325話 【蒼VS.】衝動と本能に開花する姫君 ジャハル・カラル・ランディー 2
鼓舞する姫君
積み上げられた真実
盲目に
だが
着実に
手繰り寄せる
森を外枠に添えて広がる草原。陽気な歓声がうおおおぉーっと湧き上がる。
商隊としてではなく、浮足立つ観客達。もはや目的は商売どころではない。
目が覚めるほど美しい女性と英雄の名を冠する青年の一騎打ち。目が離せようものか。
この場にいる者の誰も彼もが繰り広げられる攻防を目に、声援を送る。まさに目眩がしそうなほど目まぐるしい。
そしてクロトは、なかなか声変わりのこない白細い喉で息を呑む。
「す、すごい……。聖都でフィナセスさんに勝ったのを見てるけど……し、信じられない……」
喝采すら耳に入らないほど黒い瞳は、釘づけだった。
「相手はワーウルフですよ……? なのになんでまだ倒れてないんですか……?」
試合はおよそ乱打。避けるか、躱すか。打つか、襲撃するか。
こじんまりと体を縮めて青年が躱すと、女性はほくそ笑みまたも攻撃に打ってでる。
蹴りなら足を合わせ、拳は腕の長さを考慮するよう後方へ身を逃し最小限で避ける。
対して女性のほうは息もつかせぬ攻撃をごまんと乱射する。
蹴るし、掴むし、殴るし、殴られる。そのすべてが一瞬だ。謎の蒼が残影を空に刻む。
クロトの目には、もはや舞踏かなにかにしか見えないほどの超高速戦だった。
「お、おいあれって……本当にヒュームなのか?」
打撃がヒットするたび湧く歓声の中で、そう言う声が聞こえた。
少なくとも言ったのはヒュームではない。この場にいる最弱は己と彼だけ。
誰が言ったかわらかないから答えようがない。しかしクロトもまったくの同意見だった。
「ふ、フニーキさん……アナタって……いったい……」
そして言葉を詰まらせ、また息を呑む。
口のなかはカラカラに乾き、鼓動が早鐘を打つ。
足元は冷え冷えとしているのに、頭に近づくに連れてどんどん暑くなっていく。
ハードのピンでまとめられた前髪の下はじっとりと汗ばむも拭う余裕すらない。目が離せない。
この感覚をクロトは知っている。
あのとき、あの夜、あの場所で生まれた心の糧――欲望なのだと。
決して超えられぬと思っていた高い壁がガラガラと音を立てて崩れていくような。
触れられぬと諦めていた未知が眼の前にあるような。
ような、ようなと繰り返すたびクロトの頬が自然と緩んでいく。
固執したなにかが崩落する。
「すごい……! すごいすごいすごい……! まっこうから自分よりも強い相手に喰らいつくなんてっ!」
クロトは潰すように、押し上げられる胸元の境界辺りをぎゅぅ、と握り込んだ。
鼓舞する鼓動に手が震え、たわむ柔肉の下では高揚が抑えきれぬ。
「……僕じゃ……あんなふうになれないよね……」
顔には笑みと憧れを、手には嫉妬と双剣の柄を。
目に映す目標が巨大であればあるだけ、己の華奢さが恨めしい。
すると地に落ちた目線の先に、自分とは違う影が生えてくる。
「――なれるんじゃないです?」
声のした方角に急いで振り返ると、そこにはいつからいたのか剣聖が優雅にたたずんでいた。
「え、あっ!? け、けけけ、剣聖さま!?」
今目覚めたばかりか、目をグシグシとこすり、「ふぁ~っ」。ぽっかり口を丸く開いてあくびなんてしている。
突如現れた絶対的存在者にクロトは肝を冷やす。
なにせ相手はヒュームの身からすれば雲の上の天に届きうる存在。言葉を交わすことすらおこがましいのではないか。
しかし驚き以上に、彼には尋ねなければならないことがあった。
「あ、あの……。僕のさっき言ってたこと……き、聞いてました?」
「はい。まあ、勝手に聞こえてきただけですけど」
「そ、そうですか……」
金色の瞳は真っ直ぐ試合を見つめ、こちらをむこうともしない。
腰にかの者の打ったという剣を下げ、両手を下腹の辺りで添え、なにやら澄ましている。
「あ……あの……その……。っ……」
言われもない圧を感じ、クロトは押し黙ってしまう。
問いたいが、怖い。龍という強大な存在に対しての恐怖と萎縮。
「アナタはあんなふうになりたいんです? 明人さんのように?」
悩んでるさなか。まさか相手側から求めていた問いが語られるとは思うまい。
肉を弾ませ、クロトは瞬時にそちらを見る。
するとさも宝石のような美しき金色の眼がこちらを見据えていた。
「では質問です。明人さんとジャハルさん、アナタはどちらに勝ってほしいです?」
まるで吸い込まれてしまうような瞳から目を逸らし、クロトは試合にむき直る。
防戦いっぽうの彼は被害を最小限に押さえるので手一杯の様子。対してワーウルフの女性は無限とも思える体力差で押し切っている。
クロトには、お世辞にもフニーキの勝つ未来が予想できなかった。
「それはもちろんフニーキさんに勝ってほしいですけど……。たぶん……ワーウルフ族のかたが勝つかなって……」
「なぜそう思うんで?」
「だって……フニーキさん本気で闘ってないじゃないですか……。本気だったら……もっと勝ち目があったと思うんです」
「なるほど。まあ、そうですね。でもそれがあの人らしいんですよ」
すんなり彼の回答を受け入れるようなことを口にし、剣聖もまた試合の側にむき直す。
クロトは気づいている。 数回の立会を見ればおのずとわかってしまう。
フニーキは、あることを縛ったまま闘っている。
自身よりも数段格上の相手にもかかわらずに、だ。
「ふぅん、いい目をおもちのようですね。アクセナの言う通り、アナタに武の才覚があるというのはあながち冗談というわけではないみたいです」
剣聖が素っ気なくの言った意外な言葉に、クロトは目をぱちくりと瞬かせる。
と、同時にイカ腹を突きだしギザ歯でゲタゲタと笑う居候の顔が脳裏をよぎった。
ちっこい迷惑な居候、なれど剣の師匠。いちおう尊敬してなくもない存在。
クロトは、丸木の塀を背景に闘志を燃やすふたりを、再びとらえる。
もったいない評価を得たが、今は試合のほうが重要だった。
「剣聖さまは、もちろんフニーキさんに勝って欲しいですよね?」
そうやってなんとなく回答を期待せずに、尋ねてみる。
「私はどっちでもいいです。明人さんが勝っても、負けても」
「えっ……? な、なんでですか?」
ふたりで目を合わさず語り合ううちにもどんどんフニーキは追い詰められていく。
打たれるたびに蒼の飛沫を散らし、膝を折りかかるも即座に立ち直る。
もはやいっぽう的な消化試合。見ているこちらが失望を覚えるほどに、むごい。
「…………」
剣聖から問の答えは返ってこない。
奮闘する彼の姿をただじっ、と目に焼きつけている。
フニーキはどれほどの強打を受けても諦めない。
観衆から呆れぎみのため息が漏れ聞こえているだろうに、一切くじける様子もない。
ボロボロで、泥臭くて、どう言い繕っても敗色濃厚。それでも彼は前だけしかむいていない。
だからなんとなくクロトには、剣聖の思うつづきがわかった気がした。
「ああ、そっか。はは、確かに勝っても負けても両方お得みたいです」
その彼にとっては勇敢な背に学ぶことは多い。
あの夜も今も変わらず。
「なら僕も見習わないとですねっ! 鍛冶も、闘いも!」
クロトは、めかしこんだ顔に決意の表情を浮かべる。
白く頼りない手で拳を作りグッと力むと、少年の胸で隆起する柔らかな乳房が大きくたわんだ。
彼と同じく、とても単純だけどただ1つきりの目的を心のなかで掲げた。
……………
「ホラホラッ! 動きが鈍重になってきているぞッ!」
ジャハルは、達したような笑みで冷やかす。
部族敵紋様の掘られた外皮には、霧を吹いたような珠の汗に濡れている。
ずいぶんと薄着だが筋肉で引き締まった身体を飾るには丁度よい。
「ハァッ!!」
繰りだされる蹴りは、大槌だ。
「セィッ!!」
放たれ穿つ拳は、銃弾だ。
縦横無尽に手足を使って狼は、大舞台を立ち回る。
「貴様に攻撃を食らわすたびに下腹の奥底にくすぶる疼きが増す! このっ、この快楽を先を見たくてたまらない!」
その1撃1撃が対戦相手の体を打つたび、歓声やら一喜一憂やらのヤジが飛ぶ。
野性的な機敏さによって、四方八方からむけられる。さながら3次元的な強襲の嵐。
「ああ……滾る! 肉が喜ぶ! 乾いた欲望が満たされていく! 脳がひりひりしてどうにかなってしまいそうだ!」
1撃を繰りだすたびに、ジャハルの速度も比例して加速する。
肩を揺らし喉で息をしている割に留まることをしらない。まるでブレーキが壊れてしまったかのよう。
西日に輝く汗水が肌から離れて光をまとう。
鮫のような獰猛な目つきでの破顔一笑は、もはや狂気を孕む。
常識を覆すタガの外れた機敏な動きを追うのに手一杯。ジャハルの猛攻を受け、すでに明人のなかで時間という感覚は消滅した。
矢嵐のように襲いくる苦痛に、顔は苦悶を浮かべつつ、その動作をくまなく観察した。
行き着いた答えは1つきり。
――コイツ絶対性欲と戦意がごっちゃになってるだろ!?
クソの役にもたたない回答は、ただの行き止まりだった。
さてどうしたものか、明人はジャハルの攻撃に圧倒されながらも反撃の糸口を探す。
僅かくらいスキがあってもいいだろうに。しかし彼女は闘いのなかで学びながら恐ろしい速さで適応していってしまう。
はじめは攻撃の合間を縫って拳程度は当てることはできていた。が、今はもうそれすら難しい。
「――フッ!」
なんとか明人が目を凝らして打ちだせた弱々しい右の拳。
腰も入っていなければ、当たるという期待すらしていない。
「ッ、甘い! 貴様のその攻撃は既に見飽きている!」
狙いのむこう側は既に、虚空。
スカしたときの心中たるや、空虚だ。
当然打ったのならば引き戻すしかない。
その当然の動作に乗じて、尾っぽの毛束が眼前に迫ってくる。
「喰らえッ!! 秘技《尻尾キック》!!」
視界をクリーム色に占拠された明人の腹へ、ジャハルの回し蹴りがのめり込む。
「がッ――!」
口から唾液を、背から蒼が、飛沫を散らす。
名前はキュートだが威力は折り紙つき。スニーカーの靴底をザリザリ削りながら地面を文字通り草を舞い上げ滑走させられる。
喉の弁を閉ざされて呼吸困難に陥りながら、数メートルの後退。
距離が空いたことで攻撃の手が止まったとはいえど、明人に打つ手なしという状況はなにも変わっていない。
肉の鎧、それから超過技術のおかげもあってか、今のところまだ余裕もある。
だが、それでも確実に蓄積していくものがあった。
――クソッ……! なんで、なんでこんなに……疲れるんだ……!?
こちらも休憩なしとはいえ、それはジャハルも同じこと。
だが、可動の多いはずのあちら側に衰えは見られない。
対して明人の目には飛ぶ光の粒がちらほら。過労による目眩の症状が現れている。
「はぁ、はぁ、っ種族差ね……。忘れてたけど、ここまでとは……」
肺へ幾度も酸素をとりいれつつ、遠くのジャハルを下から睨みあげる。
煽情的でいて美しい彼女は、どうみても女性だった。
しかし対峙する明人にとっては、戦闘のプロ。もしくは豪腕のゴリラ。
しかも闘いかたは発情した犬が4足を使って跳ね回るかのよう。
良く言えば野性的、悪くいえば本能任せの考えなし。
「……貴様もか……。貴様も我を嫁に迎えようと挑んできた同種のオスたちと同じく、手心を加えるのだな……」
するとジャハルは、あれだけ機嫌の良かった尾をしゅんと垂らす。
嫁、なにやら闘いから遠そうな単語。
いっぽうで気絶したままの狼たちは、「せっせ、せっせ」と忙しないユエラによって治療されているところ。
なにかがワーウルフ族のなかで起こったと考えるのが普通だろう。それも親バカ狼――カラムが原因で。
「我が女だからか!? 女だから与える痛みを加減し、舐め腐るのか!?」
目尻を吊り上げ、ジャハルは吠えた。
まるで癇癪するかのよう身振り手振りを乱す。
「どいつもこいつもっ、父上ですらもだ!! 勝手に我の嫁ぎ先を定めても、なおだ!! あのように闘争に手抜きをし、ブザマな醜態を晒してくれた!! 誇りもなにもあったものではないではないか!!」
抗議の声が怒りやら流れぬていどの涙やらで染まる。
この辺りで明人は色々と察した。ワーウルフ族が純血を求めるもうひとつの理由に。
――あーあー……そういうことかい。戦争が終わってはじめて発情したお姫様の乙女チックなお悩みが原因かい……。
あくまでこれは明人の組み上げた過程だが、ジャハルは戦争しか知らない。
もっと掘り下げると、平和という環境に適応していない。はじめての安寧と発情の衝動を理解していない。
結果、このアリサマ。
――まあいいや。それはそれ、これはこれだ。だいいち気絶したカラムを叩き起こして聞けばいいし。
呼吸を整える時間を貰えた明人は、深く息を吐く。
過程がわかったとして幕が降ろされるわけではない。闘いも、問題も。
ジャハルは手を抜かれることを嫌っている。
「なぜ本気で我を屈させようとしない!? 今の立ち会いにだってワザとスキを作ってやったというのに、なぜソコを打ってこない!? 我が望むのはもっと誇りある敗北と勝利なのにッ!!」
そして明人もソレだけはしないと誓っている。
相手がどれだけ強かろうが女性の顔だけは狙わない、と。
そのかわり決めごとを盾に別の急所は容赦なく狙うが……。
だからまずは、得意な嘘をつくことにする。
成長途上な欲求不満の戦闘狂。お姫様の唯一つけ入れるかもしれない、スキを突くために。
「じゃあわかった。ジャハルがそこまで言うのなら正々堂々と。男も女も関係のない平等な勝負をしようじゃないか」
この勝負に願うは、勝利。たった1つのさも下らない、プライドとも言えない、わがままなソレ。
小さく脆弱だが確かに芽生えた勝ちの芽を、毟りとるために。
「はぁ……。そのかわりといってはなんだけど、オレもそろそろ体力の限界が近いんだ。だから……次の1撃でお互い全力をだしきろう」
関節に溜まった気泡をパキポキと鳴らしながら明人は、提案する。
回答を相手に尋ねるまでもない。
「単純だが面白いッ! その提案に、その意気込み! そうでなくては貴様ではない! その腐りきった悪だくみを渇望する我に見せてみろッ!!」
恍惚とした際立つ笑みと、間断なく左右往復する尾っぽを見れば、一目瞭然だった。
☆☆☆☆☆




