172話 おまけに聖女は恋をする
キミは友だち
孤独と孤独を合わせてみる
それでも
向かう先は変わらない
だから
言葉にするのだろう
はたはたとテレーレは、茶こけた家の裏手に足を伸ばす。
皆の視線を切るように。それでも怪しまれぬていどに白い脚が高鳴る心音に合わせて前へ前へ。
角を曲がるとそこは、しんと静まり返ってひんやりとしている。衣服の届かぬ腕や足が、やや肌寒い。昼を過ぎたら日が落ちるのも刹那の間だった。それが楽しい時間であればあるほど瞬く間に過ぎていく。
そしてテレーレは、新しい友だちの前に立って天を見上げた。
折り目正しく手を添えて礼をすると短いスカートがふわりと風に揺らいだ。
「こんにちはっ。今日もとっても良い天気ですね」
舞い上がってしまいそうな感情をぎゅっと抑えて、少しだけ声を弾ませて挨拶をする。
表は今、鍛冶の音でやかましいが声を抑えるに越したことはない。
テレーレにとって新しい友だちは、とっても不思議な存在だった。
「………………」
その姿は、川砂利のように丸くて岩のように大きい。
両腕は、双腕に負けぬほど無骨で文字通りに冷たい。
決して器用とは思えぬ形をしている手先は、やや怖い。
しかしよくよく見ればふっくらとした面は、愛嬌がある。
まるで、とは形容が難い。無論この世のものではない鋼鉄の友だちへとテレーレは、語りかけた。
「ワーカーさんっ。またきちゃいましたっ」
当然のように返答はない。
巨大が話さないのと同じでワーカーもまた心がない。
それでもニッコリと微笑んだテレーレは、たまらず後ろ手を組んで踵を鳴らした。
「おはようございますっ」
ウェーブがかったくせっ毛が涼やかな風に踊る。
これはただの余興だった。要するに無意味な暇つぶし。幼い少女がぬいぐるみと話すようなもの。
人間は、このワーカーをまるで生きている相棒のように扱う。
キレイに磨いて、細かな箇所まで掃除して、暑い日には水をかけてやったりしている。
だからテレーレもマネをしてみただけ。
出会いは、本当に些細なことだった。テレーレの感受性が豊かだったからかもしれない。
幾度となくこの誘いの森に楽しいを求めているうちにテレーレは、ふと窓の向こうにいるワーカーがなんだか悲しそうに見えた。
ただそれだけ。
こんな大きいものが目に入らないわけがない。自然と毎日見ているうちにだんだんとその鉄の面から薄らぼんやりとした感情が見えてくる。
違和感の正体は、その日の光加減だったのかもしれない。しかしテレーレは、我慢できずに話しかけた。
孤独と孤独を共有する異界よりやってきた機械は、テレーレにとってたった1台の愚痴を話せる友だちになっている。
「以前にお話した通りで私は、そろそろ処刑されちゃいます。だからもうたぶんここにはこられなくなっちゃうと思います」
楽しい時間というものは、いつもあっという間に過ぎていくもの。
今ここにやってきたのは、誰にも言えぬ別れを告げるため。
明人の行動制限をするために、いつワーカーがサラサララの群生地に戻されるかもわからない。
こうして今日ここでまた出会えたのも神の思し召しであろう。
ここは誘いの森。忌み嫌われ魔物の巣窟とされる大陸最悪の土地。
剣聖の庇護下でなければ自身なぞ一瞬で孕み袋となることをテレーレは、理解している。
「なので、悲しいですが最後にお別れを言いにきました」
死にたいはずがなかった。
それでもテレーレは、ワーカーへむかってがんばって笑う。
覇道の意思を抑えつづけて聖女として生きたテレーレは、一度でいいから美しい世界を見たいと願ってしまった。
知らなければよかった、なんてことは思わない。
虹を見て心を弾ませ、恐怖で高鳴る心臓の音を聞いて、お互いに弱いところを見せるように触れあって、世界を歩いて、キレイな景色を前にして泣いて。短い時間でもたくさんの感動に出会えたことは、すべてが宝物だった。
「…………」
別れを告げにきたはずなのにも関わらずそれ以上の言葉がでてこない。
口にしてしまえば、本当に終わってしまう。そんな気がしてならない。
辟易として黙り込むメイドの前でワーカーは、黙して威風堂々とたたずむだけ。
頑丈な白い肌に日を集めるよう。漠然とした態度で輝いて、紅葉をはじめた森を明かりの消えた5つの瞳が眺める。
見上げることすらやめてしまったテレーレは、下唇を噛んでうつむいた。
「……どう……して……たし……なの……?」
ちょうちん袖に覆われたふっくらとした肩が小刻みに震える。
危険な綱渡りのような決意が一度ブレてしまえば、もう止まらない。
噛み殺すように大地へ問う。
「どうして私が聖女なの……? どうして私が死ななくちゃいけないの……? どうして聖女には呪いがきかなかったの……?」
枠の外である聖女には、呪いがきかない。
そのせいでテレーレは、無情な環境も相まって平等を求めるようになってしまった。
もし、呪いがきいていればこんなに辛い思いをせずにすんだのかもしれない。そんな後悔に似た思いがよぎると胸の中がずくずくと痛んだ。
白いエプロン越しに両手で胸を、ぎゅっとシワになるほどの力で掴む。偶然にもそれは、信奉する神に祈りを捧げるかのような形になった。
しかし無責任な神は答えない。助けにこない上に、救いもない。
処刑台の刃は、確実に首を落として生を絶つだろう。それでも聖女は転生して生まれなおす。
記憶が消えるということは、死と同義。どれほど本心をひた隠しにしたとしても恐ろしくないはずがない。
楽しいを知ってしまったせいで、その恐怖が、生への執着が、テレーレの薄い決意を打ち砕く。死という現実と向かい合ってはじめてその残酷さが際立つ。
強い畏怖の念が落雷のようにテレーレの体中を駆け巡る。
「イヤ……! イヤだぁ……! ぐすっ……死にたく、ないよぉ……!」
崖のフチに立たされたかの如く膝が笑う。
金属のように歯の根がかたかたと音を鳴らした。それほど寒くもないのにも関わらずおぞましい寒気を感じて、肌が泡立つ。
刹那。テレーレのなかでぷつりとなにかが切れる感覚を覚えた。
「うっ――! げぇうっ――うぇぇっ!」
口のなかが苦い酸味でいっぱいになって、べちゃべちゃと草の上に胃液が吐瀉される。
胃の腑が口から飛びだしてしまうような激しい嘔吐感。近頃、まともに食事をとっていなかったためか吐いても吐いても嗚咽が止まらない。
「うっえぇ……! 死にたくないっ……! っにたくないよぉ……もっとみんなといっしょに……生きたい!」
ハツラツとしてたおやかな顔立ちが涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった。
とても聖女や女王とは思えないみすぼらしい様に陥ったテレーレは、届かぬ願いを紡ぐ。
「ひっ……ぐすっ……っにたくない…………!」
それでも声を殺してしまうのは、こんなザマを誰にも見せたくないからだった。
助けを求めたらきっと皆が駆けつけてくれるだろう。
しかし敵が強大すぎた。死なないどころか呪いを振りまいて王座に着く。
相手は国力を蓄えた軍勢。それも上位と呼ばれる万能種。複数の魔法を容易に操り、技術を備えて、知能も高い。
神によって手がけられた最高傑作は、Lクラスですら持て余す相手であろう。
それに助けを求められぬ理由は、まだあった。それは、舟生明人という異界よりきたりし存在。
リリティアとユエラは、明人がなにも知らず平穏無事に天寿をまっとうすることを望んでいる。それがふたりにとっての愛と恩の形だった。
短い時を生きるヒュームと同じ性質をもった人間に、これ以上求めることはできない。そうでなくとも騙して走らせた借りは膨大すぎる。
再度戦争がはじまったとて明人が老いるくらいには、時間を稼げるだろう。そのためにリリティアも大陸を浄化するためにあの手この手で奮起した。
すべての始まりは、たった1人を思う思いやりだった。
だからこそ人間は、なにも知らないし知らされることもない。穏やかに生きて穏やかに死ぬことを皆は望む。
しかし企てが実を結んだとしてもテレーレの未来は、なにも変わらない。
そう、変わらないはずだったのだ。
「……えっ?」
濡れた銀の眼が、ありえないものを見たかの如く見開かれる。
そこからはらりと光の粒がこぼれ落ちた。
ソレは、なにかが回転して動くような音を奏でる。
それでも普段の雄々しい唸り声とは違っていて、静かでもの柔らかな波長。消灯していたはずの5つの瞳に蒼が灯った。
あまりの衝撃にテレーレは、泣くことも、絶望すらも、全部がどこかへと吹き飛んでいってしまう。
ゆっくりと。それもどっしりとした手が、重々しい質感をした1本の腕の爪が、テレーレに向かって伸びてくる。
「あ、きと……さん?」
茫然自失としたテレーレの問いかけだった。
「――――――――」
と、ワーカーの丸い頭が横に振られた。
大地に根を下ろす4本の脚で力を見せつける様は、男性的で男前。
のっぺりとした顔にはどこか愛嬌がある。
「わーかー……さん?」
「――――――――」
テレーレがもう一度尋ねるとワーカーは、手を伸ばしたままにコクリと頷いた。
まるで闇のなかで迷った少女に救いの手を差し伸べるかのように。
「――――――――」
収集のつかない混乱に呆けるテレーレの祈りを象った両の手が、無意識にほどける。
光を求めるようにたどたどしく艶のある手が、無骨な爪へと導かれていく。
すると、同時に風が吹き抜けた。
「――じゃあ死なない方法を模索してみよう」
『――じゃあ死なない方法を模索してみよう』
前からのくぐもっと声は、ワーカーから発されてまるで丸が喋っているかのよう。
後ろから徐々に大きくなる声は、平静を保っていてなぜか頼りがいがある。
涙を散らしながらテレーレが振り返ると、家の角から影が伸びていた。
手に四角いなにかをもった明人を先頭にして、ぞろぞろとLクラスたちが並んででてくる。そこには寝ていたはずのニーヤも混じっていた。
少し遊んだ黒い髪に炭を塗ったように黒い瞳。目つきは、およそ良いとは言えず。
そんな明人は、口元になにかを近づけてテレーレと目を合わせる。
「ワーカーを通して全部聞いたし、全員を問い詰めて全部知った。どうりでオレを頼ってこないわけだ」
『ワーカーを通して全部聞いたし、全員を問い詰めて全部知った。どうりでオレを頼ってこないわけだ』
男子三日会わざれば刮目して見よを地で行くたたずまい。
「皆がオレに気を使ってくれてたんだな。だけど、それはちょっと違うんだ」
『皆がオレに気を使ってくれてたんだな。だけど、それはちょっと違うんだ』
出会ったときとは比べ物にならないほど肉づきが良く、細いながらも鍛え抜かれた体だった。
さらには、感情を抑えることをすらもやめている。
「未来で友だちが苦しむのならオレの望むものじゃない。そんな偽りの平和はいらない」
『未来で友だちが苦しむのならオレの望むものじゃない。そんな偽りの平和はいらない』
そう言って明人は、四角いなにかを捲くられた麻ズボンのポケットにしまった。
一方の手には金槌をもって肩には、農村で好まれる白い羽織を羽織っている。
後ろに集った面々は、あらかじめ予定していたかのように神妙な面持ちでこくりと頷いた。
突然のできごとにテレーレの理解は、追いつかない。
おろおろと混濁した頭で首を回すも、ワーカーはすでに元の姿勢に戻っていた。威風堂々とたたずんでいる。
そんなテレーレに歩み寄ってリリティアは、包み込むように抱きしめた。
「もう大丈夫です。もうアナタが苦しむ必要はないんです。その痛みを……私たちが変わりに背負います」
甘言の如き耳心地のよい声がテレーレの鼓膜を揺らす。
ふわりと甘くミルクのような香りが鼻孔いっぱいに広がっていく。
とくりとくりと鼓動が早まっていく。不意に頬を滑り落ちる涙は、先ほどと違って暖かい。孤独の呪縛から開放され満たされていく感情と許容されたという安心感が胸をいっぱいにした。
あれだけ堅く誓った決意は、たった1人によって紙くずのように破り散らされた。
そして親鳥の胸のなかに納まった小鳥は、火がついたように泣きじゃくる。
「ご、ごめんなざいッ! ごめんなざいッ! ひっ、ひっぐ……助けてぇッ! ったすけ――うああああああッ!」
白いドレスで涙を拭ってテレーレは、何度も何度も自身の不甲斐なさを謝罪しつづけた。
結集した大陸の英雄たちは、そんな聖女を見て微笑ましげに目を細めている。
そこへ明人が表情ひとつ変えずに前へ躍りでた。誰も静止させようとするものはいない。
テレーレの見たこともない不思議な靴を履いて、草を踏み鳴らすようにずいずいとこちらに近寄ってくる。
「拡散する覇道の意思は――グラーグンは、オレがとめる。テレーレの生涯を賭けた努力を無駄にはしない。撒いた種は、きっと芽吹く。オレの命を賭けてでもな」
鉄と油の染み込んだ手が、リリティアの胸のなかで泣き喚くテレーレの髪を梳くように撫でる。
「よくがんばったな。もうひとりぼっちじゃないぞ」
そう言って明人は、微かに片側の口角を上げた。
大きな手から流れ伝わってくる優しくも勇敢な感情を受けてテレーレは、涙の向こうで確かな安息を垣間見る。
ゆらり。そんなテレーレの熱望のこもった視線を無視するように明人は、英雄たちへと振り返る。
そして引き締まった腰に片手を添えると告げた。
「みんな聞いてくれ。今からオペレーション獅子身中の虫の概要を説明する」
視界の向こうで淡々と救いを述べる。
そんな背中を見てテレーレは、英雄に恋をした気がした。
8章 あの子の剣 この子の杖 そしてオレはクエストにゃ【END】
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