第二章 その7 詰め将棋
(2017/09/18)わかりにくい部分を手直ししました。
アンジェリカの指示はグラフィカルな運行モニタに反映され、列車が次々と待避路線に入っていくのが一目でわかる。
「すげぇ……」
キイチは思わず声を出していた。
「そういう仕事なんです」
アンジェリカが同じ台詞を繰り返す。
そうじゃない、とキイチは心の中でつぶやく。これは簡単にできるシロモノじゃあない。
ただ単に前方にいる電車を逃がすだけでは間に合わない。この電車の軌道上での衝突は避けられても、退避路線で衝突してしまう。日中に運行中の電車をすべて緊急待避させるなんて運用は想定されていないはずだ。
それをアンジェリカは易々とこなしていく。
反対回りの線路にいる電車を駅間で停止。その電車が入ってくるはずだった駅のホームに別の電車を逃がす。その直後にポイントを切替え、次の電車に備える。
最短時間でこの線路を空けるため、刻々と変化し続けるすべての電車の速度、路線変更可能なポイントへの到達時刻を把握し、最適化された手順で寸分の狂いもなくコマンドを叩いている。言ってみればリアルタイムの詰め将棋をやっているようなものだ。
一歩間違えれば正面衝突すらあり得る操作を、ATSが作動しないことを逆手にとって最短手順で進めていく。脱線の恐怖に屈することなく、大局的な最善手を瞬時に判断、迷うことなく打っている。
アンジェリカにはすべての電車が見えている――彼女は間違いなく天才だ。キイチはいつの間にかその絶妙な采配に魅了されていた。
唐突にアンジェリカの指が止まった。
「どうした?」
「いえ……」
もう一度キーを叩く。さらにもう一度。
「あとはこいつ自体の暴走を止めれば終わりだろ?」
「……」
アンジェリカは答えない。
運行モニタでは軌道上に残っている電車はキイチたちの一台きり。火急の事態は避けられた。もちろん、暴走そのものが解決したわけではないが、それでも多少の猶予はできたはずだ。
「なにか問題が」
「お名前!」
アンジェリカがキイチの言葉を遮るように叫ぶ。
「まだお名前うかがってませんでしたね。私はアンジェリカ――アンジェリカ・ユーリィエヴナ・カスタルスカヤです。あなたのお名前は?」
「あ、ああ。兵頭キイチ。キイチでいいよ」
「キーチですね。発音しやすくて、いい名前です。忘れません」
キイチは妙な物言いにその真意をつかみかねる。
「キーチにお願いがあります。正直に言って、これからすることは少し危険が伴います。なので、二両目にいる人たちにもっと後ろに行くように伝えてください。できれば三両目も、四両目も、できるだけ後ろの方に」
「わかった」
「申し訳ございません。こんなことお願いして」
「いいって。全然手伝えなくてやきもきしてたところなんだ」
アンジェリカは青ざめた顔でにっこり笑った。
その笑みに引っかかるモノを感じながらも、キイチは二両目に移動した。そこにはまだ、十数人の乗客が残っていた。後方車両に移るよう大声で伝えると、先ほどの大移動を見ていた乗客たちはぞろぞろと立ち上がって列を作った。パニックになっていなければ団体行動も秩序がとれている。もっとも、あの大移動がなければ高校生のキイチの言葉に従うものもいなかっただろうが。
つつがなく乗客が移動していくのを見て、キイチはふぅ、と息をついた。車窓に目を向けると線路がいくつも並んでいるのが見えた。ちょうど車両基地を通り過ぎるところだった。アンジェリカが避難させたものだろう、まだ乗客が乗ったままの車両もあった。
(あれ……?)
キイチはその様子に違和感を感じた。さっき見た運行モニタとは電車の数が違う。
よく見ると、それは保守作業用の特殊車両だった。確かに、ほとんどが無人化・自動化されている鉄道システムであっても、保守作業のためには現場の裁量で運転可能な車両が必要なのだろう。
キイチは背筋にぞくっとする悪寒を感じた。
「まさか!」
窓を開けて身を乗り出す。
悪い予感は的中していた。




