2話 ともかく好奇心が勝ちました
腰に帯びた剣を抜剣できるよう柄に手を添え、リリティアは森を切り裂くように下生えを蹴りこんで駆ける。
横に並ぶユエラも息は上がっているようだが、前開きのローブの裾から白く細い足を繰り出してしっかりとついてきている。やはり森のエルフの血が流れているだけはあって身のこなしも軽やか。
あれだけの揺れが起こったというのにも関わらずマナの乱れが感じられない。森の精霊達もすでに平穏を取り戻していた。
足元で地震系統の魔法を発動したときのものと同等の揺れ。ならば、距離から推測するに最上級クラスの魔法であることは間違いない。
降り注ぐ天災、《極級隕鉄》の可能性すらありえた。
あるいは山すら灰燼と成す《極級発破》か、文明すらも消し飛ばす《超級崩震》か。
伝え聞く大魔法の名が頭のなかでぽつぽつと泡のように浮かび上がっては弾けて消える。
――マナを使用した形跡がないならば魔法の可能性は皆無ですか……。
リリティアは焦燥に駆られつつ眉根をうんとしかめた。
魔法とは体内マナと環境マナのどちらかを消費して、属性に合った精霊に呼びかけ初めて発現可能な能力。上位の魔法使いが体内マナを使ったとするならば必然的に体内マナのカスが周囲に残る。逆に環境マナを使用したとすれば周囲の環境マナのが気配が一時的に消える。
つまり現状はそのどちらでもないということ。
「はぁはぁ……ねえ! いったいなにがおきてるの!?」
違和感に苛まれていると、風を切る音に混じってユエラの声が途切れ途切れに耳に入ってくる。
「わかりません。私もそこそこ長く生きていますがこんなことは初めてです」
「そこそこじゃないと思――あっ! おいてかないでよぉ!」
ユエラの無神経な受け答えにリリティアは軽くムッとして足に力を篭めて駆ければ、泣き言がいともたやすく遠ざかっていく。
女性として生きる上で歩んできた年月というものには誰しもが触れてほしくない話題だろう。リリティアに至っては種の長命さも相まってその感情がだいぶ強い。
リリティアは逸れた意識を戻す。これは魔法ではなく技術と考えるべきだろうと。手先の器用なドワーフ族か知識に秀でた下位の襲撃。
考慮するもやはりその可能性すら薄い。技術大国であるドワーフの国は遠方。政や策に疎い彼らでもわざわざ戦争中の隣国を跨いでまで遠方の地を攻撃するほど愚かではないだろうし、過去に世界の覇権を握る一歩手前までに至った下位がその猛威を振るうことは、もうありえない。
種族間の戦争はリリティアにとって些細なこと。干渉するにいたらない蚊帳の外のできごと同然。しかし、その火の粉が自身、ましてやユエラに降りかかるとあれば見過ごすわけにはいかなかった。
これ以上彼女が不幸になることがリリティアにとってはなによりも許しがたいことだった。
森の奥が黄金色にひらけていくのを捉え、速度を緩めればなびいていた髪がふわりと頬を撫でる。数秒の後、ほうほうの体で追いついてくるユエラ。
「警戒を。戦闘になるようであれば私から離れないようにしてください」
「はぁはぁ……げほっ……う、うん。わ、わかった」
切りそろえた前髪を額に張り付かせて息を荒らげるユエラに注意を促し、彼女が頷くのを横目で確認して草原へ足を踏み入れる。
先ほどまでの天蓋のような葉に代わって、透きとおるような青が空いっぱいに広がった。大地には穂をたくわえたサラサララと呼ばれる穀物が群生しており、その光景はさながら黄金の絨毯。陽によって常に乾燥しているこの植物は風が吹き抜けるたびたゆたうようにして頭を摺り合わせ、さざ波の如く揺らげばさらさらと心地の良い音を奏でる。
そして、草原の中央にそれはいた。佇んでいたと言い換えてもいい。
「あれは……いったい……」
丸く、巨大で、鈍い光沢を帯びたソレは、生物を模したのか両の腕が生えており2本の指で物を挟める作りをしている。
1体の巨大。その周囲には色味の似た無数の鉄くずが乱雑に転がっている。
「土巨大……じゃないわね。見た感じだと鉄巨大かしら?」
ユエラのあっけにとられたようだった。
リリティアも確かにそう見えなくもないと一瞬同意しかけるも、やはり納得がいかない。
地精に呼びかけて土を組み上げる魔法ならばマナを感じとれるはず。つまりこれは物理的に作られたなにか。
散らばる破片を横目に得体も知れない物体へ歩みよってみれば、ひと目見てわかるほどに発達した技術の結晶。街の家ほどの巨体が歴戦の勇士の如く頂点に達した陽光を浴びて銅の色を滲ませている。
まるで巨岩でも降ってきたかのよう抉られた地面を見れば一目瞭然。これが落ちてきたとみて間違いない。
「どうやら死んでるみたいね?」
ユエラは恐る恐るその巨体の足に触れる。
「ユエラ! 不用意な行動はつつしんでください!」
不用心なユエラをこの謎の物体から引き離そうと飛び、リリティアは黒い物体が足元で呻いていることに気づく。
「ぐ……あっ……」
その耳は丸かった。
サラサララに埋もれるようにして横たわる影がひとつほど。
「――っ!」
リリティアは即座に剣を鞘から引き抜き、青年の首に突き付けた。
「え、なに? ――って、これ生きてるの!?」
「……そのようですね」
なぎ倒されたサラサララの道筋を辿る。この青年は4つ足の下部、中央にぽっかりと空いた穴からここまで這ってきたようだった。途中で意識を手放してしまったのか、青年はボロボロになって苦痛に満ちた表情で僅かに呻くばかり。
前開きの黒い羽織りには合わせの部分に紐ではなく小さな棘が等間隔に並んでいて、下には薄い青色で厚手のものを履いている。
長く生きたリリティアですら見たこともない奇抜な格好と得体も知れぬ技術の巨大。
「ユエラ、彼の治療をお願いしてもいいですか?」
「嫌! 下位に使うマナも薬草もないわ! コイツラに私がどれだけ苦渋を舐めさせられていると思ってるのよ!」
ダメもとで尋ねてみたものの、予想通りの反応だった。
彼女にとって下位は等しく悪ということ。きっかけがなければ一生許すことはないはず。
ならば取るべき手段はひとつだった。
「ちょ、ちょっとリリティア!? なにしてんのよ!」
あわてふためくユエラをよそに、リリティアは麗しい頬に悪戯っぽい微笑を浮かべる
そして青年をひょいと軽々抱え上げてしまう。
「これもきっとなにかの縁です。連れて帰って私が治療します」
そう言って背負っているにも関わらず、行きと比べて倍の速度で駆けだす。
「嘘でしょ!? あ、まってってば!」
飽々するほどに平穏だった日常。それが名実ともに音をたてて崩れた気さえした。
変化をもたらすのは繋がりであるということを知っている。
リリティアにとってこの不思議な格好をした少年との出会いは運命的で、どうしようもなく心躍るものだった。