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sugar&salt  作者: 櫻井ミヲ
《   2章   》
3/30

◆ もう、逢えないのかな… ◆



その週の金曜の夜の事である。

仕事帰りに近くのコンビニで缶ビールを購入し、駐車中の車に戻った僕は運転席に乗り込み、静かにドアを閉めた。

助手席に缶ビールの入った袋を置いた瞬間…



「見いつけた!~カケル」



助手席のドアが開いたと同時に少し甘ったれた声が僕を呼び、『何か』が勢いよく車に乗り込んできた。



「お~っ!!ビールが」



その『何か』に、潰されそうになった袋を慌てて取り戻す僕を見て「涼子よりビールが大事なんだね!!」と、口をへの字に曲げる。


大学のサークルで一緒だった涼子。

三学年下の後輩。彼女は自分の事を「涼子」と名前で呼ぶ。背中にかかる緩くカールした髪とピンクのワンピースは「女の子らしさ」を感じさせ、僕にとっては「妹」みたいな存在である。


気がつけばいつも僕の側にいて世話をやいていた。勝手に訪ねて来ては食事の支度やら洗濯やらまるで彼女のように振る舞う。

涼子はどう感じているかは、知らないが…僕は彼女に友人としての好意こそあれど、まったく恋愛感情はない。

少し前の言葉で言えば、いわゆる「友達以上恋人未満」と言ったところだろう。      



「カケルってば、聞いてる?この頃変だよ。なんだか上の空」



「え?そんなことないけど…何?」



この頃、こんな会話が多いような気がする。

僕はあれから駅前の彼女の事が忘れられない。

彼女の事を想うだけで胸が苦しくなる。

でも、何故だろう…幸せな気分になる。


もう、逢えないのだろうか…

いや、縁があれば必ず逢える!


毎日、そう自分を励まして何日が過ぎただろう……



六丁目の交差点の信号が赤に変わり、停車した。

右矢印が青く点灯し、右折車が僕の横を物凄いスピードで通りすぎる。その様子を横目で眺めていた僕の腕は、思いきり叩かれた。



「痛っ…」



「聞いてた?」



「……え?」



「あ~あ、カケルってば、また聞いてない」



溜め息混じりの、半分諦めたような涼子の声で我に返る。また、涼子の話を上の空で聞いていたようだ。ほんの少しでも時間があれば、僕の思考回路の大部分は駅前の彼女の事で占められる。


名前も、年も…何も知らない。

通りすがりの、ほんの『ひとコマ』の出来事がこんなにも自分の中に入り込んでいることに驚く。

しかし、戸惑いは感じない。

僕はただただ、真っ直ぐに…

    「もう一度、彼女に逢いたい」

そう願っているのだから。



「カケルってば!」



涼子の大きな瞳が僕を責めている。その瞳は、明らかに怒りを通り越している。



「話していた私の時間を返して!」と僕を追い詰める瞳に他ならない。



「ゴメン…」



その時だった。ブルルッ…

言うが早いか…携帯電話のバイブが響いた。それは、僕の胸元から聞こえる。

ジャケットの内ポケットを探りながら、車を路肩に停車し携帯電話を取り出した。



「おう!カケル、今晩家に来ないか?明日、休みだろ?」



友人のジュンからであった。



「ああ!行く!」



考える余地無く即答した。涼子の瞳から逃れるには、准の電話はグットタイミングだ。僕はウィンカーを上げ、緩やかに車線に戻った。

車窓からは、日が長くなりこの時間にしてはまだ明るい風景が、夏の訪れを告げていた。



「わりぃ、涼子。家まで送るよ」



「え~涼子は連れていってくれないの!?」



電話の相手は解らないにしても、自分も一緒に連れていってくれる事を期待していた涼子には、信じられない言葉だったのだろう。勿論、一緒に連れていくなどといった言葉は、僕は一言も発してはいない。

瞳だけではなく、とうとう頬を膨らませるまでに怒りをアラワにした涼子を、自宅前に送り届けた。



「それじゃ…」素っ気ない言葉を口にした僕。



「信じられない!!」目を三角にして怒る涼子。



僕は、そんな涼子から逃げるように急いで自分のマンションに車を走らせた。









涼子を降ろして、25分程走った所で僕は駐車場に車を停めた。

ドアをロックすると、勢いよく階段をかけ上がり部屋に向かう。



カチャ…


バタンッ



無造作に開けたドアが惰性で閉じた音がした。


部屋に入るなりスーツを脱ぎ捨て、ネクタイを外しながら浴室へ向かった。そして、直ぐ様シャワーのコックをひねる。


少し冷えたバスルームは、一気に立ち込める湯気と共に温かさを取り戻していく。


脱ぎ捨てたシャツの類いは、それでもソファの縁になんとなく綺麗目に重ねられている。

ネクタイは、ユーティリティの上にくくりつけられているポールに無造作に引っ掛けた。

見れば、ポールには何本ものネクタイが掛けられており、風呂やシャワーの蒸気でシワが伸ばされ便利さと一石二鳥を担っている。


バスルームに降りた僕は、痛いくらいの水圧で頭を打ち付ける。他の雑音がかき消され、水音しか感じられないこの孤独感が気に入っている。


そうして、僕の脳裏にあの光景が甦る。



シャワーを浴びながら考える「悩み事」…

いや、「思案事」は良いも悪いも全てシャワーの音の中で、ひとり黙々と考えるには都合の良い時間なのだ。


僕にとって貴重なこの時間は、駅前の彼女にあってからと言うもの、専ら『彼女の事』で埋め尽くされていた。



せめて、名前だけでも解れば…

あのとき、追いかけて行けば…


後悔の念が頭の中を駆け巡り、最終的には



『もう一度逢いたい』



この想いだけが僕の心を支配する…


今の僕にはストーカーの心理が少しだけ解るような気にさえする。

まあ…居場所さえ解らない現状では、ストーカーにさえなれない自分がここにいるのだが。

すると、涼子の事が自ずから思案事として沸いて来る…


誤解があってはならないが決して、涼子をもて遊んでいる訳ではない。

好きだなんて言った事も付き合っている訳でもない。


それでも、甲斐甲斐しく世話をやく涼子に何とも説明のつかない気持ちが湧く。

それは、どちらかと言えば申し訳ない…なんて意味を含んだ気持ちである。


何故なら…知らないふりをしていても、涼子の気持ちは解りすぎるほど知っているから…



それなのに駅前の彼女の事は一時も頭から離れない事に罪悪感を覚えるのだ。


そんな気持ちを払拭するかの様に、水圧を上げてシャワーを浴びるのが日課になってしまった。



「もう、逢えないのかな…」






ポツン…ポツン…





シャワーのコックを閉めた後の、規則正しい水滴の音が悲しげで、僕の気持ちをブルーにする。

バスタオルを頭から被りながら、身体を伸ばし浴室からリビングの時計を確認する。

19時半をまわっている。



「ヤバイ…」



濡れた髪も乾かさずに、Tシャツにジーンズ…

そしてパーカーを羽織るだけのラフな格好で、僕は階段を駆け降りた。

持っていたタオルで髪の滴を乾かしながら、准の家に車を飛ばした。



そう…

駅前の彼女の事を考えながら…







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