気を取り直して……演奏するんです!
「いや~、さっきはえらい見苦しいとこ、みせてもうてすんまへんでした」
西寺が客側に向かってお辞儀をする。
俺はメンバーに舞台袖に来るように手で促した。
続々と集合するメンバー。
「ふん、よもや弦が切れるとはな」
俺は黒角に対バン相手から咄嗟に借りてきたベースを渡した。
「これで弾け」
「ぬぅ、すまん」
流石に反省しているらしい。
「伊達、ほら」
俺はドラム担当の伊達に楽屋からもってきたスティックホルダーを渡した。
「す、すみませんです! 本当にすみません!」
「……ほんまに、黒角も伊達もしっかりせえや!」
西寺が黄金色に光るサックスを持ったまま伊達と黒角を睨みながら言った。
俺はその西寺の持つサックスのベルの奥に手を突っ込む。
「あ、マネージャーはん、なにしてんの」
そろりと楽器用の布を取り出し、西寺の顔の前に突きつけた。
途端に苦笑いになる西寺。
「管の中に異物を入れるな」
「あははは、は……す、すんまへん」
そして、俺がなにより怒りたかったのはこいつだ。
「飯島、お前、さっき黒角に大丈夫っすかって笑いながら声かけてただろ」
「へ? なんでわかったんすかっ! パネェ! エスパーすか?」
「……」
俺は何も言わずに、足元に落ちているスティックを飯島に投げつけた。
「いたっ! ちょっと、急になんなんすか」
こいつには何を言っても同じだ……そう思った。
「じゃ、マネージャーはん、わいらは戻るで」
「ちょっと待て」
俺は呼吸を整えてから言った。
「こいつを……こいつとセッションしてみろ」
言いながら、黒いローブの塊を指さした。
メンバー四人の視線が指の先に集まる。
指を刺された本人は、何故みんなが自分の事を見ているのか分かっていないようだ。
「え!? ええんかいな、マネージャーはん」
「ああ、お前らだけでやってもどうせめちゃくちゃだからな」
俺は心を鬼にして言った。
「そんなことないっすよぉ! ねえ、黒角さん」
「……お前が一番めちゃくちゃなんだよ!」
俺の剣幕に驚いたのか、飯島が持っていたギターをぎゅっと抱きしめて一歩後ずさった。
「やる曲は、リハーサルでやった曲だ」
「しかし、あれは練習用の曲ですよ」
伊達がいつものように眼鏡の位置を正しながら言う。
「未発表曲の練習だと思え、なおさら好都合だろ」
「……そうですね」
伊達は何かを考え込むように頷いてそう言った。
「じゃあ、そういうことで」
俺がそう言うと、各々がステージの持ち場に帰っていった。
舞台袖に取り残されたのは、俺と黒いローブの塊だけだった。
西寺の上ずった声が響き始める。
「え~、お待たせしました! 実は今日はゲストボーカルにきてもろてまして」
「今だ、行け」
そう言いながら、俺は黒いローブの塊ことユキの背中を押した。
――が、一向に歩き出そうとしない。
「歌いたい」
俺の目を抉るように見つめている。
「だから、歌いたいなら行けって!」
マイクスタンドを指さす。
ユキの目線が俺の指先を辿って、マイクに行きつく。
途端に笑顔で答えた。
「はぁい!」
嬉しそうな顔でステージの中央に駆け出すユキ。
こどもみたいな奴だ。
西寺も安心したような顔で引き続き、MCを始めた。
「お、きたきた、お名前は?」
「はぁい!」
「え、あ、はい、ね! とにかく、元気な子なんで、こないなこと言うんですよ」
「歌う!」
「え? あ、そう? ほな、もうええねんな? 自己紹介とか……」
「はぁい!」
客席を見る。
男性客はうっとりとした顔でユキを見ているが、女性客はそうはいかないようだ。
怪訝な顔でユキを見ているお客さんもいる。
天然でぶりっこは女性からの支持は得られないのが世の常か。
しかし上手く男性層を取り込むことが出来れば、このバンド……売れるかもしれない。
そんなことを考えていたら、西寺が曲の説明をしはじめた。
「次にやる曲は、未発表の曲なので是非みなさん
お手柔らかに聴いてください……ほな、ええか?」
「はぁい」
その声を聞き、俺は目を閉じた。
ドラムが鳴る。
最初にバスが鳴り、裏でハイハットが鳴る。
テンポも非常に心地いい。
そこに、ベースがうねるようなフレーズで飛び込んできた。
更に、ギターの艶のある音が空間を押し広げていく。
誇張しすぎずに、あくまで支えるだけ……そんな音の繊細さをギターから感じる。
そして、張りのあるサックスの音が緊張と緩和を繰り返しながら、美しいメロディーを奏でる。
そして声が聴こえてきた。
いや、もはや声と呼べるような代物ではなかった。
その音が空間を、捻じ曲げている。
俺はその迫力に驚いて目を開いた。
「っ!?」
――そこに、魔女がいた。
マイクスタンドなんかどこにもなかった。
彼女が……ユキが、握っているはずのマイクスタンドが大きな杖と化していた。
杖の先端、マイクがあるはずの位置に口を当てて、何かを囁いている。
そこから青白い音が漂っていた。
視覚で捉えているわけではない、ただ青白い音としか言いようのないものが
杖の先端からライブハウス全体に広がっていた。
「なんだ、これ」
バンドメンバーはとても心地よさそうに笑顔で楽器に身を任せている。
「羨ましい」
咄嗟にそんな言葉が口をついて出た。
あの音に飛び込みたい。
一緒に音を奏でたい。
そんな気持ちになったのは、久しぶりだった。
「ダメだ」
俺は舞台袖から、楽屋前の廊下まで引き返し、裏口から外に出た。
「ダメだ、ダメだ」
頭を振って、あの音を忘れようとした。
俺にあんな音を聴く資格なんてない。
「ダメだ、ダメだ、ダメだ」
頭をライブハウスの壁に何度もぶつける。
壁が赤くなり始めて、初めて痛みを感じた。
額に流れる血を手で拭う。
その赤さを見て、ようやく冷静になる。
「ふぅ」
ポケットからティッシュを取り出し、止血をする。
その刹那、また何かが耳を圧迫し始めた。
瞼を閉じる。
「お兄ちゃん!」
「祐二、これ、聴いてみるか?」
兄貴が小さな手でレコードを蓄音機にかけている。
二人でよく一緒にこうして、好きなアーティストの曲を聴いた。
特に俺と兄貴が大好きだった曲がある。
メロディーは思い出せるが、アーティスト名も曲名も思い出せない。
でも大好きな曲だった。
兄貴の事も大好きだった。
「た、助けて……」
想いでの映像に妙な音が混じり始めた。
俺はゆっくりと目を開いた。
裏口と道路を結ぶ道に男が佇んでいた。
その目は極限まで見開かれ、口からは涎が垂れている。
――やばい。
直感で分かった。
男はその手に握られている石で自らのこめかみを叩き始めた。
「助けて、怖いんだ……俺なんだ、全部きもちいいんだ」
そう言いながら、俺を見つめたまま、自分の頭に石を打ち付ける。
変形していく男の頭。
それでも、俺から目を離すことは決してなかった。
そして俺も目を離すことが出来なかった。
恐怖や逃げるという感情を抱く前に俺の脳は活動を止めてしまったらしい。
「怖いんだ、すごく」
そう言って、男は路地に倒れた。
「俺も怖いよ」
呟く。
暗い路地に、男の死体と俺だけが取り残された。