第二章 その3 暴走電車
車内放送と同時にウォォォォンとモーターがうなり、電車が急加速した。乗客が一斉に天井の方を見上げてきょろきょろしている。
ドア上のモニタを見上げると、ご丁寧にも「地獄行き」と表示されていた。悪い冗談の駅名が手違いで本番化されたのかもしれない。
乗客たちは周りをきょろきょろと見回してはスマートフォンを操作している。SNSに投稿、なにが起きているのか検索、知人と連絡を取る、といったところだろう。パシャッ、というシャッター音に振り向くと、スーツの男がモニタの表示が写るように自撮りをしていた。
面白いところに居合わせた、といった程度の緩い空気が車内に満ちていて、わずかにいた不安そうな乗客たちもそれを恥じるように苦笑いを浮かべていた。
だが、電車は少しずつ加速し続ける。苦笑いは顔に張り付いたようにこわばり始めた。
ぐらっと揺れたかと思うと、電車はまったく速度を緩めることなく駅を飛ばした。
ここに来て車内の雰囲気が一変した。
「おい、なんで止まらないんだ?」
「ひょっとしてこれ……マジなのか?」
「故障、いやハッキング……?」
ようやく事態の異常さに気づいた乗客が不安げに腰を浮かす。電車はカーブに差し掛かり、内周側の車輪が空回りするような妙な感覚を覚えた。経験したことのない進入速度に「ひっ」という悲鳴が漏れる。
ピーッとけたたましい警笛を鳴らしながら向こうから電車がやってきた。すれ違いざま、ごぅ、という轟音とともに風圧を受けた車両は大きく左に揺れた。
「きゃあっ」
悲鳴に振り向くと、頭を抱えた女性の後ろの窓ガラスにヒビが入っていた。通常運転を知らないキイチでも、はっきりと分かる異常事態。
(……調べてみるか)
キイチが侵入口を探してあたりを見回していると、カタカタとタイピングの音が聞こえてきた。
音の出所はあの包帯の少女。帆布のトートバックから取り出したノートPCを膝の上に置き、一心不乱にキーを叩いている。キイチは、ん? と目をとめた。
少女の細腕には似つかわしくない、タフ仕様のノートPC。アタッシュケースと一体化したようなデザインは軍用品としても使われている法人向けモデルで、AK47でも撃ち抜くことができないと喧伝されている。女の子が選ぶにはちょっとヘビーデューティすぎるシロモノだし、個人で購入することすら簡単ではないはずだ。
(とすれば、あれは支給品か。今打ってるのはブログじゃなさそうだな)
キイチはそっと少女の向かいに移動し、様子をうかがった。少女はまるで気づく様子もなく、目にも留まらぬ速さで指を踊らせている。
キイチはPCの天板に貼られた資産管理シールに気づいた。
(統括理事会、サイバーセキュリティ特務課……?)