25話 宙間移民船造船用 4脚型双腕重機《ワーカー》
襲撃の朝からどれほどの時間が経っただろう。
「うっ……あ……」
未だ鈍い痺れを残して、泡立つように中身の飛び出した埃臭いベッドでユエラは苦しみ喘いだ。
重い瞼を瞬かせながらやっとの思いで開いてみれば、見覚えのある朽ちて壁紙の剥げた天井が視界に入ってくる。
帰ってきてしまった。そしてこれは運命なのかもしれないと、ユエラの頬から一筋の涙が流れて落ちた。
ギギギと。立て付けの悪い扉の開く音と共にひとりの男が部屋に入ってくる。
「よく眠れたかい?」
以前、ユエラがこの男の顔を見たのは7年前。そのときよりも顔には明らかに深い皺が刻まれている。
ルスラウス大陸において、下位の老化の早さはどの種族よりも顕著だ。
「最悪の目覚めよ。アンタが今すぐ目の前でくたばってくれれば少しは気が晴れるのだけど」
強がってみるも、この薬品臭い部屋にいるのは両手両足を縛られて横たわる少女と男だけ。
どちらが優位かは疑う余地もないだろう。
「昔から疑問だったんだけど、アンタたちはなにが目的なの?」
名も知らぬされど網膜にこびりつくほどに記憶に刻みこまれた顔だった。
ユエラは、ひとつの決断を下す前にどうしても救済の導の目的を知っておきたかった。
「む? ああ、簡単な話だよ。種の存続だ」
「……? 種の存続って勝手に増えればいいじゃない。アンタらの虫みたいな繁殖力なら簡単じゃない?」
下位は他の種族よりも寿命が短い。それは欠陥であるようで実はそうではない。
他種族は長寿であるがゆえに10年以上を費やしてようやくその身に子を宿す。それがルスラウス神の敷いた、道理。
逆に下位は、ひと月足らずで子を宿す。弱いが、多い。質より量なのだと、ユエラが穿った考え方で下位を見ているのも事実ではある。
「もし、だ。輪廻流れに沿う魂の数が減っていたとしたら、どうなると思うかね?」
どこか愉快そうにほくそ笑む男の顔がどうしてもユエラの気分を害してならなかった。
それにこの下衆と問答をする理由もないだろう。怒りに満ち満ちた鋭い眼光でユエラは男を睨みつける。
「なにが言いたいのかハッキリ言って」
「私たち下位に与えられる魂の数が目に見えて減っているんだ。初めはただの異常かと思っていたが……」
そして男は彼女の太ももの間に手を添えると、その柔肌の手触りを楽しむように撫でさする。
「つッ――! イヤっ!! 触らないでッ!!」
あまりの嫌悪感に虫唾が走り、身を捩って抵抗するも男が手を止める様子はない。
その手は艶めかしい体のラインをなぞるようにしだいに上へ上へと伸びていく。
「しかしこれは、他種族によって差別されつづける我々への試練だということに気がついたんだ」
この男はすでに狂っている。己で生み出した狂信的な考えに囚われているだけの滑稽な阿呆だと。
もともとルスラウス大陸を征服して、他種族を服従させようとしたのは下位種だ。今はあるべき姿に戻ったにすぎない。そして愚かで醜い下位に平等を与える必要もない。
男の手は胸までいたり、おもむろにユエラの服に手をかけると、破り捨てる。線になって差し込む月明かりの糸が、晒された白く豊満な胸元を照らした。
「な、なにすんのよっ! ――ッ!」
男はユエラに馬乗りになると下卑だ笑みを顔中に貼りつけた。
「だから私はキミを作ったんだ。我々、救済の導は気が遠くなるほどの年月をかけて他種族の女を攫ってきた。そして、ようやく奇跡を完成させたのだ」
引き出せる情報はこのていどか、ここらが潮時か。
こんな男に体を好きにさせながら生きるくらいならば、この身を焼いて幕を引くほうがましだ、と。
後ろ手に縛られているユエラは、恐怖した少女の役を下り、唱えた。綿花のごとく咲いた寝床はさぞ燃えるだろう。
「《フレイム》ッ!!! ……え?」
サッと、血の気が引いていくのがわかった。
その魔法の言葉はがらんのような静寂に木霊して、消失する。
「《フレイム》! 《フレイム》! な、なんで!? なんででないのよッ!」
ユエラは、青ざめた顔で死に物狂いに魔法を唱えるも発現しない。
ふと、握りしめた自身の指になにかがはめ込まれていること気づく。
「ああ、そうだ。言い忘れていた」
男はその脂ぎった顔に愉悦の表情を浮かべて、いい放った。
「ふふふふふっ……! 痺れていて気づかなかったかい? キミの指には、とある神より賜りし宝物の模造品をつけさせて貰ったよ。大切な実験体に死なれては困るからねぇ!」
そう言って男は、唾を撒き散らしながらゲタゲタと天井が震えるが如く笑い声を上げた。
神より賜りし宝物。またの名をアーティファクト。
それは神によって選出された王族が子孫へと引き継いでいくとされる伝説級の代物のはず。
決して観衆に晒すことはなく、宝物庫の奥深くで新たな王が玉座につくまで眠りつづけているはず。
そんなものをなぜ。ユエラは絶望のさなかに身を落としたかの如く錯乱した頭で考えるも、この先につづく漆黒の未来しか想像できなかった。
「いやよ……こんなのイヤッ!! こんなの! こんな終わり方は……ひっ!!」
歯の根を鳴らしてまるで駄々をこねる子供のようにいやいやと首を横に振るユエラ。
男は目を細めて彼女の頬を優しく撫でる。
「終わりではないのだよ……。これは混血による繁栄。下位の血の入ったキミは、下位である我々の母となるんだ。その生涯を終えるまで一生ね」
「うっ、ぐすっ……ひっく……いやぁだぁぁぁ……」
縛られたままであふれる涙を拭うこともできず、ユエラは喉から絞り出すように悲痛な叫びを上げることしかできなかった。
「さぁ! 新世界を我らと共に――」
勝ちどきを上げ、広げられていく男の両腕がふいにピタリと、静止した。
『さ――ルフのみな――もご――緒――』
小さな小さな、とぎれとぎれの雑音が聞こえてくる。
『――らは――ジス――けっし――♪』
「なんだこれは? ……歌、か?」
しだいに大きくなっていく反吐がでるほどに不快な。
音程の外れた鼓舞の歌は水の膜を通したようにくぐもっている。
徐々に広がる大地の振動は、机に置かれている薬瓶の中身を波立たせた。
音の出処は2箇所。1箇所は木板の打ちつけられた窓の外。そして、もう1箇所は床に投げ捨てられているユエラの外套のポケットから聞こえてきていた。
『――清き――に心――めて♪』
はらはらと。天井から木くずが粉のようにこぼれ落ち、ユエラと男に降り注ぐ。
『――たーちをぶっと――せ♪』
雑音はもはや騒音と呼べるよどに巨大に。鼓膜を引っ掻き回すような声と、救いの導たちが発していると思わしき喧騒が壁のむこうから聞こえてくる。
『まぁーるいボディはオレらの剣♪』
ズズズズン、ズズズズンと。
リズムを刻めば、それに合わせて部屋のなかのものが宙に彷徨い床に散らばっていく。
「……この声!」
ユエラはこの声を知っていた。
突然降って湧いたように思い出の場所に転がり込んできたひとりの人間という種族と言い張る、嫌いだけど憎めない青年がいた。
窓や壁の隙間から漏れる目の眩むような希望の光はユエラにとってあまりに強く、乱雑な部屋をまるで昼間の如く映し出してしまう。
やがて地震はピタリと止まり、熱気と、腹の底に響くような重い脈動だけが残った。
草原ではなく、この壁にむこうにアレが威風堂々と佇んでいる。そう、ユエラには確信があった。
『――解体工事を始めようか』
なお、みんなは歌ってくれなかったようです。