14話 どうせ失敗すれば死ぬだけだから
「なッ――!!」
悪魔の舌の如く赤黒い炎が襲いくる。
明人はとっさに横に避けようと試みた。が、隣に佇むリリティアは動く素振りすら見せない。
どころか剣に手をかけることすらせず。感情の読めない笑みを浮かべながらただその場に佇んでいるだけ。
「《性壁》」
するとたおやかな音色がもうひとつ室内に響く。
テレーレの詠唱とともに宙へ光のカーテンが現れる。光を透かして色鮮やかに浮かぶそれは大きな壁となり明人から渦巻く炎を遮った。
間一髪だった。
明人はようやく自分は殺されかけたのだということを理解し、腹の底からすっと熱が引いていくのを感じた。
それからゆっくりと肩から下げたショットガンに手を伸ばす。
「女王よ邪魔をしないでいただきたい。心無人とならぬ下位のものは持ち主に所持されていなければ敵なのですぞ」
グラーグンが淡々と述べた説明を聞いて、明人の背にぞくりと寒気が走った。
ショットガンを掴もうとしていた己の手を見る。自分は上位の聖都エーデレフェウスに辿り着いてからリリティアとずっと手を繋いでいた。
考えてみれば、はじめて彼女とであったあのときもずっと手を繋いでいた。あれは護衛のためではなくリリティアによって所持されていたということ。
明人は腹の底からすっと熱が引いていくのがわかった。
「それは貴方の勝手な言い分です。すべての種に平等をもたらすことこそ私たち上位の役目ではありませんか」
対するテレーレはグラーグンに手をかざしながら異を唱える。
「フンッ。あいも変わらず戯言がお好きなようだ。力を持つ我ら上位が劣等種と共生する必要がどこにあるというのか」
「異なる文明を結集して互いに支え合い、よりよい発展を目指すことこそが平和と呼ぶにふさわしいとなぜわからないのです!」
「下らん! 忌み子を増やし我らの血が汚れるとなんど言わせれば――」
「混血は罪ではありません! なぜ神が混血種を認めたとお思いですか!」
「それは世界の不調だと言っているだろうに! 女王のいうことが真実ならばなぜ混血種が希少なるのものかの説明がつかないではないか!」
まさに喧々諤々と互いをまくしたてる。
王と王の互いに一歩も引かぬ激しい口論だった。
髪を振り乱して平等を唱えるテレーレと、それを嘲笑うかのようにグラーグンはどっかりと椅子に深く腰掛ける。
2人の王。つまりこの上位の国は、同等の権力を持った進行力と抑止力が存在しているということ。
エーデレフェウスの美しい街並みを見ればその効果たるや。文句のつけようがないだろう。
「さあ、明人さん」
激論のさなかにも関わらず耳に届いた囁くような凛とした声だった。
そして、こちらに伸ばされた細くて美しい手だった。
美しい彼女は命の恩人で、自分の所有者。
「明人さん? どうかしました?」
だから明人はその手を再びとろうとはしなかった。
○○○○○
「あのぅ、そのっ……ご、ごめんなさい……!」
色とりどりの宝石が散りばめられたティアラが上下する。
「お客様の前であんなはしたない真似を……」
隣にちょこんと座ったテレーレが捨てられた子犬のようにふわふわの髪を揺らしてうつむく。
この空気、気まずいなんてものではない。仲の良い友達が、自分の知らない友達を連れてきてトイレに立ってしまったときを20倍に濃くしたくらいには辛い。しかも相手は女王となれば明人の失言は死を意味している。
「いえいえーあれくらいなら数日前に経験したんで慣れてますから大丈夫ですよー」
「そ、それはそれで如何なものかと……」
ふと、明人はこの世界で目覚めたときも似たような状況だったことを思いだしてしまう。
あのときは彼女とユエラの2人を高官の愛人だと失礼極まりない勘違いをしていた。当然その後リリティアに話して謝罪したのだが、彼女はからからと笑って許してくれた。
「…………」
明人は心臓が口から出そうなほどにやきもきしていた。
謁見の間に残されたリリティアが心配ではないといえば嘘になる。たとえ彼女が強くともグラーグンの残虐性は見るに明らか。そして、なぜか長椅子で寄り添うが如く近距離に上位女王がいる。
さきほどから香ってくるのはテレーレの香水だろうか。すぐ横から香る柑橘系のすっきりとした香りは目を逸らしていても彼女の存在を意識させてくる。そして小物の胃へ確実なダメージを与えていく。
明人はしどろもどろになって待合室の隅で模型のように佇んでいる虚ろな瞳のメイドに目を逃す。
「あっ! ご、ごめんなさいお茶もお出ししないで! お茶を私と彼に1つづつお願いしますっ!」
「かしこまりました」
するとなにを勘違いしたのかテレーレはメイドにむかって白い指を2本ピンと立てて給仕を命じた。
命じられた少女は機械的にお辞儀をする。と、ものの数秒でテーブルの上に紅茶が置かれた。
あいも変わらず淀んだ瞳、なのに迷いのない動きをする。
「えと、あきとさんでよろしかったでしょうか?」
テレーレの淀みのない大きな瞳がゆらゆらと揺らぐ。
「……舟生です」
「ご、ごめんなさい! ふ、ふにゅ~さんですねっ! 覚えました!」
先ほど痛めつけられた明人の心は女王の初々しい反応に少しだけ癒された。
とはいえ、隣でおずおずと紅茶を口に運んでいる少女はこともあろうに種の平等を願う女王ときたものだ。この状況を利用しない手はない。
明人は心を切り替えてテレーレとの間に置いてあるショットガンを邪魔にならぬ場所へ退ける。
「? その黒い筒状のものはなんですか?」
「黒い水筒です。1,5ミリリッター入ります。定価の3500円を2割引きで買いました」
「ほぇぇ? 不思議な形の水筒をおもちなのですねぇ?」
弩や剣を使って戦っているような世界に生きる彼女にはきっと説明してもわからないだろう。
かといって試射をしてみろなどと言われるのも弾の無駄遣いだ。だからテキトウにはぐらかす。
とりあえず明人は息を吐いて心を落ち着ける。
この瞬間が、きっと彼の生涯を決めるだろう。異世界というまるで灯りの見えない世界でも止まることなく、前へ進む。どうせ失敗すれば死ぬだけだからと。
「テレーレさん。自分は、この世界の人間ではありません」




