21話 さよなら
彼女は日常に飽いていた。
だから、変化を求めたのかもしれない。
そんな彼女の前に現れた異世界の青年。舟生明人は、繰り返されるだけの毎日驚くほどのたくさんの刺激を与えてくれた。
鋼鉄の巨人に異世界の技術。見慣れた風景を巧みに模様替えしてしまうような器用さも兼ね備えており、リリティアにとって明人と過ごしたこの1ヶ月は華やかに彩られていた。だからリリティアは、ユエラにしたことと同じように彼を家族として迎えるつもりだった。もしかしたらあまり接したことのない異性ということも関係していたのかもしれない。
だからリリティアは彼に衣食住と自身の知識が詰まった本を与えた。退屈せぬよう、辛い過去を思い出させぬよう仕事も与えた。そして、聖都で彼を2人の王に謁見させたのは、上位の民になるための通過儀礼。剣聖の権力を使って裏で手を回し、ルスラウスで人間という新たな種として生きる権利も与えた。
それほどまでにリリティアにとって明人という異世界人はとても興味深い存在だった。
「それじゃあ短い間でしたが、お世話になりました」
明人は、ワーカーの足元でこちらにむかって姿勢を正し丁寧に感謝を告げてくる
しかし彼は、リリティアが差し伸べた手をとろうとはしなかった。
夕暮れの風吹きすさぶサラサララの草原。すでに日は木々に隠れ、対の空には蒼の月が顔を覗かせている。
最後の刻まで奮闘して彼は別れの証である不格好な井戸を完成させてしまった。だからリリティアも、明人の確固たる意思を汲み取って彼の選んだ道を阻まなかった。
「明人さんは……これからどこへいくおつもりなんです?」
ちくりと痛む薄い胸を押さえながらリリティアは、尋ねた。
「ドワーフの国に行ってコイツの技術を売る代わりに住む場所と仕事を貰おうと思ってる」
そう言って、明人は木の幹のように野太い鋼鉄の巨人の足を手の甲で扉をノックするように叩く。
リリティアが書いてあげた本を読んで勉強したのだろう。確かに、種族間の差別などを気にせず発展だけを重んじるドワーフ種にとって異世界の技術の塊は黄金どころの騒ぎではない。それに様々な知識を有する明人ならばきっと職人気質のドワーフたちともうまくやれるだろう。
彼の理にかないすぎている計画を聞いて、リリティアは思わず口を閉ざす。もし万が一にでも、行かないで欲しいと言えたなら彼はどうするのだろう。
「じゃあ、また……」
その最後を聞きたくなくて思わず手を伸ばしかけるが、なぜか明人も言いかけた言葉を飲み込むようにして口ごもりこちらに背を向ける。
それを終の希望だと意を決して彼の背中にその手を伸ばす。
「いや……たぶんさようならかな」
明人はこちらに振り返えると乾いたように微笑んでみせる。
「まあ、友達の墓ができるまではここにいると思うから」
リリティアは彼が振り返る直前に戻した手を握りしめ、明人はもう家に戻るつもりがないのだと理解した。
「ユエラ、リリティア、今日まで本当にありがとう」
その霞んで消えてしまうような儚い笑顔をもって、リリティアは彼に別れを告げる。
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夜の帳が下りた森を足早に歩く2つの影。その速さはもはや走っているといっても差し障りない。
「ちょっ――ねえッ! リリティア! アンタはそれでいいの!?」
うつむくリリティアによって、無理やり手を引かれたユエラは声を荒げる。
「私に気を使ってるのなら今すぐ引き返してあのバカを連れ戻すわよ!」
「彼は彼の道を歩もうとしているのです。私に止める権利はないのです」
ユエラを最も気にかけていたのは明人なのだとリリティアは把握している。そして、決断したのも彼自身。いまさらリリティアがどうこう言える立場ではない。
しかし、それでも胸のなかでもやもやと燻る得体の知れない感情にリリティアは困惑していた。
「なんなのよ! 居て欲しいのなら正直に言えばよかったじゃない! 私だって――」
その瞬間、後方からパンと。一度だけ、なにかが炸裂するような音が脳を揺さぶった。
「――ッ!!!」
その音は尾を引くように木霊して、やがて闇の渦巻く森に消えていく。長い時間を生きた彼女にとって最悪の惨痛を残して。
一刻も早くこの場から距離をとるためにリリティアは歩幅を広げる。
胃にこみ上げる不快感を感じて唇を噛み締めた。歯は肉にまで達し、鈍い鉄の味が口のなかに広がっていく。
「な、なに……? 今のッ――」
「振り返らないでッッッ!!!!!」
「ッ!」
普段の心がけている穏やかな口調を崩して悲鳴のように叫ぶリリティアの姿に驚いたのか、繋いだユエラの手が稲妻に打たれたかの如く震える。
「帰るんですッ! 私たちは日常に戻るんです! 起きて食べて寝て、時々嫌なことがあって……それでも悩んで、泣いて、笑って…………そんな、そんな日常に…………」
心にもないことを口にするたびにリリティアの足は少しづつ重くなっていく。
彼は救われる道ではなく自身で歩む道を選んだと考えていた。怪我を治して巣立っていく1羽の鳥を惜しみながらも見送っただけ。
しかし、それがリリティアにとっての誤算であり失態だった。きっと明人は2人に救われてからもずっと自身を責め続けていたのだ。笑顔を貼り付けて周りに気取られぬよう。悩み苦しんだ末に導き出した答えが、この結末。リリティアがやったことは、ただいたずらに罪を背負ってもがく時間を引き伸ばしただけ。
鉛のように動かなくなった足を止めて天に意識をむければ、ふいに天蓋のむこうを彩る星々が少しだけ遠くなった。
幼いユエラを拾ったときと同様、明人に対して抱いていたものは単なる好奇心だったはず。
「なんっ、で……こんなっ……こんなこと! わたしは、ただっ……貴方にっわらって、ほしかったっ……だけ、なのにっ……!」
帯のように差し込んだ月の光を孕んで頬から流れ落ちる涙は、静かにルスラウスの大地へと還っていく。
金色の瞳をルビーのような激情の紅に染めて、リリティアは初めて自身が彼に抱いていた本当の感情を無意識に言い当てることができた。
こんなことになるのならば彼と出会うべきではなかったのだ。こんな結末を迎えるのならば。
きっと彼女が心の底で明人とユエラに求めていたのは今は亡き家族だったのだ、と。
【完】
嘘です。
つづきます。




