10話 どうせ……家族?!
さわさわと葉擦れの音が耳に心地よく天蓋のような葉を縫って降り注ぐ陽光は金色の帯の如し。この世界に四季が存在するのかは不明だが大地に咲く花やすえた樹皮の香りからは地球での春を感じる。
明人は著リリティアの本を片手に街を目指していた。
リリティアの助言によると武器は必要不可欠なのだと言う。そのためストライカーを肩に下げて腰には古ぼけた革の小物入れを装備していた。
「んー! 気持ちのいい陽気ですねぇ!」
白いドレス調のスカートが風に揺れてちらりと覗く白い足が眩しい。
そして、腰には鞘に納まった剣と思われる物をぶら下げている。やや控えめな胸を押し出すように大きく伸びをする。
その横で明人は、本に描かれた奇妙な地図を改めて眺めていた。
「ねえ、リリティア。なんでこの地図――右下が真っ黒なの?」
墨で塗りつぶされたかの如く黒々とした箇所を指差して尋ねる。
他にもルスラウス大陸の世界地図には突っ込みどころがいくらでもあった。
それでも彼にとっては黒く塗られた箇所がもっとも不可解だった。
東南に位置するであろう部分。本来ならば右下には大陸の端と海があるはずだが、この地図では真っ黒に塗りつぶされている。
「ああ、それはですね」
リリティアは、よくしなりそうな人差し指をピンと立てた。
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに鼻を鳴らす。
「なんと! そこから先は世界が存在しないんです!」
「ふーん、そっかーこわいなー」
アホなジョークを適当にいなす。
そうして他愛もない雑談を交えながら付かず離れずの距離を保って森を歩きつづけた。
なぜ2人が街を目指しているのか、一言で表すのなら藪蛇といったところか。
蜂蜜のようにあまくとろける恋愛、セクシーであまいマスクの男性、あまいものを好む女性たち。その傾向はたとえ世界が異なっていたとしても変わらなかった。
明人は、無造作に小物入れに手を突っ込むと、そのなかから自分用にとっておいた1枚のクッキーをとり出す。そして、包装紙を破って「食べる?」とリリティアに差し出す。
「たべますっ!」
目を爛々と輝かせチョコレートクッキーを受けとり、頬張るリリティア。髪が触れる頬をおさえて噛みしめる様子を見ていると明人の頭に餌付けという言葉が浮かんでくる。
つまりご多分に漏れず、居候先の女性たちもまたあまいお菓子がとても大好きだったということ。
「んーこの味は本当に不可解ですねぇ……。どうやればこうも同じ味を繰り返し作れるんでしょうかねぇ……」
明人がリリティアの料理に惚れ込んだことと、リリティアとユエラが明人の持ってきた菓子に恋をしたことは同義。
うまいものはうまい、まずいものはまずい。地球もルスラウスも、生物として根本的な部分は同じのようだ。
昼食中、ユエラがリリティアにむかって「またあのクッキー食べたいなぁ」とうるうるした目で懇願すれば、リリティアの行動は神速の如し。依頼人の就寝を確認した料理長は居候から情報を洗いざらい吐きださせ、素早く旨味の成分を解析すると、素材を揃えるために緊急の依頼が発生する。
それが今、明人とリリティアが街を目指す食材探しの理由だった。
「あっ、そうですそうです。明人さんの必要なものも揃えなければいけませんね」
リリティアがくるりと回って明人へほんのり微笑む。
「あんまりオレに気を使わなくてもいいよ。お金使わせるのも気が引けるしさ」
「せっかくなんですからもっと楽しそうにしてくださいよー。お買い物とかして着飾ればきっと幸せいっぱいですよー」
本に描かれた魔物の項目に目を落としながら明人が受け流すと、彼女はムッと片頬を膨らませる。
明人は喉に小骨が引っかかったような気分だった。
平和に暮らしていたであろう2人の家に、どこの馬の骨かもわからない男1人が転がり込むことがどれだけ非常識なことか。ユエラの機嫌が悪いのも、リリティアが気を使ってくれているのも、すべて自分が腫れ物だから。
明人は、この世界で生き残るための知識を学ぶことにした。彼女たちのためにも独り立ちを考え始めている。
むーっと唸りながら近寄ってくるリリティアの不満そうな顔を手で押しとどめ、片手でぱたんと大判の本を閉じる。
「リリティア。オレにもっと仕事を押し付けてくれてもいいんだよ? そんないつまでもお客様って感じでもてなしてくれなくてもいいんだし……」
「? なぜです?」
不思議そうに小首を傾げるリリティア。動きに合わせて腰の辺りまである大きな三つ編みがゆらりとうねった。
もともと慣れ親しんだ2人で暮らしていたのだから、家事手伝いなぞ必要ないことは馬鹿でもわかる。薪割りもリリティアの起床の手伝いも掃除洗濯もすべて手すきで暇を持て余した居候への配慮。
そう考えた上で、明人は2人の恩人に恩返しをしたかった。もしくは自分の役割が欲しかったから、かもしれない。
「だって、オレは居候なんだしさ」
「へ? 明人さんは家族ですよ?」
キョトンと。放たれたリリティアの言葉に明人は思わず足を止めた。
頭部を鈍器で殴られたような、でなければ心臓を矢で貫かれたかのような、衝撃に頭がクラクラする。この人は一体なにをオレに求めているんだ、と。
腰の辺りで指を絡ませて遠ざかっていく彼女の先には平原が広がっている。地図が正しければ上位の街はもうすぐそこだ。
明人は、はっと我に返ってその背中に小走りで追いかけると、おもむろにリリティアは腰の剣を抜き放つ。
斑の陽光を受けて両刃の銀が鏡のように煌めく。
「なに、を――ッ!?」
「まったく……せっかくのデートだったのですけど。不謹慎な輩もいたものです」
ひょう、と風を切る音が聞こえるのと同時。明人の足元に光り輝く矢と思われるものが突き立つ。
「っ!」
背に水をかけられたかのように全身がすくみあがった。なにものかに狙われている。
「《魔法の矢》とは。なるほど……今すぐ森をでます!」
粒子となって消えていく矢に彼女はなにを見たのか。
リリティアは硬直する明人の手をむんずと掴む。それから弾かれた弾丸の如く森の境を越えて木々の海を脱す。
開けた平原に出ると待ち伏せていたかのように左右に追従してくる影が8つほど。
視界に入ったその姿はあまりにみすぼらしく、あまりに非現実的だった。
「ぞ、ゾンビ!? 映画の撮影なわけないよな!?」
襤褸を纏って走る8体の死骸と思しき腐肉だった。
ただれた皮膚からは体中の筋が露出しており、手には粗末な弩やら剣が握られている。
「あそこで戦いましょう! 返り討ちにしてやります!」
リリティアが剣で示した先には平原に大岩がひっそりと鎮座していた。
そして人とは思えぬ豪腕で人1人をぶん投げる。
「た、戦うったって――うわあああああ!?」
放り投げられた明人はしばし地面と垂直に滑空した。
やがて思い切り地面にキスをすると、そのまま慣性でごろごろと転がる。
コントロールが良かったらしくゆるやかに岩の真横で静止した。狙いが完璧な遠投だった。しかしかろうじて負傷こそしなかったものの草場でなければ大怪我をしていただろう。
遅れて、ふわりと広がったドレススカートを押さえたリリティアが沈んだ明人の横へ着地を決める。
「っと、大丈夫ですか? 一応調節はしたんですけど」
「もはや交通事故だよッ!」
そう叫んでから明人は岩を背に痛む鼻を押さえてよろよろと立ち上がった。
不満はあったがこれでゾンビと十数メートルほどの距離を稼げた。
おそらくはあれが魔物と呼ばれる危険生物。そして、彼女が護衛を必要だと口にする理由。
この瞬間、自身の身に死の危険が迫っていることを理解した。頭に浮かんだおののきに似た感情は徐々に体から熱を奪っていく。
明人は手にもっていた大判の本を腰の小物入れに差し込みショットガンに引っ付いた濡れ草を払う。そしてストックを引き伸ばして構えた。
「……ふぅぅ」
そして体液をしたたらせながら迫りくる死骸の群れに照準を合わせた。
円形状のドラムマガジンに予め詰めてある弾は10と2発だけ。
予備はなく作成も不可能。となれば無駄撃ちは許されない。
「明人さん”一夜で仕上げたルスラウス大陸での生存方法”の126ページを開いて下さい」
張り詰めた空気をはらうかの如く穏やかな声が耳の奥へ届いた。
見ると、そこには剣を片手に普段と変わらぬ柔らかな表情のリリティアが立っている。
ほどかれた三つ編みはまるで清流のように波うち陽によって光を帯びている。
「大陸で生き残るために必要なもっとも先鋭的かつ斬新な授業をはじめるとしましょう」
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