31話 ともあれ、彼女にとっては宝物
「ぷヒぇ~」
晩の残り香が漂うリビングに腑抜けた吐息が吹き抜けた。
蝋燭の光に映しだされた風呂上がりのリリティアはテーブルにだらしなく顎を乗せ、垂れている。
「……寝起きじゃなくてもこうなるのかぁ」
もうもう上気した肌から甘い香りを立ち昇らせながら至福の表情を浮かべる剣聖。ときおり、口から空気の抜けるような息をはきだす。
身を乗り出して頬を突ついてやれば、弾力のあるもちもちした柔らかさ。
「ふあぁ~」
「えっ、これまさか……モロー反射だと?」
「こらこら遊ばないの」
その後ろではリリティアと同じようなデザインのネグリジェを身に纏ったユエラは彼女の髪を丁寧に櫛で梳かしている。
時間がゆっくりと流れていくような就寝前の団欒風景だった。
普段ならばユエラが深夜にエルフの街へ出かけてしまう都合上、こんな機会は極稀ではある。だから今日はふたりで仲睦まじく夜をともにするという話だ。
当然、いつものようにひとり寂しく寝袋に入る予定の明人は、頭の後ろで手を組んでそんなふたりの様子を眺めた。
「こうして見ると、ふたりとも姉妹っぽいね」
「そう?」
明人の客観的な意見に、手は休めず視線だけをこちらにむけてくるユエラ。火に照らされた表情は心なしか柔らかい。
ちらりと。目だけでいつもと異なった恰好をしているリリティアとユエラのいち部分を見比べてみる。大なり小なり。
「うーん、未だにリリティアを女だと思ってないけどさ」
「逆にコレが男だと思えるほうがスゴイと思うんだけど……」
「ふひぇ~」
2ヶ月、同居していても未だ謎多き剣聖と呼ばれる目の前の大福まんじゅう。
彼女は、明人に語らない。種族も年齢も性別も、彼女個人に関わる情報はほぼほぼ伏せられている。つまり、お得意の自分で調べろということだろう。
とはいえ、エーテル領に住む権利を取得していたことを明人に伏せていたことが起因して前回の誘拐騒動の一端を担ってしまったことは、猛省しているようではある。
「そういえば、ストーカー被害は減ったわけ?」
ユエラは長耳をぴこりと天井にむけて話題を持ちかけてくる。
「ん、たまーに兆候があるくらいかな」
心の中で平和だな、などと噛み締めつつ明人もテーブルの上に両腕をだらしなく放ってみる。
テーブルに置かれた黄色の焔が心地よく、疲労が体にじんわり広がっていくのがわかった。
明人が改めてこの家に居つくこととなった数日はなかなかに酷いものだった。屋外は護衛という役割で寛容にするとして、屋内でもずっと金色の影がつきまとうという恐怖。
風呂トイレ就寝構わずどこにでもリリティアはストーカーの如く神出鬼没に現れるのだ。
かといって、やんわり注意をすれば雨に濡れた子犬のようにしょげるのだからたちが悪い。
ぱっと見で器量のよい美人。しかし、こういった積み重ねが明人のなかで燻るリリティア性別不明説を色濃くしている。
「……そういえばさ」
ユエラが唐突にまどろむ明人の方を見た。
「んー?」
うとうと、と。重くなった瞼と格闘していると耳に届いた消えてしまいそうな小さな声だった。
「明人って器用だし裁縫とかできたりする? エプロン作って欲しいんだけど」
明人にも彼女のような長耳がついていたらぴくりと動いていたかもしれない。
起き上がって声のした方角に首を回す。すると、いつの間にか大福まんじゅうの髪を梳かし終えたユエラが横に立っていた。
その彼女の腕と程よく育った胸に抱きしめられた1枚の布切れ。襤褸とまでは言わないが、ところどころにほつれや穴を修復した後が見られる。
「作れるとは思うけど……上手くできるかわからないし買ったほうがいいんじゃないかな?」
これは謙遜などではなく、人しか縫ったことのない明人にとって裁縫は新境地。つまり自信がない。
「私だって買ってあげたわよ……。でも、リリティアってばコレが良いって言って買ったやつを着てくれないのよ」
消え入りそうな声で、ユエラはリリティアのエプロンをぎゅっと抱きしめる。
そんな表情に影を落とす彼女の様子を見て明人にも察しがついた。
「なるほどね。リリティアにとってはソレが思い出の品ってことね」
「そう、なのかしら? もう6年も昔にあげたやつなのよ」
リリティアにとっての宝物。つまり、お世辞にもパッチワークと呼べる代物ではない布はユエラからのプレゼントということ。
ときに仲の良い姉妹のように、ときに心のかよった親友のように、ときに母と子のように。互いにぐるぐると設定の変わるふたり。
果たしてその隙間に異物が入り込んで良いものかと、明人は顎に手を当てて考える。
「じゃあもう一度自分で作ってみよう。そうしよう」
そして天才的発想が舞い込んできた。
手作りがいいのであればまた手作りしてしまえばリリティアも喜ぶはず、と。
「で、でも私器用じゃないし……」
そんなことは知っている。普段の素行や部屋の散らかり具合からみてユエラがかなり大雑把であることを雑用係である明人が知らぬはずがない。なぜならその尻拭いをするのが明人の役目なのだから。
「オレも手伝うよ。だから、ユエラも休みだし明日買い物に行こうっ――よし、じゃあ耳貸して」
「え? あ、う、うん」
ユエラは戸惑いつつもおずおずとその長耳をこちらに傾ける。そして当人に気づかれぬよう伝わる大作戦の概要。
驚きすくむユエラをよそに明人はいたずらにニヤリと笑った。