『※イラスト有り』315話 するといつしか輪が繋がる
旅行中に晴天を仰ぐと少しだけ情緒が違う。
日にぬくもった空気の味わいもさることながら夏に近づくと現れる立体感のある雲も美しい。
息を呑むよう壮大な景色に目を輝かせる。
賑やかな虫や鳥や民族きっとだってそうだ。生命があるからこそ人はそれらを見て、聞いて、心踊らす。
ここ、異世界のルスラウス大陸にももう幾ばくかで日本とは別の夏がきっと訪れる。
きっと。
ズン、ズン、ズン。
いつもよりも歩調を遅めに、宙間移民船造船用4脚型双腕重機は、今日も征く。
4脚の台座にパンパンに膨らんだ胴体部を載せ、両の腕先には汎用性のある2爪。
キラキラと透けて輝く湖畔を横目に、4つ足の動きも軽快だ。なにせ綿密なメンテナンスは毎日欠かされていない。
つぶらな5つ目も綺麗に磨かれ、関節部分の潤滑剤もいらぬほどたっぷり塗られている。
どうやっても手の加え入れられない内部機構以外は執拗なまでに整備済み。操縦士兼整備士の几帳面さがゆき届いていた。
そんな巨体から少しばかり離れた湖畔横では、商隊が列をなしている。
当たり前に未舗装で、轍の上を木の車輪がガタガタと荷が揺れけたたましい。
しかしなにもうるさいのはそれだけではない。
『ねーねー。この護衛報酬いくらだっけー?』
荷馬車の後部から白いローブを蹴るようにブーツを履いた細っこい足がぷらぷら。
指向性のマイクの方角をそちらにむければこの通り。およそ300メートルは離れた場所の会話もなんのその。
カメラをむければ画面越しに商隊の一党の観察なんてこともできてしまう。
『たしか、ひの、ふの、みー……で。前金と成功報酬を合わせて金貨が3枚と銀貨がそこそこだったか』
受け答えする大人びた声の女性は、退屈そうに荷台からあちがらわの湖を眺めていた。
隠す部分は隠すだけの超軽装具。肌を見せることをもろともしない勇気ある格好。
締まった二の腕に、割れた腹筋。それから女狐のような眼光。それだけで彼女が冒険者だと教えてくれている。
『まー、そんなもんかー』
比べてローブの少女はどこか垢抜けない。
しかし一党と連ねているのであれば、実力は語るまでもない。
『ワーウルフ領までの道すがらに稼げるのだからちょうどいい仕事だろう。ここらは魔物もそれほど強くはないしな』
『ふぁぁ……。だからかちょっと眠くなってきちゃったよー……』
油断しきった白ローブの少女が口をぽっかりと開き、伸びをした。
両手を空に押だし、だぼだぼの袖口がするりと肩に落ちる。
膨らみかけた半球と白くくぼんだ脇が横から顕になった。
『あまり気を抜くんじゃない。いちおう野盗やらもいるいうことを忘れるな』
『でもー? ……これよりは気を抜いてないよー?』
こちらからは見えぬ手すりの影を白ローブの少女はじろりと睨む。
大体の予想はつくというもの。なにせ先ほどから『ぐがー、すぴー』といういびきが操縦席のスピーカーを通して聞こえてきている。
『……』
『……』
じっとりと蔑むような目は銀の色。エーテル族の女性たちは、ふたりして影を睨む。
それから同時にコクリと頷き合い、屈んでそれを抱える。
『ぐおー、ぐがー』
拾い上げられてなおも銀の髪色をした短髪の男は起きる気配もない。
腰には大剣を帯び、顔立ちは精悍なのに虎のよう。とても勇ましい。
2度3度と、女性ふたりは強面の男をゆらり、ゆらりと揺らす。
『1名様途中下車しまーすっ!』
『そうらっ! 湖で顔でも洗って頭もいっしょに冷やしてくるんだなァ!』
そして鎧をまとった重量すらも感じさせぬほどに、無頼の男は空高くへ投げ捨てられた。
湖に真っ逆さま、水柱を上げての着水。きらきらと光る飛沫が散る。後につづくばちゃばちゃと忙しなく水を叩く音。
『――がばぶっ!? ごぼっ! て、敵襲かぁ!?』
『あはははっ! ざまーみろー! 仕事中の昼寝の罪は重いよー!』
『ふふんっ、油断大敵というやつだな』
そんな騒がしくも心穏やかな光景が繰り広げられ、他の者たちもどこか和やかに眺めている。
馬、ラバ、ロバに引かれる荷物はなにも商売道具だけではない。出張者や観光客も荷と共に運ぶ無駄のなさは商売屋の知恵だ。
しかも種々雑多になって列をなせば魔物だってたまにしか襲ってはこない。
つまり、いいことずくめ。だからこちらも遠間で便乗している。
日の加減から見て時刻は正中を少し過ぎた辺り。
雲よりも標高の高い山のてっぺんが見えるほど空気が澄み渡り、草原を撫でる風はふんわりと柔らかい。
自然の織りなす穏やかな風景に目を休め、昼食後ともなれば惰眠でも貪るが吉。たまの暇に、のんびりと歩くのだって悪くはない。
そしてあちら側が談笑の場とすれば、こちらの鈴を転がすような音も負けてはいない。
「わー! すごいですね! ユエラさんって薬師なんですか!?」
なんてパッと見、少女にしか見えない少年は、ハートの髪留めで流した横髪を抑えながら目を輝かせる。
いちおう少年というくくりではあるがクロト・ロガーの身なりは、黒のドレスワンピース。
胸部も大いに膨らみ、まさにたわわ。重機の歩みに合わせてふるふると波を打つ。
操縦室に垂れ下がった足の数は8本。どれもこれも白くすべらかでシミどころか毛のひとつも生えていない。
ストラップサンダル、手入れのいきとどいたブーツ、光沢のあるファンシーな黒のシューズ、鼻緒の草履。
読書に励む者、惰眠を貪る者。そして交友を深める者。
ワーカーの上部ハッチに腰かけた女性陣たちは、思い思いに旅路を楽しんでいるようだ。
「ふふ、まあねっ。そういうあなたがイェレスタムにいたってことは鍛冶師なの? そんなにかわいいのに?」
対してユエラ・L・フィーリク・ドゥ・アンダーウッドも相手が大嫌いなヒュームの男性であることに気づいていない様子。
どころかクロトの隣で仲睦まじげ。会話に花を咲かせている。
「あ、はい! まだまだ鍛冶師としての腕は低いですけど、双腕様の工房で使っていただいてますっ!」
「へぇー、よりにもよって双腕様の弟子なんだぁ。クロ子ちゃんってかわいい見た目の割にアクティブな子なのねぇ」
そう言ってユエラは羽織った外套をはらりとめくる。
もぞもぞと腰の巾着から焼き菓子をとりだし、「はいどうぞっ」とクロトに小さな手に渡した。
「なんです、これ?」と黒いショートヘアーを傾ける彼の前で、ユエラはひょいとクッキーを頬張る。
白頬を抑え「んーっ!」と至福の表情で咀嚼するユエラを交互に眺め、クロトも恐る恐るの体でクッキーをサクリと噛み締めた。
「うわぁ!? 甘くてサクサクして――美味しい!」
「でっしょー! これ、私の大好物なの!」
途端に淡くアイメイクの施された目がくりくりと見開かれる。
いつの世もどの世界でも――男だが――女性は甘いものが好きらしい。
「これなんていう食べ物なんですか!?」
「あまあまさくさくっていうのっ。聖都でもすっごく人気なのよ」
「へぇー! サナとルナにも食べさせてあげたいなぁ!」
旅の行程はおよそつつがないもの。なにせこの一党はクロトを除いて皆が大陸屈指のLクラスだ。
数々の戦場を渡り歩いてきた頂点が集結したとなれば、逆に苦労をするほうが難しい。
そんなふたりの対面に座しているのは大陸最強と謳われる剣聖――リリティア・L・ドゥ・ティールだ。
ブリッジをするような態勢で器用に寝コケる和装の少女の横で、なにやら本を睨みながら「むむむぅ……」としきりに唸っている。
「そういえばリリティアはさっきからなにを読んでるの?」
はちみつ色と若葉色の彩色異なる目を瞬かし、ユエラは興味津々と長耳をひくひくさせる。
「メリーから借りた本を読んでいるんです。……ふむぅ、なかなか勉強になりますね……」
リリティアが突きだしたハンドブックサイズの本。表紙からして、おそらく恋愛指南書か。
「へー、女王様から借りた本なんだ。私にも見せてー」
と、リリティアの隣に移動したユエラは、上部ハッチのフチにストンと肉厚の尻を下ろす。
それから目端の鋭い目を細め、行間だらけですかすかに書かれた本を見て、露骨に嫌そうな顔をする。
「ありのままの自分をぉ、愛してもらうためにするべき……胸キュンな振るまいかた? なによこれぇ?」
「そうなんです。メリーが言うには男性を虜にする色々な手段が書かれているらしいんです」
「なーんかうさんくさーい……」
ユエラの険の入った渋顔もいとわず、リリティアは本に食い入るかのよう。
こくりこくりとブロンドの頭を縦に振ると、大きな三つ編みの根本に結われた青いリボンがはたはたと蝶のように羽ばたく。
身に帯びるのは白き龍と呼ばれる彼女の鱗。質素なれど清潔感のある、飾り気はないが優美な純白のドレス。
ドレスに貧相さはないが、やはりどうあっても胸部の一部分だけは殺伐としている。
「まず意中の男性と趣味を合わせる。男はそれだけでとぅんく、してイチコロらしいです」
「なによその……どぅんく、って? 動詞なの?」
「さらに意中の男性と隠しごとを共有する。男はそれだけでゾッコンらしいです」
「もうちょっと詳しい説明ってないの? 男ってなにをやってもそんな簡単に落ちちゃうわけ?」
こまごまとしたユエラの突っ込みにもリリティアは動じる様子がない。
長いドレススカートを蹴るように足を交互に振り、さながら本の虫となっている。
「この趣味を合わせるという部分は難しいですぅ……。私は物づくりはあまり得意じゃないんですよねぇ……」
するとここでようやく1枚のチョコレートクッキーを食べ終えたクロトがおずおずと控えめに挙手をした。
「物づくりが好きなかたって……それ、フニーキさんのことですか?」
申し訳なさそうに肩をすくめ、そうすると豊満な実りがぎゅっと寄り谷間が深まる。
リリティアは目端を痙攣させながら「ほーぅ?」と上から見下す。
金の瞳が睨む先にあるのはクロトではない。豊胸の薬によって得たクロトの豊満なバストだ。
あちらが大艦巨砲であるのであれば、リリティアは砂上の楼閣といえよう。勝ち目はない。
返答しない代わりに今にも膝上に寝かせてある剣を引き抜き兼ねない、そんな険悪なムード。
ぱたん、と。両手で本を閉じたリリティアは、次いでクロトの腰の辺りを睨んだ。
「……双剣ですか」
丸白い膝が見えるほどのスカートの上には、クロトもまたリリティアと同じよう武器をもっている。
中途半端な長さの剣がふた振り、鞘におさめられて置かれている。
ダガーはもちろんのこと短剣にしては長く、長剣にしては短い。そんな本当に中途半端な剣が2本。
こほんと慎ましやかに咳をしたリリティアは、閉じた本を墓剣ヴェルヴァの乗った膝上に置いた。
「私、双剣を使うかたに1度お聞きしたいことがあったのですが――なぜ重さと長さという利点を捨ててまで扱うにも関わらず、同じ剣を両手にもつんです?」
普段よりも冷たくも凛とした声が、重機の鼓動をも縫って紡がれた。
問われたクロトは、一瞬だけひくっ、と身を強張らせたがそれまで。
自身の膝上だけの1点をただ見つめ、目を文字通り白黒させたまま静止してしまう。
「そうか……2振りの剣で別属性の……いや、それならもっと……」
口では声ならぬ声をブツブツと呟き、なにかを考察するかのようにグロスで潤う唇を手で覆った。
ズン、ズン、ズン。
揺らぐ機体で、仰ぐ空は丸く切りとられている。
久しぶりに3面モニター中央上下にあるモニターも起動させ、いつもより操縦席は少し明るい。
昼下がりの語らいに耳を傾けつつ、あくびをしていた操縦士は、スニーカーで静かにブレーキを踏む。
――ん? この匂い……。
すんすん、と鼻を鳴らす。
操縦席特有の嗅ぎ慣れた重油と鉄の臭いに、別のエッセンスが混ざってくる。
おそらくは風が土の濡れる匂いを運んでいるのだろう。アスファルトからは香らぬ不思議な匂い。
これを察することこそ田舎出身者特有の察知能力だった。
クロトが早く馴染むよう行末を見守っていたが、未だ道半ば。焦らずともじきに慣れるはず。
そう見た舟生明人・L・ドゥ・グランドウォーカーは、上の女性たちに語りかける。
「おーい、おしめりくるからどっかで雨宿りするよー」
ワーカーは球体だ。球体だからワーカーを屋根代わりにはできない。
かといって狭苦しい操縦席に女性たちを招けば、操縦士は半自動的に下敷きになる。
だからこその雨宿り。急ぐ旅でもない、のんびりで構わない。
「あとリリティアはクロ子のことをあんまりイジメるんじゃないよー」
「むーっ! いじめてないですぅー」とふてくされ気味のリリティアをよそに、明人は重機の転回レバーを倒す。
北をむいたワーカーのモニターに映しだされた霊峰タカタカヤマヤマこそ目的地への目印。熱帯でいて密林のエルフ領とはまた文明の異なるワーウルフ領だ。
とてもセンスがあるとは思えぬダサい名称については、もうなにかを言う者はいない。
そして霊峰のむこう側から墨を垂らしたような漆黒の雲が押し迫ってきている。
旅の目的は、とりあえず近辺で洞窟やらを探すことに移行した。
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