319話 すると平穏による副作用
流浪の民が急場でこしらえそうなテントのなかは、やはりというか部族感が否めない。
エトリが土足で入っていくのを確認し、ぞろぞろと仕切りを潜り、敷居をまたぐ。
外のクモ糸だらけの世界と比べれば文化的ではある。しかしやはりいち種族の長が住むにはいささか貧相だ。
なんらかの骨やら動物の革やら。数珠でつないだ部屋飾りに、幾何学模様の敷物。
これで水晶玉なんてもってこられた日には、約6畳間ほどの広々とした占い屋になってしまう。
「よくぞおいでなさった。このような仮の拠点にお呼び立てして申し訳なく思う」
とびきり低い男の声。威厳や尊厳を孕むなかなかに深みのある音。
それが抑え気味に放たれると嫌でも鼓膜がびりりと揺らぐ。
暗がりの奥を見れば、なるほどと。明人も負けじと低く喉を唸らせた。
カミソリのようにギラギラとした目が幾数個、闇のなかにぼんやりと浮かぶ。
組んだ腕は筋がまとまってコブのようにたくましく、忍び装束の合わせから拝める体つきもかなりのもの。
「ここは争いを避けるために越してきた場。同種も足並みを揃えることで手一杯なのだ」
さらに「よくぞここがおわかりになりましたな」と、男は妖しく口角を引き上げた。
それから角ばった手で座るようこちらに進めてくる。
リリティアはともかく、ユエラはなにやらたどたどしい。
笹葉ような長耳をしゅんと垂らしている。気乗りしないのだろう。
それでもおずおずと硬めの敷物へ、外套をシーツ代わりに厚い臀部をストンと落とした。
「おりょ? ニーヤ殿はどこへいかれたのでござる?」
先んじて屋内に入ったエトリは、尻から糸をだし、天幕からぶらりぶらり。
彼女から降りたクロトも落ち着きなく、折った丸い膝の上に手をおいてちょこんと座っている。
「なんとっ。剣聖様だけでなくニーヤ様もおられるのか? して、いったいどこぞへ……」
男の声に微かな緊張が混ざるのがわかった。
種をまとめる長とて、国を挙げて神体と祀るニーヤの影響力に畏怖するのだろうか。
強ばる男をよそに明人は振り返るも、そこに影も形もありはしない。
「あぁ……。なかに入るときに体よく逃げたな、ちくしょう」
逃げたら逃げただけ立ちむかうのが辛くなるということに気づいていないのだろう。
ここにいるのが臆病者だからこそわかってやれることも多かった。
「ニーヤ様は、未だ拙僧らへ危害を加えたことをお悩みになっているのか?」
「まあ……」と踵を鳴らしながら明人も、設けられた話し合いの場へ歩み寄り、どっかと腰を下ろす。
意外と尻当たりが硬かった。治療モードのパイロットスーツに感謝するべきだろう。
「気後れ半分、苦心半分。もひとつよけいに気分屋ってところですね」
肘膝ついて軽くおどけてみせると、男も吊られるようにゆるく微笑む。
「……フフ、お変わりがないのならば喜ばしい限り。あのかたは自由でなくてはな」
彼女の近況を伝えると、男は僅かに硬くなった表情を和らげた。
目が慣れくると近づいたことも相まって、エトリの父親の全体像がぼんやり見えてくる。
半身は鍛え上げられた角ばった輪郭の男、そしてもう半身はおよそ歪だ。
「ね、ねえ。アンタ良く普通に話せるわね……? 蜘蛛とかって怖くないの……?」
手で覆いを作ったユエラは、しなだれかかるよう明人へ耳打ちをくれた。
そんな彼女の長耳はひょろひょろに垂れてしまっている。
「んー、まあおおかた予想通りかなぁ。というかエトリさんの父親だしねぇ」
「そ、そうなの? それにしたってアンタやけに慣れてる感よ?」
「まあ、ね。花よ姫よって感じの清潔な環境で育ったわけじゃないから」
「むぅ……?」と唸るユエラは、わりかしちゃんとした女の子だ。
甘いものが好きで、恋愛小説なんかも良く買い漁るし、服飾も進んでこなす。
多足の虫に対して嫌悪感があってもなんらオカシイことはない。だから男の半身に怯えてもしかたがない。
エトリの蜘蛛部分が小さくて愛らしいとすると、男の半身は些か巨大。
長き太きの8足は、重機のように野太く鋭い。鎌のように先端が鋭利な刃物のようになっており、撫でられたら首が落ちそうな形をしている。
そしてなにより自然界に順応するため進化したのであろう迷彩模様も、毒々しい。
族長と呼ぶにふさわしい、異様で不気味なデザインをしていた。
「おっとこれは失敬。紹介が遅れたようだ」
声を潜めるこちらになにを思ったのか、男は折っていた長い節足を立て、体を上へ上へと立ち上がる。
袖をバッサリと肩から切り落とした勇ましい風体。背に背負った片刃の剣のおさまった鞘。
そして濃い褐色の半身のアンバランスさたるや。身がすくみそうになる。
「拙僧はアラクネ族の頭領を務めている。アンダーソン・ツョモ・ランディーと申す。以後、お見知りおきを」
形式張った礼も、威厳あるものがするならばこれほど形になるとは。
武道を嗜むが如き気合の入れようで、無造作な頭頂部をいかんなく見せる90度の礼。
「舟生明人・L ・ドゥ・グランドウォーカーです。長ったらしいので明人って呼んでください」
気圧されるものか。明人も肩肘張ってどっしりと、礼をもって礼で返す。
剣のおさまった鞘ならばこちらも同じ、それも一級品だ。
「それー、次は左右に揺らしちゃいますよー」
「にょほほっ、その程度じゃ拙者の糸は切れないでござるよー」
「おぉ、本当に丈夫ですね。びよんびよんで楽しそうです」
そんな期待のリリティアは、天井から吊り下がったエトリを引っ張って遊んでいる。
真面目な場で彼女が真摯だったことがあるだろうか。少なくとも明人は、そんな場面にでくわしたことがない。
「あのー……ぼ、くからひとつ質問させてもらってもよろしいでしょうか?」
厳格な空気に水を差された明人とアンダーソンが見つめ合ったまま膠着していると、むっつりと黙り混んでいたクロトがおずおずと口を開いた。
膝に置いた手から上がった肩まで腕をピンと伸ばし、緊張至極といった様子。
明人が「クロ子です」と、いちおう補足しておくことも忘れない。
「ほう、なにかな? 清廉潔白を体現するが如き麗しきヒュームの少女よ」
半身が蜘蛛でも美醜の感覚は人間と変わらないようだ。
ふたりの構図としては蛇に睨まれた蛙――もとい大蜘蛛に見下された黒い子兎。
怯えた表情のクロトは額に冷や汗を浮かべつつも、アンダーソンを見上げる。
「あの、ちょっとこの村? に、入って思ったことがあるんですけども……」
そして心が挫けたか、明人にむかって視線をスライドさせた。
こんなに可愛いクロトに求められたら断れるはずがない。
「足がいっぱいでしたね!」
「ち、違いますっ! フニーキさんってそんなアホでしたっけ!?」
どうやら明人の見解は、クロトに求めらていた回答とは違ったようだ。
とはいえ明人とて気がつかぬはずがない。この洞窟最奥の村には、あるものが足りず、今がない。
そしてクロトは、ドレスワンピの裾を握りしめ、腕を組んで構える頭領をもう1度見上げる。
「な、なんで……っ、だってオカシイですっ。どうしてこの村にはアラクネ族しか住んでいないんですか?」
クロトの言う通り、この村に入って最奥に辿り着くまで同種のみしか発見できなかった。
呪い亡き今、この状況はルスラウス大陸的に異常だった。
対してアンダーソンは「……そうか」と、なにやらすべてを悟った様子で瞼を閉ざす。
「して、それを聞いてヌシらはどう動くつもりだ?」
「それ、は……その、お力になれれば……と思いまして……」
「……フム」
子兎を掴む鷹の如き厳しい眼差し、むけられたクロトの血色がみるみる引いていく。
援護するかしないか、関わるか関わらざるか。明人は素の状態になって空の見えぬ天を仰ぐ。
この場合の素というのは彼にとっての利己的な計算高さ。行動した結果に利益があるか、ないか。
ただ思考の通り道に、気に食わないという激情が芽生えつつもあった。
なにやってんだこのクソ狼どもが、と。
心の中でだがワーウルフ国たる狼一族へ、痰を飛ばす。
ともかく悩んだところでしょうがない。依頼も内容だけに、知らぬままとはいかない。
感情が明人の目にあふれた。丸めた背筋に、見上げる視線。ふちどり仄めく蒼。
「……これは驚いた。一切のマナをもたぬ怠惰なヒュームとは思っていたが、なかなかに良い目をする」
むけられた怒りの視線に、アンダーソンも口角を微かに吊り上げてほくそ笑む。
「あのバカ狼どもはなにをしてるんですか? きっちり統治してくれないと救ったかいがないんですよね」
「……良くやってくれてはいる。長年、国の頂点に立っていた信用が感じられるくらいにはな」
「じゃあなんでアンタらは……こんなワーウルフ領の端っこに越してきて、シェルターなんてものを作ってるんですか?」
「…………」
もはや談話ではなく対話だ。
睨みあげる不躾な明人に、アンダーソンも口を閉ざす。
火つけ役となったクロトも青ざめて1人とひとりを震えながら見守っている。
そして蚊帳の外になったリリティアとユエラは、ぶら下がったエトリを交互にパスしあって遊んでいる。
この洞窟を見つけたのは単なる偶然だ。偶然ワーカーで林をなぎ倒して走ってたらたまたまあっただけ。
明人たちは、ここがワーウルフ領であることに気づけなかった。それほどこの地はヒューム領近くの端の端に存在している。
さらにこの林奥にひっそりと忍んだ地は身を隠すにはもってこいの立地。
まるで戦火から逃げ惑うかのような、そんなアラクネ族の動向に不信を抱くには材料が充分すぎた。
「この国でなにかが起きている。不和、複合種を分裂させるほどの厄介事が。そうなんですよね?」
四の五の言わざずの直球で明人は確信を突きにかかった。
返ってきたのは沈黙。アンダーソンはチキチキと節足の関節を鳴らし、閉じた口から濁った太い音を奏でる。
「アンダーソンさん話していただけないでしょうか? ここには世界を救った英雄がいます。きっと力になれるはずです」
胸部を押し上げてやまない布地に手を埋め、クロトも説得に加わる。
関わる側だというのに、求めるように。どうしようもないお人好し。
「…………」
言いたいことは数あれど、明人も静観して回答を待つ。
どの道、聞かねば始まらない。伸るか反るかは、知ってからでも遅くはない。
「おそらくは時が――時期が、悪かったのだろうな。でなくばこのような最悪の事態に陥ることもなかったはずだ」
そしてアンダーソンはクロトに根負けしたか、粛々と語りだす。
「蒼よ、拙僧の愚痴を聞いては貰えぬか? この国に、平和がもたらした悲劇の顛末を」
頭領たる彼の口から語られるのは、戦後から今に至るまでの災難。
「我らワーウルフ国は未曾有の危機に貧している。その結果国の意見は2つに割かたれ、現在2つの派閥が睨み合いを繰り広げている状況だ。いつ争いになってもオカシクはない」
平和によって脅かされた複合種たちの、過酷な闘争の話。
「つまりだッ……! 平穏によって準備が整ってしまったのだッ……!」
わなわなと震えながらの明かされる凄惨たる現状。
この男気のあるアンダーソンですら動揺を隠せない様子だった。
そして遂に、目をクワッと剥いて衝撃の真実が発され、一党へ突きつけられる。
「それこそが平穏の副作用ッ! 安心と安寧によってもたらされた厄災ッ! ――獣種たちがいっせいに発情期を迎えてしまったのだァ!!」
だから明人は、とても帰りたくなった。
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