29話 それならよかっ――グホォッ!!
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痺れて身動きがとれないというユエラのために明人は操縦室でワーカーを操っていた。
そして震えていた。猛烈に渦巻く怒りという感情が冷め、残ったのは身も縮むほどの恐怖。身の丈に合わない行動の反動が安全な今になって揺り返しとなり襲い掛かってきたのだ。
「ね、ねえ……これって寒くて震えてるの? 恥ずかしいけど上着返すわよ?」
膝の上で丸くなっていたユエラは、羽織っている黒いジャケットの襟をきゅっと掴む。並大抵ではない揺れに気づかないわけがない。膝に乗ったボールのように丸とした柔らかな臀部でその痙攣の如き振動を味わっているのだから。
「だだだ大丈夫だだかららら」
「なんでこんなに震えてるのに真顔なのよっ! っていうか、私も怖かったのに私よりアンタ……明人が怯えてるっておかしいじゃないっ!」
竹色をした艶のある髪から立ち昇る柑橘系と汗の入り混じったとても甘い香りが漂ってきた。
膝の上には少女がいて胸元を大きく引き裂かれ新雪の如き肌をちらりと覗かせている。
ビビリとて明人もまた男性の端くれである。意識したら象徴たる野獣の目覚めは止められない。
恐れの本能と性の衝動が螺旋のように重なり合い、明人は闘いが未だ終わっていないことを知る。なぜユエラはジッパーを閉めないのか。
「んっ――んぁぅっ! ちょっ、いい加減にッ!」
艶めかしい矯正と、もうひとつ、鉄を叩く鈍い音が一人用の狭くるしい操縦室に響いた。
外へと繋がる上部ハッチから、夜を背景にしてリリティアがひょっこりと顔を見せている。
「わっ、私もなかに入っちゃダメですかっ!? すごくそこ乗ってみたいんですけど!?」
ふんすふんすと鼻息荒く目を輝かせていた。
「……なか……はいる……?」
「むりむりっ! ふたりでもキツキツなんだから! リリティアまで入ってきたらぎゅうぎゅうになっちゃうわよ!」
「……きつ……きつ……?」
他種族誘拐事件はエルフによる救出部隊とリリティア、明人、ユエラの活躍によって幕を閉じた。
救済の導の数は男性を中心としたおよそ50名以上の下位。そしてそれをすべて殺さずに捕縛してしまった前線帰りのエルフたちと、剣聖リリティア。
これには明人もさすがの手腕と手放しで喜びたかったが、問題は被害者の数だった。
地下に囚われていた女性の数は100を越える。大半を占めていたのは耳長のエルフだったが、幼い身なりのドワーフ、獣の耳を生やしたワーウルフなどが数人。
彼女たちは襤褸と穢れを身にまといながら地獄から引き上げられたことに涙した。
しかし、そうでないものもいた。入るだの無理だのとかしましい2人に問いかける。
「ねえ、あの子たちってさ……どうなるの?」
鬱蒼と茂る森を二分するかの如くなぎ倒された木々を、重機で再度踏み荒らす。
自然破壊もはなはだしいが、これはすでに復路。レールのように道なりに行けばサラサララの群生地へ繋がる。
「おそらくは、数日後に本国への引き渡しが始まるでしょうね」
問いに応じてくれたのはワーカーの頭に乗ったリリティア。エンジンの唸り声のなかですら凛とした声がよく響く。
「あの薬やら魔法で……心無人になった子たちも?」
「はい……。でも、故郷で治療に励めばきっと回復するはずですよ」
どこか励ますような口調の言葉が優しい嘘か真実か、今は確かめようがない。
ただ彼女たちのために祈ることしかできないというのが、どうにも歯痒かった。
「でも救われた子も大勢いるわ」
ふと、異なる彩色の瞳がこちらを見上げている。心を見透かすような琥珀とエメラルド色の潤んだ瞳。
「私だってアンタ……明人がいなかったらそうなってたの、かも……」
そう言って、顔を背けたハーフエルフは、ワーカーを操る明人の腹を座椅子替わりにするかの如く寄りかかる。一応、明人を勇気づけているのだろう。ぴこぴこと長耳がしきりに視界の端で上下する。
それを見て、明人はうちに宿る淀んだ気持ちをため息に変えた。
「ハァ……疲れたな」
「そうね」
後はリリティアの家まで彼女を送り届ければさようならだ。
本当ならば、エルフ領とドワーフ領の国境ぞいであるあの場で分かれてドワーフ領へむかえば効率的ではあった。しかし、送ってほしいというユエラの何気ない願いをすんなりと聞き入れてしまった。
それは、サラサララで涙するリリティアを見てしまったからだろうか。女の子と狭い操縦室で密着できるからだろうか。
答えは、否。ふたりと離れた際に覚えた孤独を秋と自身が忘れられなかったから。
穏やかに上下するユエラの呼吸に合わせて、明人も背もたれにだらしなく寄りかかる。
上を見れば、まんべんなく散りばめられた星と目を細めて微笑むリリティアいる。草原で泣いた白鳥がもう笑ったとでもいえばいいのだろうか。
「ん? というか、なんでオレ死んだことにされてたの?」
天から保護者のような顔で眺めていた笑顔がピシリと凍りつく。
「ただの勘違いよ。アンタ……明人と分かれてびゃんびゃん泣いてたんだから」
「再会したときもびゃんびゃん泣いてた――グホォッ!!」
衝撃のリリティアダイブ。2人分の重みに内蔵が押しつぶされるようだ。
そして、操縦室に一切の隙間が消えた瞬間でもある。
「げほッ――ちょっと! 重いってばぁ!」
くんずほぐれつ、男ひとりに女ひとりと性別不詳。酸素の足りない操縦室は瞬く間にむせ返るような熱気に包まれる。
「帰りますよっ! 我が家にっ!」
薄れゆく意識のなか、4脚ワーカーの容赦ない揺れと2人分の重みで尻が持つのだろうかと、己の身を案じる。
不思議と明人の震えはいつの間にか止まっていた。
「そういえばユエラ、アナタ毒消しもってますよね?」
「なっ! ももも、もってないっ!!」
2章 あの子の日常、この子の悩み、そしてオレは工事をしよう END