28話 【VS.】うつろいゆく道理に没す 下位の男 2
あとがきにモチーフイラストが貼ってあります
この物語をプロットにおこしているときに夢で見た光景です
もしよろしければ絵の感想など頂ければ幸いです
※自分で描いたわけではありません
隙を突いて、男が口にした囁くような詠唱。
見れば、明人たちと自身を遮るかの如く、薄く透明な壁が男との間に隔たりとなって存在していた。
色形や大きさの規模は弱々しいが、これは以前明人が聖都でみた|《聖壁》《テルプロテクト》に酷似していた。ともすれば、これは魔法によって作られた防壁か。
明人は警戒して、よろよろと立ち上がる血塗れの顔をサイト越しに覗く。
「なんの真似だ? 往生際が悪いな?」
明人の問いに対して、男はひしゃげた鼻を袖で拭いその彫り込まれたような深い顔の皺をいっそう際立たせる。
「その子は私の夢なんだ。私の短い人生でもう一度この手で奇跡が起こせるとは思えないんだよ。だから……ひとりで逃げるくらいならばキミの魂を輪廻へと導こう」
そう言って、男はこちらにむかって手を掲げた。
闘って勝ちとるという意思だろう。救済の導と呼ばれる一団を己の快楽を満たすだけの犯罪者集団だと勘違いしていたことを明人は知る。ここには確固たる信念があった。他者の入る余地がないほどに純粋で、下位を尊ぶひとりの男がいた。
明人は肺いっぱいに溜まった酸素を吐き出して、銃を下ろす。
「あ、あきと?」
それを見てなにを思ったのか、ユエラは顔の筋肉を痙攣させるように怯えた表情をでこちらを見てくる。まるで捨てられてしまった子犬のような瞳。
そんな彼女を無視するかのように男を真っ直ぐに見つめて明人は言い切る。
「オレは、その夢を否定しない。アンタもまあ色々覚悟を決めた上でこんなだいそれたことをしているんだろうしさ」
「……お? おおっ! おお、わかってもらえるのかい? 下位の若者よ!」
男は歓喜するかの如くぶるりとその身を震わせた。
「キミには才能がある! その鉄巨大といい、キミはきっと下位の英雄として私とともに未来に名を残すことだろう!」
男の調子づいた様子を見て、ベッドに横たわるユエラの前へと明人は回り込むように躍り出る。
「ただ……――もうひとつの夢はどうなる?」
「む?」
異世界からやってきた青年、明人は、1ヶ月という短い時間ではあるものの彼女の血の滲むような努力を見てきた。
「毎日必死になってエルフのために尽くしてきた女の子の夢はどうなるんだ?」
いつ始まったのか、そしていつ終わるのかもわからない迷宮のような世界。それでも願い、走りつづけた少女の姿を忘れようはずもない。
前線から送られてきた救出部隊のエルフは言っていた。戦争が終わればユエラの名を公表して街に帰れるようにとりなすと。
「光を求めて手を伸ばして、届かなくても追いかけつづけた一途なユエラの夢をお前の一方的な夢で閉ざすっていうのか?」
明人は、ずっと見てきた。斧を振るう自分の背後で願いをこめた薬草を作るユエラの姿を。
だからこそ明人は彼女の妨げにならぬよう家をでると決めたのだ。
だからこそ、この作戦の実行に至ったといえよう。
「そんな個人の抱く矮小な夢が、この私の夢と比べるまでもないだろう」
男は、やれやれとでも言いたげに肩を竦ませた。
しかし、明人は引かない。男に詰め寄らんばかりに、睨みつける。
「なるさ。形の見えない夢なんてたかが個人の願望にすぎない。判断するのは客観的な立場にいる第三者だ」
人の夢と自身の夢。なにをもってして優劣を決めるのか。小さな願いと大きな野望。それは己の世界だけ置かれている目標という名の宝物。しかし逆をいえば理解のない他からしてみればただのゴミクズ同然の代物。明人からみた男の願望はいうまでもない。
「それにユエラの願いは誰も傷つけなかった。屍の上に立ってるアンタと、エルフたちの幸福を願うユエラ。ハハハッ、どっちを守るべきだろう?」
明人は外套のポケットに手を突っ込んで、男を挑発するように笑う。一方では興ざめでもしたのか、冷然と佇むだけ。
心臓は張り裂けそうなほどに収縮と拡張を繰り返す。
「オレは下位じゃない。人間だ」
血の巡りが悪くなった踵で床を叩いてみる。まだ動く。
「あと、ユエラは物じゃない。使うってなんだ? この変態ジジイがッ」
凍りつくように冷え切った右手で肩に下げられた銃を掴もうとすると指の根が笑えるほどに軋んだ。
明人は誰よりも死を恐れる。死から逃げた結果、ここにいる。ただし、例外は存在する。
ガラスのような障壁越しに、男の痩せこけた手の筋肉が蠢いたのを見逃さない。
明人が恐怖を振り切るかのように斜めに駆けるのと同タイミングで男は明人にむかって手をかざす。
あらかじめ準備しておいた外套のポケットに入っているワーカーのリモコンのスイッチを押す。
「ウェイクアップッ!! ワーカーッ!!」
唸り声と共に穴蔵のそこから覗きこむが如く待機していたワーカーが息を吹き返す。そして、部屋全体が清らかな白色に様変わりした。
「ぐゥッ! 同じ手をそうなんども!」
動からの静とは逆の、静からの動。
男が魔法で攻撃するためには手をかざして狙いをつけるアクションが必要だろう。ならば、芸はなくともよくきく。
姿勢は床と並行になるくらいに低くとって、それでも相手からは決して目を逸らさず。明人は障壁を躱して男の懐に潜り込むと銃を突きつけた。
「矢如きでッ! 私の夢はついえなァァァい!!」
男は開かれた片手を銃口の前に、もう片方を明人の頭部に狙いを定める。
「もっとエゲツナイものが飛び出すぞ」
「知れたことを! ローフレイ――」
唱え終わる直前、指を引き絞ると耳をつんざく発砲の音が鳴り響いた。
火薬によって弾かれた鉛玉の群れは男の腹部を下から抉るように穿ち、赤によって彩られる。
男の口からごぼりと漏れたねばつく液体は明人の頬を掠め、床にびたびたと大きな染みを作った。
「ば、かな……」
倒れる男をすくい上げるようにして、その腕でしっかと抱きかかえる。
そして息が浅くなっていく男を床に寝かせると琥珀のように輝く瞳が閉じきるまで、明人は静かに見守り、追悼する。
「他者のために罪を背負って生きた勇敢な下位の男。せめて……安らかに……眠れ」
この男によって絶望を植え付けられた者は少なくないだろう。
それでも、明人は彼を憎まない。
なぜならたった今、死をもってその償いを終えたのだから。




