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タナトス・ドールの収穫








お前はいつまで状況に甘んじている気だ。





   










     ******





タナトス・ドールの収穫


 珍しく日の出よりも先に目を覚ました。いつもよりは身体が軽い。

 俺は条件反射的に掛け布団の下で仰向けからうつ伏せになり、枕の横の携帯電話を手に取り、ピントが大幅に狂った両目で液晶を捉えながら目覚まし機能を開き、これから鳴るように設定していたラプソディ・イン・ブルーを消した。

部屋には昨夜(ゆうべ)空けたビールの缶が二つ転がっている。俺はベッドを抜け出し、それらを掴んで台所まで行き、水洗いをして自作の缶用簡易ごみ袋に放り込んだ。洗面所まで行くよりもこのまま流しで顔を洗った方が手っ取り早いのではないかと思い、再び右手を蛇口へ運びかけたが、この辺りで脳の覚醒が大分進んできて思い留まった。だいいち歯ブラシが向こうにある。俺は背筋をなるべく伸ばすように気を付けながら、手洗い場に針路を設定した。

寝起きの人間の脳の状態は、パソコンのOSが立ち上がる時と似ていると思う。いや、逆か。むしろ後者が前者の性質を真似て発明された物なのかもしれない。開発者が意識していたか、無意識だったかは分からないが。

ところで今の俺の脳はパソコンで言うならやっとデスクトップが表示されたぐらいの覚醒度で、しばらくカーソルは操作すべきでない。最近はいつもこうだ。通勤準備ぎりぎりの時間に起床するのが当たり前になってきている。いつものことは別にどうでもいいのだが、この早い時間に起きても変わらず俺はこうなるのか。朝に弱いというのは決して得な事ではない。もっと素早く起動を済ませるにはどうすればいいのか。

眠気と体調不良の中間みたいに感じるこのダルさは、顔面に冷水を浴びせてやることによって解消された。OSに強制起動なんて機能があるのか知らないが、あるとしたら間違いなくそれである。

 今日は休日だが、午前中から予定が入っている。

 中学時代に知り合って以後、大人になった今でも腐れ縁でつるんでいる宮野というやつがいる。昨夜、その宮野から電話があった。もちろん日曜(つまり今日だ)の予定を取り付けるメールで、俺は軽く酔っていたせいもあって半分二つ返事気味に了解したのだが、どうやら今日俺はあいつと会うわけではないらしい。当事者ながら妙な話だ。

 そういや牛乳を切らしているな。俺の朝はチビの頃から変わらずパン食で、ドリンクはチビ時代には牛乳、年を経るにつれてカフェオレが主流になっていったのだが、さて、今日は珈琲にでもするか。別にミルク無しの珈琲が飲めないわけではない。なんなら無糖だっていけるが、どちらがより好きかと言われればカフェオレの完全勝利であるのだ、俺の舌は。精神のステータスは得てして肉体に顕現するという。俺は未だ未熟な心理構造を持ったままなのかもしれない。認めたくはないが。

 腹の足しにもならないことを一通り考えてから、朝食を済ませた。


「初めまして。今日は宜しくお願いします」

特に古臭そうでも高級そうでもない四階建てのアパートに、朝っぱらから男を訪ねてやってくる少女。これは通行人A的視点から見るとピンク系なベクトルで大問題に見えるのであろう。俺だって事前に話を貰っていたとはいえ、相まみえて一瞬くらいは動揺した。ただし俺の動揺に関しては、そいつが見ようによってはちょっと美人だったとかそういう事に対してのものは少ない。ならば他の要因は何だったのかというと、多分彼女の発するオーラの色であった。これが、具体的な形容を試みても、正確な言葉が見つからない。「凄み」とも通じるものがあるし、反対に「儚さ」と言っても四割しっくり来る。ところで、日本人はこういう何だかよくわからないものをまとめて形容してもいい便利な言葉を既に発明している。「不気味」である。しかし、溢れそうに情報量の多い事実を簡単な言葉にまとめてしまうのは、デジタル画像のピクセル数を元の絵から十分の一に減らしてしまうようなもので、はっきり言って暴挙なのだが、彼女からオーラを感じた、という事実を明確にしておきたいがために、便宜的に「不気味」で通すことにする。

俺は彼女の赤みがかったストレートな黒髪にコンマ二秒視線を向けた後、ぱっつん前髪で眉どころか睫毛まで隠れそうな彼女の目を見て、

「それじゃあ行こうか」

 と言った。

「どうしたい? とりあえずは君の行きたいところに合わせるよ。君からの誘いなんだし」

 俺の部屋がある二階から、コンクリートの階段を少女とともに降りる。彼女は澄ました顔を地表との平行線から五度くらい下に向けている。その体勢を崩さぬまま、

「ではゲームセンターというものに行ってみたいです」

 一発目からゲームセンターというチョイスはロマンもへったくれもなくてむしろ凄いなと思わんでもないが、要するに知らないものを見に行きたいんだろう。これは箱入りお嬢様の物見遊山で、俺はそのお目付け役というわけだ。彼女のゴシック調の洋服と俺のいかにも庶民な黒デニムアンドYシャツコンボの差が、お嬢様と従者の感をさらに強く醸し出しているかもしれない。もっとも年齢的に手綱を取るのは当然俺の役目だし、そもそも男だし、あまりのんびりと流されている訳にも行かないんだがな。正直面倒だという気持ちもあったが、依頼者の宮野は付き合いの長さで言っても俺の友人の中で一番だし、実際結構な仲だ。そう無下にすることでもあるまいと酔いの回り始めた頭ながら考え、今に至る。宮野は彼女に俺の話をしたところ興味を持ったようだから相手をしてやってくれとか言っていたが、彼女はむしろ庶民的なあれこれに興味があるのではなかろうか。  世間を知らない生活を送ってきたようだし。

 俺は彼女を助手席に乗せて車を出し、まず九時からやってる殊勝なファミレスに入って時間を潰した。建前上はデートだというのにファミレスを選ぶことに躊躇の無かった俺もどうかと思う。注文したパフェ一人前を二人で別々につついている間に三秒間だけ反省した。

 十時になると近所のゲーセンは開店する。先客が二台しかいない駐車場に車を停め、少女の左手を引いて自動ドアをくぐった。彼女の双眸が一ミリほど見開かれたのを横目で捉えた。

「うるさいです」

「そうだな。それがゲーセンのアイデンティティでもある」

 彼女は一度俺にしかめた顔をしたが、すぐに目の前のUFOキャッチャーに興味を惹かれたようで、ふらふらとガラスケースの前に引き寄せられていった。流行りの動物キャラのぬいぐるみが三次元パズルみたいに上手いこと積んであった。大きさは、彼女が両手で抱けるくらい。

 俺は彼女の後ろ髪を見る。体幹がわずかに前のめりに傾いていた。

「やってみるか?」

 尋ねるとそいつは振り向いて、

「はい」

俺は財布から五百円を取り出してコイン投入口に放り込んでやった。一回百円だが、一度に五百円を入れると六回できるやつだ。初心者のうちは硬貨二枚や三枚で望んだものが取れるわけは無いだろうし、せっかくの初挑戦なのだから成功体験をさせてやれるほうがいい。

 彼女は依然として冷淡にも聞こえる声で、

「ありがとうごさいます」

 そして跳ねるように前のめりに戻り、操作盤に両手を添えた。

「操作は分かるのか?」

「ここに書いてあるので分かります」

 少女は操作盤を指さして言った。ゲーセン初体験の人間にしては上出来だ。

 異文化交流中の少女を腕組みしながら何ともなしに眺め、俺はこれからの予定について考えていた。一通りここで遊んだら今度はどっか雰囲気のあるレストランで昼を済ませよう。そのあとは……映画にでも行くか? と思いかけてその考えを捨てた。本人はこれがデートだと思っているのかなんなのか知らんが、俺の認識ではこれはむしろお()りだ。宮野から知り合いの少女を預けられた。俺は休日を返上して今日一日預かる。それだけなのである。だったらなぜ雰囲気のあるレストランに行くのかというと……あれ、行く必要がないな。

 でもまあ建前上はお付き合いということになっているらしい。誰の中で? 俺でないのは確定だし、もし宮野が本気でそんなことを思っているのだとしたら俺は友人の体調か脳を疑わざるを得なくなるので、いま目の前で通算二プレイを棒に振っている彼女が、これをお付き合いだと認識しているのだろう、多分。デートという概念に対する普遍的理解が彼女の頭にあるとはどうも考えられないが。

 いろいろな思考に身を委ねてみた結果、考えてもどうしようもないという結論を得ることができた。すべてが終わってから宮野に詳しいことを聞くとかすればいい。彼女といる間に携帯をいじるのは憚られるから今はいい。そう重要なことでもないしな。

 見ると、丁度四回目のプレイを何の進展もなく見送ったところだった。

初めてやる人にとってUFOキャッチャーは簡単ではないだろうから、彼女が特別下手とかそういうわけではなかろう。

「取ろうか」

 彼女は振り向かない。

「……」

 うむ。そりゃ悔しいというものだろう。

「お願いします」

「わかった」

 俺は筐体の中を観察する。彼女の獲物は分かっている。既に惜しいところまでは運べているようだから、まあ取れるだろう。

 懐かしいレバーと二つのボタンを操作して、目的のブツを取ってやった。

「ありがとうございます」

 感嘆符が付くかつかないかギリギリの謝辞を頂戴した。ただ間違いなく俺が彼女から聞いた中では最高にテンションが上がっていた。まあ、ならば良しとしよう。

 彼女はしばらくカフェオレ色な熊のぬいぐるみをその場でぎゅうぎゅうしていた。抱き心地を測っているのかもしれない。

「あっちのゲームもやってみるか?」

 UFOキャッチャーよりは画面射撃系の方が初心者でも楽しめるだろう。この店舗には幸い大して怖くないタイトルがある。

 少女は熊の手をにぎにぎしながら、

「行きましょう」

 と俺を見上げた。本人には悪いが何もそそるものは無い。やはりお()りだ。

 それから俺たちは射撃ゲームをして(ゾンビの出てこないやつだ)、彼女の意外な上手さに俺がビビり、二人で太鼓を叩いて(これも初心者にしては上手かった。二プレイ目で難易度・難しいを余裕をもってクリアするぐらいに)、ならばとクイズゲームで対戦してみたら今度は俺が圧勝してしまったので、口直しにまた射撃をやらせて、最後にUFOキャッチャーへ戻ってきた。リベンジしたいそうだ。

「百円でいいです」

 ほう。それはまた凄い。

「一度成功例を見せてもらったので、次は絶対に取れます」

 どういう自信なのか全くもって理解不能だが、まあ子供というのはこんなもんだろう。俺は少女に百円を渡してやった。ちなみに挑戦するのはさっきの筐体の裏にある、蛇とか蜘蛛とかの驚かし系アイテムが並べられたものだ。子供の考えることはよく分からない。そもそも熊と同じ攻略法では取れないのだが。俺の財布が悲鳴を上げる前にアドバイスでもしてやって取らせればいいか。アームの状態は悪くなさそうだ。

 彼女は筐体にコインを投入した。

 アームが右に動く。……奥に。そのまま降下すると、なんかゲテモノっぽい極彩色のゴム製の蛇が引っかかった。またなんちゅうチョイスを。


太陽が南に向いた駐車場。彼女は嬉しそうな足取りで、熊を蛇で雁字搦め(がんじがら)にしながら(遊んでいるんだろう……)俺の後をついてきた。車に乗り込む。

「ちょっと行ったところに良いレストランがあるんだが、そこで昼食(ちゅうしょく)ってことでいいか?」

「はい、構いません」

 自力で取れたことも勿論嬉しいのだろうが、それ以前に、基本的に人形が好きみたいだ。まあ、いいことだろう。俺としても楽で助かる。

 俺は車を出して、これまで入る気にもならなかった小洒落たレストランへ向かった。


 一応マナーというものがあるので、俺はぬいぐるみとドッキリアイテムを車に置いていくように言った。

彼女は世間知らずで子供っぽいところのまだ残る少女だということが今までの行動で証明されたが、落ち着いて座ることは出来る子だった。しかも黙って座っていれば中世の屋敷にいそうな荘厳さも醸し出すことができる。多分意識はしていないだろうが。

 少女は向かいで俺と同じようにメニューを閲覧し吟味している。日本人形を西洋風にしたらこんな感じになるんだろうなとか、わけのわからない考えを浮かべつつ。

「どうしましたか?」

 俺は数秒間彼女をまじまじと見つめていたようだ。おお、第三者的視点で見てなんて寒気のする男だ。

「いや、何でもない。オーダーを取ってもらおうか」

 と、言ったところで俺の携帯がカバンの中で震えだした。まあ仕方がない、出るか。

「ちょっとすまん」

 俺は電話を取った。宮野だった。

『もしもし』

 俺だ。どうした。

『その子は君に懐いてるか?』

 懐いているというのかはわからんが、まあ別に悪い関係ではないな。

『そうか。それなら良かった』

 それよりお前、今日は外せない用事があるからとか言ってたが、今電話していても構わんのか?

『わざわざ時間を作っているんだよ。用事の方は君が彼女を引き受けてくれたおかげで、別に問題はない。急なお願いを聞き入れてもらって悪いね。今度何か食べに行く時は奢るよ』

 いい心がけだ。主に俺のために。

『それじゃ、用事の続きがあるから』

 待て。何のために電話してきたんだ。。

『経過報告をね』

 ……まさか本当に俺とこの少女のキューピッドになろうとしているわけじゃないだろうな。そうだとしたら俺は来週一杯を使って携帯ショップと不動産に顔を出し、諸々の手続きをしようと思うが。

『手ひどいな、君は。冗談だよ。時間が空いたから連絡してみただけさ』

 まあいいや。で、この子はいつ返せばいいんだ。電話を切る前にそれだけ教えてくれ。

『午後六時とか、そのくらいかな』

 わかった。その辺の時間になったらお前の家に送るぞ。じゃあな。

『頼むよ』

 

俺は通話を切った。

「宮野さんですか」

「そうだ。六時前になったら、あいつの家に向かうからな。遊べるのはそれまでだ」

「わかりました」

「腹減ったな。電話してて悪かった」

「構いません」


 俺は通り掛かったウェイトレスを捕まえ、二人でちょっとおしゃれな名前の主食を注文した。午前中よりはお互い話すようになった。ゲームセンターの功績は大きい。



 午後はショッピングモールに入った。レストランから車を出して、車内でこれからの行動を決めようと適当に走らせていたところ、五百メートルほど先にあるのを彼女が目聡く見つけて、行きたいと仰ったためだ。時間つぶしにはなるから俺も了承したんだが、やはり女子という生き物はショッピングモールに対する感度が高いのかもしれない。偏見だが。

 ちなみに男性には、買い物の過程が楽しいという傾向はあまりないらしい。


 最初は楽器屋に連れていかれた。ここはまあ、まだ良かった。次に本屋に。目当ての物も無いのにただ本屋に来るというのは、俺にはどうも退屈だった。が、まだいい。洋服屋が一番のヤマだった。まあ長い。同じブロックに十分も居座る必要はあるのか。やっと店から出たと思ったら隣の店へ連れていかれる。そのパターンが何度も何度も何度もリフレインしたところで、俺は彼女に帰還を提案することにした。


「なあ、もう五時も回ってる。そろそろ宮野のところに帰る方向で考えないか」

 俺が腕時計を指し示して言った。彼女は持っていた黒いワンピースをハンガーラックに戻し、少し何か考えてから、

「わかりました」

 わかればよろしい。俺は回れ右した。彼女もついてくる。

「ちょうどあの魔法も解けたことですし」

 はずだった。

「おい、魔法? いきなりどうした」

「今度は結界を張られているようですが。まあ関係ないです」

「おい」

 気付くと他の人間がいなかった。夕方の大型ショッピングモールなのに。

「ここまで手間取ったのは初めてでした。人を甘く見ていました」

「なんだ」

「私が来てから一日粘ったのは十分歴史に名を残しますが。

それでも人間は人間です」

「くるな」

「むしろなぜあなたは今まで来なかったのか。倫理に反する」

「なにが」

「あなたが来ないので私が来ました」

「こたえろ」

「質問の意味が理解できません」

「なんで」

「早くこちらへ来なさい」

「いやだ」

「あなたの意思は介入できません」

「なぜだ」

「あなたは死んでいるからです」

「うそだ」

「嘘をつき続けたのはあなたがたではありませんか」

「だれなんだ」

「私ですか。私は」

「たのむ」

「なあ」

「おい」

「お」



「あなたを殺すために来ました」







              Next?_ネクロマンサーの罪状


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