光のこども闇のこども 4
「リュクルス・ルクス。《一極》冒涜罪、および異端呪術乱用の罪で貴様を逮捕する」
取りすがる家政婦を振りきり、ずかずかと診療室に侵入した警邏官たちの長が、公式文書用の羊皮紙を掲げて威圧的に読み上げた。
「そんな……何かの間違いです、リュクルス様は冒涜なんて!」
「邪魔をするとあんたも連行するぞ」
「だって、突然なんなんですか? どうしてリュクルス様が逮捕されるんですか? おかしいですよ、そんな……」
「シーノン」
ルルス・ルクス博士のデスクで研究資料を読んでいたリュクルスが、両脇から警邏官に無理やり抱えられるように立たされながら、シーノンに首を振る。
「大丈夫だよ、手違いだろうから」
抵抗してシーノンがとばっちりを受けることのないよう、言い置く。
しかし、その落ち着きはらった様子は警邏官にかえって不審の印象を与えた。
「説明すれば、わかってもらえる」
「さっさと歩かんか!」
警邏官の白い手袋がリュクルスの頭を乱暴に小突くのを見て、シーノンは煮えくり返る怒りを感じた。でもリュクルスの命じる言葉が絶対だ。シーノンにとっては、いつも、いつでも。たとえシーノンの胸を痛ませることでも。
「リュクルス様。夕食を作って待ってますから!」
護送車に放り込まれた彼の姿は、閉じた扉に隔てられて消えた。
張りついた家政婦を無情に置き去り、馬車は猛然と街へ去っていく。
――だが。
日が落ちてもリュクルスは帰ってこない。
そのまえに村の長老たちがルクス屋敷へ押しかけてきて、日頃から溜め込んでいたらしい嫌味をここぞとばかりに垂れ流していった。
『胡散臭いインチキ学者の一家に村を汚された』
『闇の異教徒どころか異端の術使いだったとはな』
『三日以内に家財をまとめて出て行ってくれ。汚らわしい仮面の一つでも残っておれば、家ごと焼かせてもらうよ? 村ごと異端の目で見られちゃたまらないんだよ』
『若いもんの二人住まいを許しとくんじゃなかったよ』
『孫が浮ついた格好をするようになったのも奴のせい……』
異端呪術は、《光ノ翼》《闇ノ翼》どちらの教会にも属さない者が用いる医術やまじない、新学問の総称だ。
あるいは単純に、《一極》の存在を否定するもの、侮辱しようとするものも、〈半世界〉の摂理に従わない異端者として迫害されてきた。
ルルス・ルクス博士が存命のころは、三人は《光ノ翼》教会に信者籍を置いていた。
だがこの半年ほどは完全に、リュクルスは教会礼拝に行かなくなっていた。
シーノンには別の思いがあった。《闇ノ翼》の王に命じられ、闇の底から来ている自分が、《光ノ翼》教会に入る後ろめたさ。
――リュクルス・ルクスという名の少年を守れ。お前の力で。
「リュクルス様……」
彼がいま置かれているところはどんな場所なのだろう。
寒い思いをしていないか。乱暴な扱いを受けていないだろうか。
夕暮れが濃さを増すにつれ、シーノンの焦燥はつのり、いても立ってもいられなくなる。無意識に手はエプロンを外している。
道に出る。爪先立って街の方向を眺めやる。
身体が自然に動きだす。
やがてシーノンは走っていた。
街へ着き、警邏隊の建物をさがし、すでに鍵の閉まっている公舎の玄関を叩いた。
警邏官が出て来たが、シーノンの説明と懇願にも取りつく島のない態度で門前払いを貫くばかりだ。
「貴族にコネでもなければ、『お願いします』でこっから出られたやつはいないよ」
それを聞いてシーノンは鼻面にひっかかる眼鏡を押さえた。
「コネ……」
偉い人の知り合いなら……知り合ったのは数日前で、名前を覚えてもらっている程度だけれど、とんでもなく偉い人物である知り合いが、いる。
ちょっと視線をずらした先の、山の中腹に尖塔をそびえさせる離宮に春夏の間、住んでいる。
「ゼーニッツ皇太子殿下に、いただいたんです、この眼鏡!」
応対する警邏官が、わっと大笑した。腹を叩いて目尻を拭う。
「そうかそうか」
「あの方なら、リュクルス様の無実を証明してくださいます!」
「ゼーニッツ皇太子殿下を連れて来たら、そりゃあすぐに出してやれるよ。なんならおれの土下座もつけてやろうか」
「じゃあ!」
離宮の方角へ走りだそうとしたシーノンに、警邏官が笑いを仕舞い込む。
「コラコラッ! 街から馬鹿者をのぼらせたらこっちが近衛隊にどやされちまう」
放っておけばどの道を通ってでも離宮を目指すに違いない。警邏官は面倒な家政婦のために馬車を出して強制的に家へと帰らせた。
シーノンは明りのない廊下に悄然として立ち尽くす。
つきあたりに地下室へつづく階段室の戸がぼんやりとみえる。屋敷の中が静かなのはこの時間ならいつものことだ。でもリュクルスは今、その戸の向こうにさえいない。
◇◇◇
「今宵こそはおまえに敗北の味を教えるわよ、シーノン、よくって」
六人の美女が、殺気を高めて揃い踏みする。戦装束も華々しく。そのいずれにも、前回受けた消耗と損傷の痕は残されず、敗走などなかったことのように襲撃はくりかえされる。
美しく気高い純白の翼を所狭しと広げて。
「よくって」
「よくって」
「よくって」
「吠え面が楽しみなんだからねブス!」
「負けて詫びたって遅いんだからねバカ!」
シーノンは凭れている戸に頭をこすって身じろぎし、華麗なる襲撃者たちをぼんやり眺めた。
「嫌ならそこをおどき。いざ勝負!」
「ごめんなさい。リュクルス様はいませんよ」
だらしなく床に脚を投げ出したままシーノンは〝おねえさま〟を見上げて言った。
とたんに天性の美女が目を剥く。
「な、なんですって?」
動揺で美声が裏返っていた。
妹たちがいっせいに長姉を振り仰ぐ。
「おねえさま?」
「おねえさま?」
「おねえさま?」
ぐっと声を詰まらせたおねえさまが、一瞬後、気をとりなおして顎を引く。
妹たちを視線で制し、悠然と腕を組んだ。
「なら、《闇ノ翼》の御曹司はどこに?」
「そんな人はいませんよ。……リュクルス様なら、捕まっちゃいました」
おねえさまが眉宇をひそめる。
「捕らえられたの?」
こっくりと、いやむしろがっくりとシーノンは頷く。戻した頭が音をたてて戸にぶつかる。もはやシーノンの精神状態は虚脱を通り越して投げやりだ。
いつもなら主人を守る覚悟と覇気に満ちているのに。
見るに堪えない怠惰ぶりに眉間を険しくし、おねえさまはしばし考え込んだ。左右に並ぶ妹たちがじりじりと焦れはじめる。煮え湯を飲まされる顔で、おねえさまはやっと口を開いた。
「ならしょうがないわ。きっとお兄様のほうに考えがあるのでしょう。重いのだか軽いのだか分からない腰をやっとお上げになったのね」
「まさかおねえさま、バカをほっておいて撤退なの?!」
我慢ならないように左端の妹が叫ぶ。
「このブスいったいどうするのよ。弱ってるならちょうどいい、懲らしめてやらなきゃ」
輪をかけて物騒なのは右端の妹だ。
「いいえ。あの顔をご覧なさいよ。とても私たちと戦うどころじゃないわ。まるで魂の抜けた肉塊みたい。中身が空っぽの風船を相手に、殴りあう価値があると思って? 弱いものいじめは《光ノ翼》の信条にないのだから」
長姉の威厳に説得された妹たちとともに、戦乙女の集団はきらきらとした光の塵を残して消えた。
“おにいさま”というのもいるのか、と冷たい暗闇の廊下に取り残されたシーノンはぼんやり思った。
自分もリュクルスも、こういうときに助けてくれる人もないほど天涯孤独なのに。
◇◇◇
『リュクルスは私の実の子供ではないよ』
ルルス・ルクス博士は未婚者だった。ではリュクルスはどうやって生まれたのだろう――。シーノンが屋敷に住み着いてしばらく経ったころ、書斎を掃除していて何かの世間話のついでに、博士はシーノンの疑問を読んで答えた。
ルルス・ルクス博士は薪割りの斧のようにぱっきりと物事を割って話す人だった。
『ある吹雪の夜に拾った子だ』
人気のない真冬の帝都の夜の公園で、雪の降りつむ芝地の中に、裸の赤ん坊が布一枚に包まれて置かれていた。その公園はルクス博士が大学からの帰り道に必ず通る場所だった。
『泣き声も上げず、身じろぎもせず、真っ青な顔で、この世に生まれたことの悔恨で苦しんでいるかのように見えたよ。次の息を最後に死んでしまいそうなほど弱っていたのに、僕が覗くとぱちりと瞬いてね』
急いで医者に連れ込んで、ルクス博士は赤子に生きた心地を教えてやった。
『救貧院に預ける前に、ふと考えた。赤ん坊を一から育てることは、研究の役に立つかもしれない。まだまっさらな人間の中に、一から人格が育っていく過程を観察することは』
それでルクス博士は、赤子を引き取って育てることにした。
『しかしね、シーノン。その目論みはまったくの失敗だったんだよ』
子供の、いや、人間一人の成長過程は、博士の持つものさしが通用するほど易しく明快なものではなかった。混沌があり、爆発がある。博士の研究は専門用語や論文という、言葉によって成り立っていたが、子供の中にあるものは、未だ言葉によって整理されるに至らない、原始の熱量なのだ。そして何よりも一人の子供を育てるという仕事は、ものさしを当てる余裕すらない、肉体と精神の労働だった。ルクス博士は明日にも死んでしまうかもしれない病弱なリュクルスのちっぽけな人生に否応なく巻き込まれていった。つねに痛みと苦痛に耐えているからこそ感受性の強いリュクルスの、多彩な発言に魅了され、ときに学問を忘れた。
『むしろ僕は、リュクルスを育てていくうちに僕の中に新しい人格が生まれていることに気付いた』
爽快な事実を告白するようにルクス博士は肩を揺らした。
『リュクルスに教えられたのは、それだ』




