129話 そして私は語らない
長耳を叩く雨音。締め切られた厚いカーテンの向こうでは、重苦しい雨が降りつづけている。
部屋の様相は、豪華なれど成金のようなものではない。精巧で足の長いテーブルには塵汚れのひとつもなく、メイドの働きが見受けられる。
自室を彩るアンティークものの家具の数々。部屋の四方にそそり立つ巨大な本棚には、山の如き量の魔法図書。なかには趣味で学んだ衆目に晒せないような禁呪の類も混ざっている。例え持ち主が見飽きたとはいえ売りにはださない。手放すときはすべて焚書が好ましいであろう代物。
火のない薄暗い部屋にひとりの黒蝶。着飾った黒いドレスには、フリルがふんだんに仕つけられている。
その姿は壮麗というよりは、愛らしい。憂鬱げな赤い瞳は、ぼんやりと床を見据えて落ち着きなくヒールを鳴らす。いくあてもなく、ぐるりぐるりと自室を徘徊する。
交互にレース透けているスカートの下では、透明感のある細い足。鍵のようにした白い指を噛んで歯型をつけていた。
「ハァ……」
城の主は、背を丸めてため息漏らす。
丸みのある尻を高級なキングサイズのベッドに預けると細い指をちょいと動かした。すると魔法によって浮かんだ小粋なインテリアなかから1枚の人物画がふわりとこちらへやってくる。
描かれているのは、高名なエルフによって美麗に描かれた油彩だ。顔中に包帯を巻いたひとりの母が、赤子を抱いて微笑んでいた。
ウェディングドレスの如き華々しい白いドレスは、王家の嗜み。銀糸のようなウェーブがかった髪と銀食器のような瞳は、上位種であるエーテルの特徴。
「テレジア……。また私は失敗したようだ……」
後ろに倒れると真っ白なふかふかの寝台がその艶やかな肢体を優しく受け止める。
失態という言葉が脳をかすめた。エルフ女王、世界最強の魔法使い、語らずのヘルメリル・L・フレイ・オン・アンダーウッドは落ち込んでいる。
兵を傷つけぬよう安全になおかつ敵兵すら救おうと練りに練った策がいとも簡単に音立てて崩れ落ちた。一朝一夕のその場しのぎならばともかくとして、かなり思慮にふけった結果が失敗。
「そのうえNPCに尻を拭わせるはめになろうとは……忸怩たる思いに潰されてしまいそうだ……」
絵をベッドの天蓋に貼り付けた。
今は亡き友に見守られながらヘルメリルは、もう一度ため息をつく。
仰向けになってなお重力に逆らおうとする豊満な胸が吐息と共にふるりとたわむ。
失態こそ珍しいことではない。魔物への対策や治安の強化、設備指示。あれやこれやと執務に追われる毎日。当然、反省することも多い。
女王とは民の思いを汲み幸せに導くことだとヘルメリルは、考えている。故に膨大な仕事量であってもすべて苦とは思わない強靭なフィジカルとメンタルをもっていた。
しかし今回はわけが違う。民の望みは戦争の終結だった。それを守るべきものに丸投げしてべそをかいておめおめと帰宅とはままならぬ。
誰かに愚痴をこぼせば少しは楽になるだろう。しかし、エルフの女王は女王然とする。常に前に立つ理想の女王の背を見つめて学ぶ。その背中が自身の未来だと信じて。
「リリィは、きっと勝つのだろう……。不甲斐ない女王の失態の後片づけを自ら名乗りでてくれる……まったくありがたい話だ」
ヘルメリルは、目を細めて友たちの姿を夢想する。誘いの森の小さな小屋に住まう物好きたちを。
戦争のゆく末は案じておらず。それは友への信頼でもあった。
古いつき合いになる剣聖、近頃めきめきと魔法を上達させている混血。そして、わけのわからない青年と鉄巨大。
悠久の時を経て徐々に汚染されていったルスラウス大陸を浄化せしめんと奮闘する者たち。
ふたりと1人が楽しげに食卓を囲む光景を思いだしてヘルメリルは、鼻を鳴らす。
「フッ……。ああ、すまない。貴様も死なねば愉快なバカ共を見れたろうにな」
そう言って、ごろりと横に寝転んで悔しさから唇を噛みしめた。
「このド阿呆が……」
描かれた女性の名は、テレジア・L ・フォアウト・ティールだった。
エーテル種の母ともいわれる先代女王。2つ名は聖女。神の力、聖魔法を授かって世界最強の支援魔法を世界に認められた女性である。
そして、現エーテル国女王テレーレ・フォアウト・ティールの実質的な母でもある。
聖女の名に恥じぬ美しい生き様は、最後まで寛容で、どんなときでも笑っていて、少し抜けていた。
例えその身が龍の炎獄に焼かれてただれ、2度と元の顔に戻れぬとしてもたったの一言で済ませてしまう。
『うふふっ。これはこれでアクセントがあっていいかもしれないですね』
にこやかに頬をゆるめる顔は、彫りのある美しい顔立ちは、発酵した乳製品のようにただれきっていた。
年の割に幼気で活気のあった姿はどうやって戻らなかった。
生身は断固として見せなかったが、想像に堅くない。首筋を見れば、半々に白と赤の2色。恐らく、焼かれた前面だけがすべてただれて背だけは美しさを保ったままだったのだろう。
龍を前に背を見せず回復魔法をその身に受けて仲間の支援をしつづけたツケ。勇敢、そして命すらいとわない無謀な立ち回り。
以降は、常に包帯で全身を隠して生きてテレジアは、娘を残して死んでいった。
「なぜだ……。なぜ治癒魔法でも傷が癒えなかった……。なぜ貴様は早々と死んだ……」
絵の向こうに見える不可解をヘルメリルは、忌々しげに睨む。
種の寿命とは死を思うこと。死を願えば、神が死を与えるとされている。双腕のように死を願った瞬間から命のロウソクに火が灯る。それから老けて、朽ちていく。ヒュームを除いては。
しかし、テレジアは違った。老けもせずに、ある日突然健康体のまま息を引きとった。
あまりの突然のできごとを前に集結した英雄たちは、悲しむ暇もなく呆然と安らかな寝顔をみさせられた。
そして、皆は散り散りになって思い思いのときを過ごした。
「100幾ばくの年月を経て未だわからぬ研究課題が今の私にどうこうできるわけもない、か」
ごろりと逆向きに寝返りってヘルメリルは、きゅっと体を縮める。
湿ったっ空気に止まぬ雨。まるで自身の心を映しているような錯覚を覚えた。
「――ッ!?」
瞬間。なんの前触れもなく察知した。
覚えのあるマナだった。
ベッドから跳ね起きたヘルメリルは、長耳を上に向けて周囲を警戒する。
「呼び声にも似た遠方からの誘いの気配……?」
環境マナは、魔法を使う者にとっていわば無色透明だ。
覚えのあるマナとは、誰であれ色の異なった体内マナである。でなくば性質が異なることはない。
挑発的に呼びかけるマナの流れ。こっちにこい、早くこい、さあどうした、とでもいいたげな旧知の声まで聞こえてくるかのよう。
「クックククッ! なるほどなるほど! すべては貴様の差し金だったということか!」
顎を上げて指を添えヘルメリルは、くつくつと喉を鳴らした。
見落とし。そして、すべての真相がこの一瞬で判明する。
してやられたヘルメリルの笑みは、徐々に深く影を濃くしていく。戦争のすべては、個の意思による操作だったのだ、と。
幼少の体から育たぬピクシー族は、知能も低く、争いを好まない傾向にあった。
つまり、差別心よりは恐怖が勝るとヘルメリルは考えていた。
それを知っていたからこそヒューム領を奪取し要塞を築きあげ、ワーウルフ種からの進行を防衛するという作戦。しかし、結果は総崩れ。
呼び声を聞いて存在を察知したヘルメリルは、己が利用され嵌められたことを知る。
「ハハハハハッ! 気狂いめが! ハーッハッハッハ! 至極愉快ッ! 阿呆も越してむしろ痛快だぞッ!」
発破をかけたかの如きよく滑る口。翼のように両手を広げる。
と、背で綺羅びやかな蝶の羽が発現する。歓喜に歪む顔。
なにせ、あちら側から戦争の終焉を運んできた。売られた喧嘩は買う。
それもヘルメリルが生きる上でかなり重要な項目だった。無論、酒場の遊びであれ、相手が例え異世界の住人であっても勝敗があれば勝ちにいく。
「この冷然たる明瞭にて夢見る大樹をも手中に収めし語らずの呪術師すらを嘲るかッ!」
勇ましく前口上を決めたヘルメリルは、高圧的な笑みで声高に笑う。
見開かれた眼の中央には血の如き真紅の瞳。口で三日月のように弧を描き、口角は目一杯にもちあがる。
見るものによっては恐怖を覚えるであろう表情。
手を掲げずとも窓は弾け、カーテンを潜り、黒蝶は飛び立つ。腰まである長い漆黒の髪とドレスに仕立てられたフリルがバタバタと踊り狂った。
雨を切り裂くその体の周囲にはとうにヘックスの集合体が張り巡らされている。
語らずは、唱えずして魔法を発現させるからこそ語らずと呼ばれる。
探知したドワーフ領へと黒き鴉が怒涛の速度で迫った。
敵は旧知の仲であるピクシー国王。共に龍と相対し、解放戦争の幕を引いた過去もある者。
手合の名は、癒やし手のディクラ・L ・ルセーユ・シェバーハ。
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一方その頃のSSコーナー
……………
「お母様見て見てッす! これが語らず様直伝の魔法! 《ローション》ッす!」ネトー
「う、うーん? す、すごいわぁ……?」
「ねえ、明人」
「いててっ、なに? 寒いから早く包帯巻いてくれない?」
「あの魔法アンタが教えたんでしょ?」
「まぁそうだな」
「あれアンタの世界のものなの?」
「まぁ……そうだな」
「なににつかうの? あのネバネバ」
「……スポーツで使うよ」
「嘘でしょ?」
「ほんとほんと。水着になってからネバネバを被って押し合うんだよ」
「……」ジトー
「いや、マジだって。オレの住んでた国の国技だからね」
「……名前は?」
「相撲。だから今回の使い方は1ミリも間違ってなかったってこと」
「聞けば聞くほどわけわかんない世界ね」
「ローション相撲も100年くらい前に廃れた文化らしいよ」
「ふーん。どうでもいいかなー」マキマキ
「いててっ……」ブルブル




