遊園地
待ち合わせは遊園地最寄り駅までの乗り換え地点の駅。
ひまりは、フレンチスリーブの白いブラウスに、動きやすいジーンズと黒スニーカーの出で立ちで待っていた。
五月であるはずの天候が不安定なことを考慮して、腕には薄茶色の薄いロングカーディガンを持っている。
「ごめんねー!ひまりちゃん!」
パタパタと急ぎ足で近寄ってくる沙希を、ひまりはにっこり笑んで迎えた。
彼女は、ストライプ柄の水色タンクトップワンピースとセットのウエストベルトでしなやかな体系をより美しく際立たせ、そこから下に広がるスカートが女らしさを醸し出している。足元は遊園地ということで、白地に水色のタッチが効いたスニーカーだ。
「おはよう。待ち合わせ時間より早いんだから、謝らなくていいのに。」
と言うと、沙希は首を振って拒否した。
なんでも、いつもひまりのほうが早く来て待っててくれるから、今日は早目に出たはずなのに、結局待たせたという理由だった。
「なら、なおさらだよ。私は人を待たせるのが苦手だから、勝手にこうしてるだけ。あ、でも、待ちぼうけ食うの嫌い・・・だけど、好きな人はいないか!」そう言うと、沙希は笑っていた。
ひまりはそう言って、携帯の時計を見る。
あと少しで待ち合わせ時間。陽が来れば出発だった。
「悪いっ!」
混みあう駅の喧騒を破って、陽の声がひまりの耳に届いた。
くるっと声の方を向くと、陽はマリンボーダーのティーシャツに白シャツを重ね、ベージュのパンツを爽やかに着こなしていた。勿論、陽は駆け足気味でありながらすれ違う女性たちの視線をほしいままに泳がせている。本人の望む望まないの意志など作用していないモテっぷりで、これから一緒に遊ぶのかと思うと、心の片隅で不安が生まれた。沙希は美人だからいいが、自分はそうではないから睨まれるのは自分であることを自覚しているせいだった。
「来たわ」というひまりの言葉に沙希は、「え、どこ?」と戸惑っている。さっきの陽の声は届いていなかったようだ。
だが、沙希には陽の登場よりも、隣のひまりの雰囲気の変化のほうが目に留まっていた。
くすりと笑った沙希は、隣で困ったように微笑んでいるひまりを見つめて思った。
――見つけるのがとても早いのね。
「遅いわ!待ちくたびれた!」
怒ってみせるひまりをとても可愛いと沙希は思った。本当は怒っていないことなど、見れば分かる。
いつもは優しい光を湛えた茶色い瞳が、喜びに満ちている。きっと、ひまりは気づいていない。
「ごめんって。」
「まあいいわ、待ち合わせ時間前だし。」
さすがの沙希にも、周囲の女性たちが異様なまでにこちらを意識しているのが分かった。
人の視線を浴びながらも、顔色一つ変えず無礼のない対応をするよう育ってきた沙希には、見慣れた光景ではあったものの、いかせん場が違う。
もう一人、男友達がいれば良かったものの、沙希には男友達と言える存在はいないし、ひまりも陽以外はいない。
「で、遅れた理由。」
陽がそう言って後ろに隠れるようにして立っていた見知らぬ顔の男性を引っ張り出してきた。
「三人で遊園地っていうのも、一人だけあぶれるかと思ってさ、俺の友達一人追加ね。」
「・・・ちわ。」
背丈は陽と同じくらい、柄入りカットソーとジーパンというルーズな出で立ちながら、その彫りの深い整った顔立ちとすらりとしたスタイルのせいか、とてもスタイリッシュな空気を纏っていた。
黒い髪ははらりと目のラインで斜めに流れ、襟足にわずかに届く程度の長さが、アーモンド型の瞳と、筋の通った高い鼻梁と、ふっくらした唇のどことなくセクシーな色気を引き立たせている。
なるほど、この二人の組み合わせのせいで必要以上に女性の目を奪っているわけだ。
ひまりは一人、納得した。
陽とはまるで違う、まるで太陽と月、陰と陽のような二人なのだ。
と思うのは、「・・・ちわ。」と言ったきり、陽がひまりと沙希を紹介しても、自分の紹介をされても音も出さずどこか遠くを見ているせいである。否、何も見ていないのかもしれなかった。
陽いわく、彼は陽と同じ学部の友人で、大学では一番仲が良いそうだ。
多喜竜一という名で、大学内では一定の女子層からも人気があるが、主に男子の人気が高いのだそう。
無口なのは人見知りだからで、慣れれば喋るようになるから気にしないことだという取説のような紹介だった。
なるほど、人見知りであるなら当然見知らぬ女たちと遊園地などの行楽地になど行きたいと思うはずがない、だというのにこうして連れ出さられているということは・・・。
ひまりはそこまで考えて、ふと揺らぎそうになる表情を頑なに固持しようと努めた。
――沙希ちゃんと二人になるために、私が一人になるのは可哀想だと思ったんだ。
何かが辛かった。
そうして憐れまれることなのか、それともあくまでも自分という存在が邪魔だと言われている気分なのか、暗に沙希と二人きりなること繰り返し求められていることなのか。
そうこうしているうちに、一行は電車に乗り込んで、あっという間に遊園地に辿り着いていた。
こうしている間も、竜一は一言も喋るはなかった。陽が無理矢理連れてきたせいで不機嫌なのかもしれない。
だが、ひまりには気になることがあった。
電車の中で、沙希と陽が喋り出し、いとも簡単に二人の世界に入り込むと入口付近の窓側に寄りかかっていたはずの竜一がひまりの肩をポンとはたいて、外を見てみろと言うように顎をくいっとやったのだ。
そこには、綺麗な花畑が咲き誇っていた。
「・・・うわぁ!綺麗!」
背中越しなのに良く気づいたな、という疑問はあったが、それよりも目先の美しい花たちと居心地悪さを察したかのような間合いに心が和んだ。それが、気づかいではない偶然だとしても。
そうしてひまりがうっとりと花たちを見送る姿に、竜一はほんの僅かに口元を綻ばせていたのだが、ひまりは気づいていなかった。
遊園地は、若いカップルや家族連れで賑わっていた。テーマパーク独特の意世界感を全身に浴びながらも、子供のころのように浸ることができないのは楽しみや喜びだけを瞳にうつせなくなったからか。
ひまりは早速にも困難に直面していた。困難というには、あまりに小さなことだったが、今のひまりには大問題なのだ。
「私はひまりちゃんと乗りたいわ、初めて友達と遊園地に来たんだもの。」
という無邪気で愛らしい沙希の言い分を一人の男が何とか覆そうと躍起になっていたせいだった。
「いやいや、折角男女二対二で遊べるようにしたんだし…!」
ここまでくると滑稽なもんだ。と、ひまりは半目で陽を見据える。
もう一人の黒い方はどうとでもいいと言うような空気でぼーっと立っている。
ちなみに乗りたがっているのは二人乗りのゴーカートだ。
だが躍起になればなるほど沙希の機嫌が悪くなり、今まで見たことのないような拗ねた表情を見せ始めている。
ひまりは痺れを切らして叫んだ。
「私が最初に姫を送り届けるから!次は陽君はエスコートすればいいでしょ!」
「・・・はい。」
そうして私はずんずんと沙希ちゃんの腕を取ってゴーカート乗り場に向かう。
「ああ言ったけど、もしかして沙希ちゃん運転したかった?」
そう確認すると、ほんのり頬を火照らせた沙希ちゃんが首を振る。
「ううん、ひまりちゃんとならどっちでも楽しいと思うの。」
という訳で私は助手席に沙希ちゃんをエスコートして乗り込み、それはそれは風を切って飛ばした。隣の沙希ちゃんがきゃあと言って喜んでいるようなので、嬉しい。
今日は一度も憂う色を瞳に見ない。それだけこの日を楽しみにしてくれていたのだろう。
めいっぱい、楽しんでもらいたい。
「沙希ちゃん、私ねー!」
「なにー?」
風と轟音で、互いの声が遠くなることを配慮して叫ぶ。
「・・・ううん、また後ででいいー!!楽しーね!!」
「ねー!!」
何が分かったかと言ったら、何か話したいことがあることだけだった。
そうしてあっという間にコースを終えて、助手席の沙希ちゃんをエスコートして帰ると、唖然とした表情の陽と、妙に含み笑いな竜一が待っていたのだった。
お株を取られて拗ねてしまったらしい陽は、冷ややかな目線をひまりにくれるようになったが、ひまりは受け流した。
そして次に沙希が乗りたがったのはメリーゴーランド。
そそくさと沙希の手を取って馬の背に乗せたのは良いが、見目の良い男女二人の登場で現場は一時騒然となった。
どうも姫と王子の秘密の逢瀬…を撮影している女優と俳優に見えたらしい。
もみくちゃにされそうになったとき、ふわりと腕を掴む力に引っ張られて、ひまりは人混みから逃れることができた。その手は竜一のものだった。
「危ないから。」
この日初めて聞いた竜一の声に、ひまりは感動した。
「竜一君!声、今日初めて聞いたよ!!うわあ!やった!!」
小さくガッツポーズをしたひまりはハッとして竜一に聞く。
「竜一君って呼んでよかった?」
「・・・お好きにどーぞ。」
ほんのに日陰になっているベンチに腰掛けて、二人を待つことにした二人はふうとため息を零した。
これと言って話題もなかったので、大人しくしていると、ざあっと心地よい風が吹く。
長い足を投げ出して、気だるげに座る様もモデルのように決まっている男が隣に居る以外は、割りとリラックスしている。
思えばこの人も、特別来たかったわけでもないのに振り回されて、挙句に私の面倒を見なくていけなくなって、気の毒な人だったなと思うと、同情心と申し訳ない気持ち同時にやってくる。
「・・・はあ。」
すると爽やかな風には似つかわしくない重いため息が聞こえてきた。
隣を見ると、竜一がひまりをじっと見据えていた。
「あんたさ、陽のこと惚れてんだろ?」
一瞬、すべての音が止まったかのように感じられた。さっきまでの穏やかな気持ちは、その突然の雷によって引き裂かれていく。
「ハハッ…ヤダな!どうして、…なんでそう思うの?」
「見てて分からなかったら、バカでしょ。あんたの顔にも、目にも、『私を見てほしい』って書いてんだよ。」
言葉もなかった。初めて会った人にまでバレているのなら、陽はどうなのだろう。ひまりの顔色を読んだかのように竜一は続ける。
「言っとくけど、陽は気づいてないよ。バカってことね。・・・それで?」
「待って、まだ好きなんて・・・!」
「じゃあ、何であいつらが喋ってると切なそうにしてるわけ?今だってそうだ、どこかで陽が自分にも手を差し伸べてくれないかって、期待していたんだろ?」
「そんなの邪推だよ!」
「そうかな?」
「・・・・・・そうだよ。」
返す声が小さくなっていく。竜一はまたはあとため息を零す。
「で、どうしてあんたは二人を引き合わせるためにこの遊園地デートを画策したのに、当の本人は切なそうな顔で陽を見るんだ?好きな奴を他の女に会わせてどうする。あんたになんの得がある?偽善か?それとも、二人のために頑張ってるアピールをすれば、いつか陽が見てくれるとでも?」
あまりの言われように、ひまりは知らず涙が頬を伝っていた。
「・・・そんなこと言われる筋合いじゃない。陽君は私とは違う世界で生きてる、あなたもよ。見目麗しく、歩けば何もしなくて称賛される。そんな人に、私の気持ちなんか分からない。」
「ああ、分からないね。好きなら好きとも言えない女の気持ちなんか知りたくもない。こうしてやることが、あんたんとこのあのお嬢さんも喜んでくれるとでも?婚約しているんだろ?現に、あのお嬢さんはあんたと遊びたがっている。婚約者がいる身からしたら、君の偽善行動は迷惑でしかないとは考えなかった?」
核心を突かれたのだろう。ひまり自身が、自信の持てない選択だったのだ。
今に結婚しなくてはいけないと相手は初恋の人だと、どこか憂いを帯びた彼女に、見目の麗しい男を出逢わせたところで、どうなるというのだろう。陽が、彼女の手を取って憂いを晴らしてくれるのだろうか。もし、彼女が陽の手を取らなかったら、陽はどう思うのだろう。
彼女の心が婚約者にあるのなら…。
幸せとは、何だろう。
でもそれらすべては結局、当人次第でひまりが手をこまねいて何をしても考えても、ひまりが変えられるものではない。
「陽が俺を引っ張り出すときに言ったんだ。『折角の幼馴染がくれたチャンスだ、その子にも自分の大切な友人を会わせたい』って。つまり、お前の相手に俺ってことだ。この俺!」
盛大な溜息を零すと、竜一は続けた。
「俺から言わせれば、どっちもほんとーにどうしようもないバカだ。」
最後のほうは、もうひまりの耳に届いていなかった。
陽が友達に『幼馴染』だと教えてくれていることに、嬉しくなって切なくなった。
「・・・勝手だと言っても良いよ。引き合わせた所で、何も起きないかもしれない。何かが芽生えたとしても、それでいいの。ほんの少しの変化が私にとって嬉しいように、陽君だってきっとそう。何もしないでいられない恋をした…幼馴染と、婚約したことによって悩むことが多くなった沙希ちゃん。会わせたことによってどこかが崩れるかもしれないけど、私は二人とも幸せになって欲しいと思ってる。偽善でも…良いよ。」
鼻をすすって、たどたどしく続けるひまりを黙って見ている竜一の瞳が真剣だった。
この人も、人の事で真剣になっている一人なのだ。
涙も止まっている。
「その変化のチャンスを与えられるのは、私しかいないって、そう思ったんだもの。」
一度、大きく息を吸って吐いた竜一は、ひまりに言った。
「いや、それは違うよ。変化を起こす起こせないは陽自身の行動次第。もしも、あんたがそのチャンスを作ってやらなくても、あんたには何の責任もない。つまり、あんたがとんでもなくアホでお人好しで自己中心性が強い己惚れやだ。」
「・・・何もそこまで言わなくたって良いじゃない!」
でも、竜一が言いたいことは分かった。
何も辛い役目など引き受けなくても、私には負うべき責任などないのだと。
竜一の腕をぽこぽこ叩いて抗議すると、竜一は笑っていた。
それを見ていたら、ひまりも笑っていた。
「あれー?もしかして、お邪魔だったかな?」
と肩をすくめてやってきた陽にからかわれたが、嫌な気は一つもしなかった。
「おかえり、沙希ちゃん!」
両手を大きく広げて歓迎すると沙希ちゃんも笑っていたし、陽君も「俺には?」と言うので「おかえりー!竜一君がハグしてくれまーす!」と振ると、仕方なく竜一君も立ち上がって陽君に両手を広げて話に乗ってくれた。いやあー!と悲鳴を上げて逃げまどう男と両手を広げて追う男を見ながら、自然と笑顔になっていった。
でも、この時気づいていなかった。
二人だけでメリーゴーランドに乗ったことによって、沙希ちゃんの運命が変わったことに。
その後、ジェットコースターがダメだという男たちを置いて、ひまりと沙希が乗り。
魂胆見え見えなお化け屋敷は陽のリクエストで、お化けなど全然恐くない沙希が陽を引きずって出てきたし、ひまりは竜一と「良くできてるねー」なんて感想を言い合って普通に観覧した。
四人一緒になって観覧車に乗ったら、誰も喋らなくなったので仕方なくひまりが一人で喋り倒した。
内容は今流行りのアニメ映画と、失敗談やちょっと恥ずかしい話しなどのフルコースだ。
お昼には、売店で思い思いにご飯を食べて、落ち着いた頃に色々なアトラクションを見て回った。
気づいたら、当初予定していたバックレ開始時間が迫っていたのに、竜一の存在がそれを阻止していた。
当初は一人で抜けて、沙希たちを二人きりにする予定だったと竜一に告げると、「バカ」と一笑に附されて終わった。
その代りのように、竜一はさり気なく沙希のそばに陣取り、陽をひまりのそばにいくように仕向けていた。
まるでひまりの思惑とは逆のことをしようとするのだ。
「なあ、ひまり。」
久しぶりに名前を呼ばれた気がする。
「楽しいか?」
ひまりの様子を窺うように、幾分背の高い陽は、ひまりの顔を覗きこむ。
「ん?すごく楽しいよ。竜一君も・・・良い人だね!」
「だろ!あいつホント良い奴なんだよ!人見知りが解ければ。・・・それにしてもお前ら、早い事打ち解けたな。どうやったんだ?」
「どうって、何もだよ?普通に喋ってた。」
口が裂けても内容は言えない。
「ふーん、俺とはひと月くらい時間掛かったんだけどな。」
結構かかったんだ・・・。
どこかで何かが引っ掛かる気がする。それが何か分からない。
「それより、陽君の方はどうなの?」
「あー、俺?楽しいよ。彼女も楽しいみたいだし。でも、俺は振られたよ。」
「・・・はい?」
耳を疑うほどにさらりと言いのけるものだから、ひまりは最初意味が分からなかった。
ちらりとひまりを見るとハハハと笑い出す陽に、何事かと目を向ける。
「告白したんだ。メリーゴーランドで。・・・断られたよ。『婚約者のことを想っているので、あなたのことは男の人として見ることはできません』だって。中々言うよね。」
「そ、それで?」
「うん、でもまだ好きだからね。勝手に想う分には、いいでしょ。」
それじゃあ、私も勝手にあなたを想っていても、いいですか?
そう陽君に告げられたら、何か変わるのかな。
何かの魔が差したように、ひまりの心に何かが吹き抜ける。
どくん、どくん――
嫌に心臓の音が身体を支配してるみたいで、喧騒など耳に入ってこない。
「ねえ、陽君。」
「うん?」
「私ね、陽君のこと・・・」
何事かと目を向ける陽君の瞳の中に、自分がいる。
そのことが、一層緊張を増していく。