171話 おまけに聖女はひとりぼっち
平和だけど
平和じゃない
心に抱えた闇と
決意
笑顔に囲まれて
聖女は孤独に笑う
目を開けば、そこはもう見慣れた場所だった。
転移魔法陣を使って移動したテレーレは、ぬくもり深い丸木の部屋で深呼吸する。
「すぅー……はぁー……」
芳醇な森の香に混じった甘く燻されたような香り。生活感のあるささくれた木造建築は、いつきてもホッとする。
誘いの森にぽつんと建った友だちの家は、社会に疲れた女王にとって唯一無二の止まり木となっていた。
「……あら? お留守でしたかね?」
家になんの気配もないことに気がついたテレーレは、おもむろにぐるりと首を回して部屋を見渡す。
アンティーク感がふんだんに立ち込める部屋には、新調された家具が置いてある。食器棚やテーブルはもちろんのことキッチン道具や建てつけの悪かった扉もぴかぴかになっていた。
木の香りを追い出すように日に暖められた風が窓から入ってきて扉から吹き抜けていく。
思わずテレーレは、その光景が愉快で鼻を鳴らす。
「ふふっ、名実ともに新しい風が吹いたみたいですねっ」
情景的比喩を口にしてくすくすと笑う。
すると広げて敷かれたふかふかのマットの上で、もぞりとなにかが動いた。
「うにゃ……むにゃ……」
そこには、もこもこの焦げ色尻尾を抱えてニーヤが寝ている。
その穏やかな寝顔は、まるで争いのないことを象徴するが如く。窓から差し込む陽気に照らされてすやすやと寝息を立てていた。
それを見たテレーレは、大胆な短さのスカートから長い脚を繰りだして近づいていく。
ニーヤとテレーレも長い付き合いだった。はじめて紹介で出会ったときは、あまりのキュートさを前にして突然抱きしめた記憶も新しい。
くりくりの汚れを知らない2色の瞳に、晴れ着のような真っ赤な着物。抱きしめてツヤツヤの髪を撫でると気持ちよさげに目を細める。
そんな子がLクラスだと知ったのは、後の話だった。
懐かしい思いに浸りながらテレーレは、ニーヤの前に膝を抱えるようにしてしゃがみ込む。
「日向ぼっこが気持ちよさそうですっ」
ひだまりは暖かく照らされた頬が微かに赤みを帯びている。
そっと指の背で触れると日の光をたっぷり吸った肌は、ふやふやのほかほかだった。
「にゃむにゃむ……」
しかし、ニーヤに起きる気配は微塵もない。
安心しきった寝顔は、共に釜の飯を食らう同居者たちへの信頼なのだろう。
少しだけ寂しさを覚えたテレーレは、微笑みながらも困ったように眉を寄せる。眠る狐の少女を見つめ、改めて孤独を自覚した。
ちょっとだけ首を傾げると日のスポットライトを借りて銀の髪がふわりと煌めく。
「さてさて。お家の方々がどこにいったのか探さなきゃですね」
眠る少女を起こさぬよう慎重に立ち上がる。
目指す先は、開け広げられた外につづく扉だった。
この部屋に転移してからずっと断続的に鳴り響いていた喧騒のもとへ急ぐ。
「おうらっ! 魂なんぞ込める必要はないぞい! とにかく無心になって腕を振り下ろせぃ!」
「了解っ!!」
キンキン。鉄を潰す鉄の音が森のなかで鳴り響く。
庭先に止まった屋台のような移動工房の横で男と男がどちらも半裸になって真っ赤な鉄を打つ。
滝のような汗をかいた明人が両手持ちのハンマーを幾度も振り下ろす。
その横では、鉄の腕でゼトが木箱のようなものを引いては押してを繰り返している。
「叩け! 伸ばせ! 形を想像しろぃ!」
「了解っ!! 無心じゃないのかァ!?」
こちらにまで臭ってきそうな熱い男の臭い。
そんな物珍しい光景にテレーレが目を引かれていると隣から凛とした声が聞こえてきた。
「あら? いらっしゃーい」
テラスの木陰でイスに座ったユエラは、少しキツめの目を糸のように細くして迎える。
幼い割りには、鼻筋のしっかり通った大人びた笑顔。頼りないスカートから伸びる脂の乗った足を組み替えると色気がむわっと放たれた。
女の魅力にくらくらしながらテレーレは、ユエラに歩み寄って、隣のイスに腰を下ろす。
「ほら見てよアレ。これぞ男、って感じで面白いわよ」
必死な明人をよく剃る指が指差してユエラは、愉快げに頬杖をついた。
心が満たされているのだろう。その笑顔は、屈託のない。日差しの如く柔らかなもの。
ほんの少しだけテレーレは、先ほどニーヤに覚えた感情が呼び起こされる。
ユエラがどれだけ努力したのかは、よく知るところ。出会った頃のユエラは、ドワーフの女性程度の大きさしかなかった。
誰も信じられない。そんな目をした幼き少女は、いつも白いドレスの影に隠れていた。それも気づけばこんなにも笑えるようになっている。
いつの間にか身長もあらゆる箇所の大きさもを抜き去られたテレーレは、愛おしく思いながら横顔を眺めた。微かな嫉妬もあるが口にはださない。
「あれはきっと名剣になるわよ。なんたってダモクレス鉱石と双腕様の手がかかってるんだから」
「ですねぇ。リリーへのプレゼントにしたらすっごく喜ばれると思います」
ふと、笹場の耳がひくりと揺らぐ。
驚いた表情をしたユエラは、彩色異なる瞳をこちらに向ける。
「なんでテレーレがアレをリリティアへのプレゼントってだって知ってるの?」
「はぇ……? 違うんですか?」
意外な問いにテレーレは、思わず変な声を漏らした。
はたから見れば相思相愛。つっけんどんな彼氏と好き放題にはしゃぐ彼女。
ああ見えて明人が寂しがり屋だとリリティアから聞いたときの衝撃は、忘れられない。
「昨日の晩に決まった話よ? リリティアに寝込みを襲われた明人が、苦し紛れに提案したの」
見れば確かにそこにいた。
リリティアは、筋肉のついた大きな背中をうっとりと眺めている。
「ぁぁ……明人さんが私のために筋肉してますぅ……」
どこからどうみても蕩けきっていた。
草の上にしゃがみこんで両手を膝の上に乗せ、両手で頬を抑えながら瞳をうるうるとさせている。
それを見たテレーレは、呆れつつ感想を漏らす。
「……完全に落ちちゃってますね」
ユエラも両肩を上げて眉を困らせ同意の意思を見せる。それだけの動きでもたわわに実ったそれが大げさに揺れた。
「まあ……しょうがないっちゃしょうがないわねー。なんたって今や大陸の世界の修理屋様だもん」
そう言ってユエラは、自慢げに指をくるくると回す。
「ふふっ、でもユエラだって自然女王様ですよ?」
笑って2つ名を呼んでやるとユエラは、テーブルの上に突っ伏した。
「いやーっ! その名前で呼ばないでー!」
頬は、ほんのりと桜色。テーブルで頭を転がすようにごろごろと額をこすりつける。
自然女王ユエラ・L・フィーリク・ドゥ・アンダーウッド。
自然魔法使いひとりではない。ゆえに体内マナ供給無限という新開発された《レガシーマジック》の名が優先された。
フィーリクは、その身が混血であるということを認めた証である。ドゥは、誘いの森に住む家族との繋がりを表している。そして最後のアンダーウッドというのは、自身がエルフ女王を慕っていると主張した結果だった。
照れ照れのふにゃふにゃになったユエラへテレーレは、ずっと不思議だった疑問をぶつける。
「そう言えば、なぜ明人様の場合2つ名が2つあるんです?」
世界の修理屋、でまずひとつ。
蒼の、でふたつ。舟生明人・L・ドゥ・グランドウォーカー。
これは明らかに他のLクラスには見られない特徴があった。
するとユエラは、頬をテーブルに引っ付けたまま答える。
「本当だったら……私の蒼の、舟生明人・L・ドゥ・グランドウォーカーになるはずだったの。もちろんリリティアの提案よ?」
「あー、なるほどぉ……。リリーって押しが強いですからねぇ……」
「そうそう。んで、みんな飲んでたからうやむやになって2つ名が2つになったのよ。気づいたら増えてたってわけ」
適当だなぁ、と。テレーレは思った。
グランドウォーカーとは、大陸すべての領土にて好きに住まう権利があるということ。引く手あまたとは、まさにこのことだが問題がある。
このとり決めは、ルスラウス世界初となる。明人は、新たな試みの実験体と言い換えてもいいかもしれない。
とはいえ、テレーレも聖女の2つ名をもつ。名乗らないのは、自分がその粋に達していないから。
先代の聖女は、世界を救うという偉業を成し遂げてLクラスになった。しかし現聖女であるテレーレは、その威光を借りているだけ。
未熟である自覚があるからこそ聖女と名乗ることはしない。生まれ持った血が枷になる稀有な例だった。
「はっ!」
すると突然、テーブルに顎を乗せてぼんやりしていたユエラが弾かれるかのように姿勢を正す。
驚きつつその視線の先を辿るといつの間にか黒い蝶がいた。
1歩踏めば漆黒のドレスに仕付けられたふりふりがはためく。横縞に透けたスカートのなかで生白い足が交互に動く。
ユエラが尊敬してやまないエルフ女王だ。語らずの呪術師、ヘルメリル・L・フレイ・オン・アンダーウッドは、しょんぼりしながらこちらに向かってくる。
「……白銀の舞踊に無視された……」
その言葉通りリリティアは、明人の背中に夢中だった。
もはや自分の世界に入っているのだろう。
意外とナイーブなヘルメリルとの出会いをテレーレは、思い起こす。
出会い頭の感想は、高圧的で、傲慢で、女王たる女性だった。
しかし、観察していくうちにそれが偽りの仮面であることに嫌でも気づく。
優しくて、誰かが困っていると手を差し伸べてしまう素敵な女性。努力家で勤勉で、それはテレーレにとって女王としての鏡だった。
垂らした長く黒い髪を持ち上げるようにヘルメリルは、身を起こす。
すると、しおれていた長耳が唐突に活気づく。
「むっ!? セイントボードもいるではないか!」
聖なる板。テレーレには、それがなにを意味しているのかよくわかっている。
「だからそれは普通に悪口ですってばぁ!」
反抗に対してヘルメリルは、シャープな顎をくいっと上げて笑った。
「ククククッ! なにを意味しているのかは知らぬはずだぞぉ?」
赤い瞳が見下すように半月を描いて光る。
最近誰の影響か。ちょこざいになったヘルメリルをじっとりと睨んでテレーレは、唇を尖らせため息をついた。
「はぁ……。もういいですよーっだ……」
コツリコツリ。ヒールが影を踏むようにテラスに差しかかる。
堂々としたたたずまいに女性として主張の強すぎるそれは、さぞ男の目を引きつけるだろう。
それにも負けず劣らずナイスバディーのユエラは、忙しくイスを明け渡して紅茶を注ぐ。
「ご苦労。くくっ、褒美にデュアルソウルには私の肩を揉ませてやろう」
「はいっ! よろこんで!」
ふんぞり返って紅茶をすするヘルメリルの細い肩を嬉々として揉みだした。
主従関係がしっかり構築されている。
涼やかな風が昼下がりの草木を吹き抜けて舞い上げる。温厚な日は、ゆったりと肌を温めて心地が良い。
つかの間の平穏を友たちは、楽しむ。
「……っ」
テレーレを置き去りにして。
聖女を転生させた後でグラーグンは、きっと戦争をはじめるだろう。
疲弊してようやく平和を手にした者たちへの無情な現実を突きつける。
奴隷制というヒュームが作りだした悪しき法を悪用するエーテル種は、他種族よりも遥かに軍備を整えている。
多種が束になってかかったとして、よくてイーブン。それほどまでにエーテル族の戦力は、果てしない。
――でも……私の残した種が芽吹けば、きっと。
しかしテレーレには、その過酷で残酷な現実と闘う覚悟があった。
無謀でもただ血気にはやるだけの勇気でもない。その銀枠の瞳が見つめる先には常に希望がある。
冥よりきたりし神より賜りし宝物、それは拡散する覇道の意思なのだ。
信仰する神が世界に与えた物ではない。必ずその対処法をルスラウス神は残しているだろうと信じている。
振り上げられた鎚の根本に嵌められた銀蒼の指輪は、未解明の神より賜りし宝物だった。
それこそがエーテル族の賜った宝物。
名は、翻る道理。
種は蒔いた。あとは何代賭けても、何百年経ってでもぜったいに解明してみせる。
永遠のような終わりなき戦いを次世代へと託す。
「むっ? どうしたセイントボードよ」
「さすがにうるさい? だったら明人にやめるよう言うけど?」
そんな思いを薄い胸に秘めた。
てレーレは友の呼びかけに微笑みを返す。
「すぐに戻ります。ちょっと、お家の裏手にいってきますね」
そして最後の友へ別れを告げるため席を立った。
……………




