出会いは突然に……いや、ほんとにいきなりだったんです!
うん、安定したビートだ。
そこにベースの跳ねるような活きのいい音が飛び込んでくる。
そして、ギターが控えめに鳴る。まるで淑女のお辞儀のような儚さを携えた音だ。
うんうん、いい感じだ。
サックスが鳴りだす。……これは渋い。
それから、四つの楽器に加えて甘い囁き声が聴こえてくる。
抜群のメロディーセンスと艶のある声……だ……と?
俺は閉じていた目を開けた。
「はわぁっ!!」
旋律が崩れる。
楽器を演奏していたプレイヤーは皆、手を止めてしまった。
「あ、あんた……なにしてんだ?」
俺はマイクスタンドに手を添えている人物に問いかけた。
見たところ女性のようだが。
「……歌ってる」
歌ってる、いや、そんなことは分かってる。
「おい、誰かのツレか?」
今度は女ではなく、プレイヤーに問いかけた。
「ふん、知らんな」
ベースのプレイヤーが言う。
「僕も知りませんです、はい」
ドラムのプレイヤーが言う。
「てか、マジ演奏中に大声出さないでくれます? びっくりするんすよぉ」
ギターのプレイヤーが言う。
「ぴゃあ! べっぴんさん! べっぴんさんやでぇ!」
サックスのプレイヤーが言う。
「……じゃあ、あんた誰だ?」
もう一度、女に向き直って言った。
「歌わせて……お願い」
懇願するように、上目遣いでこちらを見ている。
俺はドキッとした。
その瞳をどこかで見たような気がしたからだ。
「ええやんか、マネージャーはん……別に減るもんじゃなしに、歌わせたりぃな」
独特の関西弁が耳をつらぬく。
「減る減らないとか、そういう問題じゃなくて……だって、おかしいでしょ!
急にステージに上がってきて」
そう、おかしい。
少し目を閉じた、その刹那に目の前に現れたことについても合点がいかない。
メンバーが演奏中に気づかなかったのもおかしい。
……不審すぎる。
「とりあえず、リハーサルの邪魔だから……あんた、降りてくれるか?」
ポカンとした顔で俺を見つめている。
そして、急に俺の言いたいことが伝わったかのように、眉を逆八の字にして怒りの形相をみせた。
座り込む女。
「歌いたい……歌いたいっ!」
おもちゃ屋でちょうどこんな感じで駄々をこねる子供を見たことがある。
「あのぉ、別のバンドの方もいるんで、早くしてもらえますか?」
後ろからイベントスタッフの声が聞こえる。
「あ、すみません、すぐに終わります」
俺は自分でも嫌になるほど取り繕った猫なで声と笑顔を、後方の糞ガキのスタッフに向けた。
「てか、もうぶっちゃけ時間ないっすよ」
「ふん、リハーサルなぞ、いらんわ……みよ、このベーステクニック!」
ベンベンベンとベースが鳴り響き始めた。
「なにしてんねん、やめや、黒角、今はそれどころちゃうっちゅうねん」
「ぬぅ、すまん」
ベースの音が弱弱しくなって、途絶えた。
ほんとにこいつは空気が読めないやつだ。
「あの、僕の憶測ですが……その方は僕らのファンなんじゃないですか?」
ドラムの椅子に座ったまま、眼鏡を上げながら言う。
確かにその可能性もある。
「そうなのか?」
女に問いかける。
「歌わせて……」
困った。
同じような言葉しか返ってこない。
俺は思った。
「勘弁してくれよ」
「口から出とるで」
すぐさま、柔らかいツッコミが入る。
さすが関西圏出身といったところか。
「あのぉ、もういいですか? 次のバンドもう入ってるんで!」
「す、すみません! すぐに転換します!」
糞ガキめが、ちょっとくらい融通しろというに……。
俺たちは楽器のケーブル等をいそいそと片づけ始めた。
各々が控室に戻っていく。
俺も控室の通路へ行こうと足を動かしたとき、後ろから糞ガキの声が聞こえた。
「ちょっと、そこの人もどうにかしてください」
ステージを見上げる。
いまだにマイクスタンドにしがみついたままの女が見えた。
なんという厄介な……。
俺はステージに上がり、声をかけた。
「ほら、邪魔になるだろ」
「……歌いたい」
「そんなに歌いたいなら、カラオケにでも行けよ」
「う……」
言い方が悪かったのだろうか。
女の目からぽつぽつと涙が零れはじめた。
これはまずい……と危険信号を脳が発した。
「お、おいおい、泣くことないだろ?」
「ひっ……っ……」
徐々にその嗚咽が大きくなり、肩が揺れ始めた。
マネージャーとして、いま俺はどう映っているのだろうか。
イベントスタッフからしてみたら、俺はバンドのファンを泣かせた極悪マネージャー
というふうに見えているのかもしれない。
それはまずい。
後の営業にも響く。
「あーと、わ、分かった分かった! 歌わせる、歌わせるから、なっ?」
肩をポンポンと叩きながら言う。
もちろん本当に歌わせる気なんかない。
泣きやんだところを控室に連れて行って、裏口からポイーっだ。
「ほんとに?」
濡れた瞳で俺を見上げている。
その顔は涙を流しているにもかかわらず、満面の笑みだった。
「ほんとほんと」
ちなみに、俺は中国、杭州の宏都という地名を二回言っただけだ。
故に、俺はなにも悪くない。
「ありがとう」
「よし、じゃあ立てるか?」
「ん」
こくりと顔が上下する。
そして、そのまま控室へと歩いた。
通路を歩く。
裏口はもうすぐだ。
そこで、ポイーっだ。
「……とう……いち」
ぼそりと何かが聞こえた。
「んあ?」
「ありがとう、ゆういち」
足を止めた。
色々な予想や仮説が頭の中を行ったり来たりしている。
女は言った。ゆういち……と。
――なんで、死んだ俺の兄貴の名前を知っている。