16話 どうせなら手を取りあって
夜の気配を背負い、丘の上から朱に染まった聖都エーデレフェウスを見下ろす。頬を撫でる風は冷気を帯びており、ここから見える風景は昼間と比べて真逆だった。
聖都の入り口でリリティアの言った”専門の方”は奴隷たちのことだったのだろう。真実を知らなければきっとこの夕日も美しく思えただろうに。
明人はぱんぱんに膨らんだ真新しい皮の鞄を背負いなおす。思いのほか買いすぎたという荷物には、エーデレフェウスにおもむいた主目的であるチョコレートクッキーをつくるための材料や明人用の服や雑貨が詰められている。
「家につくのは夜中になってしまいそうですね」
リリティアはなびく髪を押さえながらくるりとスカートを翻して歩き出す。
明人もそれに習って彼女の横を半歩ずらして歩いた。
普段と変わらぬ穏やかな横顔のリリティアと付かず離れずの距離だった。行きと異なるのは手を繋いでいないことだけか。
前かがみになって草を踏み鳴らすように繰り出せば、ずしりとした重みが足に伝わってくる。
リリティアはこちらに気を使って分担を提案したが、明人はそれを拒否した。どれだけ剣の腕が達者でも護衛である彼女の手を塞ぐような真似はしたくなかったからだ。
「これじゃ……手、繋げないですね」
リリティアはどこかさみしげに眉をよせて微笑むと、行き場なのない手をわきわきと動してみせる。
「女王とはどんな話をしたんです?」
「……」
明人は答えなかった。夜にむかって歩くリリティアを無視して荷物運びに徹する。
草葉の鳴る音がだけが、ひんやりと静かに後ろへと流れていった。
「グラーグン王に聖都に住まうよう、誘われました。なぜだかわかりますか?」
「……どうせ教えないんだよね?」
「ふふっ、ですね」
そう言ってリリティアは唇で優雅な弧を描いてくすくすと笑う。
そんな様子を見て、明人には彼女がとてもかけ離れた存在のように感じてしまった。身分、種族、人間よりも遥かに長い寿命。謎は深まるばかり。もしかしたならユエラですら自分よりも数倍長い年月を生きている可能性すらある。
「ねえ、リリティア」
「はい?」
明人は、これを聞いてきっとなにも変わらないことは理解していた。ただは確かめたかっただけ。自分を拾ってくれた命の恩人である彼女が自分を娯楽として飼っているのではないかと。
「オレは、リリティアの所有物なのか?」
その問いかけに、夕日を浴びて煌めく振り子のように揺れていた三つ編みが動くのを止めた。
明人もリリティアの半歩後ろから前に出て、振り返るとリリティアの顔から笑みが消えている気づく。
「……ユエラがハーフエルフだということをご存知ですよね?」
そういえば、と明人は荷物を背負いなおす。
初日の食事のときにユエラが激怒していたことを覚えている。
「彼女は下位とエルフのハーフです。つまり、下位としてもエルフとしても半端。どちらからも受け入れてもらえない忌み子」
リリティアはまるでつらい過去を話すかの如く、静かに話りはじめる。
ユエラは望まれぬべくして生まれてしまった希少種であること。7年前に、あらゆる暴行を加えられて衰弱していた幼い彼女をリリティアが救ったこと。一緒に暮らしていくうちに、強く生きようとする彼女を家族として愛してしまっていたこと。そして、仲間を失い絶望して自殺をしようとしていた明人にあのときのユエラが重なって見えたこと。
どちらともなく歩きだしていた2人は、いつの間にか夜の帳が降りた森のなかにいた。
リリティアの手に持つ松明の灯りを頼りに、明人も足元に注意を払う。転べば背に背負ったユエラへの依頼の品があふれてしまいかねないし、そうなってしまってはきっと彼女が悲しむだろうから。
気にくわないなどと下らない理由で自分を嫌っていたのではなかったのだ。そして、憎悪する種にも関わらず同じ屋根の下でともに暮らすことを許可してくれていた。そんなユエラの過去と優しさを知って、明人は自身の浅はかさをどうしようもないほどに恥じた。
「はぁ、はぁっ……やっぱりオレは、ユエラのために家を出るよ」
湯気が立たんばかりに汗にまみれた明人は夜の寒さすら忘れて息を荒げた。文字通り、荷が勝ちすぎていたということ。
「あの……もう少し落ち着いてから答えをだすのはどうでしょう? というか、手伝いますよ?」
取りだしたハンカチでリリティアはびしょびしょになった顔を拭いてくれる。
これしきのことで弱音を吐いていてはもっと辛い思いをしているユエラに顔向けができない。
「わ、私は前も言った通り明人さんを家族として受け入れるつもりで――ああっ! 下位なのに頑張りすぎです!」
「はぁ、はぁ……ぐっ、ぜぇぜぇぜぇっ――おっ、オレはッ! 人間だあああ!」
リリティアに手を引かれ明人が倒れ込むようにして家に戻ったのは夜も深まった濃密な深夜だった。
1章 あの子はねぼすけ この子は甘党 そしてオレは居候 END
明人の心変わりとルスラウス世界のお話でした。