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王の計画 3

 松明の火が、じめじめした地下空間の温度を高める。

 石の床を浸す地下水の水たまりを踏みながら、壁に映った揺らめく人影が近づいてくる。

「ルクス屋敷だろうと、深淵に封じられた牢だろうと、君にとって大して変わりがあるとも思えませんね」

 もはや一日の区切りを数えることも困難になりかけた、無為で単調な時間の果てに、初めて届いた会話らしい声だった。

 リュクルスはうずくまった壁際で、腕の中に埋ずめて伏していた顔を上げる。

「……あなたは」

 鉄格子の外に立つ、学者然とした長髪の男を見て、リュクルスは眉をひそめる。

「そうではないですか? 考える時間なら、何も牢の中ではなくとも、いくらでもあった。君は脆弱な自分の身体に甘え、シーノンの献身に守られるばかりを良しとして、現実を遠ざけ、地下に籠りつづけた。怠惰で臆病な君にとって、光の届かぬ地下牢はゆりかごと変わらない。居心地がいいでしょう」

 汗に濡れたリュクルスの憔悴を見下ろしながら、コリントは淡々と言いつのる。

「シーノンも君も、折に触れ不思議を感じ、不審を覚え、外野から情報を与えられるに至ってからも、ついぞお互いの抱える真実に向き合おうとはしなかった。相手を思うばかりにね」

 彼はこの場所に似つかわしくない知人だった。そんな疑問を超越するコリントの口調に、リュクルスは強く惹きこまれた。

 意味を飲みこむと同時に、反駁をもよおす。

「違う」

 リュクルスは漆黒の髪を乱してかぶりを振る。

「二人で過ごす時間のほうが大切だった」

 壊したくなかった。

 奪われたくなかった。

 真実などという残酷な鉈の一振りにシーノンとの暮らしを断ち切られたくなかった。

「だけど矛盾している。僕は、シーノンについて知らないことなど一つもなかった。あの子の心の中も、正体も、ぜんぶ……」

 コリントが両目を細める。

「やはり、君は自身の能力を自覚していましたか」

 いま、人間の姿をとりながら、リュクルスの前であえてコリントは正体を封じる掛け金を外している。

 コリントの本質がリュクルスには視えた。

 隣家の薬草園主としてルクス屋敷を訪れていたときには、けして悟らせなかったその中身が。

「君の作る仮面には人知の埒外にある力が宿っている。君は人の心の内側を比喩ではなく覗き視て、仮面に写し取る能力を持っている。心の内側、という言い方はあくまで人間であるルクス博士のものですね。我々の視点をもちいるならば、あるいは魂のかたちと言ってもいいでしょう」

 翼人の青年はあくまでも淡々と、暴いていく。

 学問という、理屈の裏に隠されてきたもの。

 リュクルスが職人の感性と技であると偽ってきた《仮面》の力を。

「ルクス博士に《仮面療法》の研究につながる啓示を与えたのは君の父君かもしれない。太古に極めた知恵を少しずつわけあたえて人の学究を導くのは翼人の役割ですが、《闇ノ翼》の王の地上への介入は、君の未来に賭けたものでしょうね」

 自分が人ならざる存在であることに、リュクルスは仮面作りをはじめた頃から気付いていた。

 同時に、自分が翼人ならざる存在であることにもリュクルスは気付いていた。

 患者に向きあい、その悩みを知ろうとして対話するとき、人の心の構成とでも言うべき、混じりあう色のイメージがリュクルスには見える。

 それぞれの色の意味も理解できた。仮面に写した色彩は、心の色そのものであり、比率をかえて患者の願望に見合った配色の仮面を処方すれば、《仮面療法》の名声は瞬く間に高まっていった。

 それがリュクルスの力。

 そしてリュクルスの狩り。

「《仮面》にけして使わなかった色がある……」

 かすれた声でリュクルスは呟いた。

 悩み多き人の心に、必ず巣食う、その色。

 その混沌。

「闇だ」

 患者の心の闇に触れ、新しい(じぶん)となる《仮面》からは闇を取り払うことで、リュクルスは彼らから闇を抜き取っていた。はじめは無意識にやっていた。だが自覚するのに時間はかからなかった。患者が増え、《仮面》を作るたびごとに、人として虚弱だったリュクルスの身体は僅かずつ、死の淵から遠ざかる階梯を昇りはじめた。

 それとともに、リュクルスの中で、翼人としての意識と感覚が開きはじめた。

 夜ごとに訪れる何者かたちの気配。光と光と光。

 シーノンが、リュクルスを守って戦っていた。

 彼は()った。

 何もかも、すべてが、人知を越えた存在によって計画されたことだったのだ。

「《闇ノ翼》の王は僕のためにシーノンを誘拐したのか? 彼女から記憶を奪い、ただ僕の盾とするだけのために、眷属と戦わせたのか?」

 かきむしるように頭を抱えて、リュクルスは会ったこともない《闇ノ翼》の王への憤りをふりしぼる。

 それは、ほかでもない自分自身という存在への怒りでもある。

「そうではないのです」

 はっきりと、そして柔らかにコリントが言った。

「彼女を盾として戦わせたのは確かに《闇ノ翼》の王です。だが、《闇ノ翼》の王は、記憶も翼も失い、ヒトとして寄る辺なく地上に行き倒れていた幼い少女を、拾ってやり、その命を救ったのだと聞いています」

「だったらすぐに《光ノ翼》の元に返せばよかった」

「ええ。でも、不完全なあの子にとっては、《光ノ翼》の世界も、《闇ノ翼》の世界も、苦痛の場所でしかない。それも事実でした。《闇ノ翼》は合理的に物事を考える。だから正義に従う《光ノ翼》とは相容れませんが、責任ある王がなさることには必ずそれなりの理屈と意義が存在するはずです」

「不完全な……?」

 意外な言葉にリュクルスは反応した。 

「そう。シーノンもまた、大事なものを欠いているのですよ。ただしそれは、世界に生まれ落ちた瞬間にあの子が発揮した、確固たる意志の結果です」

「意志、の……」

「君には耳の痛い言葉でしょう」

 その通りだ。

 リュクルスは落ちつかない気持ちで額に手のひらを当てたが、瞳には消せないあきらめが滲む。

「僕が意志を持つときは、世界がどちらか一方に支配されてしまうときなんだろう」

「かの女性に吹き込まれましたか」

 懐からコリントがとりだしたもの。

 漆黒の《仮面》。

 リュクルスが自身の心の深淵を覗き見てつくりだした、《闇の王の仮面》。

「それは――」

「屋敷から持ち出しておきました。ルクス屋敷は、ゼーニッツが裏から村人たちを唆したせいで、焼け落ちてしまった」

 帰る場所はもうない。

 二人で暮らした穏やかな日々は、もう。

「君が《闇の王》となることは、シーノンの望みではありません」

「わかっている」

 リュクルスは、人々が二極に分かれて争う世界の様相を嫌っていた。

 《闇の王》の御曹司であることを認めることは、二極の世界の争いを先導する立場に自らを置く宣言にほかならない。

「しかし、君はこの《仮面》をつくった」

 それはシーノンを質に取られて脅されたからだ。

 リュクルスは――激しく首を振った。

 でも、リュクルスは《仮面》をつくった。

 何かに突き動かされるように、つくりつづけてきた。

 いくつもの、いくつもの、いくつもの、《仮面》を。

 それは本能だ。

 格子の内側に、《仮面》の置かれる音が響いた。

「あなたは、何が目的でここに来た」

「僕には見守ることしかできません」

 淡々とコリントが答える。

「すべては、あの子が選んだことです。そして君が選ぶことです。僕に《仮面》職人の能力がなくても、君の心の中は筒抜けに見えますよ。そこにはシーノンがいます。だから僕は、見守ることしかできません。君という存在がある以上、僕はシーノンの鏡にはなれないからです」

 落ちた沈黙にリュクルスが目を上げると、格子の向こうにコリントの姿はもうなかった。


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