きぼうのつばさ 1
白亜の離宮。
人を寄せつけぬ右翼の深奥部。
彼がそこへ辿り着くまでの道のりに累々と、影に脅えた近衛兵の悲鳴が積み重なった。
《嘆きの鏡》が人々の正気を奪っていく。
捜し求めた最後の扉をひらき、リュクルスは光あふれる一間に入る。
あいいれぬ属性の光は、《闇ノ翼》の翼を灼く。
「シーノン」
壁面の鎖に捕らわれた娘は、意識なくこうべをうなだれていた。
リュクルスは彼女の身体を抱き上げる。拘束の金具は彼女の肌に、ひどい痣と擦り切れた傷を刻んでいた。これ以上、一秒でもシーノンに苦痛を与えたくなかった。
リュクルスが凍てついた視線を刺すと、拘束具と鎖が粉々に崩れて霧散する。ゆっくりとリュクルスはその場に膝をついた。
「シーノン。僕だ。目をあけてくれ。目覚めて」
息がある。まつげが震えている。抱きとめる身体は信じられないくらい熱くて、そのまま溶けて消えてしまったらと恐ろしくなるほどだ。
「……リュ……クルス……さま……」
苦しみの中で、たった一つそれだけを守るように、シーノンはかぼそく譫言した。
「シーノン。僕はここにいるよ。遅くなってごめん」
力のない身体を強く抱きしめてリュクルスは呼びかけた。
言葉にするたび、心がひきつれるように痛んだ。
「ごめん」
――リュクルスの腕に、弱々しくシーノンの手が這いのぼる。
「リュク……ルス……さま……?」
痙攣とともに、瞼がひらく。
現れた菫色の瞳がリュクルスを見つけた。
「もう大丈夫だから――」
シーノンを苦しめる光は、闇ノ翼に遮られて届かない。灼かれる翼は端から白い炎をあげて焦がされ、少しずつ塵となりゆく。翼は翼人の命脈だ。魂を切り刻まれる痛みであるはずだが、リュクルスはそれを感じることさえ忘れてシーノンの瞳を覗いた。
痛みも消耗も、彼にとって慣れ過ぎた日常だ。
「大丈夫だよ、シーノン。君は僕が助ける。僕は君に返さなきゃいけないんだ」
虚ろな瞳にやっと意識の光が戻ってくる。
シーノンはリュクルスの存在をみとめて、すぐに満面の笑顔を浮かべた。
「よかっ……た。ここに入って来られたなら、リュクルスさまは、やっぱり《闇ノ翼》じゃないですよ……」
うかされたままの声は、夢見るように安堵を響かせた。
「リュクルスさま……帰りましょう、屋敷に、帰れるんですね……」
すと、瞼が降りる。
シーノンがリュクルスの腕の中でふたたび首の力を失った。
「僕のせいで、君は《光ノ翼》でいられなくなった。この姿を取り戻したとき僕は、ぜんぶ思い出したよ。ぜんぶ、すべて、君が与えてくれたものだった」
リュクルスは躊躇なく己の胸を抉った。
ずるりと片手に掴み出されたものは、どくどくと拍を打つ光輝の紐。
眩しい光のリボンを引きずりだした。
「この世に生まれ落ちたばかりで死にかけていた僕に、同じようにこの世に生まれ落ちたばかりなのに、僕のことを心配してくれた君がくれた、紐帯――命と翼をつなげるもの、翼人の核だ」
愛しく手にしたそれをリュクルスは、息の浅いシーノンの胸に当てて――。
「君に返すよ」
元はシーノンの一部だったそれは、早くも自分の身体に戻りたそうに逸りはじめる。リュクルスの手の中で、勢いよく暴れた。先端がシーノンの胸を割り、吸い込まれた。
光が拡がる。
泡のように生まれては、拡散していく。
周囲が真白く眩んで、目を開けていられない。シーノンの意志に反して光は闇を侵食していく。闇ノ翼に降り注ぎ、刃のごとく切り裂いた。
圧倒的な光。
そこに存在するものの輪郭さえ消えていく――。
リュクルスは最後にもう一度だけ、シーノンの身体を強く抱いた。
「ありがとう。シーノン。今までのこと、本当に。僕は君を……」




