第七章 その2 将棋
五、六台のパトカーを引き連れ、白いセダンが大通りを北上する。
取り囲まれる直前で辛くも逃げ出したヤーコフは、パトカーを振り切ろうと懸命にアクセルを踏んだ。助手席にはイワン、そして後部座席にもう一人。
赤信号の交差点に差し掛かったセダンは、左から大型トレーラーが迫ってくるのにも構わず、速度を緩めずに突っ込む。トレーラーはプァーッとクラクションを鳴らしながら急ブレーキをかけるが、速度を殺しきれずに荷台が大きく蛇行した。その間隙を縫うようにセダンが交差点を抜ける。後ろから響くひどい衝突音にイワンが「ひっ」と肩をすくめた。
「お、いい感じじゃねえか」
ヤーコフはルームミラーを見上げてにやりとする。ちょうどセダンとパトカーを分断する形でトレーラーが横転し、尻を振ってパトカーが次々と停まるのが見えた。
「どうします? ボス。このまま裏通りに入って車捨てますか」
「次の通りで下ろしてくれ。お前らとは別行動がいいだろう」
「了解っ」
セダンは左折するために速度を落とす。
「待て、パトカーが来てる」
「ちっ」
入ろうとした裏道でパトカーと鉢合わせたヤーコフは慌ててハンドルを戻した。縁石に乗り上げながら進路を戻すと、後ろにサイレン音を聞きながら再び逃走を始める。
「高速に乗りますか?」
「いや、出口を固められたら時間の問題だ。待て。そこの横道に入れ」
「くっ」
後部座席の男の言葉よりも速く、ヤーコフがハンドルを切る。先の交差点は赤信号で、左右の往来が激しく、信号無視をして突っ切る隙間はない。そのまま直進していたら立ち往生するところだった。
「うっ」
突然、右からパトカーが顔を出し、ヤーコフが一瞬うろたえる。だが、その直後にパトカーの鼻先を路線バスが横切っていった。
「しめた、今のうちに左折しろ」
「了解っ」
キュキュキュッ、とタイヤが鳴き、ドリフト気味に裏道に入る。
ヤーコフたちは何度もパトカーに遭遇しつつも、間一髪のところで切り抜けていく。
「しつこい奴らだぜ、まったく」
「……」
「ボス? どうしました?」
後部座席の男は考え込んだように無言のままだった。
「どうもおかしい……」
「なにがです? っと、また来やがった」
ヤーコフは素早くハンドルを切り、軽々とパトカーを振り切る。
「さっきから選択肢が一つしかない。そうは思わんか?」
「……どういう意味です?」
「その、さっきからルートを選ばされてるんだと、ボクは思います……」
「なんだと?」
ヤーコフは左腕を伸ばしてイワンの首を掴む。
「どういう意味だ、イワン」
「コホッ、どうやっているのか分からないけれど、この道しか選べないように誰かが誘導してます」
「ふざけたこと言ってんじゃ……」
ヤーコフは、後頭部にゴリッとした感触を感じて言葉を止めた。
「な……にしてるんです、ボス」
「お前の思考が読まれてるんだ、ヤーコフ」
「そ、それでなんで俺に銃を……?」
ガンッ、と後頭部に衝撃を受け、ヤーコフがハンドルに倒れ込む。アクセルから足が離れ、車の速度が落ちていく。後部座席の男は後ろから運転席のドアを開けた。
「そいつを蹴り出せ、イワン。お前が運転するんだ」
「ひ、ひぃっ」
イワンは目をつぶってヤーコフを蹴る。意識を失い、ぐらりとバランスを崩したヤーコフの上半身が車外に落ちて引き摺られた。
「う、うう……」
「ひっ」
痛みで意識を取り戻しかけたヤーコフを、恐怖に駆られたイワンが滅茶苦茶に蹴る。ヤーコフは後ろ向きにもんどり打って車外に転がり出た。イワンがハンドルにしがみつき、車は哀れな元運転手を避けて蛇行する。
「停まるな。さっさと運転席に座って速度を戻せ」
「ひっ、はっ、はいっ」
運転席に座ったイワンは、飛び出しそうなくらいに目を大きく見開いてハンドルを握った。
*
「奴さん、気づいたね」
キイチは二台のタブレットを操作しながら言う。画面には監視カメラシステムの映像がリアルタイムに表示されていた。
「誰に替わっても同じよ。大塚四のB、十二秒後に赤へ。大塚五のA、十一秒後に青。中村六のA、南詰三のAともに九十八秒赤持続」
アンジェリカの声に合わせる伴奏のように、カナがタイピング音を奏でる。
N/Aの信号機クラック事件の後、箱庭都市中の信号機はセキュリティパッチが適用されて同じ方法は使えなくなった。
だが、そのセキュリティパッチ自体にカナは裏口を仕掛けていた。今や箱庭都市の信号システムは完全にカナに掌握されている。
アンジェリカはその信号システムだけで、完璧にパトカーとN/Aの車を操っていた。キイチの無限解像でコネクテッドカーのカーナビに入力されている目的地や過去の走行履歴を拾い、それぞれの車両の走行コースを推測する。その上でタイミングを合わせて信号を切替え、一般車両の「列」を作る。
そうやって作ったいくつもの「列」を使って、パトカーやN/Aの車の選択肢を狭め、誘導する。まるで十手先の手を指示しながら、十手前の盤面を見ているようなタイムラグのひどいリアルタイム将棋。それを、アンジェリカは脳内だけで楽々と計算する。電車ジャックで見せた同時並列処理能力の高さはホンモノだった。
不意にキュィィィィ、と甲高い音が響き、機械式駐車場のエレベータが動き出した。
エレベータはキイチたちのいる最上階で停止した。かごにはエアバッグでがっちりと固定された白いセダン。運転席の男は何度もイグニッションキーと頭をひねっているが、セダンはまったく動く気配を見せない。
「無駄だよ。あんたたちが走り回ってる間に、その車の秘密鍵解読はとっくに終わってる。もう二度と動かない」
キイチがタブレットをタップすると、セダンを固定していたエアバッグが萎んだ。後部ドアが開き、男が降りてくる。
男は仏頂面ではあったが、慌てた様子も、諦観した様子もなかった。背筋をピンと伸ばし、威風堂々たる起居振舞だった。権威があって、権威を使うことに慣れた男の振るまいだ。
だが、男の前に立ちはだかったキイチは臆することなく言い放った。
「ようこそ、統括理事長殿」




