぁぁ……。はぁぁ……、はぁぁ……」
明人とユエラの形相はいまだかつてないほどに鬼気としている。
クロトはクロトで狐族よりもそちらのほうに気がいってしまっているようだ。
今にも敵の喉笛に食いつかんとする怒れる2匹の裾をきゅっと掴んで、とどめている。
そしてそのさらに後方では、エトリがアルティーをモコモコの尻に乗せてちょこちょことつづく。
「あの……本当にピチチちゃんは無事なのですか? あの子の身になにかあったと思うと……」
布地に隠れた瞳を見るまでもなく、アルティーは足を横に流しながらたわわな実りの中央辺りを手で潰す。
聴覚のみが頼りの彼女にとって、おせっかいな小魚はどれほどの存在だったのか。
そしてこれは先ほどから何度目かの安否確認だった。
なので男も慣れたもの。手にした扇子をバッと開き、扇ぎ、花吹雪なんぞをだしつつ応じる。
「大丈夫でやんすよ。あそこはなにも牢獄というわけではないではないでやんす。ちょいとこの世界よりズレた空間にいってもらっただけ。お互いに目視はできませんがね、きっと裏側で気ままにくやってるはずでやんす」
「で、ですが……長い間閉じ込められててもご飯とかは食べられるのですか? ピチチちゃんは育ち盛りなので……心配です……」
アルティーは口のなかで言葉を噛みしめるようにしてうつむき、遮られた視線を塵屑ひとつない木床へと落とした。
そのざっくりざっくりと切られた髪を、エトリが困ったような笑みで撫でている。
「うーんこれぞ愛ってやつでやんすねぇ」
その、男の他人行儀な話しかたも貼りつけたような笑みも、明人をひどく逆撫でてしょうがない。
拳は顎を貫く用意ができている。馬乗りになることだって容易。あとは動かなくなるまで頭部の急所に打撃を与えるだけ。
横に並んで歩くユエラの足音も木床を踏むかのよう。合わせてスカートも普段より高く波を打つ。
「――――」
もとより冷然として鋭い目つきは、もはや鋭利な刃物と化している。
リリティアという驚異的存在が欠落しても、2匹の闘争心をなだめるに及ばず。なにせ、家族を閉じ込められたのだから。
背に刃を突きつけられているのは果たしてどちらか。男はぞぞっ、と身を震わせ、血色の失せた白い顔で振り返る。
「ま、まあぶっちゃけですが……剣聖さまが本気をだせば余裕ででてこられる場所でやんすよ」
強張った声を耳に、ついで怒れる2匹が睨んだのは、すぐ背後で尾っぽを股ぐらから丸くはみださせた1匹の雑種だ。
睨まれたニーヤは、明人とユエラを交互に見上げ、「にゃぁ……」と体を手で隠し隠し、か細く鳴くだけ。
その格好の場違い感たるや、フリフリもフリフリのアイドル調だ。
和の荘厳な楼閣にはいささか不釣り合い。花も恥じらうような幼い見た目に狐の耳と狼の尾っぽ。それがさらにコスプレ感を匂わせてならない。
「おいニーヤ。リリティアが本気をだせばでてこれるってのは本当なのか?」
明人の問いに一瞬だけ躊躇を見せ、ニーヤは2色の瞳をにじませる。
「た……たぶん本当にゃ。リリにゃんが本気の姿でばちこんすれば、突貫で用意した符呪くらいわけないにゃ……」
「じゃあなんでやらない? なんでリリティアはでてこない? できない理由があるのか?」
「そ、それは……わかんにゃい……」
あまりに温度のない低い質問の羅列に、ニーヤは足を止め目尻に涙をたくわえはじめてしまう。
責任。明人が彼女に対して科したのは、その優柔不断な態度だった。
優柔不断なせいで、窮地に追いやられた。
いつまでも心を決めず、逃げつづけている。そのどっちつかずな部分に腹を立てている。
同族嫌悪だとわかっていても被害を被ったとあれば話は、また別。
「あの、少々よろしいでやんす?」
すると先導していた糸目の男がニーヤの横に並び立つ。
それからスラリとした高身長を背丈の低い彼女に合わせるよう、うやうやしく片膝をついた。
「あまりこの御方を責めないであげていただけますでしょうか? にゃにゃ、ぬ様は、我ら複合種にとって……いわゆる絆なのです」
「おいこら。絆とかいい言葉を使うなら名前を噛むな、失礼だろ。どうやっても噛むなら、いっそニーヤって本名で呼んであげなさいよ」
いまのところニーヤの2つ名をまともに言えた者は、指折り数えて指が余るほどしかいない。
明人の容赦ないツッコミが炸裂するも、糸目の男はどこか虚空を見つめたまま語りだす。
「そう、あれは……解放戦争に至るずっと前のこと。虎視眈々と明日にでもあっしらを奴隷にしようと目論見、ヒュームたちがこちらへと戦線を押し上げてきていたときのお話でやんす……」
「あ、このやろ。無理やり回想に入るつもりか」
男が僅かな時間で語ったのは、拡散する覇道の意思に怯える複合種たちの凄惨な過去だった。
覇道の意思。他種族へ攻撃的になったヒュームたちに捕縛されれば最後。爪を剥がれ、尾を毟られ、死すら生ぬるい生者としての尊厳すら奪われたのだとか。
男は過労で倒れ、女は衣服を帯びることなく野ざらしに。虐待するかのよう奴隷として身をやつす日々。
そんな複合種があわよくば自分たちだけでも助かろうと、頭と尾を垂らすのは自然な流れだったのかもしれない。
「無論、あっしらとて生き残りたい。家畜のように無残に終わりたくない。でも不毛な噂が1国なれど数多くの種族に分かれたあっしらを疑心暗鬼に陥らせたでやんす」
あの種はヒュームに寝返った、あの種はヒュームと手を組んでいる。末期にはそんな噂が絶えなかったらしい。
いつヒュームが他国を制圧し、こちらに戦力を固めてくるか。そんなロシアンルーレットのような劣勢の日々のなか。
たった1匹の鎧をまとった狐か狼か、はたまた猫なのか。とにかくなんかよくわからない存在が突如として戦場を疾風の如く駆け巡った。
「あの衝撃はあっしも未だに瞼の裏に描いてしまいやす。協力もおろそかに追い詰められるあっしらは、まさに背水の陣。覚悟して戦いを挑もうと腹を決め爪を立てた刹那――さっそうと現れた鎧の狐が敵をちぎっては投げ、またちぎっては投げ」
男が眦を下げて見上げ、ニーヤは恥ずかしそうに目をそらす。
それはまるで無言で天を仰ぐかのよう。天を扇ぎ、日の明かりに目を細めているよう。
「聞けば雑種というではありやせんか。まるで同種なんて関係ないとばかりに襲いくるヒュームから、あっしらを瞬く間に救っちまう。その勇壮に吠える遠吠えを尾と耳で感じ、複合種は再度1つの種族となったんでやんす」
男は「失礼しやした」と言って、ゆるりと立ち上がり、また袴を揺らして歩きだす。
一党は言葉もなく皆一様に目で互いの確認をとり、男の野太い尾につづく。
「あっしは忘れないでやんす。そしてきっとこの国全体がこれからも、にゃぬにん様の繋いだ強固な縁を絶えさせることはない」
――あ、押し切ったな。
そして男は綺羅びやかな大扉の前で立ち止まった。
扉の隙間からは、まるでドライアイスのような煙がもうもうと漏れている。
紫煙の如き煙の匂いは甘く、淫靡。大人の香り。なかで待ち受けているであろう者の趣向のはずだ。
そしてどうやらここが終点らしい。背後で槍を構えていた狐たちも柄を握り直し、杖のように床に立てる。
「……あの……お気をつけて……」
「無礼なことは重々承知です……」
狐たちの視線もどこかあやふや。
決して攻撃的でもなく、どこか緊張や申し訳ないという色が垣間見える。
これらから察するに、狐たちは冷静だ。
つまり発情していない。発情するための通過点を迎えていない。
もとより強襲という思い違いがなければ、リリティアが捕らえられることはなかったのかもしれない。
剣聖という偉大な力に甘んじ、相手を無為に怯えさせた罪ということか。
男は――半分だけ――清潭な顔立ちを引き締め、口を引き結ぶ。
「なので……アナタがたには、責任をとっていただきとうございます」
尾はピンと反り返り、耳もまた同様に。
脇を締め、姿勢を正し、腰を90度まで曲げ、一党へと烏帽子を乗せた頭を下げる。
「夢を見て、過去を見失ったワーフォックス族の長。あっしらの元締めとなる仙狐様の憂鬱を晴らすため、どうかお手伝いをしてくださいませんか」
報酬は、剣聖の解放。
それと霊峰で採掘された鉱石の寄与を含む望むだけの金品。
そして依頼の内容は、他種族にバレぬよう仙狐と呼ばれる者が――翻る蒼に見た、願いを叶えること。
一党はしばし悩んだ末、男に誘われるよう楼閣の最上階に位置する大部屋へと足を踏み入れた。
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