22話
パンパンに膨らんだ鞄を背負ったユエラは、矢の如く森を駆ける。
この鞄は先日リリティアがエーテルの聖都で購入してきたものだ。夜闇に包まれ視覚が失われいたとしても感覚の鋭いエルフの彼女には関係がない。前髪に垂れた小さな三つ編みを子供のワーウルフの尻尾のように小刻みに揺らして風を切る。
森の人と呼ばれるエルフにとって自然とは己の一部であると考えている。その上、自然魔法を得意とする彼女に至っては彼女自身が自然と化すことさえ可能だ。
混血種。種族と種族の境界が奇跡的にまじわったことで生まれた希少種。ルスラウスの定義では”世界の不調や忌み子と呼ばれ文字通り忌み嫌われる存在だが、2種の力を兼ね備えているため能力は他の追随を許さないほどに優秀。
そしてもちろんそれはハーフエルフにも当てはまってしまう。
ユエラは体を覆う膜が薄くなっていることに気づき、羽織っているマントの隙間から手を抜き出し細長い指を星の下にかざす。
「流石に街まではまだ3回は重ねないとダメね。《強化支援》!」
彼女の頭上に現れた水鏡のような魔力の塊がゆっくりと年齢のわりに育ちのいい体を包んでいく。そして息をつく間もなく、ユエラは地面を蹴った。
中級の支援魔法だった。彼女は普段からこの魔法を身体能力の向上として使用している。
この魔法がなければ、晩のうちに誘いの森からエルフ領に辿り着くことすら困難だろう。
「ったく……リリティアったらバカなんだから……」
家での光景が脳裏をよぎりユエラは、ぎりっと歯を鳴らす。
リリティアが初めて涙を見せたあの夜から2日が経った。
彼がつね日頃から肩に下げていた黒い筒からは火薬と鉛の臭いがしていたらしい。そして、火薬の発破音があのタイミングで聞こえたということは、つまりそういうことだ。
それからというものリリティアは趣味であった料理ですら手につかず、剣すらまともに握っていない。そんな彼女を心配をしてユエラも声をかけてはみるが、リリティアは泣き腫らした目をほんのりと細めて微笑むだけ。
それが彼女にはどうにも気にくわなくて、面白くなくて、腹立たしい。
「ほんっっっとにっ!! 最低ねッ!!」
腸が煮えくり返る思いで、憂さ晴らしに十分に助走のついた拳でなんの罪もない木を殴りつけて、また走り出す。
ユエラの怒りの出どころは、いつまでも落ち込んでいるリリティアに限った話ではない。当然、あの人間という不可思議な種族の男にもむけられている。怒りの度合いがリリティアに対して百だとすると、明人はそれを億倍にした程度か。
わざわざ仲間の形見を使ってまで井戸なんてフザけたものを庭に置いていったフザけた男。生活する上で水の供給な魔法を唱えればいいだけの話。それをまるで”自分がここにいた証のように、井戸を残していった。
あの男のことがユエラには許せなかった。
「だめだめっ……集中しなきゃ!」
間もなく、誘いの森からエルフ領の森に差し掛かる。
ユエラは自身の頬を張って気を引き締めると、魔草の取引場所を目指した。
取引場所といっても景色になんら変化はなく、そこはただの鬱蒼と茂る森の中央。しいて上げるとするならば人が座れる大きさの切り株があるということくらいか。
近頃、西方のカカココ山に住むドワーフと大樹ユグドラシルの根に住むエルフの戦争が激化しているという噂も耳にする。ならば前線では多くの兵たちが命を落としているだろう。それでも大切な薬を持ったユエラは、街に近づくことすら許されない。こうしてエルフ領内で自由に行動できるようになっただけでもかなりの進歩ではあるが、彼女の夢である”エルフたちに認められる”にはまだ時間がかかりそうだった。
取引の場に着くやいなやユエラは異変を察知する。普段ならばいけ好かない女性のエルフが金貨と魔草を強引に交換して帰っていくのだが。
「アナタ、いつものエルフじゃないわね」
注意深く距離をとって、目深にフードを被ったエルフに問いかける。
ここでエルフだとわかったのは、フードが横に開いていたからだ。ユエラと同じエルフの特徴である長耳。
切り株に腰掛けたその背は丸い曲線を描くよう。エルフは立ち上がりおもむろに頭を覆っていた布をどける。
「ああ。彼女には少し問題が発生した。だから俺が魔草の受け取り役を引き受けた」
エルフの男。その顔は傷が無数にあるものの、凹凸がくっきりしており美男というよりはひとつの岩のような雄々しさを醸し出している。
しかし、たとえ同種でも異性であることに変わりはない。それもここは薄い氷のような寒さの立ち込める夜の森。ユエラは鞄を手にもって魔草の詰まった袋をとりだし、それを注意深く足元に置く。
「今日の分の魔草はこのなかに入っているからもっていって。それと、お礼の金貨もいらないから」
ピシャリと。ユエラはマントを翻す。
彼女にははじめから金品なんて必要はなかった。それでも以前までの女エルフは必ず押し付けてきた。だから彼女もリリティアに押し付ける。どうせ今回の彼もそうなのだろうと、押し付けられる前にユエラは早急にこの場を去ろうとしていた。
これはただの魔草の譲渡。ここれからユエラは明日の譲渡にむけて材料を採取しながらリリティアの待つ家に帰る。
それが日常で、そして、つい最近までは非日常だった。満面の笑みの男が家で自分を待っているという状況こそが、異常だったのだ。
「少し俺に付き合ってはくれないだろうか。自然魔法使い(ネイチャーマジシャン)よ」
地を揺るがすような低い男の声。
「ッ!」
ユエラの過去、自身が受けた迫害と暴力の記憶が脳内を駆け巡った。
しかし、今のユエラには力がある。別の道を見出さなければ同じ場所をぐるぐると回り続けることになる。たとえこの男が暴漢にと化して襲いかかってくるのならば、魔法で逃げ延びることくらいはできるはず。
なぜならここは森で、自分は”自然魔法使い”なのだから。そうやって自身の心に言い聞かせ、ユエラは意を決して振り返る。
「内容によるわね」
そのくびれた腰に手を添え、ほどよく育った胸を張り、ユエラは自信満々に男エルフに言い放った。
媚びへつらうのではなく、実力で認めさせる。ゆえに彼女は気高く生きる。
「ムッ? ああ、すまない。ただの世間話なのだが……付き合ってはもらえないだろうか?」
ピクリと。ユエラは長耳を揺らして、小首を傾げた。
「…………んぅ~?」
【ゆえに彼女は気高く生きる!】