若葉ノ雫
午前中はあんなに晴れていた空が次第に色を失い灰色の雲に覆われていく。目の前に広がる町の色はいつも以上に暗い。一足早い梅雨の訪れを感じさせるような天候に僕は少し不安な気持ちになった。
バス停へと続く長い階段をゆっくりと降りて下へ下へと向かう。その時だった。雨がポタポタと降り始めたのは。
傘を持った手は少し重く木や葉っぱに当たる度にポタポタと雨の雫が傘に落ちてくる。傘を前にすると雫は前へ。後ろにすると雫は後ろへ。灰色だった階段の色は雨が落ちる度に真っ黒になっていく。ふと上を見上げると曇天の雲が空を支配し降り続く雨は徐々にその勢いを強めているような気がした。
そんなことを少し気にしながら一歩ずつ下へ下へ。
大多数の人は雨が嫌いだと言う。雨は濡れるし汚れるし……。でも、僕はそうは思わない。雨のせいで人通りが少なくなった通りの道はなんだか見知らぬ場所に来たと錯覚させてくれるし水溜まりに映った自分の姿を見るのもとても好きだ。ふと隣を見るとポタポタと雨の雫は草木に落ち緑の葉に丸い球体を形ずくっている。
こうして葉っぱをまじまじと見ているととても不思議な気持ちになる。これも雨の恵みのひとつなのかもしれない。とても心が落ち着く。
「ふぅ……」
大きくため息をついた後、僕はポケットから携帯電話を取り出した。あれから早いもので一週間が立つ。そろそろ電話をしないと。
「はい……。もしもし」
三回目のコールの後、彼女は電話に出てくれた。まだ少し怒ってるような気がする。
「あっ……。俺だよ。この前は本当にごめん。ついカッとなっちゃって。あんなこと言うつもりじゃなかったのに」
雨音を傘で感じながら僕は一言一言時間をかけながら彼女に想いを伝える。
「本当にそう思ってるの?」
そんな疑惑の声が電話の向こうから聞こえる。どうやらケンカをした時の怒りが冷めていないようだった。もっと早くに謝るべきだったのかもしれない。でも、自分の素直な気持ちを伝えるというのはとても難しいもので、もし今日雨が降るというきっかけがなかったら電話すらしてなかったのかもしれない。
「今日がなんの日か知ってる?」
しばしの沈黙の後、不意に彼女はそんなことをいいはじめた。今日……? 正直すぐには思い出せない。黙りが続く俺を見かねてか彼女はゆっくりと話を続けた。
「今日はあなたがドライブ先の湖畔で私にカメラをくれた日。あの時は本当に嬉しかった。その後も楽しい日々が続いたわ。でも、最近のあなたは仕事が忙しい忙しいと言いながら冷たく私に当たってきたわよね」
彼女の言葉がまるで矢のように僕の心に突き刺さる。僕は言い返すことができなかった。
「今日の夕方、あの公園で待ってるから。あなたと私が最初に出会った場所。会って直接話しましょうよ」
彼女の提案に私は一言「はい」と答えた。たしかに電話よりも直接会って話す方が良いに決まっている。雨はその勢いをますます強め今、この場所で聞こえる音といえば雨音だけ。でもなんだか僕に謝るきっかけをくれたこの雨がこれまで以上に好きになった。
階段を下りきった後、僕はすぐ横のバス停へと向かった。
約束の公園に行くために。
ケンカ別れをしてしまった彼女ともう一度やり直すために。
道端でひっそりと生えている若葉は強い雨に打たれながらも力強く咲いていた。