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沙希と婚約者。

私、美影沙希は恵まれた立場だと日々思っている。

父も母も優しく、一人っ子の特権をほしいままにし、親の立場のお陰で何をするでもなかった赤子の時代から、特別な子供のように扱われた。

それを理由に苛めを経験することもあったけれど。

立場故の与えられた義務や、両親の望みを叶えるために行動してきた。

そこに私の意志があったのか、なかったのか今では分からないことがあるけれど、どうであれ私は私。

生きる上で何かキッカケを得て、夢を持ち、将来を見据えて勉学に励み、達成までの道のりを歩み、いつかはその夢を叶える。そんな日が来ると思っていたけれど、私は夢を見ることができなかった。

何が劣っているというわけではない。ただ、これといって心を燃やすものに出逢えなかった。

そのことが、どこかでコンプレックスでもあった。

周囲の子たちは、私ができないことをやってのけていたから。


何故、私にはそれができないのだろう。


心から友人と言える人のいない一人ぼっちの教室の中で、取り残されたような感覚になった高校時代。

当たり障りなく、大学へ進学しよう。

進路調査の紙を前に、震える手が勝手に動く。

それはもう、立場と両親から求められ、望まれているものは何か最初から知っているからこそで。

初めて、自分は空っぽの人間だったのだと思い知ったのだ。


けれど、私にも一つ、心の支えがあった。

幼馴染の光石陸みついし りく。私より五歳年上だけれど、両親同士が友人ということもあって、彼はよく私の面倒を見てくれた。

小さい頃は、とにかく優しい彼を本当の兄のように慕っていた。

「りくにい」そう呼んで甘えては、彼は私を「あまえんぼのさーちゃん」と頭を撫でる。

そのひとときに私は喜びを見出していた。

優しいはずの両親の手にはない、温もりを感じたから。

けれど、そんな日々も脱兎のように過ぎ去って、高校に入学したばかりのころ。

彼は突然、私を避けるようになった。


最初は、忙しいのだろう、勉強しているだろうから邪魔してはいけない、また前のように会ってくれるだろう。

そう思っていた。


その思いも虚しく時間が過ぎて、私は痺れを切らせて彼に電話をした。

聞いたことのないようなそっけない声に驚きながら、どうしてなのか聞くと彼は言った。


「お前と会うと、彼女が嫌がるんだよ。だから、お前とは距離を置きたい。ただの幼馴染だし、大丈夫だろ。」


そう言うと、沙希の返事を待たずに電話を切った。

ショックだった。

何がショックって、彼に彼女がいたことも、彼にとっての幼馴染とはその程度だったと言う事と、そのことに深く傷ついている自分がいることだった。


いつか本で読んだことがあるし、いつか見たドラマもそう。


人は失って初めて、その人の存在をどれほど大切に想っていたのか知るのだと。


私は、そんな大切な人がそばにいるならすぐに気づいて、離さないわ。

そう思っていた幼い私が、遠くへ走り去って隠れて消えた。


確かに、彼のことは本当の兄のように慕っていた。

ずっとそう思っていくのだろうと思っていた。

いつから?

いつから、私は彼のことをこれほど失いたくない存在にまで育っていたのだろう。




――りくにい、大好き!将来、私をお嫁さんにしてくれる?


――うん、いいよ。さーちゃんのことずっと大切にするね。



遠い日の面影が、そっと脳裏で花開く。

初めて会ったその時に、私は彼のことが好きになっていた。けれど、それを恋愛感情だとは思えなかった。

そんな感情があることも知らなかった。ただ、彼のことを慕っていた。

余程、幼いころのほうが自分の心に素直だったのかもしれない。

それならいつから、「兄」として頑なに想うようになったのだろう。

すると、いつかの記憶が脳裏を過る。


――さーちゃんだって!年下の女の子としか遊べないなんてひ弱なんだな!


――うるさい!


――小学一年生と付き合ってるのか!ロリコンだ!!ロリコン!きもーい!!


――馬鹿を言うな!彼女は、大事な妹みたいなものだ!


――でも、本当の妹じゃないんだろー!恋だ!恋!


昼休み、偶然校庭で会った沙希に陸が声を掛けたときだった。

眼前で繰り広げられた光景に、幼い沙希の心に棘のように突き刺さった。


自分の存在が、彼のことを苦しめている。

けれど、離れたくないという気持ちの狭間で揺れ、「兄」として接し続ければ、ずっと傍に居られると思い込んだ。

幼い沙希は目一杯叫んだ。


――陸にいは、お兄ちゃんだよ!!へんなこと言わないで!


一瞬、陸の目が見開く。そのことに気づかなかった沙希は、相手の男の子相手に更に続ける。


――私、他に好きな人いるもの!


おませさんだと揶揄する相手の男の子を無視して、沙希は陸を見上げた。

眉をわずかに眇めた顔をしつつ、沙希の視線に応えると、陸は微笑んで「ごめんね」と言った。


五歳離れた私たちは、小学校の一年間しか同じ校舎で過ごすことはできない。

私が中学生になったころには、彼は高校生、大学までエスカレーター式で入学できる身であっても彼は外部大学入学を希望し受験も真っ盛り。


そして、十九歳になった今。

彼は二十四歳。

家の家業を継ぐまでの間だと、実業家として早くも頭角を現し、実業家界では最早名前を知らない者はいないという先鋭ぶりを発揮し、家の家業を継いだ後でも本家に取り込んで更に地盤を固められるように手堅く仕事をこなしているという。

そんなことを知ったのは、彼からではなく専門雑誌だった。

彼は大学在学中にも実業家として始動しているという。

同じ名家の出でも、彼と私では天と地ほどに違うわね。そう考えては、溜め息を零す。

一方でそんな早くも億を稼ぐやり手の若手実業家として世間の注目がある彼の彼女と言われる人は、ころころ変わる。

看護師、弁護士、実業家、大手アパレル企業のご令嬢で女優、モデル、医師、人気作家、税理士その他諸々、夢を持ち将来のために切磋琢磨して名誉を手にいれた女性たちばかりが彼の心を射止めていた。

けれど、その恋は短命。けれど、彼が一人になることはなかった。

それもそのはずだ。

彼は生まれや商才だけでなく、見目も麗しい。

一見して王子様のような容姿だ。

その容貌の美しさは、成長するごとに磨かれていき、「子供のころは美男子だったのにね」や「昔はいがぐり坊ちゃんだったのにね」なんて噂されるようなことはまずない。

陶器のような白い肌、切れ長で二重の色素の薄い瞳、すっと通った鼻筋は意思に強さを窺わせ、薄くも厚くもないバランスの良い唇がそっと弧を描いて微笑む瞬間は、見たこともない天使を思わせる。

誰だって一目で恋せずにはいられない男性だ。

年下で、恋という感情も知らなかった沙希は黙って見て居られたし、何より沙希の心に深く残るのは彼は優しく微笑んだときの瞳の温かさと、沙希が恐がるとき悲しいときにそっと握られた手の温かさだ。


けれど、今私の目の前に居る男性は、初めて会ったかのように冷たい瞳をして一瞬も微笑むこともない男性だった。

あの頃のように、なんの計算もなく笑顔でいられたのは嘘のよう。

「いやあ、かねてから是非にと思っていたが、こんなに美人さんに成長しているんだなんて、良縁じゃないか!」

光石のおじさま――陸の父親であり光石グループの当主――が朗らかに笑い陸の肩をバシっと叩いた。

元は闘い合うべき間柄の当主間には、昔からの馴染みある友人同士ともあって今回の政略結婚においても、政略の字が抜けているような空気を醸し出している。

手を取り合って、足りないものを補う合うために娘と息子を結婚させようという発想は、「何かあったらよろしくね。」という白々しいほどの思惑があるだろうものを彼らは「運命の人」だと乙女のようにはしゃいでいる。

幼馴染である子供たちが、長年の交友を経て結婚。それが父たちの浪漫らしい。

一方、同じく仲の良い母親同士は「恋愛が生まれている間ではないのだから政略が大きいだろうに。」と困ったように顔を見合わせながらも「まあ、確かにロマンティックではあるわよね」「これで本当に愛が生まれたら、その話しで一生お茶が飲めるわね」と訳の分からないところで納得している。

親同士が盛り上がる中、当人ふたりはひたすら沈黙を守った。

何か声を出すにも、それを許さない空気が陸にはあったからだ。

望んだことではない。


それを主張するかのような沈黙と、怒りを滲ませた冷たい目。


沙希が「元気でしたか?」と冒頭で声を出し、それに対し冷たい目で「ああ。」と答えたきり、会話はなかった。

婚約が決まってから、顔を見るのはいつも親同士が集まり子供を呼び寄せたときだけ。

彼から連絡を貰ったこともない。

血の通う人間であることを否定するかのように冷たい空気が、過去の温かい思い出まで侵食しようともがいているようで。

婚約が決まったとき、顔を見合わせたときは同じ冷たさのなかにも困惑や戸惑いを滲ませながらも沙希に声をかける余裕があったはずだった。

けれど、それ以降彼は接触を避け、沙希からの接触も拒むようになった。


望む結婚でないものに縛られようとしていること、そして本当は他に愛している人がいるのかもしれないと考えれば自分に冷たい理由は大いに理解できた。

理解できても、悲しいことに変わりはなかったけれど。


私はどうしたいだろう。このまま、彼と結婚していいのだろうか。

私だけが好きな状況で、苦しくなる日がくるのだろうか。

彼に好きになってもらいたいのだろうか。

現状に胸が締め付けられる。

陸兄りくにい…。」


ふと口から洩れた言葉に、思いがけず陸がピクリと反応を見せた。


その様子を見て取った両親たちが、「私たち、用事があるから。」と言って別の部屋に移動した。

完全に彼らの気配がなくなったのを感じ取ったのか、陸が声をあげる。


「…何。」


「私はね、好きな人と一緒に居ることが幸せなことだと思うの。」


ぴくっと眉を顰める陸に、沙希は気づかないふりをして続ける。


「……陸兄と久しぶりにこうして会うようになって、私は嬉しいと思ってる。もっと、お話しがしたいと思ってるし、知らない陸兄のこと…知りたい。」


「……俺は、…っ。俺はお前に幸せになってもらいたいと思ってる。でも、それができるのは俺じゃないことも知ってる。」


「どうして、幸せにできる人は自分じゃないと思うの?陸兄に好きな人がいるから?」


伏せていた瞳をハッとしたように上げる陸と目がかち合う。

しばらく無言で見つめう中で、陸の瞳が僅かに揺れた。


「……そうだ。」


長い沈黙を破ったのは陸の一言だった。

そのたった一言で、沙希は自分の悪い予想が真実に塗り替えられていくのを見た。

僅かに揺れた瞳には、きっと私への同情があったのかもしれない。


「……うん。そうだよね。そんな気がしてた。ハハッ…ごめんね。それなのに、こんな私と婚約なんてさせられちゃって。その女性は、このこと知ってるの?」


「……あ、ああ。」


「…そう。陸兄はどうしたいと思っているの?私たちのこと。」


すっかり温くなったコーヒーをすすり、陸は首を振る。


「分からない。少なくとも、両親は嬉しいようだ。しばらくはこのままでいるしかないだろう。」


「それって、追々様子を見て破棄できる折を探そうってことでしょう?」


そう沙希が言うと、陸は困惑したように沙希を見つめた。


「物は言いようってことか。お前も、大きくなったんだな…。」


「もう十九歳よ。私だって陸兄には幸せになってもらいたい。好きな人がいるなら…とくに。」


どうしても、『私が幸せにしたい。』とは言えなかった。

喉から手が出るほど、恋しい人でも。

陸が幸せにしたい人が他にいる。それなのに、私が一方的に幸せを押し付けるような行為は、陸を苦しめるだけ。

自分の心さえ押し殺すことができれば、皆が幸せになれる。

両親には悪いけれど、私たちに残されているのは「婚約破棄」しかないのだ。

政略結婚に愛を求めるのは甘いと言われるかもしれない。けれど、誰だって同じように愛を与え合う関係をパートナーに求めるのは、生きる上で当たり前の権利だと思う。

私は、やっぱり陸が好き。けれど、相手の心はどうしようもない。

このまま政略で結婚すれば、紙の上で彼を独占することはできるだろう。

けれど、そんな虚しい関係を、かつて温かな記憶を残してくれた相手とは繋ぎたくない。


「好きな人に、ちゃんと伝えてね。心配いらないって。しばらくは婚約者のふりをして、やり過ごしましょう。」


そう微笑んで、沙希は席を立った。

できるならずっと見ていたい陸のことを、今だけは見ていたくなかった。





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