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王の計画 2

 闇雲に走っていたシーノンは、西翼の回廊で派手に人とぶつかった。

 さいわい相手を突き飛ばしてしまわずにすんだが、顔を見て驚いたのはシーノンのほうだ。

「ゼーニッツ皇太子殿下……」

 ゼーニッツはシーノンの身体を支え、どうかしたのか、というように首を傾げた。

 薄闇がその赤髪を黒く染めている。

「やっと戻れたよ。しかしまたすぐに発たねばならない。ラファタルの艦隊に不穏な動きがあって――」

 動揺したままのシーノンの様子に気づいて、ゼーニッツが言葉をやめる。

 シーノンは震える声でやっと言った。

「ファニッツ皇子が……」

 途端、ゼーニッツが目をすがめた。

 シーノンを支えて彼の手が触れている場所から、言い知れぬ寒気が這いのぼる。 

「ファニッツ? ああ、見たのか。東には行くなと言ったのに」

 がらりと声音から誠実さが消えた。

 シーノンは彼がまとう空気の変容に戸惑った。

 瞳の海は漆黒に凪いでいた。陽は射さず、月の光さえ今この場所には届いていない。

「ゼー……」

「言い付けを守れない侍女は里に帰さないといけない。でも君にはもう帰る家はなかったね」

 冷たい夜気が二人のあいだに流れ入ってきた。

「殿下――」

 ゼーニッツが片腕を間近な扉にのばす。

 ひらかれた闇のあぎとにシーノンの身体を押し込み、後ろ手に出口を閉ざした。

燐寸(マッチ)を」

 闇に響いた囁きは、侍女の仕事を促すものだ。反射的に袖からとりだした燐寸でシーノンは、小卓の油燈に火を入れた。調度品の金装飾がてらてらと浮かびあがったサロンで振り返ると、シーノンの腰に手を沿えたまま真後ろに待ち構えていたゼーニッツが、戯れ事のつづきをするようにうつむく。

 離れようとして後ずさるシーノンだったが、一歩も行かずに背後は壁だった。

「あの……ファニッツ皇子殿下は、本当に皇太子殿下を……」

 陥れようと画策しているというのか。

 ファニッツのあの病は、けして昨日今日のものではないはずだ。

「寝込んでるあいつを見たんだろ。誰が死にかけの子供に期待するんだよ。俺の嘘に決まってるじゃん」

 シーノンは言葉をなくした。

 あかあかと火影に映える前髪をかきあげ、ゼーニッツが不誠実で意地の悪い若者の眼つきを露わにする。

「教会にも通わずに世間を遠ざけている君たちになら通じる嘘だったろ?」

 飲み込みがたい現実に混乱した頭は、シーノンに無意味な反論を口走らせる。

「でも、そんな、そんなすぐばれる嘘……」

 隠された秘密のすぐ近くにシーノンを連れてくるなど、あまりに杜撰な嘘だ。

「べつに? バレたところで困らない」

 ゼーニッツはシーノンの片腕を取りあげて頭上の壁に押しつけ、二人のあいだの空間を潰した。

「リュクルスも君もすでに俺の手の内だ。あいつも君も、彼女が彼がどうかされたら嫌だろう、と俺が言えば身動きは取れない。そうだろ? リュクルスはそうだったぜ」

 突然シーノンは正気に立ち返った。

「リュクルス様に何を」

「なにも? あいつにはただ、君のさだめ(・・・)の邪魔をしないようすっこんでいてもらえさえすればいいんでね。ただし、街の牢とは別のところだ、行こうとしても無駄。あいつのお仲間が取り返しにきても無理」

 シーノンは身をよじらせてこの場から逃げ出そうとした。

 揉み合ううちに髪ピンが外れて纏め髪が解けた。わざとだったかもしれない。はりつけられた右腕はびくともしない。それどころか、簡単に左腕までも捻りあげられてしまった。

 街で血の気の多い男たちの暴力に晒されたとき、シーノンを助けてくれたゼーニッツ皇太子が……。

(……あの時から、計算で……)

「変身すれば? してもいいぜ? 夜毎にヴーリエンたちと戦ってきたんだろ? 君の真の姿と力なら、俺を張り倒すなんてわけないはずだ」

 さも楽しげに、ゼーニッツはシーノンを挑発した。

 挑発?

 いいや、むしろ、変身させることが目的であるように、彼の眼はシーノンを脅していた。

「何のことだか……わからないです」

「へえ」

 この期に及んでとぼけるのか、と攻撃的な眼を細める。

 次の瞬間ゼーニッツはわざとらしく誠実で端正な皇太子の微笑みを浮かべた。

「このことです、《光ノ翼》の姫君」

 真剣な若者の瞳が迫る。

 シーノンに逃れる術はなかった。

 ゼーニッツは抗って顔をそむけるシーノンの眉間に唇を寄せた。

 器用に彼女の眼鏡をくわえて、抜き取った。

 シーノンは身体を固くする。

 怒ったように飛びまわるロッコの羽音が聞こえる。

『変態や! 変態や!』

「誰が」

 さっと伸ばされた手がロッコのくびれた真ん中を鷲掴んだ。

『ぎょーえー』

 ロッコが情けない悲鳴をあげる。

 シーノンは驚愕してゼーニッツとロッコを交互に見た。

「見えるの……ロッコが」

「俺は導きを受ける者だからな。決まってんだろ《光ノ翼》の姿が見えなきゃ話にならねー」

 ならば今までずっと、シーノンが遮断しているあいだもゼーニッツにはロッコの姿とお喋りが、見えて聞こえていたということだ。

 そぶりも見せずにいたのは、シーノンにとっては信じられない精神力に思えた。

「返して!」

「もちろん」

 くたっと元気をなくしたロッコをゼーニッツは片手に高々と掲げる。

「だが、俺が求めるのはただの変身じゃねえぞ。君の兄貴が言ってたぜ、君の変身は完全なものじゃない。翼と魂を結び付ける〈紐帯(ちゅうたい)〉をシーノンは失っている。だから、長くは変身していられないんだと」

「知らない……私は《光ノ翼》じゃない……」

「それが通るなら俺だって面倒くせー皇太子なんか今日からやめてやるっての」

『堪忍しておくれやす……堪忍しておくれやす……』

「ちがう……私は……」

「とりあえず変身してみようか」

 焦れたゼーニッツがぞんざいにロッコをシーノンの胸にめり込ませた。

「悠長にはしてられねーんだよ。ラファタルの氷鉄姫のアマが、艦隊を出動させた。もう全面戦争は避けられねえ。リュクルスに危害を加えられたくなかったら、君は君のさだめ(・・・)をとっとと実現しろ。自力でできねーっつんなら、するしかない状態に追い込むまでだ。何しろペンツェラルゼとラファタルの、この争いに勝つか負けるかは、帝国民の尊厳がかかってるんだからな」

 恐怖に憑りつかれたロッコの、そして我をなくしたシーノンの本能が共鳴し、爆発的な光が生まれる。

 身体が閃光に包まれる。

 色の消えた視界でゼーニッツの得意げな笑みが下方に落ちていった。

 強制的な変化。

 サナギが羽化するごとく宙にひろがる二翼の翼――。

「翼? それがかよ?」

 半透明な、未熟の翼。

 シーノンの背中に生えるそれは、翼人の崇高な美しさに輝く翼とはかけはなれている。

 《光ノ翼》本来の姿ではない。

「ああうっ……?」

 変化を終えた瞬間に、強烈な重力がシーノンを床に落とした。

 身体中が、鉛を飲んだように重くなり、立てない。

 息ができない。

「……な、に……」

 辺りを埋め尽くす、灼熱にも似た白光に、目が眩んだ。

「ベルーナスの離宮は、元は《光ノ翼》の王のためにペンツェラルゼ皇帝が用意した地上の城なんだよ。地上に天上の城の端が重なってる。次元をつなげる術がかかっているのさ」

 傍に立ったゼーニッツが、投げ出されたシーノンを痛ましげに見下ろした。

「人には影響しないが、眷属以外の翼人には罠となる。翼人の核でもある〈紐帯〉を失っている不完全な君にとっては、苦痛の場所以外ではないだろう」

 シーノンは変化を解こうとしたが、そのための力すらが地場に狂わされたように働かず、空しく脱力してしまう。

 哀れみを含んだ声がシーノンに降る。

「楽になりたければ、〈紐帯〉を我が身に呼び戻せばいい。君本来の完全な姿を取り戻せばいい。本当ならばここが君の故郷だ。君がいるべき場所はここだ。《光ノ翼》の末の姫君よ」

 光輝に塗り潰された世界で、おぼろげに浮かぶ彼のその表情は、慈悲と威厳の意志によって成り立つ。

 それはゼーニッツが被る仮面だ。

 帝国領土の国民を守らんとする皇太子――為政者として将来有望な青年の、冷徹かつ真剣なおもて。

 彼が心の内に自らつくりあげて所持する、〈王者の仮面〉だ。

「予言されし娘よ。人々に安寧をもたらす〈完全世界〉の扉の鍵。あなたの使命を果たす時は今だ。戦の予感に震える民草を希望に導けるのは、《光矢ノ乙女》の祈りによって産み落とされた、あなたという存在のみなのです。――どうか」

 倒れたシーノンのかたわらに膝をつき、ゼーニッツが尊崇を込めてその手をとる。

 丁寧に。

「どうか、ペンツェラルゼに光を。《光ノ翼》の正義に勝利を与え給え。約束の乙女よ」

 懇願の眼をとじて、厳粛に囁いた。


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