◆ 伝えられたらいいのに… ◆
柔らかいオレンジ色の光が僕を包む。
まぶしい…
(ああ…准の家か…夕べは准の家で酔いつぶれたんだっけ…)
明くる日、僕はそんな風に目覚めた。
カーテンの隙間から漏れる光は、部屋全体をハッキリと照らしていた。
僕はソファーに寄り掛かって寝てしまったらしく、身体中が痛い。中でも首が酷く鈍く痛みを感じないようにそっと身体を起こした。
誰が掛けてくれたのだろう?
見るとタオルケットが足元に丸まっている。
人の気配を感じた僕は、寄り掛かっていた白いソファーの上に目を向ける。
そこには彼女がいた。三人掛けのソファーは女性であっても、余裕がある広さではなく、長身の彼女は、足を折り曲げ丸くソファーに収まっている。彼女から、リズミカルな軽い寝息を感じる。化粧を落とさないまま、寝てしまったのだろう。目の周りが黒くてゾンビのようだ。
「まるで、ゾンビちゃん…」
僕は思わず呟いた。目の前にいるのは、他の誰でもなく逢いたくて逢いたくて仕方がなかった駅前の彼女だ。
「やっと、逢えた…」
僕は衝動的にそっと彼女のマツゲに顔を寄せる。
「何やってんの?」
反射的に体の動きがとまる。僕の視線の先には准がいた。そう、僕には彼女しか目に入らなかったが側には准も、准の姉チャンもいたのだ。酔い潰れてリビングに、いわゆる雑魚寝状態だった。
僕は音をたてないようにゆっくりと彼女から離れた。その姿を待っていたかのように准が指でキッチンへ僕を誘導する。
そして、低い声で話始めた。
「どうした?カケルにしては大胆じゃん。」
それは『知り合ったばかりなのに… 』というより『自分から行動を起こすなんて…』と言う意味だろう…
何故なら…僕は告白という行為が出来ない。と言うより素直に気持ちを伝えられない。振られるのが怖い訳ではない。単に苦手なだけである。どう自分の気持ちを伝えて良いのか解らない。
好きだ…とか、愛してる…なんて言葉は自分が俳優にでもならない限り一生、口に出来そうもない。
准は冷蔵庫から100%のオレンジジュースを取りだし、二つのグラスに注いだ。体の為に…と毎朝の、彼の日課のようなものである。
そして、僕にそのビタミン色のグラスを差し出した。
「カケルさあ…解ってないかもしれないけど、カケル程のルックスをもってして、今までも何人もの女性が言い寄っていた?気づいていても知らんふりしていた時もあるだろうが… なのに…どうしてナオさんなの?」
准はオレンジジュースを一くち、口にした。
それから、グラスが空になると継ぎ足した。
まるで、夏の暑い日に喉を枯らした子供のようである。
トクトクトク…僕は透明のグラスがオレンジ色に満たされるのをじっと見ていた。准の責めたてるような言葉に、困惑したものの… 本当の事だから、反す言葉も無い…
「なあ…准」
「ん?」
「ひとめぼれってあると思う?」
「ええっ!?」
丸くなった目を見開いて、准の口から1オクターブ高い声が響いた。僕はその声に驚いたが、それよりも 『ひとめぼれ』なんて言葉を口にする自分に内心驚いてた。僕は、今までの出来事を話した。彼女を駅前で見かけてから、昨日の再会までのことを。
「マジ…?…じゃないよね?」
口元を歪ませ、半分からかい気味に准が言う。
「もちろん、マジだよ」僕は即答する。愚問である。
「どうして?カケルは一目惚れなんて信じてなかったじゃん?」今まで、准の目付きは、真剣に見えた。
「信じてなかったんだけどね…って言うか、有り得ないって思ってたよ。……彼女に逢って、解った気がする。人を好きになるのに時間やきっかけは必要ないってこと」
僕は、大真面目だったが…言ってからよくもそんなドラマみたいな台詞が言えたものだと恥ずかしくなる。僕は一気にオレンジジュースを飲み干した。
「彼女バツイチだよ?」
「別に構わないよ。問題ないだろ?」
「彼氏だってさあ、きっといるよ?」
「あんなに綺麗なんだから、そうかもね」
「ほら、17も年下なんて相手にしないかもよ?弟みたいなもんだし…」
「そうかな…?でも、可能性はゼロじゃないだろ?」
「でもさあ…」
「准、おまえへんだぞ?何かあんのか?」
「い、いや~何にもないけど…。ほら、カケルがらしくないこと言い出すからさぁ~」
明らかに変である。食い気味に話をする准に焦りが見え隠れするのは、気のせいだろうか?
こうなると、やはり「マジ有りだからね」の言葉は信憑性を増してくる。
◆
僕は准にある意味、告白をしているようなものだ。自分の気持ちに向き合って…自分の気持ちがブレない様に…誰かに話をする事で、自分の気持ちを再確認する。今の僕の感情はそれに近いものがある。
「でも、だからって告ったり、付き合ったりなんて考えてはないだろ?」
二杯目のオレンジジュースを飲み干した准はさっきまでの不可解な態度から一変…落ち着き払っていた。このギャップが女心を掴むんだなあ~と感心してみたりする。
「でも、彼女は特別だから。気持ちは伝えたいな…って」
「気持ちって…参ったな…真面目に本気なんだ…涼子ちゃんは?」
「涼子は友達だよ。今までも、これからも」
「そっか…」
僕が涼子を友達と思っていてもやはり、周りはそう見ていないことを准の沈黙で知った。准の視線は何かを言いたげであり、僕を試しているようでもあった。
多分、一般的には17も年上の人に本気になれるわけないって…どうせ上手くいかないって…一時の熱病のようなものだって思うに違いない。
長い沈黙のあと、僕は口を開いた。
「僕は本気なんだと思う」
その時だった。コンコンコン…壁へのノックが三回響く。
「イケメン二人が何をご馳走してくれるのかしら?」
不意に背後から声がかかる。イタズラな声がキッチンへ飛び込んできた。
彼女だった。
やっぱり、17も年上には思えない。どう多く見ても30代後半だ。それは、容姿だけではなく仕草も、声も、佇まいも…決して惚れた欲目では、ない。その見た目も手伝って、僕の中では " 可能性はゼロじゃない " なんてポジティブな気持ちが燻る。
「いつからいたの?ホットサンドでいい?」
今までの話など無かったように准が口を開いた。
いきなり話を止めた気まずさを誤魔化す様に手際よく、冷蔵庫からハムやチーズ等の食材を取り出す。流石だ…僕は…といえば近くにあるコーヒーメーカーのスイッチを入れるのが精一杯である。
僕は、彼女と目を合わせないように側にあるグラスに手をかけた。今までの会話が聞こえていたような気がて、明らかに動揺していた。そんな不安を払拭するかのように、一気に二杯目のオレンジジュースを飲み干す。厚めのグラスの底に彼女が写り混んだ。まるでレンズのように、奇妙な姿に…でも、大きくハッキリと彼女が微笑んでいるのが解った。グラスの外の彼女と視線が交わった。
「あ…おはよう、ゾンビちゃん」
「え?わたし?」
僕はキッチンの入り口に掛かっている鏡を見るように指差す。そこに映っている自分の顔を覗き、『ゾンビちゃん 』の意味を理解した彼女は笑いだす。
「ハハハ!!本当だ~ まさにゾンビねっ」
開けっ広げで屈託のない笑い声に僕は何とも言えない優しい気分になる。
高くなった太陽が彼女を照らした。
「素敵な日曜日ね」
彼女が眩しそうに目を細める。日の光に照らされた彼女は、普段の何倍も綺麗に見えたまるで、少女のような屈託のない笑顔が愛しくて…僕は言い出しそうだった。
( 好きだよ… )
僕はその言葉を呑み込んだ…
いつ、何処で、どんな風に彼女に伝えられるだろう…自分の気持ちを相手に伝えるのは苦手だから深呼吸する時の様に、自然な呼吸になって伝えられたらいいのに…
もうすぐ夏がやって来る。
そしてまた、一週間が始まる。
これからの日々は、何かが始まる特別な幕開けの様な気がして、僕の心は清々しい気持ちで溢れていた。




