◆ この不思議な矛盾 ◆
この店のお勧めは毎日変わる。
その日の仕入れによって女将さんがメニューを決めるからだ。
いつも通り女将さんに料理を任せ、熱いおしぼりに手をかけた。
「カケルくん。これ、私の気持ちヨ」
そう言うと、女将がグラスワインを二つテーブルに置いた。
そして…「カケルくんをヨロシクね」と彼女に目配せる。
彼女はニッコリ微笑み、頷いた。
一般的な社交辞令の挨拶だろう…。
これが、宅席を選んだ理由の1つである。
女将は世話好きなのだ。
「再会を記念して」
彼女が、グラスを僕の目の高さまで持ち上げた。
「記念して…」
僕は、そう答えると乾杯のグラスを重ねた。
少し鈍い高音が微かに響いた。
一口喉に流し込んだ彼女は周りを見渡していた。
(もっと洒落た店が良かったかな…)
僕の中で、不安が蠢く。
思いきって、聞いてみる。
「ごめんね、別の店の方が良かったかな…」
「どうして?ステキなお店じゃない。それに、少し若く見て貰ったのかな?さっき、女将さん彼女だって。年上すぎるよね」
彼女が恥ずかしそうに小声でささやいた。
その姿は、とてもキュートで可愛らしく思えた。
「年上の彼女に見えたなら光栄だな」
僕は、女将の言った "彼女" と言う言葉に嫌悪感を抱いていないことに安堵した。
しかし、僕は何ともキザな言葉を口にしたのか…
でも、それは正直な気持ちに間違いはない。
やっぱり気持ちを伝えるのは、やはり苦手である…
今日の再会は神様のイタズラなんだろうか…
イタズラでも何でも、この機会を無駄にはしたくない…
ぼくは、頭の中で自分の気持ちを伝える為の言葉を探していた。
でも、そんな心配は必要ない事を直ぐに気づく。
彼女の前では、驚くほど素直になれる自分がそこにいた。
僕らはお互いの趣味のこと、興味のあること、変な癖や嫌いなこと…等々、夢中で話していた。
二人の時間はゆっくりと…それでいて瞬く間に流れて行く。
「写メ撮ろうよ」
僕はスマートフォンを取り出した。
写メだなんて…どうして、そんなことを言い出したのか自分でもワカラナイ…
彼女と共有した今の時間を形に残したかったのかもしれない。
僕らは二人の間にあるテーブルを挟んで体を寄せる。お互い上半身をテーブルに覆い被さるように自らの体を支えながら。
彼女と二人、自撮りである。
「いくよ!はい、チーズ」
少し古い定番の掛け声にタイミングを合わせて寄せた顔と顔がフレームにキレイに納まった。
お互い椅子に座り直し、僕はテーブルの上にスマートフォンを差し出した。
◆
「ほら、良く撮れているよ」
「ホント! いい顔してる」
スマホを覗く二人の顔の距離が再度近づく。
大きな瞳、長いまつ毛、少し落ち着いた色のピンクの唇…
スマートフォンを覗く彼女は僕の視線に気づいていないのだろうか…
僕は彼女の瞳から目が離せない。
人は一目惚れをするとき相手の顔を7秒間見つめるという。
7秒間は思うよりも以外と長い。
何を、確認するために
何を知るために7秒必要なのか…
殆んどの場合 " 目が釘付けになる " だけで、何も考える余地はないだろう。
それは、僕も例外ではなかった。
僕は駅前で彼女に目を奪われた時の事を思い出していた。
人との出逢いは、星の数ほどあるのに…
どうして、特定の人に心惹かれるのだろう。
どうして、僕は彼女に目を奪われたのだろう…
美人だったからなのか…
スタイルが良かったからなのか…
自分でもよく解っていない。
今までも、綺麗な女性とは何十人も出会い…
スタイルが良い人とも…
好みが合う人とも何人も会ってきたけれど、
「彼女に出逢ったときの感覚」は、忘れられない。
どんな風に言葉にしたら良いのか…
自分の全てに成りうる大切なものに出逢った感じ
…とでも言うのだろうか…
彼女といると僕は驚くほど、素直になれる。
彼女には、全てをさらけ出せる気がした。
僕は思わず呟いた…。
それは、極々自然にそして躊躇うことなく僕の言霊となった。
「ナオさん、知ってた?僕は初めて逢ったときからナオさんが好きだよ…」
突然の告白に、彼女が置いたグラスの中のワインが激しく揺らいだ。
「え…?」
驚いて顔をあげた彼女に、僕は唇を重ねていた。
お酒の力も手伝ってか、今までの僕からは想像も出来ないくらいに大胆な行動だったかもしれない…。
それは、数秒間の出来事だった。
それは、人生で初めての告白。
言わずにはいられなかった。
彼女の冷たく…そして暖かい唇の温度は、まだ僕の唇に残っている気がした。
僕らの頭上を照らす和風のライトの明るさも…
好奇に満ちた周りの視線も…
店に流れる有線のメロディも…
何も気にならない。
僕には彼女しか見えていなかったから。
僕らに沈黙が訪れた。
この時の僕は恥ずかしさと、気まずさと、嬉しさが入り交じって、確かに顔を高揚させていたはずだ。
しかし、周りの賑やかな声にそれは紛れて…
元の穏やかな時間を取り戻していった。
何となくぎこちない手つきで、僕は一枚だけ撮った写真をスマートフォンに表示させると口を開いた。
「写メ送る?」
決して、アドレスが知りたいが為の、工作などでは無い。アドレスぐらいなら、いくらでも聞く勇気ぐらい持ち合わせている。
こんなことで動揺する姿を彼女に見られたくはないのだ。
年下であることを意識している自分がそこにいた。
彼女は突然の僕の行為に驚いてはいたものの、直ぐに笑顔を見せてバッグからスマートフォンを取り出した。
こんな、僕のことを彼女はどう思っただろう…
軽蔑してはいないだろうか…
嫌われてはいないだろうか…
突然、後悔の念が僕を襲う。
でも、何故だろう…
僕の心の中は満たされている。
この不思議な矛盾が告白っていう事なんだろうか…
僕はやっぱり本気で恋におちている。
僕らの様子を目にしてから、騒ぎ立てる周りの客人の冷やかしの言葉さえ、耳に入らないくらい…
初めて駅で彼女を見掛けてから半年が過ぎていた。




