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王の計画 4

『心理学者のルルス・ルクス博士でいらっしゃいますかな』

 大学近くの定食酒場で夕食をとっていたルルス・ルクス博士に、北部訛りの男が話しかけた。

 カウンターの隣に肩を並べた小柄な男は、地方の大学から出張で帝都を訪れた地層学の学者だと自己紹介した。

 畑は違うが、ルクス博士の研究論文をいつも興味深く読んでいる、と。

 ともに牛の尾肉煮込み定食とビールを堪能しながら、学問的な情報交換に盛り上がっていると、「心といえば、最近おもしろい話をですね」と前置きして、男は人ならざる翼人たちにまつわる昔話を語りはじめた。

『《闇ノ翼》を統べる王は、他者の心を見通す力をお持ちだそうです。まあ、さる神話研究者からの耳学問ですがね。――《闇ノ翼》の心性はとにかく合理的で、王自身もそうだが、配下を見渡してもだれもかれもに情緒というものがない。王はつまらない思いをしていたそうです。そんなあるとき《闇ノ翼》の王は、見たことがないほどに激烈な感情に満ちた心の持ち主とすれ違った。それは《光ノ翼》の王の娘だった。まさに敵同士の間柄』

 あらゆる分野に向かって好奇心の強い博士は、小柄な男が小声で語る、聞いたこともないおとぎ話が嫌いではなかった。

 つまみの骨付き鳥肉をしゃぶり、男の薦める北部産蒸留酒に喉を鳴らしつつ、合いの手を挟んだ。まだ二十代半ばの青年学者にして、医者から厳に摂生を言いつけられるほどの健啖家であるルルス・ルクス博士の腹は、すでに酒樽のごとくでっぷりと膨らんでいる。

『神話というからには、太古の戦争の真っ只中の話?』

『そうなんですな。一方、彼とすれ違った《光ノ翼》の姫は姫で、姫の放つ光輝を洩らさず吸い込んでしまう漆黒の闇に興味を引かれた。純粋で強大な光と闇の邂逅は、それがそのまま一つの戦いだった。勝ったといえば両方勝ったし、負けたといえば両方負けた。俗な言葉に代えますと、王と姫は恋に落ちたのですな』

『《闇ノ翼》と《光ノ翼》が――』

 ルクス博士は歴史の秘話に目をしばたたく。『初耳初耳』

『秘められた恋路だったそうですよ。何しろ同胞に知られたら、ねえ。他方では悲惨極まりなく殺し合っている最中なんですから』

『お(かみ)同士の結び付き、それを取っ掛かりに和解できなかったものかと思うね』

『それが出来ていたらペンツェラルゼとラファタルだってねえ』

『翼人も人間も変わらないな』

『まったくですよ』

『で、終わりは悲恋? 結ばれていたら《どっちつかずの翼》なんてのが生まれていてもいいはずだもの』

 すると男は急に真面目な顔になって、

『翼人の命のつなぎ方は人間とはだいぶん異なるんですな。血でつなぐのではないんです。子は与えられるべきときに《一極》から与えられるものなんですよ。つがいになる必要もなく、本当の意味で授かるのです。いやまあ、神話学者に聞いた話です』

『へえ』

『それはともかく、立場との葛藤に先に耐え切れなくなったのは姫でした。さすが正義を重んじる《光ノ翼》と言いましょうか、つきぬけた苛烈さが()さしめたことなのか、姫は《一極》に怒りの矛先を向けたそうです。宇宙に語りかける祈りの作法どおり、山の頂の湖に三日三晩身を浸し、運命への抗議をまくしたてたのです』

『まさか、それが《光矢ノ乙女》?!』

 男は苦笑を滲ませながら、神妙に頷いてみせた。

『神話学者のいうところ、異説なんだそうですが』

 感慨深く思い出話を語る老人のように――。一瞬だが、やけに影を帯びて威厳の濃い年老いた人が隣に座っている気がして、博士は思わず目をこすった。酔いが回ったのだろう。

 男は追憶の痛みと憧憬を眼の中にうかべた。

『矢のような言葉で《一極》を脅しつけましてね。《光ノ翼》と《闇ノ翼》、けして相容れない二つの種族をそのようにつくりたもうて争わせているのは、《一極》でしょうと糾弾した。そして姫は《一極》に、戦を終わりにする方法を乞うた。自らの命と引き換えに。《一極》は、それに応えた。その《一極》の答えが、《嘆きの鏡》なのであるらしい』

『鏡。鏡で戦争が終わるのか』

『答えというか、手掛かりですかね』

『ふむ』

 ルクス博士は背もたれに重心を移し、腕を組んだ。

 腹のボタンが今にもはちきれそうだった。

『そういうことがあったので、残された《闇ノ翼》の王と、姫の父王は、姫の意志を無駄にすまいと協議を持ちました。あとは知っての通り、翼人はこの大地を人間に譲ることとし、光と闇の争いも人間に託すことにしたわけです。本当のところ、丸投げするしか戦を終わらせる方法はなくってね。平和の実現法、それは代理戦争以外になかった』

 人の歴史であるペンツェラルゼとラファタルの対立が、翼人に導かれた代理戦争であるとは、地上ではごく限られた者たち――双方の皇家と王家の者のみしか知らぬことだ。

『鏡か……』

 だがルクス博士は、まったく別のところに気を取られていた。

 男の口の端が、ルクス博士の死角でにやりと動いた。

『自分の姿というものを、人は意外と知りませんからな』

 ルクス博士は無意識に何度も頷きながら――。

『苦しい悩みや誤解や争いは、そういうところから始まっているのかもしれないね』

『まったくですな』

 すぐさまルクス博士は沈思にとらわれていった。

『自分の、顔か……』

 おろそかになった博士の手元でグラスの中身が揺れる。

 ルクス博士は学究の深遠に入り込みはじめた己自身のふくよかな丸顔を、手の中の琥珀色した酒の表面に映して覗き込んだ。


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