328話 すると祝い酒にぴちっと跳ねる小魚の尾っぽ
ござにどっかりと座った明人は、並んだ料理たちへ両手を合わせて語りかける。
「いただきます」
肘を畳んで両手を合わす、これが自然な所作。
返事はないがソレで良い。今ごろリリティアは厨房で旅行の目的に掲げた異食文化に触れていることだろう。
白濁とした酸味の強い酒なんぞを葉の皿に乗ったベリーやらナッツやらと一緒に胃の腑に流し込む。
汁モノも見た目こそ凝ってはいないが、鹿やらキノコやらが沈み、香りが空腹を煽り立ててくる。
味つけは薄い。しかし動物種たちは、主に出汁をメインとした食を伝統としているのだとか。
この地に伝わる風習は、どこか野性味が感じられる。文明を発達させるというよりは、本能と感覚で文化を尊重して生きるという生態をしているのかもしれない。
ひとしきりの食料をまんべんなく味わった明人は、生野菜を掴んだ箸片手に、夜へ思う。
「――魏志倭人伝ッ!!」
意図せず声にだしてしまい、周囲の者たちが危ないモノを見るような視線をむけてきた。
燃える揺らぎの紅に、映しだされる狼たち。
「ハァッ! セイッ! トォッ!」
牙をむきだし横一列に並んで座り、勇ましく民族太鼓を打ち鳴らす。
副弦込みで12弦の楽器が主旋律となって情熱を奏でる。会場を盛り上げる。
そんなオスたちの奏でる旋律と鼓動に合わせ、キワドイ衣装のメスたちが広場中央の舞台で競い合う。
満点の夜空にツンと尖った胸を突きだし、にじり寄る感じでひとりまたひとりと棒の下をくぐっていく。
さながらというかまんまリンボーダンスだった。
棒を落としたものから列を外れ、愉快に酒を酌み交わす商隊の面々の接待に回る。
強きこそ気高き者。列から抜けていったメスたちをよそに、最後の1匹が天へ拳を突き上げた。
「御神ルスラウスよご覧いただけましたか! この勝利を偉大なるアナタ様に捧げましょうッ!」
中空に浮かぶ月にまで届いてしまいそうな勝利の雄叫び。
とても女性が発しているとは思えぬ咆哮。勝因は、まず間違いなく胸の薄さだろう。
「いいぞいいぞぉ! 天界の天使様もきっとお喜びになってるはずだ!」
「冥界の種族たちもきっと微笑んでくれてるはずだよー!」
同調するよう顔を真っ赤に染めた商隊の護衛たちも、盛大な歓声で祝福のガナリを上げた。
飲めや歌えやの大騒ぎ。納品と送迎を終え、文字通り荷が降りたのだからこんな夜こそ飲み時だと言わんばかり。
迎える狼たちも無礼講。オスメス男女も構いなしに肩を組んで飲み比べる。
そんな喧騒の中央に威風堂々と居座るのは、4脚重機。
野性味あふれる村の情緒をぶち壊しているし、見かたによっては崇め奉られているかのような。
ここは複合種の住まうワーウルフ国の入り口――風通しの村ノール・ヤラバン。
国内に点在する村々の風邪通りの良いお膝元、いわば入り口。
夜が深まりつつも宴会会場は陽気そのもの。密林を開拓した村の中央でも、これだけ騒いでいればそうそう魔物だって寄ってくることはない。
ゲストを迎える狼娘たちが締りの良い腰とふかふかの尾っぽで色香を振りまきつつ、王宮の広場を右往左往。
なかには手に料理で彩られた大きな葉を乗せ、見上げた屋敷のなかからしゃなりしゃなりと階段を降りてくる。
そんな娘たちの腰つきに目を奪われるかのよう、黒い瞳が露骨に後を追う。
「どしたでござるー? やっぱりクロ子殿もオナゴとしてああいうスラッとした美女に憧れちゃうでござる?」
「――えっ!? そ、そそ、そういうわけじゃなくてですね!?」
慌てた様子でクロトはとり繕うも、隣のエトリは「にししっ」と額の複眼と一緒に目を細める。
「安心するでござる。拙者もチンマイから昔はよくエルフとかに憧れたものでござる」
首を覆う赤いスカーフを退け、葉皿から虫の揚げ物を拾い、ぱくりと頬張った。
習うようにクロトもベリーを口に放り込み、白濁した酒で唇を濡らす。流石に虫は選ばれなかったようだ。
「あー、でもエルフさんたちってカッコいいですよねぇ。知り合いのエルフさんも、ソレはもうカッコいいんですよぉ?」
酒からくる微睡みを声に乗せ、語り口調はふわふわとしている。
乙女がぽっと照れるよう頬を染め、すっかりクロトの目尻はとろりとすぼんでいた。
「おりょ? エルフにご執心とはなかなかの通でござったか。クロ子殿はSでござるねぇ」
「……えす? ……どういうことなんですかぁ?」
「あの種族は女性が結構キツめなんでござるよ。まあ……あとはお察しでござる。むふふふっ」
含み笑いを浮かべるエトリを眺めつつ、クロトはキョトンと小首を傾げる。
隣り合う子蜘蛛と中性的な美男子。一見して女子の語らい。
どちらもとても落ち着いて、もうすっかり打ち解けている様子だった。
「はっ、はっ、はっ……!」
こちらでも息せき切って走ってくる細いシルエットがひとつ。まだひとり。
「ふにゅうううッすう!!」
そしてそれはコミカルな音と、ふにゅと腑抜ける音を発して1尾に変化する。
ぴちっと夜に跳ねたピチチは、ぬらぬらの魚の尾っぽを引っさげて明人の胸板に飛び込んだ。
「ふにゅにゅにゅにゅにゅ……!」
先っぽに癖のある髪を乱すのもお構いなし。
ただ一心に厚い胸板へ顔をごしごしとこすりつける。
「おーい……。そんなにこすると顔がなくなちゃうよー……?」
「にゅにゅにゅにゅにゅ……!」
「聞きなさいって……。摩擦熱で焼き魚になるぞ」
明人は、見た目以上にずっしりと重いピチチを抱えてお姫様のように座り直させる。
パレオで根元あたりを覆うむちっとした尾っぽは、食いごたえがありそうなほど肉がみっちり詰まっている。
生臭いが明人は気にしない。新鮮な証拠だ。
さらにこの小魚こそマーメイド族を仕切る王の娘。つまりお姫様抱っこされた少女こそ本物のお姫様。
しかしまだいかんせん未熟ゆえに、喋ると2足を保てないのだとか。
「ふにゅう! 私の卵美味しかったッすか!?」
「うぐっ……!」
先手必勝とばかりにピチチの瞳が爛々と輝く。
そして明人は苦くも旨い記憶を呼び覚ました。
しばしの沈黙。答えを急かすように尾びれがぴっちぴっちと跳ねている。
「う……うまかったよ……。不本意だけど……今まで食べた魚卵のなかで1番くらいには……」
この込み上げてくる感情の名を明人は、まだ知らない。
知り合いの生んだ卵を美味しく食べるという道徳から謀反するような行為は、地球では絶対にありえない。
言葉を濁しつつ明人が感想を伝えると、ピチチは急に母性に満ちた笑みを浮かべる。
「よかったッすー。初物の卵は、ぜひふにゅうに食べてもらいたかったッすよ」
どこかホッとしたように体重を預け、セーラー服に似た上着の膨らみを撫で下ろす。
「ちなみに初物の卵を誰かに渡すのは意味が籠められているッす!」
「ふーん……」と素っ気なく応対するも、明人の心中は気が気ではない。
この世界には地球と異なる倫理が存在している。知らぬとはいえ、倫理に触れればとりかえしがつかないこともきっとあるだろう。
震える気持ちを誤魔化し、明人はぐびりと酒を煽る。
「初物の卵言葉は、私を食べてーって意味ッす!」
そして「ブフォッ!?」と豪快に吹きだす。
「げほ、ごほっ! ただの下ネタ!? しかもかなり脂ぎってるタイプのやつ! あと卵言葉ってなんだあ!?」
明人が前のめりに疑問を呈すると、ピチチはやれやれとおどけながら首を左右に振った。
「ふにゅうは遅れてるッすねぇ……。卵言葉は卵言葉ッすよぉ? なお2回目の産卵で生んだ卵を相手にプレゼントするのは決別を意味してるッす」
「なにそれ!? 2回目にして辛辣すぎない!?」
再会はいつぶりか。少なくとも最後に会ったのは聖都陥落以前のことだ。
戦争で出会い、聖水の上にて巨骨の魔物――カオスヘッドを相手に共闘した勇壮なる少女。
ぴちっと跳ねる彼女もまた、明人にとってかけがえのない友だち。
「元気にしてたか? 風邪を引いたりとかしてないよな?」
兄の心で、そのウェーブがかった髪を指の間で滑らせる。
少し癖があるのだが不思議なことに引っかからない。順の方向に撫で下ろすとキューティクルの感触が生き生きと手に伝わってくる。。
「えへへっ、くすぐったいッす。私はずーっと元気だったッす」
三角に組んだ足の隙間でされるがままに、ピチチは抱かれた猫のように丸くなった。
ひとまずはあの防衛戦争を経て、こうしてまた出会えたということ。
きっとこの子はこれから呪いのない平和な世界ですくすくと育っていく。
だから明人はソレで良し、ソレが良いとした。
ひとり酒だったが思わぬ珍客によって孤独が薄くなっていく。
しばらく和気あいあいとピチチの語る冒険譚に耳を傾けていると、さらにもうひとり。
「むっ? そこにいるのは舟生明人か?」
「……んっ?」
呼ばれたことで明人は反射的に後ろを振り返る。
「おお、すいぶんと後ろ姿が記憶と違っていて思わず尋ねてしまった。息災のようでなによりだ」
長身の女性は頭部のたれ耳をひくりと揺らがし、それから遠慮なく隣に腰をどっさりと落ち着けた。
わっさわっさと尾てい骨の辺りから生え伸びたクリーム色の尾っぽが揺れる。まるで久方ぶりの再会を祝っているかのよう。
久方ぶり。
そう、およそ数時間ぶりの再会。
「どうした? まさか我の顔を忘れたなんて冷たいことを言うまいな?」
きょとん、と。ジャハルは、美貌と勝ち気を同居させたような顔で淡く微笑んだ。
「よ、よう……。じゃ、ジャハルも……げ、元気そうじゃないか……」
オマエに息災じゃなくされかけたんだよ、とは口が裂けても言えず。
明人は、口の端をヒクヒクと痙攣させつつも笑顔で彼女に話を合わせる。
小耳に挟んだ話によれば、発情中の記憶がすっぽりと抜け落ちているのだとか。
世の中知らなくても良いことはある。それが彼女の父カラムの決定だ。
だからジャハルもこうやって気さくに明人へ話しかけることができるのだろう。こちらの気も知らずに。
「まあなんだ、少し不調がつづいていたのだがな。寝て起きたら酷くスッキリした。やはり睡眠は大切だ」
片膝の関節を膨らみに埋めるよう抱いたジャハルは、もう片方の足をうんと伸ばしてくつろぎはじめる。
発情さえしていなければ彼女はこんなにも可憐で常識的だった。
とてもではないがイラナイことを教えられる雰囲気ではない。
――そりゃスッキリしたでしょうよ!? あんだけ好き放題やったんだからさあ!
だから明人も、仕切りに跳ねるピチチの口を手で押さえながら沈黙を守り抜く。
戦争を終えたキャストたちの夜は静かに深まるばかり。
明人はジャハルと杯をぶつけ合い、聖都でのひと幕を祝い酒にて語り合う。
あとは会場にきていないふたりの女性をほろ酔いながらに待つだけ。
の、はずだったが……。
「そうだ……。貴様に……いや、世界の修理屋のオマエに頼みたいことがあるんだが。聞いてはもらえないだろうか?」
身動ぎしながら、ほんのり照れくさそうに――誤魔化すような感じで頬を緩める。
しかしその実、悩める乙女の顔だ。嘲笑、己を欺くような諦めがかった笑み。
ジャハルは、深刻そうに長いまつげの影を伸ばした。
「それって婚約相手うんぬんの相談?」
「っ!? な、なぜわかった!? ついに相手の心まで読めるようになったのか!?」
どうやら明人の予想は的を射ていたらしく、ジャハルはたれ耳をひくっと扇がせる。
今回はマーメイドがいたためなんとか正気をとりもどすことができた。
だが、それは根治治療とは言えない。またいつ発作のように発情してしまうか、同じ過ちを繰り返すかわかったものではない。
――面倒事は面倒になる前に片しておくか。
これは決して彼女のためではない。
ユエラとアルティー、ふたりの会議が終わるまでの暇つぶしも兼ねている。
それにいずれ襲いかかる自身へのサビとなる可能性を考慮もする。
だから明人は、無償でジャハルのアフターケアを買ってでることにした。
「ジャハルには、オレが考えたとっておきの魔法の言葉を教えてあげよう」
キメ顔の明人に指を差されたジャハルは、肩透かしを食らうようもふもふの尾をしなだれる。
「ま、ほう? 微塵たりともマナをもたぬオマエが我にか?」
「……ああ。とっておきの対カラム用一撃必殺魔法を伝授してあげるよ。……とっておきのやつを、なぁ?」
……………




