20話 それならこの世界に井戸を掘るしかないッ!
翌日、まだ日の昇りきらない早朝。
灰青色におぼめく空の下、風呂釜の番をしているユエラが見守る先で、明人は一心不乱に汗を流す。
奇行に|励む居候の男が1人ほど。こちらに訝しげな視線を送るユエラは、ほどよく育った胸を押し上げるかの如く腕を組む。
「ふぅん、修理は終わったんだ。……で? なんで穴掘りなわけ?」
「よっ、ほっ、っとぉ! ……ふぅ、井戸を掘ってるんだ」
明人は額に浮かんだ汗を拭い、晴れやかに笑顔で答えてみせる。
「井戸って、あの井戸?」
「そう、手押しのポンプの井戸を作るんだ。今よりもっと家事がやりやすくなるはずだよ」
これが明人の考えたふたりに贈る最初で最後のプレゼントだった。
明人が出ていってしまえば、ユエラが毎朝リリティアを風呂に入れなければならない。しかし、川が近場にあるとはいえ片道10分ほどは掛かる距離を歩かされることになってしまう。疲れて帰ってきた女の子がそんな重労働をするとなれば不憫でならない。
だからこそ明人は井戸という発想にたどり着いたのだった。
「ところで、昨日まで作ってたものはどうしたの? ふぅんっ、あれだけ大口たたいておいて投げ出したってことかしら」
ユエラはロッジにあったはずの作りかけの木棚がないことに気づいたらしい。
明人を品定めするかの如く、しかしどこか愉快そうに目を細める。
「部屋に設置済みだよ。掃除も済ませた」
見損なわないで欲しい。
そう、目の下にクマを作った明人もうっすらと口角を吊り上げて、その挑戦を受けた。
「え? う、うそっ?」
表情を崩して呆けるユエラの見て、明人は勝ちを確信する。
実は明人は昨日から一睡もしていない。サラサララの群生地で天啓を受けた後、護衛のリリティアに土下座をしてまで木棚を完成させた。そして、部屋の清掃と、持って帰ってきた使えそうな設計図でポンプを組み上げれば、おのずとユエラの帰宅時間となる。
井戸を製作するという発想は、多少の強硬手段すらいとわないほどに天才的な発想だと明人は考えている。
「部屋のなかにあったものは綺麗に整えたつもりだけど、物の位置は自分で把握しておいてねー」
「う、うん。わ、わかった」
珍しくユエラの戸惑う顔が拝見できて気分が良くなり、明人の体に力が漲ってくる。
そのあり余った力をシャベルを通して発揮し、地面を掘り進めた。
水脈を掘り当てたらパイプを垂直に埋め、簡素な手作りポンプの弁を手動で動かし、水を汲み上げる。ワーカーの常備品である予備バッテリーと小型の溶接機も運び出したので件のポンプはユエラの出かけている夜のうちに完成させれば問題ない。屋内作業でリリティアには申し訳ないが、きっとあの寝起きの悪さならばそう簡単に起きることもないだろう。
ただ、問題がひとつあるとするならば水脈の当て方を知らないことか。
事実、今もただ掘っているだけだ。掘っていればそのうち水脈にいずれ辿り着くだろうと、脳筋をその身で体現している。
それでも2人のために明人は無我夢中になって庭先を掘った。
「ここから出ていったら多分、アンタ死ぬわよ?」
「ふっ、ふっ、はっ」
「魔法も使えないんでしょ? あーあ、下位以下じゃない。絶対に死ぬわ」
穴の外から憎まれ口を言うユエラを無視して明人はどんどん湿った土の匂いに包まれていく。
彼女にしては珍しく、やけに突っかかってくる。普段ならば、こちらから話かけても罵倒か舌打ちしか帰ってこないものだが。
今現在、下位は戦争に負けてエーテルの奴隷に成り下がったものと、どこかで息を潜めているものの2種類に分かれているらしい。しかし、その目撃情報は年々少なくなっているようだ。隠れるのが上手くなったのか、はたまた種としての数が減少しているのかまではわからないとリリティアはいう。
あれほど下位に関して口をつぐんでいた彼女がこうもあっさり情報を漏らしてくれたのは、引き止めるのを諦めたからに違いない。
「チッ、無視すんなっ!」
耳馴染みのある舌打ちが上方向から聞こえてくる。
そろそろ掘り当てられてもいい頃合いではないだろうか。なんて、明人は汗を滴らせながら妨害者を見上げる。
なぜ彼女はこれほどまでに噛み付いてくるのだろう。下位とエルフのハーフであり、そのどちらからも差別されて生きてきた彼女が人間である明人を止める理由なぞあろうはずもない。
「パンツ見えてるよ」
「――んなっ!」
ユエラが飛び退くのを確かめて、明人は穴をよじ登る。青ばんでいたはずの空はすっかり夜を追い出して、燐光の如く森の朝靄がまばゆく煌めいていた。
「変態ッ!」
スカートの裾を押さえながらその切れ長の目をさらに鋭くして、初心な少女のようにこちらを睨むユエラ。
変態とはよくいう。その今日履いている薄緑色の薄布も自身の手によって洗濯されていることを知っているだろうに。男所帯で育った明人には女心が理解できず、渋い顔で髪を掻き上げた。
「自惚れてたらごめん。もしかしてオレを止めようとしてくれてるの?」
「…………そんなことないわ。ありえない」
そう言って、ユエラはどこかバツが悪そうにこちらから視線を逸らしてしまう。わかりきっていたことだ。彼女には人を、下位を憎むべき理由があるのだから。
とうとう最後まで彼女とは仲良くなれそうにないようで、明人は欠片程度の無念を胸に微笑んだ。それでいい。君にとって心地よい場所に勝手に入りこんだのは自分なのだから、と。
魔法によって轟々と衰えることなく炎を上げる薪がパチンと弾けた。きっと、なかの風呂釜はグツグツに煮だっているはず。
「さ、今日はここまでにしよう。あと少しで水脈だろうし」
ならば、そろそろリリティアを起こす時間だ。明人は汗でベタベタになった衣服を脱いでデッキの階段に足をかける。
「多分まだまだよ。アンタの掘ってた場所は水の精霊の気配が弱いもの」
ボソリと。ユエラ発信の衝撃が明人の背中を貫いた。
錆びついたブリキのおもちゃのようにギギギと鈍い音をたてながら振り返る。
「マジ?」
「マジよ」
明人は、より一層ここから出ていく覚悟を固めた。
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