32話 ともあれ、彼女は初めての友だちで
ここはエーテル領である誘いの森にもっとも近いエルフの村”ウッドアイランド”。そして事件以降初めてユエラが立ち入ることを許可された街でもある。
道すがらワーカーのなかで明人が聞いた話では、今までは近郊の森でひっそりと魔草と金品の交換が行われていたという。
「ほらっ、目立つからちゃっちゃと行くわよっ」
ぷんすこブーツを鳴らしてユエラは歩き出す。
置いていかれぬよう明人も横並びになって、歩く。
若干の視線に晒されながらも周囲に目を見張れば、村とはいえそこらじゅうにエルフがいた。
耳長緑髪。些末な違いはあれどその特徴は似たりよったり。
隣で外套の裾をひらひらはためかせるユエラもやはりエルフなのだと再度認識させられた。
「村長の娘もさらわれていたからとはいえ、いきなり友好的になるなんて……げんきんだよねぇ」
「村長の娘を尊重したらそうなったんじゃない。っていうか村長の娘なんて大物を助けたんだから逆に当然だろうさ」
「……なんにしてもまあ嬉しい話だけどねぇ」
しかもその娘とは毎日欠かさず取り引き場所にやってきてユエラにチクチクと小さな嫌がらせをしていたとも聞いた。
きっと、今日はどんな嫌がらせをしてやろうと待ち構えていたところで救済の導に捕まったのだろう。
「それくらいひどい事件だったのよ。なかにはヒュームの世代が交代するまで捕まってた人もいたし」
「やっぱりその子たちも心無人に?」
心無人。ルスラウス世界で言う、心が壊れてしまった人たちの総称である。
地球の言葉に直せば重度の精神病患者と表現すれば一番近いのかもしれない。
人間と同様に考え行動する者たちにとって心や感情は切り離せないもの。精神的ショックや恐怖、そして魔法が原因でそうなってしまう者は異世界でも少なくはないらしい。
「そういう子もいたわ」
「……そっか」
明人とて楽観視していたわけではない。それでも現実を突きつけられれば多少は落ち込む。
「あっ! でもでも、ここウッドアイランドにはかなり長い間監禁されてたのに毛ほども気にしてないエルフもいるらしいわよ!」
声のトーンが下がったことに気づいたのか、どんよりと暗雲立ち込める空気を振り払うようにしてユエラは慌ただしくぱたぱたと両手を振った。
「あら?」
ふと、耳に入ってきた声。
見れば、ふたりの前で固まる赤い果実の詰まった袋を持ったエルフの少女がこちらを見ていた。
意外そうに新緑の双眸をぱちくり、と。時間が止まってしまったかの如く立ち止まってこちらを眺めている。
彼女は呆然と片手間でむしゃむしゃと果実を頬張り、顔が徐々に赤く染まっていく。
「う、う、うっ……」
少女は耳を高速で上下に動かし小動物のようにぷるぷると震えだした。
発作か何かだろうかと、明人は心配して歩み寄ってみる。
「だ、大丈夫ですかぁ……――いっだぁッ!」
直後、鼻先を捉えたのは齧りかけの赤い果実だった。
「ユエラ、じゃなかったかな……は、ハーフ! こ、ここ、こんな昼間から油を売っているなんて暇なのかなッ!」
異世界人が鼻を押さえて苔むした石畳に崩れ落ちる。
それを無視して少女は後ろにいるユエラを指差した。
「買い物よ。そういうシルルも買い物?」
「そうなのかなッ!」
明人は、鼻の奥にツンと襲いくる痛みで涙目になりながらもどっちだよッと心の中で呟く。
ハーフ、つまりは混血の意だ。抽象的というよりは差別的な呼び方をされてもユエラは気にした様子もなく微笑を浮かべている。慣れっこなのか、表に出していないだけなのか。
一方で、シルルと呼ばれた少女は頬を桜色に染めてふんすと鼻息荒く胸を張った。そしてここは店の並ぶ往来の中心。騒ぎを聞きつけてエルフたちが集まってくる。
「ん? んなッ――なんでヒュームがここにいるのかな!?」
緑色の硬い地面の上で丸くなっている明人を見て、シルルは体を強張らせた。
同様に周りのエルフたちもざわつきはじめる。
しかし、これは仕方のないこと。明人はふらふらと立ち上がり見れば、とり囲むはエルフたちの不安そうな表情だった。
解決されたとはいえ他種族拉致事件を起こしたのはヒュームだ。たとえ全体から見てひとつかみの悪人であろうと、一括りにされるのは生物の性というやつだ。
そんな様子に見兼ねたのかユエラはやれやれといった感じで深いため息をつく。
「これがこないだ教えてあげた人間よ。それでこの子が村長の娘のシルルよ」
「じゃ、じゃあこれが私を助けてくれた人ってやつなのかな!?」
一変して、彼女は大きな瞳を爛々と輝かせながらぐいっとこちらに顔を近づけてくる。
ふわりと。甘い果実のような香りと鼻先まで迫った。
明るい緑色の瞳にたじろぎつつ、女性慣れしていない明人は必死に言葉を探す。
「ど、どうも~……」
「ハッ! お父様よんでくるのかなっ!」
横をするリと抜けてシルルはどこかへと去っていく。
明人は心をナイフで抉られたが如く落ち込んだ。挨拶しただけでなにも親まで呼ばなくてもいいのではないか、と。
「ふふっ、あの子ね。初めてできたエルフの友だちなの」
闇堕ち間近の横でユエラは頬をほころばせ、風に消え入ってしまうかというほどに小さく呟く。
「……でも、ユエラのことをハーフって呼んでたよね? あれってある意味差別的ないみじゃないのかい?」
聞くのは野暮か、と思いつつも真意を確かめるべきだろう。なぜならわざわざエルフの村にふたりで出向いた理由のひとつでもあるのだから。
喧騒の波は引き、徐々に静まってまばらになっていく。
「前は、忌み子とか穢れって呼ばれてたわ。でもあの子あの事件から私のことを半分エルフって呼んでくれるようになったんだから」
その彩色異なる瞳は遠くなっていくシルルの背中を優しく見つめている。
そんなユエラを見て、明人も内側が暖かくなる思いで僅かに目を細めた。
足元に転がっている齧りかけの赤い果実に手を伸ばし、聞こえてくる声にその手がピタリと止まる。
「……忌み……よ」
「汚……わ……」
好奇の波が引いて残されたのは、湿り気を帯びた毒気だった。
ユエラがエルフたちの輪に加わるにはもう半分を埋めるための努力が必要のようだった。