18話 それなら彼は修理を急ぐべきだ
植物を乾燥させてできた繊維の固まりで皿をこすり、満たされた瓶から水を掬って皿を濯ぐ。
初めは四苦八苦していた皿洗いも持ち前の器用さでこなしていく。
この世界に水道と呼べるだけの代物があるのだろうか。少なくともこの瓶の水は今朝方明人が洗濯のついでに川で汲んできたもの。
――なんだかんだいってもそれが重労働なんだよなぁ。
最後の1枚を清潔な布で吹き上げ、食器棚にしまえば朝食の処理は終了。
とはいえ、今は森がもっとも明るくなる時間帯。木々は真上から降り注ぐ陽を蓄えるように青々とした葉を鳴らす。早朝に帰宅し日の高いうちから眠ってしまうユエラと寝起きが絶望的なリリティアが揃って食事をできるタイミングはあまりに短い。そうなれば朝食が昼になってしまうのも仕方のないことだった。
「ねえ、アンタいつここから出ていくつもり?」
明人が手を拭きながら窓を覗いていると耳に入ってくる声。
見れば、いつも格好でテーブルに頬杖をつくユエラがいた。こちらとは目を合わせず、指先で自身のなめらかな髪を弄んでいる。
「ワーカーの修理が済んだら出ていくつもりだよ。だから、もう少しだけ待ってもらえるかな?」
「あっそ」
「明日には棚を完成させるからさ」
「……」
ユエラからの返事はない。
ただつまらなさそうに毛先の束を手慰んでいる。どうやらこれで会話は終わりのようだ。
リリティアとともに森を歩いたあの夜から1ヶ月、明人は旅立ちの決断をした。
もちろんここは明人にとって居心地がいい場所だ。それはもう地球の世界よりも。
ただ、これ以上他人の稼いだ金で食事をして無償の宿を提供してもらうのは肩身が狭く、人に頼り切ってしまうことが明人には許せなかった。
「恩返しは……まあ、どこかで安定したら必ずさせてもらうから」
「棚だけでいいわよ」
棚と明人の命は等価値のようだ。
それからユエラはほどよく育った胸を突き出して、伸びをしながら欠伸をする。
その様子を海馬に刻み込むべく注視すれば奥に見えたもうひとつの影。すやすやと気持ちよさそうにテーブルに突っ伏して寝息をたてるリリティアがいた。
一息つこうとユエラの斜め前の席に座って、正面のリリティアを眺めることにした。ユエラ曰く、隣だと近すぎて正面だとうざいらしい。だから明人は、まるで思春期の娘を持った父親の如く寛大で強靭な心で対応することにしている。
「午後からワーカーの修理って教えてあったんだけどな……」
身を乗り出してリリティアの陽によって暖まった頬をふにふにと突付く。くすぐったいのか彼女は身を捩って小さな抵抗が返ってくる。
「ひとりでサラサララの群生地に行くような真似はやめてよね。死にたいのなら止めないけど」
「大丈夫、わかってるよ。ほれほれ、起きろ起きろー」
もちっとした感触が気持ち良いので明人はリリティアで遊びはじめた。
ユエラの言うサラサララの群生地とは明人が愛機とともにこの世界に降り立った場所であり、その金色の草原の中央に宙間移民船造船用4脚型双腕重機ワーカーが停まっている。
先の通り修理が必要だが、明人はワーカー専門の技術者。たかだか脚部の破損程度なら”周囲に転がっている仲間の形見”を代用すればそれほど手間ではない。ただ、家から少し距離があるので護衛が必須というだけのこと。
それにもともと工具を仕入れて貰ったのはワーカーの修理のためであり、明人がこの家で木工に励んでいるのはいわゆる副次的なものだった。
「いつもは私たちがついてるから知らないだろうけど、この森はルスラウスでも禁忌レベルで魔物が強いんだから」
ひとりは気配と自然の乱れに敏感なハーフエルフ、ユエラ。ひとりは大陸でもっとも剣の扱いに長けているという称号を持った剣聖リリティア。この2人と一緒でなければ明人は家主であるリリティアに庭に出ることすら禁止されている。それほどまでにこの大陸世界の東南にある誘いの森は危険な場所だった。そして、明人もなんどか2人に命を救われているため、その教えを決して破ることはない。
「そういえばユエラは大丈夫なの? こんな危険な森を歩き回ってて」
「私は魔法で臭いと気配を消して夜に歩くもの。朝はアンタと庭先にいるだけ。この家の周囲のヤバイ魔物はリリティアがある程度狩ってくれているわ」
「なるほど。そういうことかぁ」
ヤバイ魔物を狩り尽くす、ヤバイリリティアの頬を引っ張る明人がここにいる。
染みひとつない真っ白な肌がほんのりと赤く染まっていた。
「それと……」
「ん?」
ユエラはなにかを言いかけて、ピクリ耳を動かして黙り込む。
その視線の先、そしてこちらの手元にはリリティアがいた。
「ほっへが……いふぁいれすぅ」
目覚めたリリティアはちょっと涙目になっており、明人は慌ててリリティアの頬を摘むのをやめる。
「さて、私はもう寝るからお守りはリリティアに交代ね。アンタもあんまり乙女の顔で遊ぶんじゃないわよ」
そう言い残してユエラはやけに饒舌になったかと思えば、そそくさと自室へと消えていく。
しんと静まり返った部屋には、眠そうな目で赤くなった頬を撫でるリリティアとユエラの言葉が妙に引っかかってしょうがない明人の2人だけ。聞くべきか聞かざるべきか。どうせリリティアは答えないだろうとなかば諦めながら、一応聞いてみる。
「乙女って?」
「私のことですよ?」
リリティアは花の咲くような笑顔で明人の質問に答えてくれた。
「ふーん」
「あら? なにかいいたいことでも?」
「いえ、なにも」
その金色の瞳の奥に燃えたぎるなにかを感じて、明人はそっと席を立った。




